第2話 オタクくんは庶民感覚がまだ抜けない

「オタクくんさぁ……せっかく異世界来たのにまだ周りに遠慮してるよね? もっと積極的に俺TUEEEEEしていかなきゃ」

「そーそー、こっち異世界の都合とか遅れた倫理観なんて現代人の感覚でぶったぎってかねーと、テンポ悪いんだって!」

「立場にはそれなりの振る舞いってのがあんじゃん? オタクくんだって王様にちょりーすとかいきなり距離詰められたらビビるべ? それと一緒で普段からもっと勇者み出してこ?」

「ってわけで、貴族と繋がって後ろ暗いことやってる奴隷商。証拠抑えてピックアップしてきたから」

「「「摘発ウェーイ!!!」」」


「待った、途中からおかしい。順を追って説明してくれ」

 チャラ男たちに呼び出された王城の一室で、話を聞かされた優生ゆうきは頭を抱えた。

 とうの三人は「意外なことを言われた」みたいな表情で顔を見合わせるとやれやれと肩をすくめる。

 あんまりな憎たらしさにぶん殴ってやろうかと優生は思わずこぶしを握る。

「ウメ」

「うぃ、はいこれオタクくんが奴隷の扱いの惨さを嘆いてる証拠映像な!」

「タケ」

「んでこれがオタクくん宛ての請願に入ってた奴隷にされた身内を助けてくださいってのを見て唇をかんでるところ」

「いつ撮ってんだよ、なに撮ってんだよ……」

 恥ずかしがるべきか怒るべきか、それよりもこんな日常の一場面でタイミングよく画像を残すチャラ男たちのストーカーっぷりにおののくべきなのか。

 着地点を決めかねつつも優生はひとまず抗議の声をあげた。

「でも、だからって僕が首をつっこむことじゃないだろ」

 この地ではいまだ奴隷制が公に認められている。

 それは現代日本で育ってきたものからすれば、中々受けれがたいことであったが、それでも法は法である、というのが優生のスタンスだった。

 また、これも日本と比べれば貧弱で遅れたものではあるが、司法の枠組みも存在しているのだ。

 特に王都は王に任命された首長に属する王都警備隊が警察組織の役割を果たし、選抜された文官たちが判事を務める、最も体制が整っている地域だ。

 個人的感情以外に介入すべき余地はないように思える。

「色々気にならないって言えば嘘になるけどさ、だからって何をしてもいいわけじゃない。それにちゃんと証拠があるんなら警備隊の人たちに任せれば……」

「はいドーン!」

 苦々しい思いで発した言葉を遮られ、イラっとした優生がにらむと青梅がヤベと呟いて赤松の後ろに隠れた。

「まぁ、ことはそう単純じゃないんだよね」

 言って赤松が視線をやったのは同席していた王都の文官だ。

 三十を過ぎたくらいの、いかにも切れ者と言った風貌の男だった。

「ミヤケ様もご存じとは思いますが、わが国で貴族が絡む犯罪を正しく裁くためにはより高位の、そしてより多数の貴族の協力が必要不可欠です」

「それはまぁ、分かります」

 真偽はどうにせよ権力者が罰を逃れているという話は優生たちの故郷でも現代でさえ話にあがっていた。

 過去において時に権勢が法に優越したのは事実、ゆえにこの地でそれがまかり通っているのを理不尽だとか、手落ちと責める気持ちはない。

「とーこーろーがー?」

 そこへ何故かドヤ顔で白竹が言葉を継いで、またイラっとさせられる。

「こと奴隷に絡むとなれば公正な方であっても軽々に動けません、それは王族であってもです。下手なつつき方をすれば国が割れかねない」

 これもまたわかる話だ、奴隷の存在はその所有者に大きな利益を生む。

 その扱いに適法も無法もない、という者たちへの干渉は自らの権利が不当に犯されたとの反発を生むだろう。

 穏便に奴隷を扱っているものにしても、やがて自分たちにとって不利になるかもしれない流れができるのは面白くないはずだ。

 そして多数の権力者にとって奴隷制は有益であり、制度に疑問をもつ者でもその多くが社会悪として受け入れざるを得ないのが現状なのだ。

「くわえて証拠があろうとも、兵を揃え、お偉方に納得して頂き協力を仰ぐ……それでは機を逸してしまう。秘密を漏らすものも出てくる。せっかく御三方が集めてくださった情報も我らだけでは十全に生かすことができんのです」

