週が明けた月曜日。
裁縫部と演劇同好会の皆の協力のおかげで成功した舞台から一夜が明けた。
いつものように登校していると、学校の最寄りのバス停を通り過ぎた辺りで、普段の光景とは違うことに気がつく。学校と最寄りのバス停を結ぶ道中に、数人の男性教師が、まるで警備員のように等間隔で立っていた。
炎天下の中、麦わら帽子や首にタオルを巻いた教師たちは、如何にも渋々といった様子で、その顔には疲労感が滲み出ていた。
ちょうど、バス停にバスが止まり、中から降りてきた女生徒の一群が、見慣れない光景に興味が湧いたらしく、男性教師に訳を尋ねに行く。
「「おはよーございます」」
「おう、おはよう」
「先生、こんな道端で何してんの?」
「ん?まあ見張りだな」
「見張りって?どういう意味ですか?」
「昨日の昼頃、校内に野犬が入り込んだらしくてな。生徒にも怪我人が出たんで、その警戒のためだ」
「うわ、怖~い。怪我したのって誰ですか?」
「三年の男子だ。幸い近くに別の先生がいたおかげで、軽い打ち身程度で済んだ。お前らも登下校はなるべく複数人で固まって行動しろよ。あと、もし野犬を見かけても決して近づくな、いいな?」
「「はーい」」
元気よく返事をした女生徒たちは、しかし、すぐに別の話題で楽し気にお喋りをしながら歩いていく。
校門をくぐり、自分の教室へ向かう。
教室の中は普段よりも幾分騒々しく、僕を見つけたクラスメイトたちは慌てた様子で駆け寄ってくる。
「おっ、姫守!ようやく来たか!」
「きゃー姫守君、ねえ、どういうコト?ねえ、どういうコト?」
「…えっと、なにが?」
「おう見たぞ、姫守」
「えっ?!」
その瞬間、心臓が跳ね上がる。
まさか、昨日の学校で狼に変身しているところを見られた?!
あの時、周りに人の気配は確かになかったはずだが…。
いや、そんなことよりも、もし正体がバレてしまったのなら、今迄の生活の全てが台無しになってしまう。
途端に目の前が真っ暗になる。
「ん、どうした?体調でも悪いのか?」
「……どうして?」
「どうしてって、ほら、あそこに貼ってあるじゃないか?他のクラスにも貼ってあったぞ」
怪訝な表情を浮かべたクラスメイトは教室の後ろの壁を指差す。そこには大きな文字で『美女と野獣』と記された見覚えのありすぎるポスターが貼られていた。
「ああ、それ…」
「『それ』って、お前…。これ他のクラスにも貼られてたんだぞ」
「もう!もう!今からすっごい楽しみ!でも、こんな面白そうなこと、どうして教えてくれなかったの?」
「そりゃあ、まだまだ先のことだからだろ?あれ、じゃあなんで今貼ったんだ?」
「えっと、じつは昨日、試験公演を行ったんだ。それで生徒会から公演の許可が貰えたから、みんな嬉しくなって…」
「ええ~、そんなの全然知らなかった。あたしも観たかったな~」
「それは文化祭の本公演をお楽しみに」
「うん、絶対見に行く!」
「あっそうだ、他校の友達も誘っちゃおうっと♪」
「えっ、あの、出来れば…」
学校内のみであればまだ我慢できたが、さすがに他校の生徒まで呼ばれるのは、勘弁してもらいたかった。しかし、こちらの思惑など知る由もない女生徒たちは嬉々として携帯で連絡を取り始める。
「そういや、どうして演劇なんてやることになったんだ?」
「えっと、それは…」
「裁縫部と演劇同好会の部長さんに頼まれたのよ」
さすがに正直に答えるわけにもいかず、答えに窮していると、後ろからキッパリとした口調で返答が飛んでくる。振り向くと、そこには歌敷さんと斎藤さんが居た。
「あっ、おはよう。二人とも」
「おはよう、姫守君」
「おはよぅ…」
歌敷さんは素っ気なく挨拶を済ませると、すぐにそっぽを向いてしまう。
「……?」
「ああ、気にしないで。この子、さっきからずっとこんな調子でご機嫌斜めなの」
「べつにナナメじゃないし…」
「そうなの?じゃあ、言いかえるわ。この子、拗ねてるのよ」
「拗ねてもないもん」
「それが拗ねてるっていうのよ」
「むぅぅ~~」
歌敷さんは頬を膨らませて悔しそうに斎藤さんを睨む。
「あの、なにかあったの?」
「ほら、今朝は学校の近くに先生たちが立ってたでしょ?それで、その先生に理由を訊ねたんだけど、その後から急に機嫌が悪くなっちゃったのよ」
