第8話
「ねぇ、ほんとに大丈夫かな?」
「…ええ、たぶん」
朝からすでに通算何回目か忘れてしまった、歌敷さんからの質問に適当に相槌を打つ。
いつものように自宅前で待ち合わせてから学校へ向かっているのだが、合流してからずっとこの調子だった。
「そんなに心配なら電話でもすればいいじゃない。折角、スマホ買ったんだから」
「うぅ…、だってもし電話に出てくれなかったらと思うと怖くて……。ねえ、ほんとに仲直りしてくれるように頼んでくれたんだよね?」
「はあ~…ええ、言ったわよ」
「それで、姫守君はなんて?了承してくれた?」
「いいえ、なにも」
「…なにもってどういうこと?」
「だから、なにも聞いてないの。……返事を訊く前に姫守君と別れちゃったから」
「委員長~~、そこすっごい大事なとこなのに~~~!!」
歌敷さんが首にしがみついてくる。ただでさえ夏の日差しにうんざりしているのに
、さらに暑苦しさが増す。
そもそも、こっちだって昨日の事があるから姫守君と顔を合わせづらいっていうのに…。ホント、勘弁して欲しい。
結局、学校に着くまでずっとこのやりとりは続いた。
教室のドアを開けると、クラスメイトたちに囲まれている姫守君の姿が目に入る。
こちらの存在に気づいた姫守君は、すこし照れ臭そうに伏し目がちに「おはよう」と私たちに挨拶する。
「おはよう、姫守君」
「お、おはよう」
歌敷さんは姫守君の元に駆け寄ると、頭を下げて昨日のことを謝った。そして姫守君も歌敷さんに昨日の事を詫びる。
……私も謝りたいのだけど、今はとても無理そうだ。
お昼休みに入ると、教室の机を並べてクラスメイトたちも交えてお弁当を食べる事にした。昨日は屋上であんなことにあったので、その警戒のためである。
姫守君は優に三人分はありそうな量のランチボックスを机の上に広げる。お弁当の中身は鶏肉とエビのフリッター、お花のように盛り付けられたローストポーク、小さなホイルカップに入ったグラタン、薄切りのフランスパンの間にはスライスしたトマトと玉ねぎ、その上には酸味のあるソースが掛かっていた。
本人曰く「作り過ぎちゃって」、とのことだったが、おそらく本当の理由は昨日のお弁当が原因だ。もしまた昨日と同じように女生徒たちからお弁当を持ち寄られたら、自分の大きなお弁当を見せて断るつもりだったに違いない。
男女問わず、クラスメイトたちは目を丸くして姫守君のお弁当を覗き込む。
「すごい…まるでお店屋さんみたい!」
「うわ、旨そうだな~な、な、姫守、一個ちょうだい?」
惣菜パンを齧っていた男子生徒が手を合わせて頼み込む。姫守君は笑顔で「良かったら皆どうぞ」、とランチボックスを差し出す。
「サンキュー」
「あっ、私も!」
「あ~いいな~私もちょうだ~い」
わらわらと手が伸びてくると、あっという間にランチボックスの中身は空っぽになってしまった。
「ちょっ、ちょっとみんな、限度って物があるでしょ!」
怒ってはみたものの、当の姫守君は「お粗末様です」、と満足気に微笑む。
「あなたも何か言いなさいよ」
「ングングゥ…?」
薄切りパンの上にローストポークを乗せて、それを口いっぱいに頬張りながら、歌敷さんはこちらを振り返る。
「………はぁ」
「ング?」
「そうだ。歌敷さん、折り入ってお願いがあるんだけど…」
昼食を終えて、じきに五時限目のチャイムが鳴ろうかというタイミングで姫守君は思い出したように切り出す。
「ん?あらたまってどうしたの?」
「じつは、…もう一度、裁縫部にお邪魔させてもらいたいんだ。…その、あんな別れ方しちゃったから、皆さん気にしてるかもしれないから…。
「そんなの、べつに姫守君が気にする必要はないわよ。非があるのはむこうなんだから」
姫守君はどうも周りに気を遣い過ぎるきらいがある。
「…うん。私が言うのもアレだけど、悪いのは悪乗りしちゃった私たちだから…」
歌敷さんはしおらしく言う。
「そもそも、どうして姫守君に着せる流れになったの?ドレスだってまだ完成には間があるって、先月見学しに行った時に言ってなかった?」
「ドレスは森部長が休み時間や休日も出ずっぱりでコツコツ制作に当たってたから…。よく授業に遅れたり、たまにすっぽかしたりもしてたって言ってたよ」
「すごい熱意ね……」
「なんでも秋の文化祭までにはなんとか間に合わせたかったみたい。文化祭には裁縫部のOBの方たちが来てくれるから、それまでにあのドレスを完成させて最高の形で見てもらいたいって、森部長意気込んでた…」
「最高の形…。なるほど、それで姫守君なのね…」
尊敬する先輩に念願の完成品を最高の形で見てもらいたいと願う気持ちは理解できた。
「…ウン」
「……どうして僕なの?ドレスが似合いそうな女の子、他にもたくさんいるのに」
「いないよ?」
「いないわよ」
そこはキッパリと言い切る。それはそうだ。姫守君以上に容姿が調っていて、見栄えのするルックスで、なによりこんなに可愛い子、他にどこを探したって見つかりっこない。
「でも…」
「あのね姫守君。そんな子は い な い か ら 」
隣で歌敷さんもウンウンと頷く。
「…はい」
私たちの迫力に圧されて、姫守君は大人しくなる。
六限目が終わり、すぐにホームルームが始まるが、特にこれと言った連絡事項もなく早々に終わろうかというところで、それまでだらしなく椅子に腰掛けていた担任の五月女先生が、おもむろに立ち上がり口を開く。
「あ~っと、そうだ。昨日言いそびれた事があるから今から言うぞ。このクラスが以前、たくさんの問題を抱えていたことは聞いている。別にそれを蒸し返すつもりはないから安心しろ。それでだ。前任者との引き継ぎは出来なかったから、オレ…ゴホン、私はこのクラスの内情をよく知らない。なので、それを知るためにもお前たちともっと話す機会が必要だと思ってる。そんなわけだから、もしなにか悩みとか相談事があれば、いつでも…と言っても学校にいる間だけだが、暇をみて顔を出せ。以上だっ!」
五月女先生は言い終わると、また椅子に座り直す。
突然の発表にクラス中が戸惑っていると、おずおずと一人の男子生徒が手を挙げる。
「ん?なんかあるなら言っていいぞ」
「あっはい。それじゃあ……その、先生の煙草の匂いがすこし臭い…です」
「あ~うん、臭い臭い」
「たしかにヤニ臭いよね」
静かだった教室からチラホラと生徒たちの同意する声が上がる。
「…う、うるさい!うら若い女性に向かって臭いとか言ってんじゃねえ!てか、そんな些細な事どうでもいいだろ!もっと他に人に言えないような悩みとかを相談しにこいって言ってるんだ!」
途端に教室内は五月女先生の怒鳴り声と生徒の声で騒がしくなる。
なんとも個性的な先生ではあったが、前任者と比べれば悪くはなさそうだ。
「あーもう、静かにしろっ!委員長!」
「えっ!?」
「今日のホームルームはこれでおしまいだ」
「ああ、はい。起立、礼」
「じゃあな」
生徒たちのお辞儀を待たずに五月女先生は教室を出て行く。
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