オタクくんは大忙し!

小宮地千々

第1話 オタクくんはオークになんて負けない

「――ウェーイ、オタクくん見てるー?」

「今俺たちはー! なんと百匹くらいのオークに追われてまーす! 聞こえっかなー、このスゲー鳴き声!」

「さっきから連中アガってるから、追いつかれるとマジでヤバイな」

「だそうでーす! だから手遅れになる前に早く来てねオタクくーん!」

「「「ウェーイ!!!」」」


「最後に小声で『助けて』って入ってたぞ……」

 映像を再生したオタクくんこと御宅優生みやけゆうきは、級友たちの毎度の愚挙に通信の魔道具である水晶玉を取り落としそうになりながら深くため息をついた。

「はぁ……」

 そうして自分と同じく振り回された被害者たちを振り返る――すなわち救国の勇者ミヤケに付き従う従勇騎士団百余名を。

 彼ら忠勇の士たちは、大きすぎる力をもってしまった優生自身の手となり足となる「力」であるとともに彼の動きを監視・制御する意味も持つ「鈴」でもあった。

 人外の力を持つ勇者一人ならいざ知らず、どれほどの精鋭であろうとも百騎の行軍を最初から最後まで隠蔽しきるのは不可能な話である。

 普段から王都外での活動には同道を命じられている彼らは、こうしてことあるごとに級友の引き起こした厄介ごとに優生ともども巻き込まれている。

 なんとも申し訳ない気持ちになりつつも、優生は現実に目を向けた。

「――それで、チャラ男たちがあそこに逃げ込んだのは間違いないですか?」

「はっ」

 文字通り馬に鞭打って行軍してきた先に広がっていたのは小さな山だ。

 緑に覆われた、普段は静謐に満ちているだろう山からは今は耳障りな鳴き声がひっきりなしに響いてきている。

 それはもはや戦場のような――否、確かにそこは今戦場と化しているのだ。

 言葉を信じれば百を越えるオークが、わずかに三人を狩り立てる戦場に。

「シロタケ殿からの連絡によりますと近くの集落へ向かわぬよう、こちらに誘導してきたとのことで」

「それは偉いけどなあ……でもここって、多分地元の人が入ってますよね?」

「お察しの通りです。この規模の山ですと狩りや山菜取り、薪拾いや炭作りと近隣住民の生活に深く根差しておりますな。今回はオウメ殿が不在を確認した上での誘導と聞いております」

