登校、故に、監視

 「おはよう恭君、よく眠れた?」

 「おはようございます巳柑さん。ぐっすり眠れましたよ」


 朝食の用意をしてくれていた巳柑さんと朝の挨拶を交わす。

 先に部屋を出て行った萌々ちゃんも座って待っていた。

 萌々ちゃんの隣に座る俺。

 目の前の空いている方へと座りたいところだが、俺が座った隣に萌々ちゃんが移動してくるから、諦めて俺から隣に行く形になっていた。

 俺が座ったのを見てから、巳柑さんも目の前に座った。


 「それじゃあ食べましょうか。いただきます」

 「いただきます」

 「ま~す」


 手を合わせる巳柑さんと俺に対して、軽い口調で誰よりも早く朝食を口に運んでいく萌々ちゃん。

 今でも不思議に思う……自分が今こうやってこの家で二人と食卓を囲んでいる事に。

 そして、この家に住まわせてもらっている事に。

 父が追い出された後、俺も出て行こうと荷物を纏めていた。

 それが当然だと思った。

 もう俺がここにいる理由が無いんだから。

 そう思っていた俺を引き止めたのは、他の誰でもない巳柑さんだった。


 「あんな奴に付いていく事無いよ恭君。貴方はこれからもこの家に住んで良いのよ」


 貴方は私の息子……巳柑さんはそう続けて言った。

 俺は以前の姓を捨て、巳柑さんの旧姓……「鳴鬼」になった。

 ここでの生活はとても心地いいものだった。

 何でもない会話も、買い物も、こうして皆で囲む食卓も以前の生活じゃ俺に無いものばかりだったから。

 ……あんな事が無ければ、悩む事さえ何も無かったのかもしれない。


 「恭」


 萌々ちゃんに呼ばれて横を向くと、萌々ちゃんの人差し指が俺の頬に触れた。


 「付いてるよ?」


 離れた指の先端に、ご飯粒が一粒。

 萌々ちゃんはそれをティッシュに丸める……事はせず、それを自分の口に持っていった。

 俺は咄嗟に巳柑さんの方を振り向いたが、いつの間にか巳柑さんは食器を流し台へと持って行っている所の様だった。

 そんな俺を見て、隣でクスクスと萌々ちゃんが笑っている。


 「大丈夫だよ。ママの前でするわけないじゃん」

 「はぁ……萌々ちゃん、冗談になって……っ?!」


 さっきの事も含めて話そうと萌々ちゃんに目を向けた時、テーブルの下で萌々ちゃんの手が俺の太腿を這うように触れてきた。

 その手を掴んで、引き剥がす。

 同時に立ち上がり、逃げる様に食器を持って台所へと向かった。


 「可愛い反応だね、恭❤」


 俺にだけ聞こえたその言葉には、気付かない振りをした……。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 「いってらっしゃい、二人共」


 巳柑さんに見送られ、萌々ちゃんと家を出る。

 巳柑さんは日雇いの仕事を掛け持ちしているらしいが、今は父から得た多額のお金があるので、以前より家を空ける事は無くなったらしい。

 今日も仕事は休みで、家で家事をすると言っていた。

 俺は大学へ。

 意外に思ったのが、萌々ちゃんはちゃんと学校へは通っている事だった。

 一帯を纏めるリーダー……なんて聞かされていたから、てっきり学校もサボっているんだとばかり思っていたから、こうして並んでいるのにも違和感を感じてしまう。

 もう高校生活も最後の1年だから、最後くらいはちゃんと顔を出しておきたい、そんな事を言っていたのを覚えている。


 「萌々ちゃん、離れて」

 「嫌だ」


 必要以上にくっ付いてくる萌々ちゃんを、腕から離そうとする。

 ちゃんと学校へ行くのは偉い事だが、こんな事をしてくるのは褒められた事じゃない。

 どうにか離れてもらおうにも、巳柑さんに似て腕っぷしの強い萌々ちゃんを離れさせるのは困難を極める。

 最後には俺が折れるのが目に見えていた。

 腕に押し付けてくる胸の感触を振り払う様に、俺は歩く速度を上げた。

 それにも平然と付いてくるから、大学に着くまで萌々ちゃんが離れる事は無い……。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 大学の敷居を跨いでも、俺が見えなくなるまで萌々ちゃんはずっと俺を見ている。

 腕を組んで立ち尽くし、脇を通って行く他の学生に時折睨みを飛ばしている。

 それに怯えた学生が速足に去って行くのを見ると、溜息が止まらない。

 萌々ちゃんは俺を監視している……同じ講義を受けている人が隣でヒソヒソ話しているのを耳にした事がある。

 あながち間違ってはいない。

 萌々ちゃんは俺が異性と接触するのを嫌っている。

 ほんの少し話している所を見られでもすれば、相手が病院送りになる事は充分にあり得る事だった。

 実際、前にそんな経験をした事があるから分かる。

 あの時は何とか止める事ができたけど、毎回そうできる保証はない。

 だから俺は、萌々ちゃんの前では異性と口を利く事はしない。

 俺は、萌々ちゃんに監視されている……。


 「はぁ……」


 何度目かの溜息を吐き、チラッと後ろを確認する。

 俺が見えなくなったのを確認した萌々ちゃんは、ようやく正門前から姿を消した。


 「後でさっきの人に謝っておこう。……会えればだけど」


 足取り重く、廊下を歩いて行った。

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