第5話

 微かない人の気配に意識が目覚める。

「ん…」

 目が覚めると、そこは周りを白いカーテンでぐるりと仕切られた保健室のベッドの上だった。薬品の独特の匂いと、僅かに煙草の匂いが鼻につく。

 隣を見ると、金髪の女性が椅子に座ったまま、うたた寝をしていた。その女性は世界史担当で、新しくクラスの担任になった五月女先生だった。

「五月女先生?」

「ん、…ああ、目が覚めたのか姫守」

「おはようございます。先生が看病してくれてたんですか?」

「看病って、そんな大層な事はしてないよ。すこし保健室に用事があって来てみたら、担当クラスの生徒が体調を崩して休んでるっていうから、驚いてで様子を見に来たんだ。そしたらお前が可わ…ゴホン、気持ちよさそうに寝てるもんだから、俺もなんだか眠くなってきてな。どうせ六限目が終わったらホームルームの挨拶に顔を出すつもりだったから、その時に起こそうと思ってたんだ」

 スマホで時間を確認すると、ちょうど六限目が終わる頃だった、

「ご迷惑をお掛けしました」

「なあに、これも教師の仕事の内だから気にすんな。それより体のほうはもう大丈夫なのか?」

「はい、しばらく寝てたら落ち着きました。元々、ただの過食ですから」

「はあ、過食?!過食ってことは食い過ぎってことか?…姫守お前、見た目はそんな細っちい癖に随分食い意地が張ってるんだな…」

「そういうわけではないんですが、なんというか、その已むに已まれずというか…」

「…ああ~、なるほどな。やれやれ、そんな容姿してると苦労も多いな」

 どうやら五月女先生は察してくれた様子で苦笑いを浮かべる。

 

 ほどなく、チャイムが鳴る。

「それじゃあ一緒に教室に行きましょうか」

 何気なくベッドから起き上がり、五月女先生の近くに立つと、突如、五月女先生の身体は痙攣を起こしたようにビクリと強張り緊張が走る。

「っああ…」

 五月女先生の瞳は見開かれ、青ざめた顔からひと筋の汗が流れる。それは命の危機に瀕した生物の恐怖のサインだった。

「五月女先生?」

 先生を驚かさないように、ゆっくりと距離を開ける。

「えっ、あ~、えっと、…すまん」

 呼吸すら忘れて停止していた五月女先生は、こちらの呼び掛けになんとか答えると、流れる汗を手で乱暴に拭う。

「いえ、こちらこそ不用意に近づいて驚かせてしまったみたいで」

「…姫守が悪いわけじゃない。…ちょっと子どもが苦手というか……。以前、色々とあってな……はぁ~…」

 五月女先生は溜息をつくと、俯いて落ち込んでしまう。

「…辛い経験をされたんですね」

「……ああ…数年前に…っていうか、あーーもうっ!なんで受け持ちの生徒に自分の情けない過去を赤裸々に告白しなきゃならねえんだッ!」

 勢いよく椅子から立ち上がった五月女先生はこちらに向かって吠えた。

「僕はべつに気にしませんよ?」

「姫守が気にしなくても、こっちは気にするんだよ!…というか、お前はアレだな。人の心を油断させる才能があるな」

 それは誉め言葉として受け取ってよいのだろうか?どことなく、そうではないというニュアンスが含まれているようにも感じられた。

「えっと…」

「とにかく、さっきの話は他言無用だ!いいな?」

「はい、先生」

「よしっ、そんじゃ新しい教え子たちに会いに行くとするか」

 保健室から出て行く五月女先生に遅れないよう、後から数歩離れてついていく。


「そういえば質問してもいいですか?」

「んあ?…答えられる事ならいいぞ。ちなみに恋人ならいないぞ」

 それはわりとどうでもよかった。

「どうして五月女先生はうちのクラスの担任になってくれたんですか?」

「…べつに深い理由なんてないさ。職員会議で新しい担任を誰がするかで散々盥回しになってたんだ。オレはずっと傍観してた。そしたら教頭のヤツが『五月女先生は生徒たちと歳も近いから色々と融通が利くのでは?』、なんて言いやがる。オレは今年で三十三だぞ!近くねぇだろ、全然…。まったくいい歳した大人が、どいつもこいつも火中の栗は拾いたくないとほざきやがる」

 次第に五月女先生はヒートアップしていく。火中の栗というのは、歌敷さんの事だろうか。不審者騒ぎはとっくに鎮火したものと思っていたが、教師たちの間では未だに燻ぶっていたようだ。

「それでもちゃんと担任になってくれたんですね」

「そりゃあな……。本人たちには何の落ち度もないんだから、それでビビッてちゃ生徒が可哀想だろ?」

「…そうですね。ありがとうございます」

「お礼は余計だっ。そもそもな、他人事みたいに聞いてるが、お前も要因のひとつなんだぞ。わかってるか?」

 五月女先生の言葉はあまりにも意外でショックだった。努めて大人しく過ごしているつもりだったが、先生たちの間ではそうは見られていなかったらしい。

「……そんなに問題児ですか、僕?」

「お前そんな悲しそうな顔するなよ。スマン、オレの言い方が悪かった。姫守の素行がどうのと言ってるわけじゃない。ただ、いずれ、その…女生徒と…ほら、アレだよアレ。だから警戒されてんだよ」

 なにやら言い難そうに視線をさ迷わせながら、しどろもどろに五月女先生は答える。

「………?」

「その顔、マジで分かってないのかよ…まいったな…」

「先生?」

「いや、でも分からないってことは間違いも起きないってことだから…」

「先生!」

「えっ、ああ、どうした姫守?」

「教室に着きました」

「…そうか…。あっと、さっきの話も他言無用だぞ、いいな?」

「はい」

「よしよし。んじゃま~可愛い教え子たちに挨拶しにいくか」

 五月女先生が前の扉から教室に入って行く。

 

 とにかく個性的な先生だった。言葉使いは男っぽいが、細かい気配りができるのはきっと根が真面目な人だからなのだろう。クラスメイトたちの言う当たりかハズレかで言えば、これは間違いなく当たりの先生だと感じた。










































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