第11話 お花の香り

「希望(のぞみ)先輩~、この棚の在庫チェック終わりました……」

「んっ、お疲れさま~、それじゃあ次の棚お願いね。はい、リスト」

「うげっ……」


 美羽ちゃんの小さな口元から、疲れのにじみ出た声が出る。どよんとした目で化粧品の在庫リストを見つめていた。

 百貨店のバックヤード。化粧品フロアで販売する商品の在庫を2人でチェックしていた。

 まあ……、だいぶ疲れたよね。私もそうだし。

「ねえ美羽ちゃん、ちょっと休憩しよっか」

「はい! そうしましょ!」


 あはは……、急に元気になった。

 隅っこに設けられた休憩スペースに向かう。そこには折り畳み式の簡易テーブルとパイプ椅子が素っ気なく置いてあり、美羽ちゃんはテーブルに両肘をついて深いため息をついた。


「ほんと、イベントがある月は在庫チェックしたくない……、化粧品の種類と数で精神的に押しつぶされそうな気分です……」

「それね」


 私は、まだ数え終えてない棚を見つめる。美容部員の皆で手分けしてチェックをするけど、今週いっぱいまではかかりそうだなあ~。

 視線を美羽ちゃんへ向けると、たれパンダのように、テーブルに顔を載せていた。このままだと、やる気の充電にしばらく時間がかかっちゃいそう。という私もテンションが下がってるし……、何か気分転換したい。う~ん……、そうだなあ……。


「ねえ、美羽ちゃん」

「はい? 何です?」

「ここにある化粧品でさ、気になるものってある?」

「へ? えっと、母の日ギフトの商品でですか?」

「うん、そうそう。ちょっと使ってみたいなあ~、って思うもの」


 すると美羽ちゃんがゆっくりだけど体を起こす。そして沢山の化粧品が並んだ棚、母の日用の化粧品をじっくり見つめる。その瞳は少し楽しそうな感じだ。すると、美羽ちゃんが柔らかな笑みを浮かべ私に振り向く。


「コフレですね」

「あっ、それ。私も良いなあって思ってた。今年の母の日用コフレ、可愛いよね」


 美羽ちゃんが笑顔で頷く。


「ですよね! 花柄のデザインや本物の花も飾られていて、メイクする時テンション上がる感じが良いです」

「うんうん、確かに」


 母の日限定販売のコフレは、両手で持てるくらいの小ぶりなボックスタイプ。陶器のような美しい白をベースに、カーネーションやガーベラ、スイートピーなどが咲いている絵があしらわれている。さらにボックス上部は透明なアクリル板が枠で縁取られて、本物の花が飾られている。色鮮やかなプリザーブドフラワー。

 美羽ちゃんが楽しそうに話す。


「この綺麗な花の所々に、リップが配置してあるのもグッときますね」

「あっ、そうそう。そうだよね」


 ボックス上部のプリザーブドフラワーを飾っている隙間に、色違いのリップが5種類添えられている。ボックス上部はジュエリーボックスみたいに開ける事ができ、まるでお花の群生地から綺麗な色だけを摘み取るような雰囲気でリップを選ぶ感じだ。


「このコフレはちょっと欲しいですね~。リップをはじめ色々と試したくなります」

「うんうん、私も試したい」


 なんだかふわっとした空気で心が和む。こうして美容部員同士で、化粧品の話をするのは楽しいなぁ。

 元気が出てきた美羽ちゃんを愛でていた時だった。


「先輩の使っている化粧品も、ちょっと試してみたいんですよね~」


 美羽ちゃんの突然の言葉に、私は思わず目を丸くする。


「えっ……? 私の、化粧品?」

「はい」


 美羽ちゃんが、興味ありげな瞳で私を見つめてくる。

 唐突な事に何も思い浮かばなかった。い、一体どういうこと? すると、美羽ちゃんが話し出す。


「香りが違うんですよ」

「へっ? 香り?」

「はい。とても良い香りで。化粧品を最近買えたのかなと思いまして」

「えっと、特に変えてはいないんだけど……」

「あれ? そうなのですか? でもここ2週間くらい、なんだかお花のふわっとした香りがするんですね」

「花の香り……? あっ」


 あるものがパッと浮かぶ。そうポプリだ。

 今、自宅マンションの部屋に、計10個の手作りポプリが並んでいるんだった。改めて頭の中で数を確認し思う。明らかに作りすぎ。

 齋藤さんにポプリをプレゼントすると約束し、さらに作り方の手紙をもらってから、色々と悩んでしまった。その、男性だし、甘い香りが強くない方が良いかなとか。でも齋藤さんはお花が大好きな人だから、むしろ甘めの香りが好みなんじゃとか。あっ、でもお花屋で働いているから、甘い香りに慣れているかもだし、だったらこう特徴ある香りを選んだ方がいいかもとか……。

 気付けば、齋藤さんにポプリの作り方の手紙をもらった日から、2週間以上も過ぎてしまっている。

 あ~どうしよ! 早く渡さないと! こんなことなら、齋藤さんにどんな香りが好みなのか、聞いておけば良かった。そしたら、こんなに悩むことも―。


「先輩?」

「ひゃ!? な、なんでもない! なんでもないの!」


 美羽ちゃんの呼びかけに思わず慌ててしまった。すると、美羽ちゃんの瞳がなんだか大きく見開く。


「先輩~、どうしたんですか?」

「い、いや、何でもないから。その、じゅ、柔軟剤とか変えたの」

「ふ~ん? 柔軟剤とか、ですか」

「そ、そう」


 美羽ちゃんが楽し気な眼差しを向けてくる。そして、口元が少し意地悪く笑い、ゆっくりと話しかけてきた。


「ねえ、先輩?」

「な、なに?」

「最近、何かありましたぁ~?」


 うっ、最近って―。そんなことを思った時、齋藤さんとの再会が鮮やかに脳裏に映し出される。彼が両手に抱える紙袋、いっぱい詰まった色とりどりの花、そんな花々を愛おしく抱える、お花がとても似合う、素敵な彼……。


「やっぱり何かありましたね」

「へっ!? って、ち、違う! 別に何もないから!」

「ふっふっふ~、そんなわけないじゃないですか。ちょっと先輩にやけ顔になってますよ~」

「そ、そんな顔してないって!」

「まあまあ、ちょっと美羽に話してくださいよ~」

 

 じわじわつめよってくる美羽ちゃん。まずい、美羽ちゃんのやる気のベクトルが違う方向にいっている。うっ、ここは逃げるが勝ち。


「し……、仕事開始! 美羽ちゃんはここの残りチェックしておいてください。私はあっちの方チェックするから」

「あっ! ちょっと先輩!」


 美羽ちゃんの引き止める声。でも聞こえないふりを決め込み、私は早足で、美羽ちゃんが担当する棚から離れる。

 だいぶ離れたところから美羽ちゃんの視線を感じるが、無視。

 私は在庫リストに目を通し、仕事に集中した。

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