 悔しげに言ったのは、優生も顔見知りである王都警備隊の総隊長だった。

 激務による気苦労からか髪に白いものが混じっているが実際の年齢はまだ三十代で、剣の腕は従勇騎士団団長のシャノンに並び、その見識の深さは王宮図書館の司書も務まるとされる文武両道の傑物だ。

「理屈は分かりますけど……」

 こうも言われれば自分の名前が必要であり、有効なことであるというのは優生にも分かる。

 だがやはりかつては平凡な高校生であり、異世界に来てからは自身を鍛えることに重きを置いてきた身としては体制に関わる問題と聞くとしり込みしてしまう。

「……オタクくん、こっちって十五歳から飲酒してるけどそれってどう思う?」

 そこへ、唐突な質問が赤松からきて優生は首をかしげた。

「え? 医学的にどうとかは知らないけど、こっちではそれが決まりなんだからいいんじゃないか? 地球でも地域によって違ったし……」

「じゃあ、大きな法律とかは王様とか領主に決定権があるじゃん? そっちはどう? 議会とかのミンシュシュギしてないけどさ」

「いや、それもだってそういう社会なわけだろ? 何が言いたいんだよ」

 迂遠な物言いにやや不貞腐れた態度になった優生にかまわず、赤松は腕組して分かったような顔を浮かべる。今日イチでイラっときた。

「オタクくんさぁ、最初に言ったけど自分もなんだってそろそろ理解したほうがいいよ。オタクくんは勇者で、権力者なんだよ」

「それな。ようはこっちだと偉い人が正しいか正しくないか決めていいわけっしょ? まぁ程度によるしても、今回はとくにガチの悪者相手じゃん?」

「ちゃけばオタクくんが悪党に我慢して遠慮する必要ねーみたいな? むしろぶっちめるのが社会正義の実現ってやつじゃね?」

「ぐぬ」

 三人に畳みかけられて思わず優生は唸る。

 振り返ってみれば青梅と白竹は優生と同じ可もなく不可もなくの成績で、赤松に至っては学年上位だ。

 軽薄な言動に惑わされがちだが、地頭は寧ろ優生が一番悪いまでありえた。

 総隊長と文官もしかりといった表情で頷いているように『例の御三方』とはなにも悪評や揶揄する意図だけではない、敬意も含まれた呼び名なのだ。

「――過去に、体制に不満を抱いた勇者に出奔された国は数例御座います、我々としても、気に入らぬものは気に入らぬと時には言っていただいたほうが安心できますね」

「我が国にミヤケ殿の武や義を疑う兵はおりません。ついて来いと言ってくだされば王都警備隊も従勇騎士団には負けぬというところをお見せできるでしょう」

 そうしてこちら側の地位も経験もある大人にこうまで言われれば、もはや否もない。何もしたくもないことをやらされるのではない、やりたいけれど、していいものかわからなかったことなのだ。

「――分かった、行くよ。悪い奴隷商をとっちめて、まずそこの人たちを助けよう」

 言葉にして優生は自分があれこれと考えすぎていたことを悟る。

 どうせ奴隷のすべてを助けられるわけではないのだから、とかそれはまた別のことなのだ。一度に何もかもを解決する方法を、なんて絵空事に拘っていれば見えるものも見えなくなるのは当然だった。

