第17話

 ホームルームを終えると、まるでそれを見計らったかのようなタイミングで校内放送が流れる。内容は先日と全く同じもので、生徒会室に来るようにというものであった。


「先生またですか?」

「…ああ、みたいだな」

 軽い調子で尋ねるクラスメイトに、五月女先生も軽い調子で相槌を打つ。

 しかし、その表情はさきほどまでと比べて、あきらかに曇っているように見えた。

「先生、さよなら~」

「おう、気をつけて帰れよ」

 教室から出て行く生徒たちに混じり、五月女先生も教室を出て行く。それを追うように委員長の斎藤さんも教室から出て行く。


「さてと、それじゃあ私たちも裁縫部に行こっか。今日は裁縫部に顔出すんだよね?」

 歌敷が笑顔で訊ねてくる。そういえば部長さんから「近いうちに部に立ち寄って欲しい」と頼まれていることを歌敷さんから言伝されていたのだった。

「ああ、うん。そうなんだけど、ちょっと用事ができちゃったから、またあとで部室に寄らせてもらうよ」

「え、そうなの?…うん、じゃあ待ってるね」

 歌敷さんは気落ちした調子で返事をする。約束を破るようで心苦しかった。

「ごめんね。そうだ、あとこれ、部長さんやみんなと一緒に」

 学生鞄の中から紙袋を取り出し、歌敷さんに手渡す。紙袋の中には今朝焼いてきた『猫の舌』という焼き菓子が入っていた。

 休日も頑張っている部長さんへ差し入れのつもりで用意したものだった。

「わあ、バターの良い香り。これはクッキーだね!ありがとう、部長もみんなもきっと大喜びだよ」

 歌敷さんは紙袋を大事そうに抱えながら礼を言って教室を出ていった。



 先生の後を追うようにして出て行った斎藤さんは、なかなか教室には戻っては来ず、胸の内に得体のしれない不安だけがどんどん募っていく。そうして誰もいない教室でしばらく待っていると、ようやく教室の扉が開き、クラス委員長の斎藤さんが戻ってくる。


「あれ、姫守君…一人でどうしたの?」

「良かった、斎藤さんを待ってたんだ」

「えっ?!わ、私?!」

 顔を真っ赤にした斎藤さんは、急に後ろを向いてしまい、小声で「よし!」や「私頑張れ」、など不思議な独り言をつぶやく。しばらくしてようやくこちらを振り返ると、大きく深呼吸をしてから真剣な表情で向き合う。

「よし、準備万端!ど、どうぞ」

 準備ってなんの準備だろう?まるで思い当たる節はないけれど、とりあえずこちらの用件だけでも先に伝えることにしよう。

「ホームルームの直後に五月女先生が生徒会からの呼び出しを受けてたでしょ。それがどうしても気になって。もしかしたら委員長ならなにか知ってるかもと思って」

「………あっ、そのこと……あーそっかそっか…あはは、そっか…」

 再び、くるりと後ろを向いてしまった斎藤さんは、今度は膝を抱えて蹲ってしまう。

「あの、……えっと……」

「うん、大丈夫。大丈夫だからちょっと待ってて。今ちょっとダメージコントロールしてるところだから」

 ダメージコントロール?彼女の話す言葉は、時に僕にとって難解なものが多かったが、今回はそれに輪をかけて理解が難しかった。ただ、自分の言葉で斎藤さんを失望させてしまったことだけは間違いなかった。


