失われた結婚願望とリンクする前世


 私の前世の名前は新谷朱音しんたにあかね


――――エメリアが10歳になって全ての前世の記憶が再生された。


私の生まれは日本の北の方だった。

家族に恵まれなかった私は18歳で実家を出て上京した。アルバイトを掛け持ちしながら奨学金で国立大学を出た。修士を取るために進学した大学院のサークルで知り合った新谷亮太しんたにりょうたと2年間の交際期間を経て結婚した。

私達は、結婚三年目の冬を迎えていた。


 今は大学の相談室でのカウンセラーと、企業のEAP業務のWワークの仕事をこなしている。毎日夜遅くまで仕事をしながらも家事はほとんど私が担っている。

IT関係の仕事をしている夫が帰ってくる時間はいつも私よりも遅い。


 急いで帰って夕飯の支度をし、部屋を整えて夫の帰りを待つ生活を送っている。

今日は日曜出勤になってしまったが、私の30歳の誕生日だった。

早く家に帰るつもりが、職員の復職の相談業務が長引いてしまった。

 

近くの地下鉄の駅に降り立った時間は21時をちょうど廻っていた。


「あっ、しまった・・。電波が悪かったんだ」

 

腕時計や自分の身体に巻き付ける物を纏うのが苦手な私は、時間を確認しようと取り出した携帯を確認すると、会社の前で送ろうとしたラインが電波の都合で送れていなかった事に気づいた私は、夫に慌ててラインを再送した。今日は夫の仕事は休みだった。

 毎年、夫は二人きりで私の誕生日のお祝いしてくれていた。

誰かに一緒に誕生日を祝ってもらう幸せが心から嬉しかった。

一緒に食べようと、予約した誕生日ケーキを行きつけのケーキ屋で受け取って待っていてくれる。


「すっかり遅くなっちゃったな・・」


きっと夫も待ちくたびれてしまっているだろうと思い、いつもより近道をしようと少しだけ速足で12月の寒い路地を通り抜けて家を目指した。

それは突然のことだった・・。


予期せぬ場所で見知った声が耳に届いた。


「寒っ、外は寒いな・・。」

レストランの扉の前で女性の腰を抱き寄せた男性が、ボソッと低い声で吐き捨てるように呟いた。


「ねぇ、亮ちゃん・・。今日って、奥さんの誕生日なんでしょう??大丈夫なのぉ??さすがにもう家に着いてるんじゃないの??」

 

「まだ帰ってないよ。さっき、あいつから会社を出るってラインが届いたとこだからまだ大丈夫だよ」

 

私の耳に、とても馴染みのある声が届いた。家の近くにある、路地裏の隠れ家レストランの前を足早に通り過ぎようとした所だった。


「あー・・。理奈との楽しい時間が終わるのが寂しいよ。今度はいつ会える??」


「うーん・・。私は毎日でも会いたい!!今日は亮ちゃんと丸一日中、二人でいちゃいちゃ出来てすんごい幸せだったぁ・・!!

でも、基本的には土日は奥さんと過ごすんだよね。私も土日は予め予定入れちゃうからな。ねぇ、奥さんの休日出勤って、次はいつ??」


「年末は仕事が休みになるからなぁ。でも、来月には何回か休日出勤が入るかもしれないって言ってたかな。」


 ――亮ちゃん??今、亮ちゃんって言ったよね??


夫の声によく似た声に驚いて、下を向いて歩いていた私はゆっくりと顔を上げて足取りを止めた。振り向いた瞬間に、私の心臓は大きく高鳴った。見慣れたコートを着た夫の姿が目に入ると、ゴクリと喉を鳴らした。


 お店の前で男女の影が重なり合っていた。つま先立ちの女性が男性の首に両腕を絡めて、男性は背中に腕を巻き付けて抱きしめ合っていた。

そして二人は名残惜しそうに、何度も唇を重ね合っていた。


「まさか、嘘でしょう!?」


目の前の光景に、頭が真っ白になった。身体動かずにその場に縫い留められてしまったかのように膝がガクガク震え出した。

    

ドサッ・・。バサバサッ!!


 大きな物音が路地に響いて、重なり合った2人の影が驚いたように少しだけ離れると、壁にもたれかかっていた夫が私の方を見た。


「・・・朱音?お前、どうしてこんな所に・・」


知らない男性に名前を呼ばれたような違和感に青ざめていく。

声にならない声で私は口を両手で抑えると、信じられないと言うような表情で、私は大きく目を見開いて数秒間・・。


私はただ黙って動けなくなった身体をそのままにして夫と見つめ合った。


「えっ。奥さんなの!?やだぁ・・!!どうしよう!?」


 夫とさっきまで唇を重ね合っていた長い髪を緩く巻いた若い女性が困ったような表情で私を見ていた。夫と一緒に食べようと買い込んだ、ローストビーフとシャンパンが入った紙袋を道に落として散らばっていた。

拾い上げる気力もないまま、ただ私はその場から走り去った。


「あっ・・!!朱音、待てよ!!朱音っ・・違うって!!」


「何が違うのかな・・。最低だよ!!」


だって、口づけを交わしている瞬間が目に焼き付いて離れない。

見たものを鮮やかに記憶してしまう自分の特性を恨むように、自分の唇を強く噛みしめると血の味がした。


「朱音、待てよ!!・・おいっ、話を聞けって!!」

後ろから、大きな声で呼び止めらる声が狭い路地に反響していた。


寒さの中で呼吸は乱れ、息が上がる。

頬には熱い筋が流れていた。

私は振り向かずに、大粒の涙を零しながら勢いよく路地を出た。



大きな道に出ると数メートル先から猛スピードでこちらへ向かってくる自転車が見えた。急いで突っ込んでくる自転車を避けようと、小走りで向かえ側の側道に渡る横断歩道に出た瞬間のことだった。


  バッパァァーーッッ!!!! 


