中庭へと戻ってきた僕と斎藤さんは、なんとかして五月女先生を救う手立てはないものかと頭を捻るが、一向に良いアイデアは浮かんでこず、逆に頭を抱えてしまう。


「あっ、姫守君!おーい!って…あれ委員長も一緒?なにしてるのー?」


 声のした方を見上げると、第二校舎の窓から顔を出した歌敷さんが手を振っていた。歌敷さんのいる位置からそこが家庭科室であることがわかる。


「うん、ちょっと考え事を」

「そうなんだー。ねえねえ、もし暇だったらこっち上がっておいでよ!委員長もついでにー!」

「『ついで』は余計よ!――」

 斎藤さんは今迄の苛立ちを吹き飛ばすように歌敷さんに大声で告げる。

「――まったく、暇なんて一言も言ってないじゃないの。人の話をちゃんと聞きなさいっての。…はあ、こっちの気も知らないで」

「ふふ、でもそのほうが歌敷さんらしいよ」

 いつもマイペースで明るい歌敷さんのそんなところが好きだった。

「まだお菓子もちょっとだけ残ってるよーー」

「ねえ、斉藤さん行ってみようか?」

「まァ、姫守君がそう言うなら…」


「「「いらっしゃ~い」」」

 家庭科室に入ると、部員のみなさんが暖かく出迎えてくれる。

 さきほど、生徒会室に入った時のような凍りつく視線とは違い、やさしくて包容力のある裁縫部の家庭的な雰囲気に癒される。


「はい、どうぞ」

「なに、これ?」

 歌敷さんが斎藤さんの目の前に紙袋を差し出す。それは僕が裁縫部にと、歌敷さんに手渡した焼き菓子の袋だった。

「えっとね、猫の舌だって」

「へえ、変わった名前ね。それでどうして一枚しかないの?」

「あはは、そんなのみんなで食べちゃったからに決まってるじゃん」

「べつに一枚くらい残してくれなくてもいいわよ」

「そう?せっかく姫守君の手作りなのに…、それじゃあ私が――」

 歌敷さんが喋り終わるよりも早く、斉藤さんは歌敷さんの持つ紙袋を奪い取る。

「――やっぱり頂くわ」

「え~、さっきは要らないって――」

「――Shut up !!」

「英語使った?!西洋かぶれだっ!」

「…舞ちゃんから話を聞いて薄々感じてたんだけどさ、…委員長さんってツンデレだよね?」

「だよね、古き良き時代のツンデレだね」

「ちょっと、そこの初対面の部員共ッ!人を変な分類分けしないで!」

 つんでれ、ってなんだろう?難しい専門用語を交えながら、さきほどまでの鬱憤を晴らすように斎藤さんは会話に熱中する。


「あの、どこか具合が悪いんですか?」

 小さな声に振り向くと、隣に小柄なおかっぱ頭の少女が心配そうにこちらを見つめていた。たしか歌敷さんの友達で裁縫部員の間美咲さんという名前だったはずだ。

「…うん、すこし悩み事があって」

「えっ、それってもしかして部長のドレス…ですか?」

「いや、それとは違うよ。僕というよりは身近な人の悩みなんだけど、上手く解決できそうになくて…」

「……あの、良かったらその悩みを教えてくれませんか?」

「え?」

「ほ、ほら、二人寄れば文殊の知恵って言うし…、あれ、三人だっけ?」

「……」

「きゃっ」

 林檎のように頬を染めながら、真剣な表情でこちらを見つめる少女の頭をやさしく撫でる。それはまるで大切な妹と触れ合っているような感覚だった。きっと、あと数年もすれば姫ちゃんもこの少女のように可憐な少女へと成長するのだろう。