 さきほどよりもさらに小声で何事かを呟いていた斎藤さんだったが、しばらくしてようやく立ち上がると、意を決したように大きく咳をしてからこちらに向き直る。

「…大丈夫?」

「訊かないでちょうだい。いえ、できれば忘れてくれると助かるわ。…それで、五月女先生のことだったわね」

「うん、斉藤さん以前言ってたよね。生徒会からの呼出は珍しいって。でも、五月女先生はここ最近で二度も呼ばれてる。これって普通じゃないよね?」

「ええ、そうね、姫守君の言う通り。一度目は三年が学校内で喫煙した件でだったけど、今回のはどうもそれとは違うらしいの」

「煙草の件とは関係ないの?それじゃあ何が…?」

「…その、信じられない話なんだけど、暴行を加えたらしいのよ」

「…誰が?まさか…」

 ありえないことではあったが、話の流れはそのありえない人物を指していた。

「ええ、そのまさかよ。五月女先生が男子生徒数人に手を上げたらしいの」

「そんなのありえないよ!だって五月女先生は……その…」

「男性恐怖症、でしょ?」

「えっ?!斎藤さんは知ってたの?」

 流石はクラスの委員長だけあり、その洞察力に驚嘆してしまう。

「なんとなくね。はじめは潔癖症なのかとも思ったけど、だんだん接している内に違和感で気づいちゃったのよ」

「じゃあ、それを説明すれば五月女先生にかけれらた疑いも――」

「――それは無理だと思う。だって、本人が容疑を認めちゃったから」

 解決の糸口が見つかり安堵した瞬間、理解できない事実を突きつけられる。

「…どうしてそんな嘘をついたんだろう」

「それがわからないの。生徒会室から出てきた五月女先生に理由を訊ねてみたんだけど、あっさり突っぱねられちゃった」

「…そう、なんだ。…このあとってどうなるの?」

「五月女先生への処分については生徒会の意向次第としか言えない。ただ、立て続けに二回も問題を起こしたとあっては…」

 斎藤さんはそこで言葉を濁す。斎藤さんの表情から下されるであろう処分が生易しいものではないということだけは想像できた。

「なんとか力になってあげられないかな…」

「姫守君、…もしかしてだけど、五月女先生のこと好き?」

「うん、好き!生徒思いな先生だし、五月女先生の授業の時はいつもクラスの中が明るくて楽しいから!」

「あはは…、なんというか姫守君らしい回答よね。まァ、予想はしてたけど」

 斎藤さんはやれやれといった様子ですこしだけ笑みを浮かべる。

「それで、斎藤さんにお願いがあるんだけど…」

「五月女先生を助けるのを手伝って欲しいって言うんでしょ?べつに構わないわよ、私もそのつもりだったし」

「ありがとう、斉藤さん」

「でも、それにはまず今回の件について五月女先生から詳しく事情を訊く必要があるわ。ただ、残念ながら私では五月女先生から事情を聞き出すことはできなかった。そこでここは姫守君にひと肌脱いでもらおうと思います!」

 そう言うと、斉藤さんはビシッと僕を指差した。『脱ぐ』という言葉に本能的に身体が反応してビクリと身体が強張る。

「どうかした?」

「ううん、なんでも…」

「そう、それじゃあこれより姫守君にひとつの使命を与えます。それは持てる手を全て尽くして、五月女先生の口を割らせて詳しい情報を入手すること」

「持てる手?」

 反射的に自分の手に目がいってしまう。

「そこで天然ボケはいりません」

「あぅ、…でもどうやって…?」

「んっ、そこはほら、アレよ…いろいろな手を…」

 さきほどまでの饒舌ぶりとは一転して、急に歯切れが悪くなる。

「…たとえば?」

「いや、だから、その………やさしく、お、お願いするとか…」

「…ああ、そういうことか」

「あれっ?!もう分かっちゃったの!?」

「うん。つまり、こちらの誠意をきちんと伝えて頼めばいいんだよね?」

「………」

 なぜかそこで押し黙られてしまう。

「…もしかして違った?」

「………いえ、もうそれで行きましょうか」

 どうやらまた違ったらしいが、それでも斎藤さんは賛同してくれる。

「うん。それじゃあさっそく聞きに行こう」

「ええ、善は急げと言うしね」

 二人揃って教室を後にする。

 





















































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