「そこも偉いけどなあ……でもそうなるとあんまり山に被害もだせないか、大規模攻撃術式なんて使おうもんなら回復に何年かかるか……」

「百からのオークが踏み込んだとなると、行軍ついでのつまみ食いですでに荒らされているとは思われますが」

「まぁ、それでもそこにさらに被害を上乗せするわけにもいきませんよ」

 詰んだな。

 小さく呟きつつも優生は念のために確認する。

「団長さん。今から山に入って出来るだけ急いだとして、オークより先にあいつらと合流って可能ですか?」

「残念ながら先行された以上、兵の犠牲を覚悟しようとも難しいかと。それに奴らは鼻が利く、魔道具頼みのこちらより御三方を見つけるのも早いでしょう」

「ですよね」

 打てば響くような団長の答えに優生は頷く。

 どちらかと言えば聞きたくない事実の確認になったが、耳障りの良さに拘って現実に即さない答えを返す相手よりはよほどいい。

「――先に僕が一人で合流してあいつらを守ります。皆さんはオークのせん滅を優先してください、僕らのことは心配せずに打ち漏らしがないように」

 わずか百のオークを相手に勇者と従勇騎士団が赴くせっかくの事態だ。

 作為を感じないでもないが――後顧の憂いを断っておくに越したことはない。

 群れをまるごと一つ潰せたなら、おそらく一つの地域で年単位の安定が望める。

「承知いたしました、しかし友のために身一つでオークの群れに挑もうとは流石の豪勇でございますな」

「……まぁ、別に僕一人で全部倒さなきゃいけないわけじゃないですしね、それにもし危なくなったら三人連れて逃げますよ」

「それもまた優秀な兵の条件ですとも」

 もしなど起こりえないだろうに本気の顔で言う優生に、団長は苦笑を浮かべて了承の意を伝え、馬首を巡らせた。

「皆、聞け! 御三方の元には今からミヤケ殿が行かれる! 心配は無用! 我らは馬を下りて山狩りだ! 一匹たりともオークを逃すな!」

「おう!!」

 百名を越える騎士たちの大音声に思わず優生はびくりと肩を震わせ、それをごまかす様に馬から下りて軽く屈伸運動を始めた。

「ミヤケ殿、こちらを。針はアカマツ殿にあわせております」

「ありがとうございます」

 団長が放ってよこしたのは羅針盤によく似た魔道具だ、これはあらかじめ指定された人物・物品の場所を示す機能を持っている。

 そうして現在針は確かに山の、それも頂上の方を指していた。

「ご武運を」

「ええ、団長さんたちも。あいつらも自分たちの勝手でけが人出しちゃバツが悪いでしょうし」

 いやしくも勇者のそばを許された騎士たちである、馬が無かろうと山野だろうと構えて挑めばオークだろうと問題にはならない。

 ことによっては侮辱ととられかねない発言だったが、優生のそれが騎士たちの力を侮ったからではなく、人の好さからであることを知る団長は冗談で返した。

「心しましょう……聞こえたな? 下手を打ったものは御三方に三日は煽られると思えよ!」

 騎士たちからも「あれはキツイ」とか「壁を殴った古傷が痛む」と声が上がる。

 煽られたことがあるのか……と級友たちの傍若無人っぷりに改めて戦慄しつつ一歩を踏み出した優生の背に、団長の声がかけられた。

「ミヤケ殿! 無事お帰りになられたら戦勝を祝して一晩つきあっても構いませんぞ!」

「お気持ちだけで結構です!!!」

 振り返らないままに優生は即座に叫び返した、本気で言っているのが付き合いで分かっているからだ。

 従勇騎士団団長シャノンは二十代半ばという若年にして勇者直属の騎士団団長に任ぜられた才覚と美貌で知られる「男性」だった。



 時ならぬ戦の気配に満ちた山中を行く三人の人物がいた。

 道なき傾斜をなんとか登っていくのは、「例の御三方」とか「勇者殿の困った学友」など呼ばれる優生の同級生だった。

 すなわちチャラ男たちこと赤松、白竹、青梅の三名である。

「……なぁなぁまっちょん、タケやん。オタクくんちゃんと来てくれっかなあ」

 最も背の低い童顔の青梅が、地表に露出した木の根に苦労しながら問う。

 そこへすっと大きな手がさし伸べられた。

「そっちは心配ねーべ、オタクくんは来るっしょ」

 ぐいっと小柄な青梅を引っ張り上げたのは長身の白竹だ。

 立派な体格と濃い顔立ちもあって青梅と並ぶとちょっと同級生には見えない。

「タケもウメもだべってないで急げ、問題はオタクくんが来るまで俺たちが持つかどうかなんだからな」

 先行する赤松が、厳しい目で斜面を見下ろしながら警告する。

 かつては学年で一、二を争うと評された中性的な美貌は、響き渡るオークたちの鳴き声に不快そうにしかめられていた。

「大分近いな……ウメ、オタクくんの位置は?」

「ちょいまち、クソッ、こんだけ多いとなあ……んー、まだ、とおいっぽ?」

「俺もダンチョたちに連絡しとくわ、ぼちぼちやばいでーっすって」

 青梅が得意とするのは探知・感知系の魔術で、白竹は通信の術が得意と二人そろえば有能な偵察班なのだが、いかんせん身の安全を担保する手段が今回に限り決定的に欠けていた。

