7-3
気球に関することは、少年がよく知っている。彼は気球の構造からその操作方法まで、既に熟知している。わたしは彼の手足となることに決める。
無論、役目を果たすためには、わたし自身もそれ相応の知識を身に付ける必要がある。
少年は要点をノートに纏めている。それを見せてもらう。大体の構造を大づかみにし、細かい知識は図書室の書籍を辿って補完する。
鴉のことも利用する。屋上で作られている気球が、わたしたちの想定しているものと相違ないかを事細かに調べさせる。何度も何度も、詳細に。
「やれやれ、鳥使いが荒いね」
辟易したように彼は言ったが、聞こえないふりをする。
起床と業務と食事と睡眠を繰り返す。時折、揺れに見舞われる。
大きな揺れの起こる頻度が高まってきたように思える。何か、大きな破局の到来を予感するようである。
残り時間は誰にもわからない。誰もが終わりを感じながら、しかし具体的なこととしては捉えないようにしているみたいだ。〈いつか〉を手の届く未来として見ている者は、少なくともわたしの目の届く範囲にはいない。
終わりの瞬間、というものを想像してみる。この塔が終わる時、人々はどんな顔を浮かべるのか。塔ではどんな破壊が起こるのか。
だが、上手くはいかない。人々の顔は飽くまでいつも通りで、壁や天井はヒビ一つ入らない。〈鼓動〉が同じリズムで金属音を立てたまま、誰も気付かぬうちに塔は終わっている。薬で眠らされた家畜が絞められるように。
或いは、それはそれで幸せなのかもしれない。恐怖を感じないまま終われるのなら、それに勝るものはないのかもしれない。
わざわざ命を危険に晒すのは、愚かなことなのかもしれない。
そんなわたしの揺らぎを、鴉は目敏く察知する。
「まだ迷っているのかい? まあ、今から全てを白紙にすることは可能だけれど」
こう話している間にも、塔が揺れる。以前であれば割に大きく感じる揺れだったが、今では身体が慣れている。サイレンも鳴らない。
「気付いたら全部が終わってるなんて虫の良いことを考えているのなら、改めた方がいいよ」と、鴉は言う。「どんな終わり方だって、それまで続いてきたものが途切れる瞬間には負荷が生じる。一切の苦しみのない終わりなんてあり得ないんだ」
「薬を飲んで、深く眠っているうちに終わったら?」
「最期の苦しみが、深い眠りさえも覚まさないなんて言い切れるかい? 終わりを経験した者はここにはいないんだから、誰にも証明の仕様がない」
「もし、気球が途中で落ちたら」わたしは、兼ねてからの懸念を口にする。「それでなくとも、あの光の所まで辿り着いたとして、そこに何もなかったら?」
言語化された懸念は、可能性の一つとして定着する。途端に質量を帯び、現実味が増す。わたしはそれを〈充分にあり得る未来〉として恐れる。
「塔の外には誰もいないという証明が手に入る」鴉が平然と言う。「それだけで充分じゃないかい?」
「命を賭して、何もないことを証明するの?」
「〈ある〉ことを証明するより、〈ない〉ことを証明する方がずっと難しく、重要なことだと思うけど」
わたしは鴉を睨む。
「あなたは、あの光が何なのか知っているんじゃないの?」
「まさか」鴉は無罪を訴えるように羽根を広げる。「僕の力では、あんなに遠くまで飛べないよ。それこそ途中で力尽きて、霧の中へ真っ逆さまさ」
「鳥なのに」
「鳥だから、だよ。でも君たちには、飛ぶための道具がある。翼があったら、たぶん思いも付かなかった道具がね」
鴉の声には、羨むような響きがある。わたしにはそれが本音に聞こえる。
だが、彼が羨む力を持っていることが幸せなことなのか、わたしには判断がつかない。
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