『――ベル、どうかずっと傍にいて欲しい』

『はい、貴方』

 野獣の手がベルの頬にそっと触れる。お互いの顔の距離が徐々に縮まっていく。


「あわわ…ダメ…そんな…」

 なにやら隣で恍惚な表情を浮かべながら、蛯原さんが悶える。

「まさかホントにはしてないわよね?」

 お互いの頬が触れただけだと思いたい。残念ながら、ここからでは野獣の手が邪魔で、きちんと確認できないのがなんとももどかしい。


 舞台の袖から、白のネグリジェに飾り羽根を付けた、まるで天使のような装いの役者たちが現れ、抱き合う二人の周りに、キラキラと金色に光る紙吹雪をまく。二人の周りで紙吹雪は蝶のようにひらひらと舞う。

 天使の装いをした彼女たちは、なにやら野獣の身体に触れたかと思うと、野獣の毛むくじゃらの衣装を勢いよく剥ぎ取る。

 すると、中から燕尾服に身を包んだ五月女先生が姿を現す。

 元々、背格好が良く、金髪に染めている五月女先生は、社交場の貴族のような男装であっても、とくに違和感なく着こなしていた。


『…貴方、なの?』 

 突然の野獣の変貌に、驚きと戸惑いの表情で見つめていたベルであったが、おそるおそる野獣の肌に触れる。

『ああ、そうだよベル。不安か?』

 野獣から元の姿へと戻った王子はベルの手を握り、微笑みかけて告げる。

『……いいえ、大丈夫、だって…』

『だって?』

『見た目なんて些細なことだもの。それを貴方が教えてくれたのよ』

 もう一度、今度はベルの方から王子を優しく包み込むように抱き締める。


 某アニメ映画の聞き覚えのあるBGMのピアノアレンジ版が流れ始めると同時に、ゆっくりと暗幕が下りていく。

 どうやらこれで舞台は閉幕ということらしい。

「突貫にしては、なかなか見応えはあったわね」

「まぁ、はい。たしかに…」

 曲が終わりに近づいてくるにつれ、次第に舞台の周囲が慌ただしく動き始める。

「まだ何かあるのかしら?」

 裏方の生徒が舞台の手前側に下り用の階段を設置していく。

「たぶん挨拶とかじゃないですか?」

 

 曲が第二コーラスに入ると、暗幕の裏から、さきほどの燕尾服を纏った王子役の五月女先生が現れる。階段に足を掛けた五月女先生は誰かをエスコートするように暗幕の隙間に向けて手を差し伸べる。すると、暗幕の隙間から白のレースグローブを纏った綺麗な手が、躊躇いがちにそっと現れる。

 

 五月女先生はその手を取ると、ゆっくり暗幕の裏から引き寄せる。

「――っ」 

 その場にいた全員が息を呑み、言葉を失う。

 まるで、絵本のおとぎ話の世界から抜け出してきたような純白のドレスに身を包んだお姫様がそこに居た。

 お姫様は五月女先生扮する王子様に手を引かれながら、おずおずと階段を下りてくる。

「あっ、え、あれも姫守なのか?」

 呆気に取られていた生徒会役員の一人が、あまりの驚きに咄嗟に声を上げる。

 それを肯定するように、姫守君扮するお姫様は恥ずかしそうに伏し目がちになる。

「マジかよ、やべぇ~」

「俺、惚れちゃいそうなんだけど…」

 その発言は同じ男子を対象としては如何なものかと思わなくもなかったが、この衝撃的な光景を目の当たりにしてはそれも致し方ないのかもしれない。


 手を取り合い舞台から下りてきた王子とお姫様の二人は、私たちの目の前までやってくると、くるりと向きを変えて互いに見つめ合う。王子はお姫様の腰に手を当て、お姫様は王子の腕にやさしく添えるように触れる。

