練習の日々
翌日、放課後に入ると早速お芝居の訓練が始まる。初回ということもあり緊張した面持ちで臨んだものの、想像していたよりは幾分練習メニューは軽く、長いセリフもなければ、細かな振り付けなどもない。
「ナハハ、拍子抜けしたんじゃない?まあ、それも考えてやったことだから。なにせ今回は主役がどっちも素人だから、あまり長い演技させるとどんどんボロが出てきちゃうからね」
全面協力してくれることになった演劇部の部長こと、植村春奈さんは豪快に笑う。
植村さんが笑うとパイナップルのヘタのような豊かな黒髪も豪快に揺れた。森部長の友人というだけあり、その笑い方や雰囲気は森部長とそっくりだった。
家庭科室で初めてお会いした時も、扉を開けた途端、駆け寄ってきて彼女と腕が千切れんばかりの熱烈な握手をして、そこからさらに彼女から劇の説明を怒涛のように聞かされた。ちなみに早口すぎてあまり内容は理解できなかった。
それでも、彼女の演劇にかける熱意はひしひしと感じることはできた。
「今回は事情も事情だから、短めの軽演劇でいこうと思うの。主役たちのシーンは片手で数えるほどにして、場面の切り替えはナレーションの語りとBGMで補ってもらう形にする予定です。時間にすれば三十分足らずてとこかな?」
「ああ、そういえばナレーションはどうするの、春奈?」
「う~ん、そこはわりと重要や役目だから、放送部にでもお願いする?」
「いや、できれば身内だけで補いたいんだけどなぁ……」
「そっか~、じゃあ、この中に誰か喋りが得意な人っている?」
植村さんの呼び掛けに、家庭科室に集まった皆は両隣から辺りへとしばらく視線をさ迷わせていたが、最終的に皆の視線は斎藤さんへと集まる。
「…なによ?」
――はじめのうち、説得は困難に思われたが、意外にも斎藤さんは二つ返事であっさりナレーター役を了承してくれる。
「ホッホッホ、頑張るんじゃぞ、委員長」
口と顎の周りに髭を模した白い綿を付けて、主人公であるベルの父役に扮した歌敷きさんが斎藤さんを励ます。
「ええ、貴方もね、お爺さん」
「お爺さんではない、ワシはベルのパパじゃ!」
ヒロインを演じる僕に気を遣ってくれたのだろう。歌敷さんは自分から率先してベルの父役に立候補してくれたばかりか、こうして見事にパパ役を演じてくれていた。
「歌敷さん、初めてなのにもうすっかり役が板についてきたね」
「姫守君も、ここではちゃんと役名で読んで下さい!」
「ええっと、…パ、パパ?」
昨夜、借りてきた絵本で見たベルを頭に思い浮かべながら呼び掛ける。
幼少時に父を失くしていたため、記憶にある父の姿は常に朧げで霧がかかった存在だった。当然、父と会話した記憶も定かではなかった。そのため、仮初とはいえ誰かをパパと呼ぶことに、なんとも新鮮な感覚があり、同時に気恥ずかしくもあった。
「へえ、姫守君も結構様になってるじゃない」
「はう~」
歌敷さんが頬を押さえながら、ジッとこちらを見つめてくる。
「どうかしたの?」
「委員長、私、なんだか新しい扉が開いちゃいそうな予感…」
「…それ、開けていい扉?」
「たぶん、ダメなやつ…」
「だったら閂でも掛けておきなさい」
「キャッ!?」
一人の女生徒が短い悲鳴を上げる。女生徒の声に振り返ると、奥の部屋から黄色い毛並みに所々に赤みがさした全身毛むくじゃらの怪物がフラフラとした足取りで現れる。足取りの覚束ない怪物はそのまま窓へと近づき開けようとするが、後から現れた部長さんに羽交い締めにされて止められてしまう。
「だああーーー!?、あっつい、もう!!はあはあ…」
怪物の中から聞こえた声はまごうことなく五月女先生のものだった。
元々、その衣装は狩人が周囲と溶け込むために着用する物だそうで、演劇部の植村部長が知り合いから廃棄予定の物を譲ってもらったらしい。始めは迷彩色だった物をスプレー塗料で染め上げて、今では立派な怪物の衣装に変身させたという訳だった。
「こんなの着て芝居なんてできるか!」
「まあまあ、本番の体育館はもっと涼しいはずですから」
尚も暴れる五月女先生を部長さんが宥め、迷彩スーツから顔を出して荒い息をつく五月女先生を、部員の間さんが下敷きで懸命に扇ぐ。
五月女先生が暑さでイライラするのももっともで、現在の家庭科室は外部への情報漏洩を避けるため、全ての窓が締め切られてカーテンが掛けられており、廊下側の窓には布を貼り付けて外から見えないようにしていた。おまけに、普通教室であれば備え付けられているクーラーが家庭科室には存在しない。あるのは、首を曲げるたびに不穏な音を立てる古びた扇風機があるのみだった。
