第13話
昨日のあの騒動から一夜が明けた。
昨夜の夕食の折、怒られることを覚悟の上で、裁縫部で起きたことをお婆様に話してみた。
ドレスを着たこと。すこし後悔していること。それでも部や先輩を思って懸命に頑張っている部長さんを見ていると応援したい、手助けしたいと思う気持ちが強く芽生えてことを包み隠さず伝えてみた。
すると、意外にもお婆様はそれを笑って許してくれる。「誰かのためにそうしたいと思ったのなら迷うことはない」、と逆に後押しされてしまう。
「それではお婆様行ってきます」
「ああ、行っといで」
「姫ちゃんも、行ってくるね」
「ミィ~ミィ~」
玄関先、白いネグリジェにナイトキャップといういつもの恰好で、お婆様は手を振って送り出してくれる。お婆様に抱かれた姫ちゃんはジタバタと暴れていた。
「ああ、そうだ九狼!」
「はい?」
「ほら、昨日話していた裁縫部お手製のドレスだけどね、私も一目見てみたいから写真を貰ってきておくれ」
「……わかりました」
「たのんだよ。可愛い孫の晴れ姿を残しておかないとね」
「はぁ…」
何故かは分からないけれど、僕があのドレスを着ると皆が喜んだ。喜ばないのは僕だけだった。
通学路途中にあるバス停の近くで歌敷さんと斎藤さんが待ってくれていた。挨拶を交わして歩き始めるが、二人とも畏まった様子で大人しかった。おそらく昨日の騒動が原因なのだろう。
坂道を上ると、やがて学校が見えてくる。
「あっ、五月女先生がいる」
「え、どこどこ?」
「ほら、校舎の屋上に」
歌敷さんは目を細めて探す。
「よくこの距離から人物の判断までできるわね」
「うん、流石は姫守くん!」
「でも、五月女先生こんな朝早くから屋上でなにしてるのかしら?」
「何か持ってる……、煙草みたいだけど」
「へぇ~五月女先生、タバコ吸うんだ」
「あなたたちは後ろの席だから知らないでしょうけど、前の席に座っていると五月女先生が教室に入ってくる時、たまに匂ってくるのよね」
「そうなんだ。…でもタバコ吸いたいなら喫煙所いけばいいのに」
「職員室の向かいにある談話室のこと?たしかにあそこは愛煙家の教師たちの憩いの場だものね」
「たぶん、嫌なんだと思う」
「嫌?どうして?」
「それは…」
「ああ、確かに嫌かも。あそこって中年おじさんたちの溜まり場になってるから、そこに女性が一人で居るのはね」
「あ~、セクハラとかされちゃったりね」
「『せくはら』ってなに?」
「えっとね、エッ――」
「――大人の嫌がらせのことよ。もう、姫守君に変なこと教えるんじゃないわよ!」
斎藤さんは歌敷さんの頭を軽くはたく。
「あいたっ」
いつもどおりの平穏な日常が過ぎていくように思えた。
騒ぎが起きたのは、ちょうど四限目の終了のチャイムが鳴り、お昼休みに入った時だった。
「ねえねえ、聞いた?なんでも屋上の使用が禁止になったんだって」
「え、どうして?」
「詳しくはわかんないけど、なんでも三年の男子がなにか問題起こしたらしいよ」
「うわ、超迷惑」
教室へ駆け込んできた他クラスの女生徒は、もっと号外ニュースを届けて回ろうと、またすぐに別の教室へと走って行ってしまう。
「使えなくなっちゃうのかな?残念だね」
「うん、そうだね」
あそこは学校内で一番のお気に入りスポットだったのでとても残念だった。
しばらくすると、教室に戻ってきた委員長がお弁当を片手にやってくる。
「おかえり~委員長はなにか知らないの?」
「なにかって?」
「屋上の件」
「いいえ、なにも。私も気になってさっき職員室に訊きに行ったのだけど、なんだか険悪な状態でとても訊ける雰囲気じゃなかったのよ」
「そっか~」
「あっ、そういえばタバコがどうのって話をしてたわね」
「煙草?」
一瞬、早朝の屋上にいた五月女先生の姿が脳裏を過ぎる。
「先輩たちの誰かが吸ってたのかな?」
「かもしれないわね。まァ、こちらとしてはいい迷惑だけど」
