第7話
太陽の明かりがようやく陰り出してきたのを確認すると、読みかけの料理本を棚に戻して図書室の扉へ向かう。
「お、今日は借りてかないの?」
受付に座る同学年の図書委員の少女が声をかけてくる。放課後に図書室を利用する生徒はほとんどいないため、クラスは違ってもすぐに顔見知りになった。
「ええ、鞄が重たくなるからいいわ。じゃあ、お先」
「あいよ~バイバイ」
図書室の扉を閉めると、一旦その場で立ち止まる。
「さてと…、なにから始めるか」
さきほど読んでいた料理本の中から作れそうなものをピックアップしていくつか頭に入れておいた。
くやしいが、今の自分の料理の腕は歌敷さんとそうかわらない。ライバルに差をつけるためにも、もっと料理の腕を磨かなければ……。
「『美味しい』って言ってくれるのは素直に嬉しいのだけど、そこはやっぱり勝ちたいのよね…」
昼食で姫守君に振舞ったおにぎりの具は、ちょうど先週、母さんから習ったばかりのものだった。母さんからも「百点満点」と絶賛された自信作だった。しかし、隣で一緒に料理していた歌敷さんも私と同じ評価を受けていた。
「尺だけど、今日も母さんにお願いして料理の指導をしてもらおう」
校舎の階段を歩いていると、上階から大きな足音が近づいてくる。
とくに気にせず歩いていると、「委員長ッ!!」、と大声で呼び止められる。
見上げると、そこには息を切らせて慌てた様子の歌敷さんが立っていた。
「どうしたのよ、そんな慌てて」
こちらが言い終わるよりも早く、駆け寄ってきた歌敷さんは、そのまま私の身体にしがみついてくる。
「ちょっ、なによ一体?!」
「うううわあああーーーーッッ」
しがみついたまま、歌敷さんはわんわん泣く。
「もう泣いてちゃわからないでしょ。…一体どうしたのよ?」
「うう……、嫌われちゃった……」
「…は?誰に?」
言ってからピンとくる。歌敷さんがここまで取り乱すのだから、その相手は一人しかいなかった。
「ぐすっ…姫守君……」
「今朝、話してた裁縫部のドレスの件ね」
「うん…」
「はあ…それで、そのことをお願いしたら姫守君を怒らせちゃったってわけ?」
「ううん…、たぶん傷ついたんだと思う…」
いつも物腰の柔らかい姫守君が、怒ったり悲しんだりする姿は想像がつかなかったが、彼も人間なのだから当然そういう感情を持ち合わせている。
「それでいままで探してたの?」
「でも何処にもいなくて……電話も掛けたんだけど…」
「あ~、つまり会いたくないってことね」
「うわああああ~~~!」
「もう、うるさいわよ。とりあえず、今日のところは大人しく帰りなさい。明日になったら姫守君も落ち着いてるだろうから、そしたらきちんと謝りなさい」
「学校…来てくれるかな?」
「大丈夫よ、きっと」
「………わかった」
よほどショックだったのだろう。歌敷さんは振り返ることなく、トボトボと階段を下りて行ってしまう。
歌敷さんと別れると、その足で屋上へと向かう。屋上の扉を開くと、そこには屋上の隅で体育座りの状態で項垂れる一人の生徒の姿があった。
「み~つけたっ」
こちらの声は聞こえていたはずだが、その生徒はなんの反応も示さない。
気にせず隣に腰を下ろす。互いの肩が触れてしまいそうなほど近かった。
「ごめんね」
「……どうして斎藤さんが謝るの?」
「知ってたから」
「…それでも斎藤さんは悪くないよ」
「いいえ、知っていたからこそ、大切な友達を気遣ってあげるべきだった。…私たちみんな、キミに甘えすぎたんだよ。いつも笑顔でやさしくて、頼りがいのある男の子に、頼めばなんでもしてくれるって勝手に思い込んでた。そんなことあるわけないのにね」
姫守君の髪をそっと撫でる。ピクッと姫守君の身体が反応する。
「ねぇ、斉藤さん…」
「なに?」
「僕って、…そんなに男らしくないのかな?」
「…なんだ、そんなことで悩んでたの。…じゃあ、教えてあげる。姫守君はね、今迄出会った中で一番男らしくて勇敢な子だよ」
忘れもしない、ひと月前の下校途中に歌敷さんの兄に襲われた時のことを。あの絶望の最中、私を救い出してくれた事を今でも鮮明に憶えている。
「…本当?」
「もちろん、……でなきゃ惚れたりしないよ」
「えっ?」
驚いて顔をあげた姫守君と目が合う。姫守君の頬がみるみるうちに赤く染まっていく。きっと、今の私も同じような顔をしてるのだろう。
しばし視線を交わしたまま、ゆっくりと時が過ぎていった。
「あっ」
視線を姫守君の後方へ向ける。我ながらなんて古典的な手段だろう。後ろを振り向いた姫守君の隙を突いて顔を近づける。
「なにもないけど…」
姫守君がこちらに向き直そうとした瞬間、姫守君の頬に唇でやさしく触れる。
「!?」
目を丸くして戸惑う姫守君をよそに、おもむろに立ち上がる。
「…この前の仕返し」
以前、ここで姫守君に抱きしめられたことがあった。あの時は切羽詰まった状況だったので、どんな会話していたかなんて忘れてしまったが、強く抱きしめらたことは忘れられなかった。それが恋愛感情からの物ではなかったとしても。
「それじゃ、一足先に帰るね。…歌敷さんも反省してたから明日には仲直りしてね」
「あの、えっと…」
「バイバイ」
猛ダッシュで出入口に向かい、階段を二段飛ばしに駆け下りる。
ああ、危ないところだった。もしあのまま、あそこに留まっていたら、きっと抑えが利かなくなってあれ以上のことをしていた。
「あれ以上って……もう!何よ?もう!?」
以前、歌敷さんの兄の部屋で偶然見てしまった、いかがわしい本の記憶が頭を過ぎる。
「もう!もう!もう‼」
頭を振り、恥ずかしい記憶から逃げるように階段を駆け下りる。
一階まで駆け下りると、そのまま校舎を飛び出して校門まで全力疾走する。後ろの校舎から男性教師の注意する声が聞こえてきたが、心臓がはち切れそうほど鼓動している今の私にはどうしようもなかった。
「はあ…はあ…ふぅ」
校門まで辿り着くと、ようやくそこで一息つく。
「歌敷さんのこと破廉恥だとか毒婦だとか、……これじゃ人の事言えないわね」
今更になって、強い自己嫌悪に苛まれる。
校舎を見上げると屋上のフェンスが見えたが、ここからでは姫守君の姿は確認できなかった。
「…帰ろう」
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