 自分でなければ助けられない人たちがいて、自分はそのための力になりたい。ただそれだけの話で、気づかせてくれたのは級友たちだった。

「サンキュな、チャラ男たち」

 けれど素直に認めるのは少し照れくさくて、敢えてひとまとめによびかける。

 三人はそれに気を悪くした素振りもなく親指を立てて答えた。

「じゃあ助けた女の子に、貴方の奴隷にしてくださいって言ってもらおうな!」

「かーらーのー?」

「夢のご主人様生活―?」

「「「ウェーイ!!!」」」

「台無しだよ!」


 ◇


 王都、余人は知らぬ地の底にすり鉢状に掘り抜かれた空間があった。

 最下層には円形の舞台があり、それを囲み見下ろすように半円状に席が設けられたその形状は古くからの劇場によく似ている。

 明かりは最低限で、そこかしこの暗がりからときおり嬌声が聞こえてくる。

 そんないかがわしい空気にふさわしく、ここで繰り広げられているのは華やかな劇や歌唱とは違う、生々しく酷薄な催しオークションだった

 今しもその主役として最下層の舞台に引きずり出されてきたのは半裸の娘だ。

 笹の葉のように尖った耳を持つエルフの少女は、そこだけははっきりと光に照らされた舞台上で屈辱的な姿勢を強いられ、無遠慮に値踏みする視線にさらされている。

 悪趣味な出し物を見つめる観衆の姿は様々だ。

 老いた者がいて、まだ年若い者がいて、男がいて、女がいる。

 きらびやかな服を纏ったもの、その従者らしきもの、胸元が大きく開いたドレスをきた女、鎖に繋がれ這うことを強いられた奴隷、そして上品な仕立てがかえって悪趣味を引き立てる競売人たち、共通しているのは臭いだった。

