第18話

 おそらく、この時間帯であれば部活の顧問でもないかぎりは職員室に居るだろう、ということで校舎一階まで降りてくるが、職員室の扉の前までやって来たところで、中から聞こえてくる男性教師の荒々しい声のトーンから、扉の向こう側が険悪なムードであることを察する。

「あれ、職員会議中かしら?」

 扉に顔を近づけて耳をそばだてていた斎藤さんが不思議そうにこたえる。

「どうしよう?」

「待つ、しかないわね」


 そうして斉藤さんとふたりで職員室の前で手持ち無沙汰にしていると、廊下の先から小鳥の囀り声のような女生徒たちの話し声が聞こえてくる。

 とくに気には留めていなかったが、それでも女生徒たちの会話の中に自分の名前が何度も出てきていることはどうしても分かってしまう。普段は便利だが、こういう時、耳が良いのはすこし困りものだった。

「私、ちょっと離れていようか?」

「えっどうして?」

「ん、たいした理由はないんだけど…」

 斎藤さんは廊下の向こうで立ち話をしている女生徒たちの方をチラリと見る。

「もしかして気になる?」

「…姫守君が気にしないなら」

「僕は全然気にしない」

「じゃあ、私も全く気にならない」

 斎藤さんはすこし嬉しそうな表情ではっきりと応える。


 しばらくして、職員室内から漂う物々しい気配がフッと消えたかと思った瞬間、職員室の扉がガラガラと大きな音を立てて開く。

「なんだお前らは、そんなところに立ってるんじゃない!」

 苦虫を噛み潰したような表情で職員室から現れた男性教師は、自らの苛立ちを隠そうともせず、僕たちを大声で叱責すると、隣の男性教師たちの溜まり場である待機室へと入って行く。

「なによ、今の態度…」

「かなりイライラしてたね」

 ちなみに、たしかに僕たちは廊下に立ってはいたが、往来の邪魔にならないようきちんと壁際にいた。

「名前は知らないけど、たしか三年の担任だったはず」

「へぇ…」


 「「失礼します」」

 扉を開けると、五月女先生がいるのを素早く確認してから、慎重に中に入る。

 職員室の中は、まだピリピリとした空気がそこら中に残っているようで、五月女先生のデスクへと向かう僕たちに何人かの教師が咎めるような視線を向ける。

 心ここにあらずといった様子で天井をぼんやりと見つめていた五月女先生が僕たちの存在に気がついたのは、隣に立った斉藤さんが五月女先生の名前を三回も呼んでからだった。


「んあ?おう、姫守に斎藤じゃないか」

「注意力散漫ですよ、五月女先生」

「悪い、ちょっと考え事をしていてな。……それで、どうかしたのか?」

「それが、先生に折り入って相談したいことがありまして…」

 斎藤さんは恥ずかしそうに職員室の中を一瞥する。

「斎藤が?…わかった。それじゃ中庭にでも行くか」

 斎藤さんの鮮やかな誘導で五月女先生を職員室から連れ出すことに成功する。周りの先生に聞こえないよう小声で感嘆の声をあげると、斉藤さんは誇らしげに眼鏡のフレームをクイッと上げた。


「それで、一体どういった相談だ?」

 五月女先生は中庭にある植木の横に置かれたベンチに腰を下ろすと、さきほどの話の続きを切り出す。

「えっと、それなんですけど…」

 こちらに助けを求めるように視線を向ける斎藤さんに頷きかけて、五月女先生の前に進み出る。

「なんだ、もしかしてお前たち二人揃って相談事があるのか?ていうか、異性二人揃っての相談事とか大丈夫なんだろうな?勘弁してくれよ、内容如何によっては私は耳を塞いで聞かなかったことにするからな」

「そこをなんとかお願いします。斎藤さんと二人で相談して、どうしても五月女先生の助けがいるんです」

「いやいや、いくらせがまれても無理なものは無理だ。だからあれほど避に――」

「――コラーーーッ!!」

 周りの校舎に反響しそうなほどの大声が真横から飛んでくる。

「はぁはぁ、教師のくせに一体なんの話をしてるんですか!」

 そう言うと、顔を赤らめた斎藤さんは荒い息をつきながら、五月女先生を睨みつける。

「…何って、えっ、若気の至りの話じゃないのか?」

「何を言ってるんですか!?私たちはそんな爛れた関係ではありませんし、そもそも私たちはまだ高校生ですよ!」

「いや、でもオレたちの学生の頃はもっと――」

「――先生の学生時代のいかがわしい話なんて聞きたくもありません!」

「そうか?斎藤は変わってるな。この手の話題を出すと、どの学校でも生徒たちはきまって物凄い食いつきがいいんだけどな~」

「だから知りませんったら!」

「あの、さっきから何の話をしてるんですか?」

 会話を遮るようで申し訳なかったが、どう見ても本筋からは脱線しているように見えたため、やむを得ず口を挟む。


「オホン、それじゃあその相談事っていうのを言ってみろ。出来る範囲でならオレも協力してやるから」 

 こちらの声で我に返るように、五月女先生はひとつ咳をすると、ベンチに座り直してあらためて会話を切り出した。

「それなんですが、先生、さきほど校内放送で呼び出されてましたよね?」

「…ん?ああ、でもそれがお前らの相談と何の関係があるんだ?」

「まず、呼び出された内容を訊いても構いませんか?」

「悪いが駄目だ。自分の恥をよりによって生徒に聞かせる教師が何処にいる」

 五月女先生は真剣な眼差しでキッパリと断る。

「お気持ちはわかりますが、僕たちも先生が心配なんです」

「心配してくれる気持ちはありがたいけどな、もう済んだことだ。お前たちがわざわざ気に病んでくれることはないんだよ」

「………」

 いつもより落ち着いた口調でそう告げると、五月女先生は僕の頭の上に手を乗せて髪を梳くようにやさしく撫でてくれる。前髪の隙間から垣間見える五月女先生の瞳には生徒を何よりも慈しむ思いが宿っていた。それを目の当たりにしてしまうと、これ以上何も言えなくなってしまう。



































 













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