当然ながら、部屋の中は蒸し風呂のように熱気が充満していた。たまに細心の注意を払いながら窓の開けての換気は行ってはいたが、それでも焼け石に水だった。
元来暑さが気にならない自分はともかく、この暑さの中、衣装作りや芝居の段取りに励んでくれている皆には申し訳ない気持ちで一杯だった。
二日目に入ると、皆、色々と準備をしてきたようで、ほとんどの子が袖なしのインナーなど、ラフな上着に着替えて作業をこなしていく。中には、シャツの下に水着を着てきた子もいたが、流石に五月女先生と部長さんの二人からお叱りを受けていた。
「だって、どうせ涼しい恰好するなら可愛いほうがいいじゃん」
「ふん、しらじらしい!」
「そうだそうだ、仮に私たちだけだったら絶対着て来なかっただろ!」
「エヘッ」
「「うざっ!?」」
作業が一段落すると、昨晩作って冷やしておいた寒天ゼリーをタッパーからとりだし、切り分けてから皆に振舞う。この暑さのため、ひんやりとはいかなかったものの、それでも皆喜んで摘まんでくれる。
「透明な中に柑橘系が沢山入っててすっごく綺麗」
「ああ、夏って感じがするね」
「んん、甘酸っぱくてうまー」
「おいおい、頼むからこのこと他の生徒に自慢したりするなよ?」
「こんなのジュースと変わんないよ、先生」
「そうそう、むしろ恨まれるとしたら姫守君の手作りを食べたってとこだよね」
「たしかに~あははは」
「やれやれ、お前たちに口では勝てないな…」
苦笑いを浮かべた五月女先生は、寒天ゼリーをプラスチックのスプーンでパクリと頬張る。
「お、このオレンジ、味が濃いな。さては缶詰とかじゃなくて、わざわざ剥いて入れただろ?こんな手間の掛かることよくするよ。――旨かった。ご馳走様」
「お粗末様でした」
お礼を言う五月女先生から食器を受け取る。こうして料理を作っていて一番幸せを感じるのはまさにこういう瞬間だった。誰かのために料理をすることは好きだったが、なによりも嬉しいのは、美味しい、ご馳走様と言ってもらえる時だった。
「失礼します」
「お、きたね~」
いつものように家庭科室の扉を開くと、ちょうど目の前に森部長と植村さんが立っていた。二人とも作業をするときのラフな格好ではなく、制服を着ているところみるとこれからどこかへ行くようだった。
「どちらへ行かれるんですか?」
「察しがいいね~」
「ええ、私たちはこれから生徒会に、…そうね、宣戦布告ってところかな?」
「宣戦?あ、もしかして申請書を提出に?」
数日前、生徒会を訪れた時の記憶が蘇る。あの敵意とは違う、ねっとりとした睨めつける視線がどうにも苦手だった。
「そうそう、五月女先生とも話したけど、うちらに残された期限はもうほとんど残ってないのよね」
「夏休みまで二週間を切ったから、できれば今週中にはなんとか形にして生徒会に認可してもらわないといけないから」
二人ともさすがは部長を務めるだけあり、その表情からは一切焦りを出していなかった。そして今の状況を詳しく理解している二人が言うのなら、それが正しいことなのだと分かる。
「あの、僕もお供させてもらっても構いませんか?」
「ん~、どして?べつに必要ないよ~?」
「あんたね、もう少し言い方ってものが」
植村さんの物言いに森部長が口を挟むが、べつに機嫌を損ねたりはしなかった。彼女の言うことは事実で、自分が行ったところでなにも変わりはしない。ただ――
「――それでも一緒に行かせて下さい。皆さんにお願いしたのは僕自身だから、きちんと最後まで関わるべきだと思うです」
「……まあいいけどね~。ナハハ、キミさ、面白い子だね~、気に入ったよ。ねぇ、もしこの件が片付いたらお礼にさ、デートしない?」
「えっ?」
「コラコラ、なにうちの後輩を垂らし込んでるの?」
「うちのってなに?べつに裁縫部員じゃないじゃん?」
「たしかにうちの部員ではないけど、うちが制作したドレスを着てくれるんだから、もう半分うちの部員みたいなものなの」
「それなら、ウチの演劇にも出るんだから半分はウチのでしょ」
「あの、そろそろ行きませんか?」
二人が言い争いを始めそうなので、仲立ちに入る。べつにデートくらいであれば母さんと何度もしたことがあるのでお安い御用だった。
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