『ベルよ、悲しむでない。今日はそなたのために良い物をもってきた』

『良い物?それはなんですか?』


《野獣がベルに見せてくれた物、それは大きな姿見でした。その姿見はただの鏡ではなく、鏡を覗いた者が、最も会いたいと願う人の姿を映し出す魔法の鏡でした》


『それなら、パパに会いたい、鏡よ、お願い…。どうかパパに会わせてちょうだい』


《ベルの願いを聞き届けた姿見が水面の波紋のように揺れると、そこにベルの父の姿を映し出されました。しかし、ベルが喜んだのも束の間、なんと、ベルの父は暗い穴倉のような所に力なく横たわっているのでした。そして、その倒れた父の近くには熊のように大きな山賊の姿があったのです!》


『そんな、パパ…ああ………、待っていて、パパ。すぐに助けに行くからね』


《ベルは父が病気だと偽り、必ず戻ると約束して、一時の帰宅を野獣に嘆願します。始めは頑なに拒んでいた野獣もついには折れて、一時の外出を許すのでした。

 山賊のアジトへと忍び込んだベルは、穴倉の奥深くで遂に父親を発見します》


『パパ、パパ』

『おお、その声は、いいや、ワシの愛しいベルがこんなところにいるはずが…』

『私よ、ベルよ、パパの娘のベルよ』

『本物だ、本物のベルだ、幻じゃないだな、あの化物の城から一体どうやって?』

『あの方は見た目は恐ろしくても、とても優しい心の持ち主なのよ。さあ、それよりもこんなところすぐに逃げましょう』


 紙製の格子越しに手を取り合うベル親子。演目の中では二度目の親子の再会シーンではあったが、それでも不思議と胸に込み上げてくるものがあった。

「はっ…」

 隣の蛯原さんが小さく息を呑む。

 ベルの後ろから、あの熊のような山賊が不敵な笑みを浮かべながら迫っていた。


『ベル、危ない!』

『こいつは上玉だぜ、グヘヘヘ』

 

 抵抗する間もなく、捕らえられてしまうベル。

 さらに、山賊はわざとらしい笑い声を上げると、あろうことか、ベルの衣装を破き始める。両手で胸元をすんなり破くと、今度はスカートを掴み、これも易々と破いてしまう。すると、それはもう見事なスリットのような切れ目が入る。


『え、え、え?!』


 舞台の上では、唯一人、まるで状況が呑み込めていない様子のベルであったが、それでも拙い抵抗をする。 

 その様子を、その場にいる私を含めた全員が固唾を呑んで見守る。特に男子の役員たちは、かぶりつくようにして観ていた。


『グフフフ、おとなしくオレの物になれー!』

『ちょっ、部長、待って、ヤダッ』

『部長ではない、ワシは山賊だー』

『わぁ…、あっ!や、やめろ~ワシの娘に触るな~』


 涙目のベルに、欲望全開の山賊、棒読みのベル父と、どんどん舞台が混沌としていく最中――


『グオオオォォーーー!!』


 ――咆哮を上げながら、舞台へと飛び込んできた野獣は、ベルを押さえ付ける山賊に猛然と飛び掛かる。

 野獣と山賊は互いにもつれ合い、何度も組み敷き合う。しかし、形勢は次第に山賊へと傾いていき、最後には山賊の手に握られていた斧に打ち付けられて、とうとう野獣は倒れてしまう。

 

 息を荒げながら立ち上がった山賊は、倒れた野獣にとどめを刺そうと斧を振り下ろそうとする、その瞬間――


『この化け物めぇぇーーー!』

『やめてっ!』


 ――斧を持つ山賊の腕にベルがしがみつく。咄嗟の事に驚き、山賊の動きが止まる。


『ウオオオ―――!!』


 その隙を逃さず、咆哮を上げた野獣の鋭い爪が山賊の腹部へと突き刺さる。

 一瞬の静寂の後、山賊の身体はズルズルと崩れ落ちる。

 

 苦しそうな野獣の元へと駆け寄ったベルは、涙で頬を濡らしながらも野獣を抱きしめる。野獣もまたそれに応えるようにベルを優しく抱きしめた。

 

