第2話
早朝、微かな息苦しさと感じながら目を覚ます。
息苦しさの正体は、口の上で寝息を立てているまん丸の毛玉が原因だった。
毎晩、眠りにつく時には枕元にいるのだが、目が覚めた時には決まっていつも顔の上にいる。
「ん、おはよう。姫ちゃん」
雲のように真っ白な姫ちゃんの体にそっと触れる。
「ミィ…ミャゥ~」
小さな体で大きく伸びをすると、僕の唇を一舐めする。これが姫ちゃんの「おはよう」の挨拶だ。
「お婆様に朝の挨拶に行こう。それから朝ご飯をしようね」
「ミャウ!」
姫ちゃんを肩に乗せて、一階へと降りる。
「おはようございます、お婆様」
書斎の前まで来ると、ノックをしてから両開きの扉を開ける。
扉を開くと、目の前には本の山がいくつもそびえていた。部屋の両側にはビッシリと本を詰め込んだ本棚で埋め尽くされており、入りきらない本は縦に乱雑に積み上げられ、今にも崩れてしまいそうな危うい状態で、なんとかバランスを保っていた。
そこは書斎というよりは書庫だった。
そして、ここはただの書斎ではなかった。この書斎に溢れかえるほどある本の一冊一冊が魔術書の類だった。魔術書と一口に言っても、それ自体に魔力が込められた《エンチャント・ブック》であったり、魔術の教本や魔術道具の解説書のようなものもあったりと、その内容は千差万別だった。
お婆様はそれら魔術書の一時的な持ち主であり、その管理人でもあった。
部屋の中央に置かれた横幅のある書斎机の奥で、赤いナイトキャップがチラチラと見え隠れしていた。
「…んん、もう朝なのかい?」
机の陰からお婆様の眠たげな声が聞こえてくる。
「はい、今日もとても気持ちのいい天気です」
「はあ~、ここに籠ってると朝も晩も違いがありゃしないね」
「お婆様、たまには書斎の外に出られてみてはいかがですか?ずっと、日の当たらない場所に籠ったままではお体に障ります」
「この年になると、なにをするのも億劫なんだけどね…。可愛い孫の頼みとあっては無下にするわけにもいかないか」
そう言うと、お婆様はゆらゆらと揺れるロッキングチェアから身体を起こす。
お婆様は立ち上がると、ちょうど書斎机からひょこっと頭だけが現れる。赤いナイトガウンを羽織ったその姿は、知らない人が見れば大人の女性に憧れて背伸びをする
子どもに見えることだろう。僕の胸元くらいしかない可憐なお婆様は「はあ、やれやれ」と言いながら、足元まで伸びた銀髪を引きずりながらこちらにやってくる。
「ミィ」
「おや、姫乃そこにいたのかい」
お婆様は僕の肩に乗った姫ちゃんの頭をそっと撫でると、そのまま手を僕の首へとまわす。
「九狼、連れてっとくれ」
「はい」
見た目のとおり、とても軽いお婆様を慎重に抱き上げる。「ふふっ」と嬉しそうに眼を細め、頭をもたせかけるお婆様を抱いて台所へと向かった。
「おや、なにやら不吉だね」
朝食を終えて、学校へ向かう準備をしていると、突然学生靴の靴紐が切れてしまう。新しい靴紐を通していると、その様子を見ていたお婆様がポツリと呟く。
「不吉?」
そうだろうか?単に毎朝、足にじゃれつく姫ちゃんが靴紐を頻繁に噛んでいたからだと思うのだけれど。
「ミュ?」
「あっ、駄目だよ噛んだら。もう…」
切れた靴紐には興味がないらしく、早速、新しい靴紐に噛みつこうとする姫ちゃんを嗜める。ここに引っ越してくるまではこんな癖はなかったはずだけど。
「ミィミィ」
腕の中でもがく姫ちゃんをお婆様にあずける。
「お婆様。それじゃあ、行ってきます」
「ああ、行っといで。気をつけるんだよ」
二人に手を振り、扉を閉める。
「作戦失敗じゃな、姫乃?」
「ミィ…」
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