 酒、煙草、白粉、性交、芥子、そして暴力――それらが交じり合った、甘く腐ったような退廃と悪徳の臭いがここにいるものたちからは漂っている。

 心あるものであれば眉を顰めるようなその臭いを、誰も隠さない堕落の空間。

 奴隷たちの悲哀と悲憤で彩られる催しは、永遠に終わらぬかに思われた。

 だが今日この日、ここにわだかまる闇よりもなお暗い刃が時ならぬ光を導く。

 ゴウン! と音を立て両開きの重々しい扉が斜めに裂かれてずれ落ち、前に立っていた哀れな見張りを巻き込みつつ内側へと倒れた。

 闇に慣れた目が潰れそうなほどまばゆい光が場内へ差し込む。

 何事だ、と声が上がるなか黒刃を構えた少年が最初の一歩を踏み入れた。

 その脇を抜けて魔道具の照明を携えた鎧姿の兵たちが場内へなだれ込んで来る。

「全員、その場を動くな!」

 先陣を切る者たちはすでに剣を抜いていた、室内の取り回しを考えた短い刃だ。

 王都警備隊、と声が上がる。

 ただ、これほど後ろ暗い場所にいながらも、取り乱した声をあげるものはほとんどいなかった。

 明らかに自らの身が保たれることを疑わない、ふてぶてしい振る舞いだった。

「特命である! ここには違法な奴隷の売買が行われている嫌疑がかかっている! 逃亡、抵抗すればそれと知りながら加担した者とみなす!」

 さらに兵が発した「特命」の言葉を聞いて、一部の者たちの空気が緩んだ。

 こうして警備隊が実際に踏み込んできた以上、多少の物証と命を発した何者かの後ろ盾はあるのだろうが王直々の勅令でなければ横車を押す余地は残る。

 いや、保身だけでは済まさない。

 幼稚な正義感を振りかざした愚か者にはかならず灸をすえてやろう――

 だが次の言葉でそんな余裕も霧散することになった。

「なお、この命は勇者であるミヤケ様より下されたものである! 心せよ!」

「なにぃ!?」

「馬鹿な! なぜ勇者がこのようなところに!?」

 それは勅令と聞かされるよりも衝撃的な言葉だった。ざわざわと一気に場内が喧噪に包まれる。

 勇者は王権とはまた異なる高みにある存在だ。

 その行動に多少の制限をくわえることは出来ても、一度動き始めた勇者を止める権利は王でさえも持ち合わせない。

 悪と断じられてしまえば、のちにどれほど勇者の立場が悪くなろうとも我が身の破滅の方が先に来る。そんな天災にも似た存在なのだ。

 それを前に、後ろ暗い者同士の連帯など期待できるはずもない。誰もが裁かれるのが自分でなくて良かったと胸を撫でつつ嵐が去るのを待つだろう。

「おうおう、イキってられたのも今日までだからな、特権階級エスタブリッシュメントー!?」

 一気に進退極まった観客たちに軽薄な声が追い打ちをかける。

「俺らのバックにはオタクくんがついてンだぞオォン!?」

「僕が黒幕だっていうなら矢面に出さずに後ろに控えさせてくれよ……」

「まぁまぁビシッと決めるとこだぜ、オタクくん」

 身長差のある少年二人に押し出される形で、扉を切り裂いた少年が溜息をつきつつ警備隊がつくる輪の中へと進み出た。

 劇場の一番高い場所から全員を見下ろして、優生は硬い表情で声を張る。

「大人しく従ってください、疑わしきは罰せず、公正な裁きを約束します。ただし、ここからは誰も逃がしません」

 救国の英雄、歴代最強の転移者、敗れざる者。

「――勇者の名にかけて、絶対に」

 勇者ミヤケの宣言でもはや逃れられぬ破滅を悟った者たちがその肩を落とした。


 ◇


 ――これは、案外あっさり片付きそうかな?