なるほど、おそらく歌敷さんは先生の話で、学校に侵入した野犬の正体が僕だと気がついたのだろう。機嫌が悪くなったのも、もしかしたら、その事を黙っていたのが、気に障ったのかもしれない。
そうこうしていると、教室備え付けのスピーカーから朝礼を知らせるチャイムが鳴り響く。
ぞろぞろと教室から出ていく他クラスの生徒に混り、僕たちも教室を出る。講堂へ向かう最中、他クラスの生徒たちからの好奇の視線がチクチクと刺さる。
なんとも言えない居心地の悪さであったが、しかし、この程度はまだ序の口だった。
講堂に入ると、中は先に講堂入りしていた生徒たちの集団でひしめき合っていた。
不意に自分の名を呼ぶ声が聞こえる。その声はすぐに他の生徒たちのざわめき声にかき消されてしまうが、それでもたくさんの生徒が、こちらを注視しているのが気配だけで分かった。
朝礼の内容は概ね先週、先々週と変わらず、校長先生による学生らしい夏休みについての訓戒だった。そのため、すっかり聞き飽きた様子の生徒たちは、如何に先生から目立たず、注意されずに時間を潰せるかに注力していた。
ようやく校長先生が長い話を終えると、今度は校長先生に代わり、ジャージ姿の男性教師が壇上に上り、昨日の野犬騒動についてのあらましと注意喚起を切々と行う。
さきほどまで退屈そうにしていた生徒たちも、今度は真面目に話を聞いていた。
これは以前からそうで、朝礼の時以外は校長室に籠りっきりの校長先生と、普段から身近な存在であるジャージ先生との明確な差であった。
「なあ、姫守聞いたか?」
「なんのこと?」
六限目の授業が終わり、皆が帰り支度を始めていると、前の席に座る柴田くんがこちらを振り返り、興奮気味に話しかけてくる。まだHRがあるというのに、気の早い彼はすでに学生鞄を肩に掛けていた。
「ほら、今朝の朝礼で言ってた野犬騒ぎ。あれ、生徒を助けた先生って、なんとウチの担任らしいぞ!」
「へえ、そうなんだ」
「いやいや、お前軽いな~」
「だって、今朝見た限りでは元気そうだったから」
「まあたしかにな。でも、人って分かんないもんだよな。いつもはダルそうにしてる癖に、いざとなれば身を挺して助けてくれるんだから。オレだったら逃げてるよ」
「あはは、ほんとにすごいよね」
「だな~。あっ、そういや忘れてた!姫守、夏休みに海行くのいつにする?」
「えっ、海?」
「――はあ!?アンタまだ姫守君ダシに使うの諦めてなかったの?いいからアンタは夏期講習で有意義な毎日を送りなってば」
話し声を聞きつけたクラスメイトの女子は、すかさず呆れ顔で柴田君を諭す。
そういえば、いつだったか、柴田君から誘われたことがあった気がする。
正直なところ、水辺には良い思い出がないので、あまり乗り気になれない。
「うるせぇ、オレは年上のお姉さんとひと夏の思い出を作りたいんだっ!」
「うわっきもっ」
「もっと身の丈にあった恋愛しなよ。まあアンタじゃ無理かもだけど」
「ハッ!この学校の女子を口説くくらいなら、姫守と付き合うぜ」
なぜか、そこで引き合い出される。本人はあくまで冗談のつもりだったようだが、しかし周りにいる女生徒たちにとっては、それは冗談では済まされないらしく、つい先ほどまでの和やかな雰囲気は一変して、彼女たちの瞳が鋭く真剣味を帯びる。
「はああ!?何言ってんのアンタ?病院行く?頭の方の!」
「身の程を知れっ!この童貞!」
「ひ、酷い?!うぅ、頼むよ~姫守。オレを哀れに思うなら――」
四方から罵声を浴びせられた柴田君は涙目になりながら縋りついてくる。
「多分無理だよ。姫守君の予定、もうあらかた埋まってるから」
今迄、横目でこちらを見ていた歌敷さんが唐突に口を開く。
僕と柴田君は揃って、そうなの?と訊ねると、歌敷さんは小さく頷く。
歌敷さんが言うには、昨日、帰り際に植村部長が提案していた夏休みの予定は、夕方まで掛かっても調整が上手くいかず、結局、夜のネット会議でようやく予定表が出来上がったらしい。
なんというか、まさに青天の霹靂であった。
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