第12話

 家庭科室の扉を開くと、教室奥にある準備室の扉の前に、裁縫部部員たちが人だかりとなって立っていた。

「部長、強力な助っ人を連れてきました!」

 歌敷さんの声に、部員たちの視線がこちらに集まる。…ほんと勘弁して欲しい。

「ああ~、たしか歌敷さんと一緒にいた――」

「斎藤です、斎藤雪。そんなことはどうでもいいので、姫守君は奥ですか?」

 さして怒ってはいなかったが、意思表示のつもりで語気を強めにする。

「ええ、そう…わざわざごめんなさい。お願いするわね」

 森部長と部員たちは脇に退いて道を開ける。準備室の扉の前まで来ると、軽くノックをする。

「姫守君聞こえる?私よ、雪だけど――」

「さりげなく自分のこと下の名前で呼ばせようとしてない?」

 事の成り行きを見守っていた部員たちも、うんうんと頷く。

「うるさいッ!外野は引っ込んでなさい!まったく、………ねえ、お願いだから私だけでも中に入れてもらえないかしら?いじわるな人たちは入れたりしないから」

 扉の奥からは物音ひとつしなかった。

 

 これは長期戦になりそうだな、と思案していると、息を切らせた少女が教室に入ってくる。

「美咲ちゃん、どうだった?」

 美咲ちゃんと呼ばれた少女はにっこり微笑むと、握っていた鍵を差し出す。どうやら職員室までわざわざ取りに行っていたらしい。「ありがとう」、と短く礼を言ってから鍵を受け取る。

 受け取った鍵を鍵穴に差し込む。ガチャ、と扉のロックが外れる。周りが静かなためか、思いのほか大きな音に聞こえた。扉の奥でわずかに衣擦れの音がする。

「姫守君、私だけ入らせてもらうからね」

 後ろで心配そうにしている歌敷さんや裁縫部部員たちに目くばせしてから、扉を開き、体を滑り込ませるとすぐに扉を閉める。

 準備室の中は以前来た時とほぼ変わらず、隅に古い裁縫道具の類が山積みされていた。違うところといえば、中央に置かれていたあのドレスが無くなっていることだった。

 

 姫守君の姿は探して辺りを探っているとすぐに見つかる。窓際の分厚い暗幕カーテンが不自然な膨らんでおり、その膨らみの下から白いスカートの裾が覗いていた。

「み~つけた」

「……こないで………」

 消え入りそうな小さな声が暗幕の裏から聞こえてくる。

「ねえ、ずっとそこにいるつもりなの?」

「………出たいけど……脱げなくて……」

 喉元まで込み上げてきた笑いをなんとか堪える。それと同時に、べつの感情――ちょっとしたイタズラ心――がにょきにょきと現れる。

「あ~そうなの?……じゃあ私が脱ぐの手伝ってあげるから出てらっしゃい」

「それは…恥ずかしい……」

「まァ気持ちはわかるけど、そこは我慢してちょうだい。そんなところでずっとカーテンに包まっているわけにはいかないでしょ?、それにせっかくのドレスが皺になっちゃうわよ?」

「………それは……そうだけど……」 

 しばらく、無言の間が続いた後、ようやく観念したようで姫守君がおずおずとカーテンの中から現れる。

「わッ!」

 ドレス姿の姫守君を目にした瞬間、はっと息を呑む。前回、ここへ来た際に飾られているドレスは目にしていた。その時は綺麗だと感じたが、それ以上の感情は特に抱かなかった。だとなのに、着る人が着るとここまで印象が変わらるものだろうか。もはや似合うというレベルではなく、まるで姫守君のために誂えたかのようだった。

 ドレスから覗くうなじ、胸元から腰にかけての曲線美、ふんわり広がる優雅なスカート、そして整えられた頭の上には銀色の飾りが乗せられていた。

「すごい……わね…」

「あの、あまり見ないで…ほしい……」

 顔を紅く染めた姫守君が恥ずかしそうに言う。

「ああ、つい………いえ、ごめんなさい」

 見惚れていたとは到底言えず、慌てて謝罪する。

「そ、それじゃあ脱がすから背中を向けてくれるかしら?」

「うん」

 背中についたファスナーを腰の辺りまで下ろす。ただそれだけのことにドキドキしてしまう。ファスナーを下ろすと、その下は編み上げ紐とさらにゴムベルトで厳重に固定されていた。

「たしかにこれを一人で脱ぐのは無理ね」

「こんな複雑なのはじめて着たよ…」

 留め具を順に外していくと、姫守君の白くて華奢な背中が露わになる。胸の鼓動がさらに跳ね上がる。まだ男性の身体として成熟していないその身体は、中性的というよりはもはや女性そのものだった。

