新人賞がなんぼのもんじゃい!(2/5)

「おい後輩。先輩のお出ましだぞ。挨拶はどうした?」


「…………」


 私は机に突っ伏したまま、余力を振り絞って返した。


「どうして今日に限ってそんな人格者ぶったこと言ってくるんですか」


 本当にこの男は。いちいち想像を裏切った言動を仕掛けてくるから、相手をするこちらとして堪ったものじゃない。


「挨拶とは最も基礎的な社会通念だ。人間社会にメスを入れてその構造を浮き彫りにすることを使命とする小説家が、そんなことも弁えられていないようでは終わりだぞ」


 小賢しい言い回しをしているが、要は『常識がない奴に小説なんて書けない』とでも言いたいのだろう。もっとも、常識がない人間には何をやらせてもダメな気がするけれど……まあそんなことはどうだっていい。


「私、先輩が誰かに挨拶するところ、一度も見たことないんですけど」


 指摘すると、先輩は愚問だと言わんばかりにふんっと鼻を鳴らした。


「挨拶とはつまるところ自らが社会に迎合する行為に他ならないからな。はっきり言って今の社会は腐敗している。くだらない忖度の横行。ポピュリズムの台頭。ただ声がでかい奴の馬鹿みてぇな主張が同調圧力という名の見えない力によって持て囃された挙げ句、世の中クソほどの役にも立たねぇ綺麗事で溢れてやがる。それどころか、飾り立てられた見栄えの良いものばかりに目が眩んで、誰も本質を見抜けやしない。そんな阿呆どもを崇高な信念を掲げたこの俺がこうべを垂れて迎え入れるなど言語道断。堕落した社会に自ら染まり落ちぶれるつもりは毛頭ない」


 何気ない疑問を投げかけてみたら、想像以上に大層なご高説が返ってきてうんざりした。訊くんじゃなかったと後悔を募らせつつ、しかし「挨拶をする時間や手間が非効率的だから」なんて言い訳をしないのがこの人らしくもあるなあと特に感慨もなく思う。


「常々思ってることですけど。先輩って本当に生きづらそうな性格してますよね」


 そんな嫌み文句を送り付けると、先輩は「大きなお世話だ」と吐き捨てて、窓際のいつもの席に腰を下ろした。

 ウイィン、というパソコンの起動音の後に、カタカタとキータッチの音が続く。


 次いで、私の口からため息が一つ。

 なんだか今日はやる気が出そうにないし引き上げようかな……。


「そう言えば、コンクールの件は無念だったな。まあ、あの程度の出来では残当と言うほかにないが」


 不意を衝かれ、どきりとした。

 ラストに付け加えられたネットスラング入りの煽り文句はこの際スルーするとして、前半の台詞は天変地異の前触れではないかと身構えてしまうほどに耳を疑う内容だった。


 先輩と本格的に交流を持ってから半年以上が経つが、小賢しい屁理屈と毒舌以外の言葉をその口から聞いたのはもしかすると初めてかもしれない。いつの間に他人の感情を慮ることを覚えたのか?


 顔を上げると、仏頂面でモニターと向かい合ういつもの先輩の姿があった。


 ――本当に先輩なのか? 実は先輩の皮を被ったアンドロイドだったりして……?


 ややあって注目を買っていることに気付いたらしい、先輩の怪訝そうな眼差しがパソコンのモニター越しにこちらを覗いた。


「なんだ?」


「いや、いつもの先輩らしくないなと思って」


 違和感を打ち明けると、先輩はすっと視線をモニターに戻して、再びカタカタとキーボードを叩き始めた。


「鳩が豆鉄砲食らったような顔しやがって。つくづくアメの与え甲斐のない奴だ」


「アメって……そうですよ。普段であれば時を選ばす、所構わず、舌鋒鋭いムチを放ってくるところでしょうに」


「なんだ、ムチが欲しかったのか? 近頃少し肥えてきたと思っていたが、よもや精神までブタ化しているとはな。哀れな女だ」


「それはムチじゃなくてただのセクハラです。それ以上言ったらぶち殺しますよ気にしてるんだから」


 平坦な口調で凄むと、先輩はちらと私の方を一瞥してから冷めた笑みを浮かべてみせた。


「俺をどれだけ非道な人間だと思っている。はなっから意気消沈している人間の傷口にわざわざ塩を塗りたくっていたぶるようなマネはしねぇよ。俺にそんな加虐趣味はない」


 加虐趣味の権化みたいな人間のくせして、どの口が言うか。

 そんな反論を挟ませる隙さえ与えることなく、先輩はカタカタと自己主張の激しいキータッチを披露しながらのべつ幕無しに主張を続けた。


「そりゃあ、なにをマイナーなコンクールの結果ごときで一喜一憂しているのだという思いが俺の中に全く無いと言えば嘘になる。しかし、そんな本音をこの場でぶちまけたところで何になるっていうんだ? 生憎、今の俺は次の作品の構想を練るのに忙しいんだ。そんな非生産的なことに時間を割いている暇は一秒たりともない」


「……秘めるつもりなら、最後まで秘めといてくださいよ」


 不慮の毒舌に眉がひきつる。中途半端に丸くなったかと思えば、懐にはちゃっかり寸鉄を隠し持っている。三つ子の魂百までと言うが、やはり先輩はこうでなくっちゃ張り合いがない。


 でも、やはりいつもの先輩らしくないなと思った。なんとなく普段より毒舌の切れ味が鈍いような、斬り込み自体に思い切りがないような……。

 まるで先輩の姿を模した別人を相手取っているような気分だった。

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