 「わあ~」

 このシーンには見覚えがあった。それはあくまで映像の中での知識ではあったが、この手の作品ではお約束とも言える、主役とヒロインのロマンティックなダンスシーンだ。


 メロディーに合わせて二人が踊り始める。二人がクルクルと回ると、それに合わせてドレスの裾も風と踊るようにひらひらと宙を舞う。

 こちらが手を延ばせてば届きそうなほどの距離で、幻想的な物語の世界が繰り広げられていた。


 中央の通路を二人がゆったりとしたステップで通り過ぎていく。どうやらこの通路

は野獣の登場シーンのためだけのものではなく、主役の二人をより多くの観客に観てもらうための演出も兼ねているようだった。いや、むしろ後者のほうが本当の狙いの可能性が高い。

「なるほど、色々と工夫するものね」

「でも、どうしてあの先生のためにここまでするんでしょう?」

「べつに先生のためだけ、という訳でもないでしょうね」

「え?」

 姫守君が着ているドレスは以前の文化祭の折、裁縫部の出し物で観た憶えがある。

部長の森さんからすれば、最高の形で自分たちの作品を鑑賞してもらえるのだから、

乗らない手はない。

 演劇同好会の植村さんにしても、地道な部員集めよりも遥かに効果的なはずだ。まあ、彼女の場合は面白そうだから参加した可能性もあるが。

 そういう意味では色んな思惑は噛み合ったと言えた。演劇のアイデアが誰によるものかは分からなかったが、結果的にそれをけん引したのは紛れもなくあの一年の転校生だろう。一度目は抗議、二度目は宣戦布告と、わざわざ二度も生徒会室にやってきたのだから。


 曲が終わりに近づくと、主役の二人は檀上の前まで戻って来る。どちらの顔にも、やり遂げたぞ、という達成感と満足気な気持ちが表情からあふれ出ていた。

 曲が終わり、礼をする二人に、私だけではなく、この場にいる生徒会役員の皆が、手が痛くなるほどの惜しみない賞賛の拍手を贈る。

 一言礼を述べようと席から立ち上がるが、それを見た姫守君は王子役の五月女先生を残して、一人だけ逃げるように舞台の奥へと去って行ってしまう。


「あ~、行っちゃった。もっと間近で見ていたかったのに…」

「ハハッ、それを察知したから逃げたんだろ」

 五月女先生は燕尾服の白ネクタイを緩めながら、サッパリした笑顔で応える。

「いや~、終わった終わった~ナハハ」

 暗幕の裏から、快活な笑い声と共に演劇同好会の植村さんが姿を現す。それに続くように、裁縫部部長の森さんや部員たちも続々と現れる。


「とても素晴らしかったわよ。まあ、所々に粗は目立ってたけどね」

「しょうがないだろ~、こちとら期間切れ切れの急造なんだから~」

「そうだぞ、衣装だって一からはとても間に合わないから、仕方なく演劇部のを借りて、修繕しながらなんとかやり繰りしたんだぞ」

 森部長は植村さんに加勢するように会話に入ってくる。 

「あ、そうだ。衣装と言えば、山賊がベルの衣装を破くシーンあったでしょ。アレってなに?」

「ああ~あれ。どう、良かっただろ~?やっぱりさ、あたしらくらいの歳になってくると、ただのおとぎ話だと刺激が足りないじゃん?だから~ナハハハ~」

 植村さんは悪びれる様子もなく、さも楽しそうに笑う。

「オレも袖で見てて吃驚したぞ。あんなシーン、台本にはなかっただろ」

「あるぇ~、そうだっけ?」

「ふむ、どうやら台本にミスがあったようだ」

 植村さんと森さんの二人は、不幸な事故ね、と示しあ合わせたように互いに頷き合う。コイツ等共犯か。

「あんなのあるなんて聞いてないですよー!」

 頬を膨らませて姫守君が暗幕の隙間から顔だけを出して猛抗議する。

「すまんすまん。まあ、これも舞台成功のためだから~」

「うぐぅ…」

 舞台を引き合いに出されてしまうと、言い返すことが出来ないらしく、姫守君は悔しそうに口を噤む。

「ハア~、とりあえず本公演ではあのシーンはきちんと修正してちょうだい」

 私の言葉に、その場に居た全員が目を瞠る。

「「えっ!?」」

「それって、つまり?」

「短い期間ではあったけど、皆、頑張ってこれだけの舞台を仕上げてくれたのだからね。これを無下にするほど私も鬼ではないわ」

 

 











 

 



 


 



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