 普段は赤松が得意とする幻影の魔術がものをいうのだが、相手はオーク。嗅覚に頼られては精々遠目に位置をごまかすのが良いところだ。

 そして稼いできた時間も体力と数の差によって食いつぶされようとしている。

「っべー! まっちょん、これ俺ら見つかってるっぽ! 動きがこっちにむかってまっすぐだ!」

「朗報、騎士団登山開始した模様。オタクくんは一人でこっち来てるってさ」

「そっか……じゃあ動けなくなる前にここらで構えるか」

 異世界に来てからというもの、三人も兵士たちに交じって体を鍛えてきたが、今回の行軍はそれであってもハードすぎた。

 これ以上強行軍を続けていては最後に身を守る力まで振り絞ることになる。

「りょ!!」

 考えるのは赤松の仕事と任せている二人は声を揃えて了承を伝え、倒木を引きずり倒して障害を作り、投擲用の石や蹴落とす岩を見繕っていく。

「ウメ、横から回り込む奴は見逃さないように頼むわ。タケ、最悪もっかい山登りすっから逃げ道は確保しといてくれ」

「おけまるー」

「うぃー」

 気の抜けた返事とは裏腹に三人は手早く準備を進める、そうしてそれが完了しきらないうちに、赤松は木々の合間にのそりのそりと動く姿をはっきりと認めた。

「来たぞ」

「グウオオオオオアアアアアアアアアアアア!」

 ついに獲物を追い詰めたとでもいうようにオークたちが次々に吼える。

 白竹を二回りほど大きく、分厚くしたようなその姿は、三人の故郷で知られた豚の頭部をもつ亜人像からはかけ離れている。

 強いて共通点を探せば潰れた平たい鼻くらいで、隆々とした筋肉、鈍色の肌はトリロジー映画にもなった古典ファンタジーの異種族を思わせる。

 もっとシンプルにいえば「角の無い鬼」と呼んだほうが日本人的にはしっくりくる姿だった。

「うへぇ……」

 奴らが一歩を踏み出すたびに死が近づく。

 そんな物理的な圧力さえ感じるようなオークの鬨の声に誰かの喉が鳴った。

「よし、とりあえず岩を落として――」

 あまり引きつけ過ぎても速度が乗らずに威力が出ない、赤松の声にあわせて三人が自分たちの頭より大きな岩を蹴落とそうと足をかけた瞬間。

「グオアアアア!?」

 オークたちの統制が突如として乱れ、ふっと圧力が分散する。

 混乱は群れの後方で引き起こされた様だった。

 遠目に一抱えくらいありそうな球体のものがひとつふたつと宙を高く舞うのが見えた、そのたびに怒声とも悲鳴ともつかない声が上がっている。

 獲物を目前にしていた最前列のオークたちも、だんだんと近づいてくるそれを振り返る。

 そうしてすでに混乱の原因に思い至っていた三人はその隙を逃さなかった。

「落とせ!」

「りょ!」

「オサガリクダサイオサガリクダサイー!」

 蹴落とした岩は転がるうちに勢いを増し、その速度と質量で不意を突かれたオークたちの足元を薙ぎ払い、一つは跳ねた拍子に一匹の頭を直撃した。

 転んだものがまた別のものの足を払うドミノ倒しが巻き起こる、おそらく一匹二匹くらいは立ち上がれないものが出てくるだろう。

「スットラーイ!」

「いやいや何本か残ってるべ」

「スペア取りに行く? いっちゃう?」

 そんなオークのありさまにゲラゲラと笑い声があがるなか、後方で混乱を巻き起こしていた原因がついに姿を現した。

 地を埋めるオークたちの頭を飛び越えて、まるでサルかムササビのように木々の合間を跳んだ一つの影がオークとの間に降り立つ――もちろんそれは三人の良く知る人物だった。

「オタクくん!!」

 光を返さない漆黒の刃を携えた御宅優生が、オークの前に立ちはだかる。



 今しもオークを切り裂いた黒い刃は、優生が魔術で作り上げたものだ。

 実体があるのは握りしめた柄の部分のみで、刀身部分は影に刃の形を取らせただけにすぎない。しかしその刃はどんな名剣よりも鋭く、鈍ることもない。

