「ちぇっ、会話の主導権奪って、こっちに有利な条件にしてやろうと思ったのに、上手くいかないな~」

 生徒会室を出て廊下を歩いていると、植村部長は悔しそうに呟く。

「えっ、さっきの軽口や言動にそんな意味があったんですか?」 

 終始、ケロッとしているように思えた植村部長が、そこまで考えて行動していたことに驚愕する。其れに引き換えて、無策でただ着いて行っただけの自分はなんとも情けない限りだった。

「まあね~、結局、見事に躱されちゃったけど、ナハハ」

「相手は水城だよ、無理無理。そんなことより、姫守君もよく物怖じせず一緒にきてくれたね。ありがとう」

 こちらの思考を読み取ったように、森部長はそう言うと、僕の肩に手を置いて優しく微笑み掛けてくれる。

「…いえ、僕はなにもしてませんから」

「そんなことはないよ。あの場に居てくれただけでホント助かったから」

「そうそう、マジで居てくれて正解だった」

「なにもできませんでしたよ?」

「いやいや、実を言うとね、水城って生徒会長としてあの部屋にいる時に限っては、かなりの堅物で有名なのよ。下級生が私たちみたいに部の出し物の件で生徒会室に訪れたりすると、半泣きにされたり、プレッシャーに耐え兼ねて生徒会室から逃げ出したりする子もいるくらいなんだよ」

「そ、そうなんですか?」

 森部長の言葉に植村部長はうんうんと頷き、森部長の言葉に付け足す。

「まあ、学祭ルールに沿ってやる分には大丈夫なんだけど、ほら、ウチは同好会が多いからさ、中には祭りだからってはっちゃけちゃう悪い子ちゃんもいるんだわ~」

「そういうあんたもその一人でしょ」

「えっ、植村部長も?」

 それは意外、…でもないかも?

「ナハハハハ、ちなみに私は泣いてないからね、だんだん言い訳が面倒くさくなってきたから逃げただけだよ~」

「そういえば、結局あの時はなにをしようとしてたの?」

「なにって、演劇部なんだからそりゃもちろんお芝居に決まってるじゃん。お気に入りの映画を短く纏めた寸劇をやりたかったんだよ~」

「へぇ~、なんてタイトルの映画?」

「ん~、『ソドムの市』」

「…聞いた事ないタイトルね、姫守君は知ってる?」

 森部長の質問に首を横に振る。映画はクラスメイトたちとの話題にも上がるため興味はあるものの、残念ながら我が家には映画を見る機材が揃っていなかった。

「まあ、古い映画だから知らないのも当然。あらすじは4人の金持ちのクズ人間どもが、村の幼気な少年少女たちを館に拉致ってきて――」

「――あーはいはい、もう結構よ、植村部長」

 植村部長の口から聞き慣れない単語が出た途端、森部長が慌てて植村部長を遮る。

「え、なんで?ここからが面白くなるんだぞ~、嫌がる子どもに無理矢理――」

 森部長の止める声も聞かず、植村部長は興奮気味に喋り続ける。

「――お黙りやがれ!」

 森部長は物凄い勢いで植村部長の頬を鷲掴みにすると、植村部長の唇が前に飛び出て蛸のようになる。なおも植村部長が何か喋ろうとすると、もう片方の手で今度は植村部長の鼻を塞いでしまう。植村部長の口からはピューピューと空気が漏れる音だけがしていた。 

 じつはその映画の内容が結構気になってはいたのだけれど、とても訊ねられる雰囲気ではなかった。今度、誰か映画好きの人に訊ねてみることにしよう。



 家庭科室へと戻ると、さきほど生徒会室で生徒会長から言い渡された内容を皆に伝える。誰もが覚悟していることではあったが、それでも今週いっぱいが期限と、明確な残り日数を示された瞬間、周りで聞いていた皆の顔から普段の笑顔は消え、緊張した様子で大きな動揺が走る。

「…すこし、いいか」 

 誰もが口を閉ざし、教室がしんと静まり返るなか、静寂を破るように不意に声が上がる。皆が声のする方向に一斉に目を向ける。声の主は五月女先生だった。

「わるいな、時間はとらせない」

 校章のマークの着いたジャージを着た五月女先生は、――おそらく、さきほどまで踊りの練習をしていたのだろう――額から流れる汗をジャージの袖で拭うとおもむろに話し始める。

「今更、堅苦しい話をして皆を鼓舞するつもりはない。…そもそも、私にそんなことを言う資格はないだろうが……。ただ、皆にはちゃんと礼を言っておくべきだと思ったんだ。こんなやさぐれ教師の私を助けようとしてくれていること、感謝してるし、こうして皆で一丸となってなにかに取り組めていることに幸福も感じている。これもみんなお前たちのおかげだ。本当にありがとう」

