第6話 齋藤さんとすごく密着

 花の良い香り。

 それから、なんだか温かい? 何かにぎゅっと包み込まれている様な感覚だ。

 怖くてつむっていた両目がゆるみ、視界が広がる。そこには、若い男性の端整な顔。齋藤さんの顔が間近にあった。


 なっ!? ええっ!? ちょっと待って!? どういうこと!?


 私は冷静さを取り戻すために、今の状況を把握しようと目を見開いた。でも、それは逆効果だった。だって今の私は、齋藤さんにハグされているから。いやハグって感じじゃない。もうぎゅっと抱きしめられている。

 鼓動が早くなる。顔も何だか熱くなり始めた。

 冷静になんて全然なれない。


「大丈夫ですか?」

「へっ!?」


 齋藤さんに突然声をかけられ、思わず驚いてしまった。そんな私を、彼が心配そうに見つめる。


「あの、ケガとかしてないですか?」

「け、ケガ?」


 なんでケガの心配? と思い始めて気付いた。そういえば私、階段から落ちてしまったんだった。


「どこか痛いとかないです?」


 齋藤さんが真剣な眼差しで見つめてくる。純粋でその真っ直ぐすぎる視線に胸が高鳴る。ち、違う違う! そうじゃないでしょ!? 


 私は慌てて口を開く。


「だ、大丈夫!! へっちゃらだから!! へっちゃら!!」

「へ? へっちゃら……ですか?」

「う、うん! そう! ほんとへっちゃらだから!」


 不思議そうに私の事を見つめる齋藤さん。


 あ、あれ? どうしたんだろ?


「く、くくくっ。あはは」


 すると突然、彼が急に楽し気に笑い始めた。な、なになに!? どういうこと!?

 私の戸惑いに気付いたのか、齋藤さんが柔らかな笑みで、ちょっと気まずそうに口を開いた。


「あの、すみません。ちょっと面白いなあ、って思ってしまって」

「え? お、面白い?」

「はい。その、へっちゃら、って何度も真剣に言うのがちょっと面白くて。久しぶりに聞きました、へっちゃら、って言葉。なんだか良いですね」

「あっ、あはは。そ、そうかな?」


 確かに、今どき『へっちゃら』なんて言わないよね。うう、恥ずかしくて顔が熱く感じた時だった。


「それに、女性が言うと、なんだか可愛い感じがしますね。あはは」


 彼の、素直な言葉だったのだろう。齋藤さんは、何も恥ずかしがることなく、自然と、まるで息をするかのように口にした。でも私はその言葉のせいで、顔の熱さがより増していった。


 か、可愛いだなんて。


 私に対して可愛いって言ったわけじゃない。勘違いしてはいけない。

頭で分かったつもりでも、そうはいかなかった。このまま密着していたら、私の大きな鼓動が彼に伝わってしまいそう。

 

 私は出来る限り冷静さを意識して、彼に話しかける。


「あ、あの、齋藤さん」

「はい?」

「と、とりあえず、お互い起き上がりましょうか。その、このままじゃ何だし」


 私は目配せで、今の状態、互いに横になりながら、彼が私を抱きしめている現状を伝えてみた。すると―。


「あっ……、そ、そうですね」


 急に戸惑いだす彼。私をぎゅっと抱き寄せていた彼の両腕が離れる。そして、そろそろと私からぎこちなく離れていく齊藤さん。なんだか可愛い。

 ある程度距離を取った後、2人してゆっくりと同時に、上半身を起こした。改めて対面した彼の表情は、なんだか落ち着きがない。その理由は何となく分かった気がした。だって、さっきまでずっと私の事、抱きしめていたもんね。私のケガを心配していた時はそんな素振りを見せなかったのに。


「ふふっ」


 そんな優しくて純粋な彼に、私は小さな笑いをこぼしたのだった。

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