 その世界を黒く塗りつぶしたように暗い刃がふっとブレた。

 ブウン! と蜂の群れが揃って飛んだような音があがる。

 刃を振るった優生の腕が動きを止めた時には、明らかに届く間合いではなかったにもかかわらずオークの首が三つ、宙を舞っていた。

 驚愕の唸りをあげ、鬼の群れが一歩を退く。

「で、でたー! オタクくんの必殺技『ダーカー・ザン・ナラクボトム奈落の底よりなお昏し』だ!」

「ちっげーよ『影と死の舞踏シャッテントーテンタンツ』だろ!」

 緊張感が全くない級友たちに、思わず膝が砕けそうになった。

「……普通に切ってるだけだし、勝手に変な名前つけるなよ」

「えー、じゃあオタクくんはそれなんて呼んでんの?」

「え、影の刃だけど」

「まんまじゃん!」

「ないわー、オタクくんそれはないわー、もっと勇者み欲しいわー」

 助けに来た相手にまさかの名づけにクレーム。

 流石にオークから目を離すわけにもいかず、振り返って抗議も出来ない。幸い騒いでるのは竹梅コンビだ、リーダー格の赤松がおさめてくれれば――

「じゃあ『BBBBrutal Black Blade』で良くね?」

 そこにそれまで沈黙を保っていた彼まで乗ってきて優生は心底げんなりした。

「たまに思うんだけど僕よりお前らの方がよっぽどオタクじゃないか?」

「あ、そういうのいいんで」

「オタクくんは魂がオタクくんだから」

「いいけど、俺らがオタクくんになったらオタクくんはどうすんの、かわりにチャラってくれるん?」

 三対一でかなうわけがないだろうとばかりにただの一言に三倍返しだ。

「わかったよ! もういいよ僕がオタクくんで!」

 なんだか心配して駆けつけてきたのが馬鹿らしくなって、ほっといて帰ろうかな、という考えがすこしだけ頭をよぎる。

「やーでももうやばばだったわ、オタクくんタイミング神すぎじゃね?」

「ほんそれ。ってわけでオタクくんあざーす!」

「ざーす」

 そこへ感謝の言葉が絶妙のタイミングで飛んできて、ふっと口元が緩んだ。

 狙っているのかいないのかわからないが、毎度のあげて落とすタイミング。

 僕もたいがいチョロいよな、と思いつつも優生は息を吐いた。

「……まぁ、せっかく残った三十三分の四だしな」

 そう当初異世界に転移してきたのは男子十七人女子十六人の計三十三人だった。

 同じ地に生まれ育ち、同じ高校の同じクラスに通った――今となってはもはや遠い夢のように思える背景を同じくした三十三人。

 だが今なおこの地にとどまり戦っているのはこの場にいるわずかに四人に過ぎなかった。

 静かな暮らしを望んだものがいて、どことも知れぬ場所で戦うものがいて、行方の知れないものがいて――もはやどこにもいないものたちがいる。

 例え強いられた選択であっても級友たちの道は分かれた、そんな中でいまでも行く先を共にしているのがこの四人なのだ。

 だから。

「今更、見捨てられっかよ」

 ぶっきらぼうに言った優生に、三人はそろって感激したような声をあげる。

「オタクくん……!」

「そうだよな! 俺ら334だもんな! 33-4!」

「青梅はなんでいつも『分』を省くんだよ……」

「惚れるわー、マジ俺が女だったらオタクくんと付き合ってるわー」

「白竹、それはモテないやつら同士で言うもんだから、お前だとイヤミだから」

「オタクくん、俺今日部屋の鍵開けとくから」

「赤松は時々ガチっぽくて怖いからやめてくんないかなぁ!?」

 優生が叫ぶとゲラゲラと楽しげに級友たちが笑う。

 そうしてその間に士気を立て直したのか、オークたちがそれをかき消すほどの咆哮をあげる。

 びりびりと身を震わせるような大音声に、表情を引き締めなおした優生は奥歯を噛んで耐えた。

「まぁ、とにかくさ」