 五月女先生からの思いの込められた言葉に、生徒のなかには感極まって涙ぐんだり、鼻をすするものもいた。

「きっと大丈夫です。きっと皆がいれば。だって、そのために頑張ってるんだから」

「うん、姫守君の言う通りだ。私たちは私たちに出来ることをすればいい。そうすれば自ずと結果はついてくるはずだ。心配も気負いも必要もない。なぜなら、結束した私たちに不可能はないからだっ!」

 森部長の皆を奮起の声に、心に火が灯るように皆の表情がみるみる明るくなり、瞳には確固たる意志が宿る。皆が互いに声を掛け合い、次第にいつもの活気溢れる裁縫部が戻ってくる。

「アイツ、オレよりも教師向いてるんじゃないか?」

 五月女先生はその様子を嬉しそうに見つめながらポツリと呟く。その瞳が次第に潤んでいくのが分かる。

「そうですね」

 ポケットから取り出したハンカチを、そっと五月女先生の頬に当てる。

「おっ」

 すこし驚いた表情を見せた五月女先生は、やれやれと溜息交じりにハンカチを持つ手を掴む。

「お前な――」

 

 パシャッ!


 突然、近くでシャッター音が鳴る。

 訳も分からず、音がした方を振り返ると、黒くてレンズの飛び出た高そうなカメラを構えた植村部長と、その隣には、さきほどまで部員たちと和気藹々としていたはずの森部長が満足気な笑みを浮かべて立っていた。


「植村、どう?うまく撮れた?」

「ナハハ~、もう、バッチリ」

「お、お前ら、なに勝手に撮ってるんだ!?」

 五月女先生は慌ててカメラを奪い取ろうとするが、植村部長は華麗な身のこなしでそれを躱す。その見事な身体能力には感嘆する他なかった。

「もう、乙女ちゃん、ホント乙女なんだから~」

「なっ?!テメ―なんで知ってんだ!」

 尚も追いすがるが、まるで猫のようなステップで躱し続ける植村部長を捕まえることは出来ず、ぜいぜいと荒い息をついて戻ってきた五月女先生は僕の手を軽く叩く。

「?」

「選手交代だっ、行け、姫守!」

「ああ~先生ズル~」

「ナハハ、いいけど、もし捕まえられなかったらお詫びにチュウしてもらうよ~」

「コラ、そんなの許さないぞ!」

 歌敷さんや他の部員たちからも批難する声がそこかしこから飛んでくる。

「…べつに構いませんよ」

 つまり捕まえてしまえばいいのだ。それなら簡単な話だった。

「ナン?ふ~ん、なんか自信ありげじゃん。いいよ、いつでも掛かって――」

 ――植村部長が言い終わるよりも早く、ひと息で距離を詰める。しかし、距離は詰めたものの、何処を取り押さえて捕まえるべきか悩んでいると、その隙をついて後方へ飛び退かれてしまう。

 植村部長の表情にはさきほどまでの陽気な笑みは消え失せ、驚愕と焦りを含んだ追い詰められた獣のような顔つきに変わっていた。

「ふぅっ!」

 体勢を低くした植村部長は、近くにある六人掛けの大きな机に身を隠す。その動きは予め予想できていたので、机に足跡を付けないよう注意を払いながら机を飛び越える。すると、ちょうどテーブルの物陰から移動しようとしていた植村部長の進路を阻む形で目の前に着地する。

「ナナナ?!」

「捕まえました」

 驚いてその場に固まってしまった植村部長の手首をやさしく掴む。

「おおおーーー!」

 なぜか周囲から歓声と拍手が沸き起こる。

「よしよし、よくやった!そのフィルムは没収だからな」

「あ、フィルム抜いちゃダメですよ!これもれっきとした作戦の一環なんですから」

 森部長が慌てて止めに入る。

「作戦の一環って…。ポスター用のはもう刷っただろ?こんなの何に使うんだ?」

「うーん、ホントは直前まで秘密にするつもりだったんですが、…じつはメイキングの様子をいくつか写真に納めておいて、あとで来場者に特典としてブロマイドにしたものを配ろうかと思っているんです」

「まあ、それは構わないがオレが写ってる物はやめろ。教師として体裁が悪いから、お前らだけにしろ」

「主役のいないブロマイドに何の価値があるんですか!?私たちが暑苦しい中作業してる様子を写したのなんて誰も欲しがりませんよ!」

「うっ、そりゃまあそうだけど…」

 森部長はまるで子どもを叱りつけるように声を張る。その豹変ぶりに、さすがの五月女先生もたじろぐ。決して五月女先生の言っていることも間違ってはいないのだけれど、森部長の迫力に完全に押し負けていた。

 結局、ブロマイドの件は「頼むからチェックさせて」という五月女先生の願いも虚しく、部長二人が個人的な時間を使って作成する運びとなった。


 

 




























 

























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