 勇者の名と武勇は優生自身が思っていたよりも重いものだったのだろう。

 客も競売人たちもほとんど抵抗することはなかった。

 すでに青梅の術によって隠し通路がないことは判明しており、唯一の入り口は警備隊の精鋭ががっちりと固め、地上も白竹によれば問題なし。

 ふぅと息を吐き優生は故郷の映画館を思いださせる暗い階段を下っていく。

 優生は突入してきた中で最も重要な人物だが、同時に他と隔絶した力を持つ個人戦力でもある。

 先陣を切ることに異論の声は出ない。

 念のためにと影の刃を構え左右を警戒しながら舞台へと歩を進める優生に対し、悪徳の使徒たちはそれを避けるような動きで階段を昇っていく。

 はち切れそうなお仕着せに無理やり筋肉を押し込んだ大男も、明らかに暗殺の技をおさめているらしき隙の無い動きの小男も、誰も優生には手を出せない。

「ミヤケ殿」

 気づけば舞台のそばまで来ていた優生にぴったりと後ろについてきた突入部隊の一人が外套を放って寄越す。

 ん? とそれを受け取って首をかしげると彼は舞台を指し示した。

 振りむいた優生は「あ」と阿呆のように口を開ける

 そこでは申し訳程度に体を覆う布を身にまとっただけの美しいエルフの娘が繋がれたままになっていたのだ。

「――ええと、そのまま動かないで」

 キィン! と甲高い断裂音のあとには彼女を縛っていた手枷は両断され足を繋ぐ鎖は根元から断ち切られていた。

 信じられない、と言った様子で手足と優生を見比べる娘に外套を放って渡し、ここは何か声をかける場面だろうか、と視線をあげた。

 舞台照明のように強い光を放つ魔道具が天井に並んでいる。

 まぶしさに目を細めたその刹那。

「――ごっめ、オタクくん! そこの下なんかいるわ!」

「なんかってなんだよッ! この……!」

 青梅の雑な警告に文句を返しながらも、鍛錬を重ねた優生の身体はすでにそれに反応していた。

「きゃああああああッ!?」

 娘を抱えて飛びのいたその直後に、舞台の床が爆発したように天井へ向かってはじけ飛ぶ。

「オオオオオオオオオ!!」

 木片と礫の雨が降る中、現れたのは艶の無い肌をした筋肉質な大男だった。

 舞台の周辺に、にわかに薬品と腐肉の臭いが漂い始める。

不死者アンデッドか!?」

「いえ、肉人形フレッシュゴーレム……でもないか、なんだコイツ。この感じ」

「いや変態じゃね?」

「変態っしょ」

「どうみても変態だろその衣装」

 警備隊員と優生が身構える中、のんびり野次馬気分でやってきた級友たちがのんきな声をあげる。

「ちょっと黙ってろよお前ら! 僕も少し思ったけどさぁ!!」

 男の体を覆っているのは革製のぴったりとした衣装で、優生たちの感覚で言えばSM用のボンデージに見える。

 しかし奈落のような空洞が恐らくあったのだろうとは言え、舞台の床を下から砕く膂力、そこから飛び出してきた身体能力は侮れない。

 手に持った長く幅広の刃を持った大鉈も、飾りではないだろう。

「抵抗するなら、力で制圧させてもらうけど」

 周囲の人間に離れるように手で示しつつ、優生は男から視線をそらさぬままに告げる。死臭をまとった大男は、ごろごろと不気味な音を立てる。

「やれるものなら、やってみろ勇者」

「アルゴ! やめろ! 今更ことを荒立てるな!」

 どうやら笑ったようだった大男は、舞台袖に残っていた競売人の声に不快そうに鼻を鳴らした。

「フン、勇者がなんだというんだ腰抜けど――ッ!?」

 最後まで言わせずに優生は盛り上がった男の左肩を無造作に殴りつけた。

 冗談みたいな勢いで宙を吹っ飛んだ男が、そのまま舞台脇の壁に激突してビチィ! と重たい音を立てる。

「……で、でたー! オタクくんの『非致死性必殺技ノン・リーサル・フィニッシュ・ムーブ肩パン』だーっ!」

 シンと静まり返った地下で最初に声をあげたのはやはり青梅だった。

「おうおう、死んだわアイツ」

「そうならないように肩殴ってるんだよ、あと青梅はソレ矛盾してるからな」

「まぁあれで顔とか腹とか殴ったらフツー死ぬよな、肩でも死にそうだけど」

 だが正しかったのは優生の見立てだった。

 壁でひしゃげたかに見えた男は、身を起こし口から歯を吐き出してうめいた。

「ぐぐ、これが勇者の≪天稟ギフト≫か、驚くべき剛力……だが錬金術と死霊術の合作である我が体は耐えきったぞ、使えるのはあと何度だ?」

 天が与える人の身には余る力、≪天稟≫。

 一見すれば中肉中背の少年にすぎない優生の打撃が、それによるものだと男が判断したのは無理もない話ではあった。

 しかし、実際にはチャラ男たちが「ないわー」と肩を竦める通りにその見立ては間違っている。

「悪いけどさ、≪天稟≫なんて使ってないよ」

 ――転移者とはそのままでも類まれな強者であり、比類なき英雄となれる可能性を秘めた逸材でもある。

 そうしてそれを真に担保するのは故郷であればチートと呼ばれたであろう≪天稟≫などではなく、純粋な肉体の強さと魔術への親和性だ。

 臆病なほどに慎重、それ故に鍛錬と研鑽を欠かさなかった優生は、結果ほとんど≪天稟≫に頼ることなく国難を退けられるほどに己の力を高めた。

 それゆえの不敗、それゆえの歴代最強。

 驚愕する時間も与えずに、一瞬で男の前まで詰め寄った優生が拳を振るう。