「ねぇ、なんだかあそこ良い雰囲気じゃない?」

 ついさきほどまで斎藤さんと難解な討論をしていた部員さんがこちらを振り返る。

「コラ――!美咲ーー!抜け駆けしないって取り決めはどーしたーー!」

「そ、そそそそんなつもりじゃーーー?!」

 間さんは僕の後ろにサッと隠れるが、すぐに先輩部員たちに捕まり、両脇を抱えられ連行されていく。


「それで二人は中庭でなにをそんなに考え込んでたの?」

 間さんが居なくなった隣の席に座った歌敷さんは、間さんとの会話を引き継ぐように訊ねてくる。

「あっ、それは」

 チラリと斎藤さんの顔を見ると、諦め顔で頷く。

「じつは、今、五月女先生がまずい状況に置かれているんだ――」

 歌敷さんや部員のみんなに、さきほどの出来事を話して聞かせる。


「――そんなことになってたんだ…」

 話を聞き終えた歌敷さんがポツリと感想を漏らす。さきほどまでとは違い、周りのみんなは揃って神妙な顔つきになっていた。

「たしかにあの先生が、よりによって男子に手をあげるなんて考えられないよ。だって男子に近くに来られるとあきらかに目がビビッてたもん」

「だよね、最初はあの見た目で初心とかギャップがすごかったけど、なるほど、もっと重症だったのね」

「うんうん、それにその時、他に目撃者がいないってのもなんだか怪しいよね」

 部員のみんなの会話を聞いていると、彼女たちの鋭い洞察力にただただ感服する。

「でもさ、じゃあどうして五月女先生は嘘なんかついたんだろうね」

「う~ん、たとえば誰かをかばって、…とか?」

 その言葉を聞いた瞬間、背中にゾクリと悪寒が走る。自分の中では取るに足らない出来事として忘れかけていたあの男子生徒たちとの記憶が、まるで復讐するかのようにむくりと起き上がってくる。

「あっ僕のせいだ…」

 僕の唐突な言葉に、周りのみんなは驚きの表情をみせる。

「え?姫守君の?それってどういう…」

 ――数日前にあった出来事をみんなに説明した。後悔の思いからか胸が詰まり、所々言葉が途切れがちになるが、周りの誰も一言を口を挟まず、ただ真剣な表情で聞き入ってくれた。


「…もう、そんなことがあったなら言ってくれればよかったのに」

 歌敷さんは残念そうに告げる。

「仕方ないじゃない。まさかこんなことになるなんて普通思わないでしょ?」

「まあ、そうだけどさ」

「ごめん、なさい」

 たしかに思いもしなかった。それは事実であったが、同時にただの言い訳にすぎなかった。些細な出来事として記憶の隅に片付けてしまっていた出来事が、自分の気づかないうちに取り返しのつかない事態へと変貌を遂げていた。後悔の念が波のように押し寄せてくる。

「そんなっ姫守さんは全然悪くないです!だって、なにも悪いことしてないんですよ?悪いのは逆恨みしてるその男の人たちじゃないですか!」

「まあまあ、そうだけど一旦落ち着いて美咲ちゃん」

 怒りのあまり席から立ち上がり声を張り上げる間さんを先輩部員が宥める。

「姫守君の言ったことが事実なら、――もちろん私たちは信じてるけど――そのことを生徒会に伝えれば五月女先生の潔白が証明できるんじゃない?」

 先輩部員の意見に、何人かの生徒が同意するように頷く。

「水を差すようで悪いけど、それは十中八九無理だと思う。なぜなら嫌疑をかけられた五月女先生自身が罪を認めてしまっているわけだから、今更、第三者が出てきたところでいたずらに場に混乱を招くだけで、潔白の証明には繋がらないと思うの。それどころか場合によっては五月女先生の立場がさらに悪くなることもありえるわ」

 先輩たちの意見に、斎藤さんは申し訳なさそうに否定する。

 普段の和気藹々とした裁縫部の朗らかな空気は何処かへ消え失せてしまい、その場には気が滅入ってしまうほどに重苦しい空気だけが漂う。

「ごめんなさい、こんな状態にしてしまって。この件は僕でなんとかしてみます」

 ただの強がりだった。それでもこれ以上周りのみんなを巻き込んで落ち込ませてしまうのは本意ではなかった。 

 そうして席を立とうとした瞬間――

「――話しは聞かせてもらったわよ!」

 家庭科室の奥の扉が勢いよく開いた。





 








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