第二十五話 俺が唐揚げをどれだけ食べたかったのかわかってしまった

 ずっと火と油の前にいたので、汗だくになっていた。それに、マラソンした後みたいに、息を切らしていた。

 タオルとして使っている布で汗を拭いて、水を飲んで一息つく。


 あまり長く休んでいるつもりはない。

 なにせ、いよいよ唐揚げを揚げ始めるのだから。


 カカポ豆の粉と半分残しておいた香辛料ミックスを混ぜ合わせて衣を用意する。

 作りたての油は竃の上で良い温度になっている。

 昨日下味を付けて置いておいたモモ肉に衣を付けて手の中で少しぎゅっと丸めてから油の中に落とす。ジュワジュワっとたくさんの泡が油の中を立ち上る。モモ肉をいくつかそうやって落として、しばらくは火が通るのを待つ。

 油がとにかく揚げ物屋みたいなにおいでやばい。脳みそが刺激されて涎が溢れてくる。


 火加減が細かく調整できないので、とにかく焦げないように気をつける。

 表面が色付いて浮き上がってきたら菜箸でそっとひっくり返す。唐揚げから出る泡の量が少なくなってきて、音がピチピチと高くとなってきたら、取り出して皿に置く。

 キッチンペーパーはないので、油を吸うための布をマコトからもらって敷いておいた。

 二度揚げするかどうかを悩んで、一回油の入った鍋を火から降ろした。そして余熱を通すために少し時間を置いてから、唐揚げの一つをナイフで半分に割った。火は中まで通っているみたいだ。

 マーグンの肉のにおいが感じられるのは揚げ油のせいだろうか。熱い湯気の中、ハシグナのツンとしたにおいが意外とくっきり感じられた。口に含むと、アガレナの爽やかな酸味の後にセマルの肉汁が口の中に溢れた。

 熱い。衣がマーグンの旨味をたっぷり吸っていて、セマルとマーグンが持つ味の力強さに打ちのめされる。口の中いっぱいに肉を感じて噛んでいると、サシャのかおりがスッと鼻に抜けていった。


 俺の食べたかった唐揚げは、醤油ベースで、ニンニクと生姜がガツンときいていて、いつもの部屋でテレビを付けっ放しで、ビールでも飲みながらダラダラつまむ、あの唐揚げだった。

 今作った唐揚げは、当然、俺が食べたかったあの唐揚げにはならなかった。味が全然違う。比較する意味もないくらいに。ここは俺の部屋じゃなくて、目の前にはテレビもないし、ゲームもネットもない。

 それでもこれは、俺が作ったこれは、間違いなく唐揚げだった。


 俺は、そこに突っ立ったまま、唐揚げを口に頬張って泣いていた。

 自分が死んでしまったこと、この知らない世界に来てしまったこと、日本にはもう戻れないこと、でもここで生きていること。

 唐揚げを食べたら、そんなことが全部いっぺんに押し寄せてきた。自分の脳みそと感情のキャパシティを超えてしまったのだと思う。

 涙を流しながら唐揚げを咀嚼する。


「シンイチ? どうしたの? 失敗した?」


 ついさっきまで唐揚げ作りはうまくいっていて、なのに俺が突然泣き出してしまったので、マコトが目を見開いている。

 俺は首を振って唐揚げを飲み込んだ。


「うまくいったよ。ちゃんと唐揚げになってた。俺が知ってる唐揚げとは全然違うけど、ちゃんと唐揚げだ」

「なんで泣いてるの? 大丈夫?」


 涙を袖で拭って、マコトに向かって笑ってみせた。


「いや……なんていうか……唐揚げ食べたら、いろんなことを思い出して……大丈夫だから」


 マコトは心配そうに俺を見ている。

 唐揚げ揚げて食べたと思ったら突然泣き出したのだ。それは心配するだろう。


「日本のことを思い出して、懐かしくなったり……もう戻れないなって思ったり、なんか、ちょっと、うまく言えないけど……」

「シンイチは……ニホンに戻りたい? それで泣いたの?」

「違うよ。そうじゃない。戻りたい気持ちがない訳じゃないけど、戻れないのはわかってる。ここしばらくのここでの暮らしも結構好きだし、多分、これが新しい自分の生活なんだってろうなって思ってもいる。ただ……なんていうか……」


 俺は、自分が揚げた唐揚げを見て考える。この気持ちをなんと説明すれば良いのか、頭の中でいろんな言葉が浮かんでは消えた。

 掴み所のないいろんな言葉の切れ端をようやく捕まえて、それをなんとか繋ぎ合わせて声にする。


「なんていうか、ようやく、ここで暮らしていけそうだって気持ちになれた気がする」


 自分の気持ちをできるだけ素直に言ったつもりだったけど、やっぱりうまく言えた気はしなかった。

 マコトがじっと俺の顔を見上げていた。俺が反応に困って笑ってみせると、マコトは不思議そうに首を傾けた。


「なんだか、ちょっとスッキリした顔になったね」


 言われて、なんとなく納得する。ミノリさんが言うように、俺にとって唐揚げは未練なんだろう。日本や、日本で持っていたものや、日本での生活への未練。だから、その俺の未練を形にした唐揚げを実際に作って食べて、それで気持ちの整理ができたんだと思う。

 マコトが突然、俺の腕を掴んでほとんど真下から俺の顔を見上げてくる。その距離の近さに息をのむ。


「あのね、シンイチ。シンイチは、ここですごく頑張ってるよ。火も熾せるようになったし、料理だってできるし、薬草の名前だって結構覚えた。畑の世話だってしてるよね。わからないことがあっても、わたしが教える。困ったことがあったら、わたしが助ける。シンイチは見習いで、わたしは師匠だから。だから、大丈夫。シンイチは、今もここで暮らしてるし、これからもここで生きていけるよ」


 マコトの言いたいことは、わかるようでよくわからなくて、でもマコトが俺のことを考えて俺を励まそうとしてくれることはよくわかった。マコトはいつも、大丈夫って言ってくれてた気がする。

 マコトの丸くて大きな目が、俺をまっすぐに見詰めている。


 俺は今度こそ、さっぱりと笑ってみせた。


「ありがとう。ここで生きていこうと思ってる」


 俺の、答えになっているのかいないのかわからない言葉に、それでもマコトは笑顔を見せた。きっと、気持ちだけは伝わったんだと思う。

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