「僕がただあんたよりずっと強いだけだ」

 鈍く湿った肉を叩く音が響き、今度は右の肩を砕かれた男が先とは反対側の壁に叩き込まれる。

 ベッチャ! と先よりも低い潰れる音が上がり、文字通り身を半分ほど壁にめりこませて男は動かなくなった。

「アメコミとかでたまに見るな、こういうの」

「っべーわオタクくんちょっと容赦なさすぎでは? ひくわ」

「え、なにこれ怖……怒らせんどこ」

 流石にやりすぎたか、と自分でも思うだけに三人のおふざけにも突っ込めない。

 しばし首痛い系男子になって右手で首筋をさすっていた優生は、ふっと舞台から助け出した後取り残されていた娘の存在に気付いた。

 図らずも目の前で凶行に及んでしまったが、幸い失禁などはしていないようで、それでも腰が抜けたかうずくまったまま立ち上がらない。

「ごめん怖がらせて、でももうだ――」

 大丈夫だ、と告げようとして優生は本当にそんな見通しがあるのか、果たしてこの少女にはちゃんと帰る場所が残っているのかと悩んでしまった。

「――ええと、これ以上、悪いことにはならないと思うからさ……多分」

 結局、口から出てきたのはそんななんとも頼りない言葉で。

「……ありがとう、ございます?」

 しどろもどろの勇者に、エルフの娘もまた困ったように頷いた。



 ――失敗した。

 三人に言われたように助けた奴隷の子と~などと期待していたわけではない。

 ないのだがそれでも勇者としてはなんとも締まらなかったな、と自己嫌悪で重い足を引きずって自室の扉を開けた優生を明るい声が迎えた。

「お帰りなさいませ、ユーキ様! ご飯にします? お風呂にします? それとも――う・ち?」

「微妙に語呂悪いね……ただいま、ケイトさん」

「はーい、お荷物お預かりしますねっ」

 元気よく出迎えてくれたのは側仕えのメイドの一人ケイトだった。

 亜麻色のセミロングを二つ結びにして、猫を思わせる瞳は明るい茶。

 顔立ちはメイドの中でもっとも日本人に近く、表情豊かで、小さな体でぱたぱたと駆け回る姿はちょっと小動物っぽい。

 正直、ときおり振る舞いにあざとさを感じないでもないが、それも愛嬌と受け入れさせてしまうところがあった。

「そういえばユーキ様、新作のお菓子を頂いたんですけど、ご飯の前でも大丈夫ですー?」

 メイドが寝室で着替え中の主人に大声で問うのは、おそらくマナー違反なのだろうが、優生としてはその気安さがかえってありがたい。

「んー、沢山じゃなければ大丈夫かな」

「じゃあご用意しますねっ」

 そうして寝室から居間へ戻った優生を迎えたのは、香り立つ珈琲とグラスに無造作に差し込まれた棒状のプレッツェル菓子だった。

ブランチって名前がついたんですけど、ユーキ様たちの故郷にあったものを真似たんだとか」

「わ、懐かしいなあ、味付けはバター?」

「さて、それは食べてからのお楽しみのほうがよろしいでのは?」

 小首をかしげて小悪魔っぽい笑みを浮かべるケイト。

 実にあざといと思いつつ優生が手を伸ばすと脇からそれがかっさらわれた。

「せっかくですから、うちが食べさせてさしあげます」

「あ、そう?」

 まぁ形状的には向いているし、まさか喉につきこむような悪戯もしないだろうし、と優生が大人しく待っていると、ケイトは菓子を二度三度振った。

「ところでぇ……」

 つつーっと形をなぞる様にゆっくりと人差し指を動かし(実際は少し浮かしているが)、先までいったところでこねくり回すような無駄にエロいムーブを見せて、メイドは微笑む。

「……ユーキ様たちの故郷ではこういったお菓子を二人で端からかじりあい、キスの主導権を奪い合う遊びがあるとお聞きしたんですが?」

「――誰に聞いたの、微妙に間違ってるし」

「お菓子を見たオウメ様がきっと喜んでユーキ様が遊んで下さるって」

 例によってチャラ男の陰謀だった。

「青梅ェ! ほんっと良くないぞそういうのは!」

「まぁまぁ、いいじゃないですか、ね。うち一度やってみたいんです!」

 そうして小悪魔っぷりをいきなり引っ込めて、子供のように瞳を輝かせてケイトは菓子を咥えた。

「いやいやいや」

 ようは最後まで行かなければいい。途中で折ってしまえば大丈夫さ。

 そんな悪魔のささやきが脳内でぐるぐると木霊する。

んーひんふユーキさま?」

 ぴこぴことお菓子を動かしながら、ケイトが上目遣いで「はよ」とねだる。

 威力は、正直絶大だった。童貞特攻だった。

 ――僕は、弱い。

 苦悩に顔を歪めつつも、ふらふらと吸い寄せられるように優生はケイトのすぐ隣へと座りなおす。

「んふ」

「かわいい」

 明らかに狙っているとわかるのに、目尻を下げて嬉しそうに笑うケイトに思わず脳が直で言葉を垂れ流す。

 人はなぜキス待ち顔に抗えないのか――そんなことを考えながら、優生は禁じられた遊び〇ッキーゲームに興じるべく菓子に口をつける。

 そうして開幕即でへし折るヘタレムーブを繰り返し、ケイトの機嫌を大いに損ねるのだった。

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オタクくんは大忙し! 小宮地千々 @chiji-Komiyaji

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