先陣を切る歌敷さんが、職員室の扉をほんの少しだけ開けて中を覗き込む。
「マルタイ発見!」
「了解、それじゃ行ってくるわね」
聞いたことのない言葉でやりとりをする二人は、目立たないようにということで、二人だけでこっそりと職員室へと入って行く。
すこしすると、両腕をそれぞれ斎藤さんと歌敷さんに掴まれた五月女先生が職員室から現れる。
「なんなんだよ一体…。お前たちには暇そうに見えてもな、教師ってのは意外と忙しいもんなんだぞ?姫守もなんとか言ってやれ」
「ご多忙なのは承知していますが、どうかもう一度、話しを聞いて下さい」
頭を下げてお願いすると、五月女先生はなにやら諦めた様子で渋々と応じてくれる。
「お前らもすこしは姫守を見習って、教師を敬うべきじゃないか?」
五月女先生は憮然とした表情で、両側にいる二人に諭すように語り掛ける。
「それはもしかして当て擦りのつもりですか、先生?」
「ん~、先生がもっと協力的になったらその時考えます」
「ハァ~やれやれ」
溜息をつく五月女先生であったが、その表情はどこか切なげであった。
まるで五月女先生を連行するかのように、中庭を通り過ぎるとそのまま第二校舎の中へと入って行く。
「なんだ、中庭じゃないのか?何処までいくんだ?」
訝し気な表情で訊ねてくる五月女先生に曖昧な返事で返し、二階にある家庭科室へと連れていく。
家庭科室の中央には不自然に椅子が一脚だけ置かれていた。おそらくそこに座ってもらおうということなのだろう。
「三人とも、ご苦労――」
椅子の前に立つ森部長さんがこちらを労う。
「――ようこそ、いらっしゃいました五月女先生。私、裁縫部の部長を務めております森紀子と申します。先生のお噂はかねがね後輩たちから伺っております。ささ、どうぞこちらへ」
部長さんは随分と勿体ぶった言い回しで五月女先生を出迎える。当然ながら、その様子にすぐさま警戒心を強めた五月女先生は「ああ」とだけ答えると、慎重に椅子に腰を下ろす。
「それで?説明してもらえるのかな?部長さん」
五月女先生は周囲を女生徒たちに取り囲まれ、どうにも落ち着かないといった様子だったが、その気持ちは痛いほど理解できた。
「はい、じつは今日ここへお越しいただいたのには理由がありまして、率直に申し上げますと五月女先生に叶えていただきたいお願いごとがあるんです」
「お願いごと?なんだ、オレはてっきりパーティーでもするのかと思ったぞ」
「あはは、五月女先生のお別れパーティーですか?それはまだちょっと気がはやいんじゃないですか?」
部長さんは声音こそ明るかったが、目はまるで笑っていなかった。そしてそれは五月女先生も同様であった。
「知ってたのか…。てことは、お前たちも?」
五月女先生は僕たちへと視線を向ける。視線が合うと正直に頷く。
「話を戻しますが、五月女先生にお願いしたいことがあるんです。それについては彼らに任せますが、できれば聞いて上げてください」
部長さんに手招きされ、僕たちは五月女先生の前に進み出る。
「そもそもここまでされたら聞くしかないだろ……たくッ」
先生は気分を害したようにそっぽを向くが、それが演技である事はわかっていた。
「先生、お願いっていうのは、文化祭の催しについてなんです」
「はあ?文化祭?そんなのまだ二ヵ月以上先じゃないか」
あまりに予想外な答えのため、五月女先生は驚きのあまり目を見開いく。
「…そうなんですけど、ある出し物に協力してもらいたくて……その……」
「そりゃあ協力してやりたいのは山々だけどな。お前たちも知ってのとおり、オレはもうじきこの学校を離れることになりそうなんだ。だから、大した協力はできそうにないぞ…」
「それでもどうか、お願いします」
「…チッ、しょうがねえな…。それでオレになにを手伝わせたいんだ?」
「それは…」
「私たち、簡単なお芝居をしようと考えているんです!」
言葉に詰まっていると、横から歌敷さんが口を開く。
「芝居?!…ほう、それで?」
先生はすこし興味が湧いてきたようだ。
「はい、その芝居に出て下さい!」
まるで、なんでもないことのように歌敷さんは告げる。
「一応聞いておくが、誰がだ?」
「五月女先生が、主役で、出て下さい」
その瞬間、時が止まったかのように辺りが静寂に包まれる。
「ばっ…バッカじゃねえのか!?なんでオレが、よりによって芝居に役者として出なきゃならないんだ!!」
「オッケーですか?」
「この反応を見て、どうしてOKだと思えるんだ!第一、さっきも言ったがオレがこの学校に勤めていられる期間はもうそれほど残っていないんだ。秋の文化祭まではとてもじゃないが無理だ。……スマンが諦めてくれ」
伏し目がちにそう告げると、五月女先生は椅子から立ち上がろうとする。
「待って下さい!まだ話は終わってません」
すかさず斎藤さんが援護に割って入る。