 舞台の照明が落ち、辺り一面が完全な暗闇に包まれる。


「ふぅ…」

 蛯原さんの口から満足気な溜息が漏れる。その熱中具合からも、かなり気に入った様子が窺える。

「案外悪くないわね」

「そ、そうですね。…悪くないです」

 意外にもあの蛯原さんからすんなりと同意してくれる。


《ベル親子が山賊の巣穴から出ると、すでにそこには野獣の姿はありませんでした。ベルは父の手当のためベル親子は家へと戻りました。

 ひとり、城へと戻った野獣でしたが、それからというもの、ベルのことが忘れられず、日々、ベルへの想いは募るばかりでした。

 ですが、それは野獣だけのことではありませんでした。ベルもまた、おなじく野獣のことが頭から離れず、野獣のことを想う毎日がずっと続いていました》


『ねぇ、パパ』

『なんだい、ベル』

『私ね、じつはどうしてもパパに聞いて欲しいことがあるの』

『ああ…、お前の話しならいくらでも聞いて上げるとも』

『ありがとう、パパ。その話っていうのはね……その……』

『あの野獣のことだろう?』

 言い淀むベルの気持ちを察したベルの父は、ベルの想いを言い当てる。

『パパ、気づいていたの!?』

『あっはっは、そりゃあそうさ。なんせパパだからね。一緒に家に戻ってきてから、ずっと思い悩んでいたのは分かっていたさ。――許しておくれ、お前をまた失うのが怖くて、今迄、お前に訊ねてやることが出来なかったんだ』

『パパ…』

『あの野獣のことを愛しているんだね?』

『……はい、ごめんなさい』

『謝ることはないさ。あの野獣は私たちのことを助けてくれた。きっと、やさしい心の持ち主なのだろう。私は見た目にばかり囚われて、その心を見逃していたんだ』

 ベルの父は、ベルの頭を愛おしそうに撫でる。

『………』

『ベルの看病のおかげで、このとおりワシはすっかり元気になった。もう心配はいらない。だから行っておいで、ベル』

『――パパ、ありがとう、ありがとう、パパ大好きよ』

『ワシもお前を世界で一番愛しているよ』


 二人はやさしく抱擁し合う。それは恋人同士のものとは違い、長い時間を共に歩んできた親子だけの親愛に満ちた抱擁だった。

 近くで誰かが鼻をすする音が聞こえる。


《城へと戻ってきたベルでしたが、そこには普段の穏やかな雰囲気とは一変して、内に怒りを宿した厳しい表情を浮かべた野獣が出迎えます》



『なぜここへ戻ってきたのだ?』

『私はこの城を出る前に、必ず戻ると貴方と約束をしました』

『約束か…。お前は唯一の機会を逃したのだぞ!再び、ここへ戻ればお前には二度と自由は訪れない!籠の鳥のような、哀れな一生を送ることになるのだぞ?!』

『構いません。貴方が傍に居てくれるのなら』

『お前は分かっていない。オレ様はお前が思うようなお人好しではない!』

『ですが、貴方は私とパパを山賊から助けに来てくれました』

『――それは違う。臆病な私はお前の言葉が信じ切れず、魔法の姿見でお前の後を追っていただけにすぎない』

『それでも助けてくれたことに変わりありません。それに、元はと言えば、パパが山賊に囚われていることを隠した私が悪いんです。責められるべきは私です』

『あの時、なぜ嘘を…?』

『…ただ恐ろしかったんです。事情を話せば貴方はきっと助けてくれる。でも、もし貴方が傷つくような事になったらと考えると、とても話を切り出せなくて――』

 野獣はベルに詰め寄ると、肩を鷲掴み、怒りと悲しみが入り混じった瞳で睨む。

『――なぜ、そうなる!オレもお前と同じ気持ちだと、なぜ気づかない!もし、お前の身にもしなにかあれば、オレは一体どうしたら…』

『私のことを心配してくださるのですか?』

『っ!』

 野獣は無言で掴んだベルの体を引き寄せると、強引にその毛むくじゃらの腕で抱き締める。

 

 その行為に、観客席にいた全員がはっと息を呑む。

 それはさきほど、ベルの父の抱擁とはまるで別物であった。愛する者を手に入れたいと願う欲求と力強さを合わせた有無を言わせぬ迫力がそこにはあった。

 あまりに強くベルを抱き締めたため、ベルの華奢な体が折れてしまうのではと、こちらが心配してしまうほどだった。





 

 
































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