「危ない・・!!」見知らぬ誰かの声が耳に響いた。

眩しいライトに照らされて両目が眩む。

私の目の前には、大きなトラックが視界一杯に広がっていた。


「いやっ!!きゃぁぁぁああぁ・・!!!!」


身近で鈍い音を拾った瞬間、全身に痛みが走る。

・・・頭は白く意識が濁っていく。


――嘘でしょう?

一体、何の冗談なの???このまま、私は死んでしまうの


こんな誕生日最悪じゃない・・!!

家庭環境に悩まされ、特性に苦しんできた。


私が生まれて来た意味って、何??

私の選んだ選択は全て間違っていたの?


二者択一で選んできた。

生きるために選んだ選択の全てがここに繋がって、ここで終わる。

結婚も、人生も・・・。


全てが・・間違いだったの?



――――次の瞬間

私は虹色の眩しい光に包まれた。




 

――――「・・・・嬢!?」


横たわっていた大きな木の幹から身を起こした。


「あ・・。あれ!?私・・。夢を見ていて・・。」


私は目の前の光景を見て驚いた。

さっき見ていたコンクリートに囲まれていた世界とは違う世界・・・。

天使の絵画から出て来たような男の子が心配そうに私を覗き込んでいた。


「・・・どうしたの??こんな所で一人でいて大丈夫???」


前世の自分の最期を思い出し、冷たくなった指先にぶるっと身震いをした。

長いミルクティブラウンの髪が乱れ息を荒く乱していた。


「あ・・・。カイル殿下??どうしてこんな所に・・??」


「婚約が決まったアデレイド嬢にご挨拶の為に貴方のお屋敷に伺う所でだったんですよ。馬車から外の景色を見ていて、グラディアス邸の手前にある丘の木の下に、君が気持ちよさそうにうたた寝している姿が目に入りました。・・驚いて、馬車を止めて降りたんです」


「あっ、私ってば・・。カイル様の前ではしたない姿をお見せしてしまいました・・!!どうもすみませんでした!!」


「いいえ。妖精のように可愛らしい寝顔でしたよ。・・あの、頬に涙の痕が・・。白昼から悪夢でも見たのですか?」


 ぺこりと下げた頭を戻した瞬間に、カイルが雪のように真っ白い頬に零れ落ちた涙に気が付いてそっとその雫を拭った。

 未だに身体の感覚をまだ取り戻すことが出来ていなかった私は驚いてカイルから少しだけ距離を取って震える瞳で黙って見上げていた。


カイルは、傍に控えていたエリオスに視線を向けると、私の小さな手をそっと掴んだ。何が起きているのか、不安そうに見上げていた私の頭を優しく撫でた。

私より少しだけ大きな手で私の右手を掴むと、私の背中をそっと支えて歩き出した。


「さぁ、お姫様・・。僕とお邸に戻りませんか??ここにいたら、今にも可愛らしい貴方が夢魔に連れて去られてしまいそうで心配ですから」


 カイルが優しい瞳を細めて微笑むと、私は無言で頷いた。

太陽に反射をするように輝きを放つ金色の髪と、大きなサファイアの瞳を持つ天使のようなカイル殿下は、私の姉であるアデレイドと「イムディーナの誓い」を交わしたのだと聞いた。

 何故か長い間・・。宣誓を頑なに拒んでいたとも噂されていたカイルが漸く重い腰を上げて宣誓をしたことで、ラグラバルトの社交界はその話題で持ち切りになっていた。

 私は、カイルの温かい手にひかれて邸に帰った。時折、視線を合わせて微笑むカイルの笑顔と手から伝わる体温にさっきまでの不安が少しずつ消えていった・・。

 邸でに着くと、カイルの到着を今か今かと待ち詫びていたアデレイドに、カイルと手を繋いで帰ったことを眠りに落ちるまで責め続けられたのを覚えている。



あの日事故にあった私は、幼少から身体が弱く寝たりきりの人生を過ごしていた10歳の辺境伯令嬢エメリア=グラディアスに転生した。

死の淵から生還し、健康体になった私は邸近くでうたた寝をしていた。

その夢の中で前世の記憶が再生されていた。


私が転生した世界は、昔のヨーロッパの貴族社会のような世界だった。

違いがあるとすれば、とんでもない特権階級に有利な法制度が敷かれた法治国家であること・・。この国では10歳までに王侯貴族は親から婚約者を合法的に宛がわれてしまう「イムディーナの誓い」と言う婚約の宣誓があった。


 決められた相手と結婚し、特権階級を更に盛り立てて排他的に平民との区別をつけるカースト制のような厳しい上下関係のピラミッドで縛られていた。

 王族に嫁いだ経歴がある辺境伯爵家のグラディアス家は、父であるディヴィット=グラディアスがこの国の法曹相の地位を任せられていた。


 身体が弱く、10歳になっても婚約が結べない状態だったエメリアだったが、転生して健康的に動くことが出来るようになった11歳の誕生日が来る数日前にノアとの婚約が定められてしまった。

 前世のトラウマから、愛していた人に裏切られた悲しみをそのまま引き継いでいるエメリアは将来的に婚約者との結婚が決まっている未来を知り、絶望感で一杯になった。

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二者択一なので婚約破棄のために同盟に入りました!! 館花藤耶 @Toya0323

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