第56話〜マゼンダと防具
マゼンダ防具店。
そこは街の冒険者の中でも知る人ぞ知る、駆け出しからベテランまで個人に合った防具類を提供してくれる隠れた名店である。
店主であるマゼンダのインパクトに腰砕けとなるのは素人だけではなく、中には一周回って癖になる業の深い者もいるとか。
そんなマゼンダ防具店だが、ここ数日ほど店を閉めていた。
それは別段珍しいことではない。
マゼンダは防具類の自作もしており、月に数日ほど地下の工房に篭りきりで作業に徹するのだ。
それを知るリピーターは遠目にマゼンダ防具店が閉まっているのを確認すると踵を返していく。
元々静けさを求めてこの街にやってきたマゼンダは、本通りから大きく離れた寂れた区画に店を開いた。
その為火急の用事ならば本通りの別店へ、オーダーメイドを頼みたければ少し手間だがマゼンダ防具店を訪れる為、程よくマゼンダ好みの静けさを保っていた。
豪快な性格だが静けさを求めるマゼンダを知る常連たちも、わざわざ店仕舞いしている時のマゼンダを訪ねたりはしない。
第一印象と見た目のインパクトから勘違いされがちだが、常連たちからは大層愛されているのだ。
それはさておき、ここ数日ほど開店していないのは新たな作品を作っていたこともそうだが、別の理由もあったからだ。
マゼンダは先ほど完成し、刻印を刻んだばかりの愛する防具たちを優しい手つきでそっと撫で回していた。
別段これはマゼンダに特殊な性癖があるわけではない。
刻印とは術式よりも繊細なものなのだ。
そう言ってしまうと術式が雑なものだと聞こえてしまうかもしれないが、同列に扱うことができないためなんとも言えない。
そもそも術式や刻印とは何なのか?
前者が魔法やスキルによるものだとしたら、刻印は魔導具に近いものだ。
術式は体系化された魔法理論を文字や図形に表し、それを図式化したもの。
これはいわゆる魔法陣や魔方陣と呼ばれるもので、魔力を用いた術やスキルの発動を補助したり強化することができる。
魔法の発動までの時間が短縮されたり、より大きな魔力を引き出したりと、術式があるだけで、何もない状態から魔法やスキルを個人差なく発動できるのだ。
もっとも役割が固定されているため、補助ならば補助のみ、強化ならば強化のみしか使うことはできない。
結界などを発動させ、術式の中心に魔石などを配置することで継続して術を発動し続けることができるのも術式の特徴である。
エンチャントというものもある。
エンチャントは付与魔法と呼ばれ、属性や特定の能力を付与することができる。
エンチャントは相性にもよるが、ただの剣に属性を与えて属性剣にしたり、【斬れ味増加】などの付与することで武器のランクを上げることができる。
もっとも相性もそうだが、基本的にアダマンタイトやオリハルコンなどの希少金属ほどに多くの、そして高度なエンチャントが可能となる。
そして刻印は刻んでおくことで、魔力を通すだけで効果を得ることができるのだ。
これは魔法やスキルを持たないものでも使うことができる。
武器に刻めば魔力を通すことで魔法剣やマジックアローの効果の得られる武器になるし、防具類に刻めば魔力の続く限り防御力などが上がる。
クリスの鎧などは術式と刻印を刻み、エンチャント済みのものに施した上に魔石などを用いて単体で起動し続ける伝説級のアイテムだったりする。
これは術式が周囲や所有者の魔力を集めて蓄える働きもしているため、核となる魔石が破壊されるか、一切の魔力を失うかしなければ半永久的に効果を発揮し続けるとんでもないしろものだった。
一部が破壊されたところで別のパーツに刻まれた【自己修復】などの自己修復機能が生きている限り復元されるため、鎧全体を一瞬で消滅させない限り破壊することは不可能である。
刻印に関しては魔力を流すだけで単一の効果を発揮することができる。
これは魔法やスキルを持たない一般人や、能力の不足を補いたいものにとってはいざという時役に立つ。
魔石で代用することはできるが、高価な上希少なため、傷付かない限り何度でも使える刻印は重宝されるのだ。
マゼンダは撫で回していた防具たちから手を離した。
それらの裏面には緻密な刻印が複数刻まれている。
マゼンダが行なっていたのは刻印の【固定化】と防具そのものへの【修繕】のエンチャントである。
杖などと違って防具たちは持ち主の身を守るもの。
それは必然的に傷付き、歪んでしまうということ。
術式はそれ単体の効果として転写されているため多少歪んでも問題ないが、刻印は違う。
少しでも歪んだり傷つけは正しく効果を発揮しなくなってしまうのだ。
だからこそ刻印は裏面の傷付きにくい場所に、そして多少の歪みを正すための【修繕】のエンチャントと共に造られる。
ここに術式まで加える場合、術式と刻印とエンチャントに最低3人は職人が必要になる。
さらには複数の術式、刻印、エンチャントは相性もあるが精密な技術がなければ成功しない。
普通ならば複数の工房と高度な技術者が中間に入るためそれらの品はだいぶ高価なものとなる。
だがマゼンダはそれらをたった一人でこなすことができる。
一人で作れるということは同じ材料と出来で手間賃は一人分、さらに一人で作るためムラもほとんどなく、さらにマゼンダの腕は最高のもの。
それ故にかつては大勢の人間がマゼンダを専属にしようと躍起になった。
面倒な貴族や果ては王族までマゼンダの自由を奪おうとする始末。
その醜い争いに嫌気がさしたマゼンダは最果ての地とも流刑者の街とも呼ばれるこの地にやってきたのだ。
マゼンダは完成した一式の出来栄えに、張り詰めていた集中をようやく切った。
ほぼ三日間。
最低限水分と栄養は取っていたが、マゼンダは一つの作品を作り終えるまでに眠ることはない。
満足気な表情のマゼンダは力尽きたようにその場に崩れるように倒れ、すぐに寝息を立て始める。
そんなマゼンダに引き摺ってきた毛布をかける小さな影。
人化したユキである。
ユキはマゼンダを楽な姿勢にし、眠っていることを確認すると出来上がったばかりの防具類の方を見た。
これらは全てトモ専用のオーダーメイド品である。
マゼンダはいずれこの街を去るトモに全身全霊を込めた作品を餞別に作っていたのだ。
ユキは防具類を眺めながらトモの帰りを待つ。
マゼンダが作業に入ってから、工房を出て行ったトモのことを。
トモが出て行ってから今日で3日。
トモはまだ帰らない。
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