「気持ちは有難いけどな――」
「――いいえ、先生は理解していません。それどころか、むしろ勘違いされてます。私たちはなにも先生との思い出作りのために参加して欲しいと頼んでいるわけではありません。先生を救いたいから、皆でお願いしているんです」
「救いたいって、……一体なんの?まさか…」
「はい、そのまさかです。私たちは先生の処分を撤回、あるいは軽くしてもらうためにこうして集まっているんです」
「…しかしな……芝居と私の処分になんの関係が――」
「――部長、試作品が完成しました」
つい今しがたまでパソコンの前でなにやら作業をしていた部員のひとりが印刷機から出てきたばかりの用紙を部長さんに手渡した。
「……ンフッ!フッフッフ」
受け取った用紙を広げた部長さんは、しばらくそれを眺めていたが、突然、なにやら絵本に出てくる魔女のような笑い声をあげる。それと同時に背筋に悪寒が走る。
「お、おい、なにか変な物でも食ったのか?」
心配、というよりは不安気な顔をした五月女先生が話しかけるが、部長さんはまるで聞いていなかった。
「これよ、これ!これこそ私が待ち望んでいた本当の夢!」
部長さんは魂の叫びをあげると、手にした用紙をこちらへと向ける。
「おォ~」
「ワハッ?!」
「うわっすご…」
「………」
それを見た五月女先生と歌敷さん、斎藤さんは三者三葉の反応を示した。
それは以前にも見た、ドレスを着た僕の写真を加工して煌びやかにしたポスターだった。さらに写真下の余白の部分には、金字に小さな宝石を散りばめたようなキラキラとした文字で『美女と野獣』というタイトルが付け加えられていた。
部長さんはまるで優勝トロフィーのようにポスターを高く掲げて見せると、周りにいた部員たちからは、きゃあきゃあと大きな歓声が上がる。
「…えっ、おいっ姫守、……これって、まさかお前も出るのか?」
困惑した表情の五月女先生はおずおずと訊ねてくる。
「はい…」
「そ、そうか………すまん」
五月女先生は返事に窮したようで、短く謝罪の言葉を述べるとそのまま視線を逸らすように俯いてしまう。こちらの思いとは裏腹に、先生に余計な気遣いをさせてしまい、申し訳ないような、なんとももどかしい気分だった。
「それで、部長さん。結局、芝居とオレの件になんの関係があるんだ?見た感じ、ただ部長さんがやりたいだけのように思えるんだが?」
「な、なにを仰いますか!?…たしかにそれも否定はしませんが、きちんと理由はあるんです。」
「それをさっさと教えてくれ」
「それはですね、ズバリ!文化祭の芝居を餌に、一般生徒たちからの支持を得よう、という作戦なんです!支持さえ得られれば、生徒たちの声で先生への処分が覆ることも可能なはずです」
「いや、だが取り込むもなにも、文化祭はまだまだ先だろ?」
「ンッフッフ、甘い、甘いですね~姫守君の特製クッキーよりも甘い。文化祭の出し物については事前に生徒会の了承を得ておく必要があるんです。ですが前以って申請を出す分にはその期間は設けてないんです。つまり、いつ申請書をだしてもOKなんです」
「だけど、もし生徒会が了承しなかったらどうするんだ?」
「そこは大丈夫です。生徒会が私情で動くことはまずないでしょうが、それでも万一ということもありますので、抜かりはありません。このポスターもそのために用意したといっても過言ではありませんので」
部長さんは手に持つポスターを愛おしそうに眺める。
「えっ、お前、まさか…それを…」
「御察しの通りです。掲示板や部員の皆の教室にもいくつか貼るつもりです。」
「いやいや、姫守いいのかそれで?!お前嫌がってたろ?」
驚いた五月女先生がこちらを振り返り、驚愕の表情で見つめる。
「僕は、大丈夫です。…先生がいなくなるほうが嫌だから」
微笑んだつもりが、思ったよりもかなりぎこちない顔になってしまう。
「…はあ、そんな顔されたら断れねえだろ……」
こちらを心配そうな顔で見守っていた五月女先生は、大きく溜息をひとつつくと、面倒くさそうに「わかったよ」と告げる。
次の瞬間、家庭科室が歓声と拍手に包まれる。
「突如として現れ、学園のアイドルとなった美少年演じるヒロインと、そしてヤンキー系女教師が主役の男優を演じる舞台演劇よ!くぅ~燃える~~!」
「部長、そんなのお金出して観に行きたいレベルですよ!」
「わっは~、今から楽しみ~~!」
「その一部始終が見られるなんて、私この部に入ってよかった~」
「うむうむ、そうでしょう、そうでしょう」
部長さんは会心の笑みを浮かべながら満足気に頷く。
「まったく、人の気も知らないで」
もやは観念した様子の五月女先生は、不貞腐れた表情で悪態をつく。
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