「はぁ~~」

「あの、シャツを取ってもらえますか?」

「え、あ、ああ~、そうね、…そうだそうだ」

 部屋の隅に畳んで置かれていたシャツを手渡す。姫守君は受け取ったシャツを大急ぎで着る。

「よし、じゃあ、あとはスカートだけね」

「えっ、ま、待っ――」

 腰の部分に付いているホックを外すと、スカートとその下のパニエが一緒にするりと落ちてしまい、露わになった姫守君の白いパンツが視界に飛び込んでくる。

「あっ」

「うわわわわわっっ?!」

 姫守君は咄嗟にしゃがみ込むと、シャツの裾でなんとか下着を覆い隠そうとする。

「ごごごごごめん、そんなつもりじゃ――」


 お互いにアタフタしていると、後ろの扉が勢いよく開く。

「悲鳴が聴こえたんだけどっ!」

「何事!?」

 騒ぎを聞きつけた森部長や歌敷さん、部員たちが挙って顔を覗かせる。

「………」

「………」

「これはその……」

 シャツに下着姿でへたり込んでいる姫守君と、その傍で立っている私。はたしてこの構図は周りの目には一体どういう風に映っただろう。

「…委員長」

「な、なにかしら?」

「どういうこと…これ?」

「ちがう!貴方たち勘違いしているわ!これはただ着替えさせてあげようと――」

「――頼んでないよね、そんなこと」

「たしかに頼まれてはいないけど、それでも違うのよ!」

「――部長!森部長!被告人があんなこと言ってます!」

「うむ、有罪!!」

「そんなの不当よ!控訴するわ!」

「う~ん、まあでも却下で」

「気分で決めてんじゃないわよ!」

「あの、誰か…僕のズボンを……」

 その後も、しばらくこの不毛な魔女裁判は続いた。



 騒動が収拾した頃にはヘトヘトで、家に帰り着くとすぐさまソファーに倒れ込む。

「あら、雪ちゃん帰ってたの。って、なんだかお疲れね?」

 母さんがいつもの軽い調子で話しかけてくる。

「うん、ちょっと姫守君のことで」

「あはは、いつも話題に事欠かないわね九狼くんは」

「笑いごとじゃないわよ!なんで仲裁に入った私が騒動の渦中にいるのって話よ。まァ、姫守君が庇ってくれたから事なきをえたけど」

「へえ~、それで?今日はどんな愉快な出来事があったの?」

「ほら、前に話した裁縫部のドレスのこと憶えてる?」

「あ~え~と、……はいはい、見学した際に見せてもらったってアレね」

「そうそれ。それをなぜか文化祭で姫守君が着ることになっちゃって――」

「――着たの?!女物の衣装を!?姫守君が?!」

「うひゃ!?う、うん」

 突然、鬼気迫る表情で詰め寄られたため、悲鳴をあげてしまう。

「写真は!撮ってないの?!」

「わ、私は撮ってないけど裁縫部の子たちは撮ってたわ。まァ、あくまで個人で観る用だから、画像をネットにアップするようなことはないと思うわ。部長さんも口を酸っぱく注意していたから」

「そうじゃなくて、母さんも観たいの!」

 母さんはまるで子どものように駄々をこねる。

「無いものは無いのよ」

 キッパリと断言する。たしかに写真に残せなかったのは残念ではあったが、あの状況ではそれも仕方がなかった。

「ハア~~、母さんなんだか家事する気が失せちゃった~~」

 ソファーで横になっている私の隣に、ボスンッ!、と身体を埋める。

「もう、狭いったら。そんなことで家事を放棄しないでよ!」

「でもでも、雪ちゃんは見たんでしょ?九狼くんのドレス姿を?」

「そりゃまあ、見たけど――」

「――観たんだ!じゃあ母さんも観たい!」

「だから――」

「――あ、そうだ!舞子ちゃんも裁縫部員よね、たしか!」

 エプロンのポケットからスマホを取り出した母さんは、すぐに歌敷さんにメールを送り始める。

「ちょっとやめてよ」

 スマホを奪い取ろうとするが、寸でで躱されてしまう。

「はい、送信っと!ウフフフ」

 

 しばらくして返信があったのだろう。母さんはスマホを片手に不気味な笑い声をあげながら夕飯の準備に取り掛かった。言うまでもないが、夕飯が出来上がるまでに二時間も掛かった。

「母さんね、秋の文化祭に絶対行くわ!」

「あっそ」























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