 ――正直、今でも戦いの前には身体が震える。

 優生は慎重を通り越して臆病な性格で、戦えるようになったのは級友たちの中でも最も遅い部類に入った。

 だがそれでも今、勇者と呼ばれているのは御宅優生その人であり、歴代でも最強の転移者と呼ばれることに自負もあれば、矜持もあった。

「――あとは僕に任せてくれ」

「「「ヒューッ!!!」」」

 緊張感削がれるなあ、と思いつつ地面を蹴って、勇者と呼ばれる少年は頭二つ大きな鬼の群れへととびかかっていく。

 

 ――優生の突撃に恐慌をきたしたオークの群れが、後背をついた従勇騎士団の挟撃を受け壊滅するまでに要した時はわずか半刻にすぎなかった。


 ◇


「ただいま、わっ?」

 ビー! ビー! ビー!

 王城の離れに設けられた自室に戻った優生を迎えたのは、明滅する赤い光と耳をつんざくような警告音だった。

 すぐに異常を察したメイドのサラが飛んでくる。

「お帰りなさいませ、ユーキ様。何か魔道具をお持ちでは?」

「あ、そっか」

 言われて優生は昼に借りたままにしていた羅針盤型の魔道具を取り出した。

 それをひったくる様な勢いで受け取ったサラが部屋の外へと持ち出すと、ほどなくして光と音は止み、部屋に静寂が戻ってきた。

「……ユーキ様、以前お伝えしました通り、未登録の魔道具は用途の別を問わずに警報が反応するようになっておりますので……」

「ごめん、持ってるのを忘れてた」

 それは本来優生を守るための仕掛けだった。

 歴代最強とうたわれる勇者ミヤケを害そうと思えば、強力な魔道具は不可欠だ。

 その助けなくしては何者であろうと優生にとっては脅威ではない。

 ゆえにもっとも無防備になるであろう優生の自室には、未登録の魔道具が持ち込まれた際に警報を発するよう仕掛けが施されている。

 もちろん王城内、さらに人の立ち入り事態が制限されている優生の部屋にまさか狼藉ものが入り込もうはずもないが、そこまでする必要と価値を王家は優生に見ているのだった。

「次からは気を付けるよ」

 そこまでしてもらっているのに、当の本人がそれに無頓着ではいつ事故が起きるか分かったものではない。優生は素直に頭を下げた。

「ユーキ様には御面倒をおかけしますが、なにより御身をお守りするためと、どうかご理解ください」

「うん」

 恐縮したように頭を下げるサラは、優生の側仕えを務める三人のメイドのうちの一人だった。

 艶やかな黒髪を肩上で切りそろえ、瞳は明るい茶で肌は透けるように白い。。

 綺麗が七に対して可愛いが三と言った感じの整った顔立ちで、優生はなんとなく東欧風だと思っている。

 これは他の二人の側仕えのメイドにも共通していることだが、顔のつくりにどこか東洋人的な要素があって多くの現地人に比べれば線が丸く彫りが浅い。

 雑にまとめれば日本人と現地人の混血っぽい感じなのだ。

 三人での当番制とは言え、ほとんど同居のように暮らす相手だ。

 優生とは同い年で、性格や容姿なども少しでも馴染みやすそうなものが選ばれたのだと説明された覚えがある。

 魔道具の始末を終えたサラはあらためて羽帚で優生の服を払い、上着を受け取ってかわりに綺麗にたたまれた部屋着を差し出した。

「――どうぞ、お着替えです。本日は遠出をなさったと伺っておりますが、お早めにお休みになられますか?」

「や、そこまでは疲れてないから、ご飯もお風呂もいつも通りで。まぁ、チャラ男たちがちょっとね……」

 サラに答えて、部屋着を受け取った優生は着替えのために寝室に引っ込んだ。

 割り当てられた居室は日本風にいえば3LDKの間取りで、入口の脇にメイドが控える個室があり、客を迎えたり食事もとる居間として使う大部屋、そこから優生の寝室と、今のところは物置になっている小部屋とに分かれており、トイレ、簡易なキッチンと浴室と揃っている。

