第三話 人がいる痕跡は見つけたけど人には会えていない

 俺が出した唐揚げは、俺の左手のひらに乗っかっている。油でベタベタする。よくよく考えたら揚げたての温度じゃなくて良かった。ヤケドしても薬もなければ水もない。

 そういえば、唐揚げ食べたさで気が散っていたけど、喉も渇いた。唐揚げなんか食べたら余計に喉が渇きそうだ。

 それでも、俺は左手のひらに乗った唐揚げを右手で摘んで、躊躇わずに口に入れた。

 一口で食べるには少し大きいそれは、まったくもって俺好みの唐揚げだ。噛みちぎって、口の中に溢れた油と肉汁を堪能する。ごま油と醤油の味が肉汁と混ざり合って舌の上を流れる。ニンニクと生姜のにおいが口から鼻に抜ける。

 夢中で咀嚼して飲み込むと、噛みちぎった残り半分を口に放り込む。

 ああ、唐揚げだ。揚げて、しばらく経ってから食べる唐揚げだ。揚げたてのサクサク感がなくなって、油がちょっとべとつく、冷めた唐揚げ。オーブントースターにアルミホイルを敷いて、そこで少し温めてから食べても良い。

 鶏肉を全部飲み込んで、指先に残った油を舐める。左手のひらの油も舐めてしまった。空腹の胃に油が美味い。舌を伸ばして唇についた油も舐める。


 一息ついて、もう一つ唐揚げを出して食べようかと思った時、先ほど地面に落ちた唐揚げに虫が集まってきていることに気付いた。俺の手は落ちている唐揚げと同じにおいで、そこに虫が集まって来るのが想像できてしまって、慌てて立ち上がった。

 考えたら、においの強いものだし、虫だけじゃなくてもっと大きな動物なんかも寄って来るかもしれない。小さい動物でも、うっかり引っかかれたり噛み付かれたりすると面倒だ。何かの病気になる可能性だってある。

 場所を変えた方が良い。


 そしてやっぱり喉が渇いた。水が飲みたい。

 少し離れたら水が出るか試してみようと考えながら、俺はまた歩き出した。


 しばらく歩いていると、森が途切れて空が見えた。スマホの時計で十七時半を過ぎている。

 夕焼けは、自分の知ってる夕焼け空と変わらないように見えた。日が沈む反対側の空は、夜空の色。星も見える。

 星座に詳しければ、もしかしたらこの空の星と照らし合わせるなんてこともできたかもしれないけど、星座の名前をいくつか知ってるのと、星の名前を少し知ってるくらいだ。それも、どの空にどんな星があるかまではよく覚えてない。

 月か、それに準ずるものは見えなかった。これも、今のところはなんとも言えない。


 拓けた場所に、畑があった。

 多分、畑だと思う。耕されてうねができた地面と、そこから等間隔に生えている植物。明らかに、誰かが手入れしている場所だ。

 広さは、四畳半一間が二つ分くらいだろうか。広大な農地ってほどじゃない。どちらかと言えば、こじんまりした家庭菜園という趣だ。

 そして、その畑からさほど遠くないところに、小屋が建っていた。


 小屋の大きさは、畑と同じくらいだろうか。こじんまりした一人暮らし向けのログハウスって雰囲気だ。近くに人影は見えない。

 地面からすねくらいの位置に床が作られていて、地面の上に立てられた何本かの柱がその床を支えている。その床の上に小屋が建っている作りだ。

 近付いて見たけど、俺の背丈に対して多少大きめのドアがあった。ここで暮らしている人、あるいは人以外の誰かは、俺と極端に体の大きさが違うということはなさそうだ。ドアの脇には窓もあったけど、窓の材質はガラスじゃなくて木だったので、中を伺うことはできない。


 家の中に誰かいるのか、外からだと気配はわからない。物音もしない。

 森の中で気付いてからここまで、わりかし慎重に進んできたつもりはあったけど、疲労感がもう限界だった。

 俺は警戒心を投げ捨てると、床に上がってドアをノックした。


「ごめんくださーい、誰かいますか?」


 声をかけてノックを続けるが、相変わらずしんと静かで、何かが動くような物音もしない。

 言葉が通じてない可能性もあるけど、その場合でもなんらかの反応があるかもしれない。あ、でも、もしかしたら警戒して様子を伺われてるのだろうか。そうだよな、突然知らない人が来てドアを叩くなんて、ホラーに近い。俺が逆の立場だったらドアを開ける気はしないし、居留守くらい使うかもしれない。


「ごめんください、道に迷ってしまって、助けて欲しいんです」


 怪しいものじゃないという言葉は怪しすぎるので咄嗟に飲み込んだ。それでも、あまりにも怪しすぎる。

 これは、ドア開かないヤツだ。俺なら開けない。

 仮に本当に中に誰もいないとしても、勝手に家に入ってトラブルになるようなことは避けたい。


 ノックをやめて、ドアの前の段差を降りる。

 体を休めたい、水を飲みたい、何か食べたい。唐揚げ食べたい。


 家の周りをぐるっと回ると、裏に屋根付きの炊事場があった。多分炊事場だと思う。屋根の下に、竈がある。井戸もある。上に滑車が付いていて、長いロープの端に水を汲むための桶が付いているタイプの井戸だ。

 空っぽの小さな桶があって、その中に柄杓があった。竃の上には鍋も置かれている。

 屋根の下にちょうどスツールくらいの太さの木の輪切りが置かれていて、座れそうだなと思って近付いた。高さは脛くらい。ちょうど、さっきの小屋の床くらいの高さだ。

 近くで見るとその木は表面がツルツルに磨かれていて、もう椅子にしか見えなかった。


「おおお、文化的だ、文化だ」


 半日ぶりくらいに座ることができて、感動してしまった。もうしばらく歩きたくない。

 人の営みのようなものに出会えて、若干気が抜けたところもある。本当はまだ全然気が抜けない状況なのだとは、頭ではわかってる。でも、体が疲れ切っていてもう限界だった。


 しばらく立ち上がれる気がしない。

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