「屋上は思い出の場所だから、ずっと使えないままなのはさすがにヤだな~」
「思い出?屋上に一体どんな思い出があるの?」
「え?いや、それはその………ねぇ?いろいろと…エヘヘ」
歌敷さんは恥ずかしそうにもじもじしながらこちらを見る。
「なに照れ笑いなんてしてるのよ。あとその動きキモイわよ」
「キモッ?!酷い!?」
「きっとホームルームの時に五月女先生からなにか連絡があるんだと思う」
「ええ、おそらくそうでしょうね」
「コラーーッ!無視するなーー!取り消せーー!」
六限目の授業の終了を告げるチャイムが鳴る。
生徒たちは各々の帰り支度や部活の準備を終えて、五月女先生が来るのを待っていた。
十分ほどが経ち、生徒たちの堪忍袋の緒が切れかけた頃、ようやく五月女先生が
重い足取りで教室へと入ってくる。周りからは愚痴が飛んでくるが、五月女先生は煙たそうに手で払う仕草をして無視する。
五月女先生は教壇の前に立つと、手短に連絡事項だけを伝えて早々に教室から出て行こうとする。
「あの、先生。屋上の件なんですが、理由はなんなんですか?」
足早に出て行こうとする担任を斉藤さんが呼び止める。
「…さあな、全校集会で聞け」
それだけ言うと、五月女先生は教室から出て行く。
あまりに素っ気ない態度に、クラス中がしばし唖然としてしまう。
「なに、あの言い草!」
「感じわるッ」
「気取ってるんじゃないの」
「教師としてさすがにあの態度はないよな」
クラスメイトたちは口々に五月女先生への不満や陰口を飛ばす。
「はいはい、みんなホームルームはおしまいよ!」
斎藤さんが号令すると、まだ愚痴を言い足りない様子のクラスメイトたちも、しぶしぶそれに従う。
「どうしたんだろうね?五月女先生」
「うん、なんだか虫の居所が悪そうだったけど……」
「そういう日もあるわよ。たぶん明日には元に戻ってるわよ」
「んん!委員長なにか知ってる?」
「あなた、変な所で勘が鋭いわね…。べつに深い理由はないのよ。ただ、たまたま気づいたのだけど五月女先生から煙草の匂いがしなかったの」
「タバコの匂い?……あ~もしかしてニコチン切れでイライラしてたとか?」
「あくまで可能性だけど、愛煙家の中にはそういう人もいるらしいから」
「質問なんだけど、煙草って吸わないでいるとイライラするものなの?」
「それは…う~~ん」
「一般的には煙草を吸うとその中に含まれてるニコチンっていう成分を脳が摂取するの。その過程で気持ちがいいって感じるのだけど、ニコチンには依存性があって酷い場合だと中毒になって、吸えないと精神が不安定になってくる人もいるわ」
「ほお~博識」
「いやいや、この程度常識でしょうが」
「どうしてそんな物をわざわざ使用するんだろう…?」
「それは人それぞれだからなんとも言えないわね」
「もしかして嫌な事とか忘れるためだったりして。ほら、大人は飲んで嫌なことを忘れるってよく言うじゃん」
「それはお酒でしょ…、まァ似たようなものかしら?」
「嫌なこと」
数日前、保健室で初めて五月女先生と話した時の記憶がふと頭をよぎった。
「まァ、そんなことよりも貴方たちはこれからどうするの?」
「えっと、私はいつもどおり部活だけど…」
「僕は――」
歌敷さんはなにかを期待するようにこちらをチラチラと見る。
「――えっと」
「コラッ!」
「あうちっ?!」
斎藤さんが歌敷さんの頭にげんこつをする。
「この子は昨日の今日でもう忘れたの?」
「うぅ…すいません……姫守君が来ると皆が喜ぶから」
「あっそうだ。すこしだけ用があるからお邪魔させてもらいたいんだった」
朝の出がけにお婆様から頼み事をされたのを思い出す。
「そうなの?わーい!」喜ぶ歌敷さんに手を引かれて教室を出る。
後ろから斎藤さんの釘を刺す声がするが、前を歩く歌敷さんにはすでに届いていなかった。
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