 そうして寝室は完全に優生の私的な空間で、不在時の掃除を除けばメイドたちも基本的には立ち入らない。

 魔法的な仕掛けがあるわけではないが、三人ともルールを守ってくれている。

 というか思春期の少年的にはそうやってどこかで線引きしておかないといろんな意味で辛い。

「人をこき使っておいて、さっさと自分たちだけ帰るしなあ……」

 そうして着替え終わった優生が居間に戻ると、ローテーブルには菓子と茶が並んでおり、それを用意したサラは――

「……なにしてんのサラさん」

「ユーキ様たちの故郷にはリフレなるものがあるとうかがいました。水兵やメイドに扮した若い娘が抱擁や膝枕や耳かきなどで疲れた殿方を癒してさしあげるのだと」

 ソファにこしかけ、クッション、耳かき、ブランケットに「めいどりふれ」と何故かひらがなで書かれた札を脇に置いて「はよ」とばかりに膝を叩いていた。

「誰の差し金!?」

「アカマツ様がきっとお喜びになる、と」

「赤松ゥ! やけに急いで帰ったと思ったらこれのためか! いやいやいや僕はいいよ、そんなことまでしてくれなくてもいいから!」

 叫んだあと、ひとまず彼女の隣に腰かけて菓子に手を付ける。

 更に茶を一口すすり、ちらと横目で視線をやるとサラは無言で両手を広げていた。明らかにハグの構えである。

 膝枕から要求のハードルが上がったことに戦慄しつつ、優生は首を横に振る。

「いやいや……」

「……ユーキ様、私ではお役に立てませんか?」

「そ、そういうわけじゃあないけど……」

 ずるい聞き方をするなあ。

 クラスの女子たちより薄化粧の、それなのに遥かにまぶしい美貌の持ち主に瞳を潤ませてそう言われては断れない。

「じゃあ、ちょっとだけ……」

「はい」

 ――僕は、弱い。

 かつてないほど真剣にそう思いつつ、体をサラへと傾けた優生は予想に反して頭をぎゅっと胸に抱え込まれて一瞬で抵抗力を失った。

 エプロンと服と下着越しだというのに何とも言えない柔らかさと温かさがあり、そして何よりも――

「いい匂いすゆ」

「ありがとうございます」

 あまり表情を変えないサラが、わずかに弾んだ声を出して脱力した優生の身体を膝枕へと導く。もはやそれを止める気などどこからも沸いては来ない。

「ユーキ様、靴を履いたままで結構ですのでどうぞ足もお上げに」

「ハイ」

 言われるがままソファに仰向けに身体を横たえ、ブランケットをかけられてサラの腿を枕にした優生はもはや何の抵抗も出来なかった。

 小さな手が優しく髪を撫でるたび、心地よさと強烈な眠気が押し寄せてくる。

「どうぞ、そのまま楽になさってください」 

 目隠しするように額から顔の上部を撫でる手の動きに従って、瞳を閉じた。

 自分で思っていた以上に疲れがあったのだろう。意識はあっという間に沈み始め、体はどんどんと重くなる。

「……今日もお疲れさまでした」

 手とは違う柔らかで大きなものが額に乗せられた。

 絹のエプロンのさらさらとした感触越しに水枕のように柔らかく形を変えるそれが瞼に心地よい圧をかける。

 もはや優生は指一本さえうごかせなかった。

 人はなぜ、おっぱいに逆らえないのか――ただそう思いながら眠りに落ちた。

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