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友人と向かい合っても、会話が続かない。
原因は探さずともすぐにわかる。食事が足りないのだ。
霧の上昇と揺れの頻発。これら二つの〈災厄〉により、塔でわたしたちが暮らせる場所は着実に狭まっている。それは寝起きする居室が減ることだけでなく、わたしたちの生活に必要な物資の生産場所が減少することも意味している。
生活物資、特に食糧には、その影響が如実に表れている。密度の低い黒パン。水が僅かに色づいた程度のスープ。小さな鶏卵。屑のような野菜。長い間忘れられていたような干し肉。誰かが冗談で「独房の中でももう少しマシな食事が出た」と言っていたが、あながち嘘ではない気がする。何かの罰ではないかと思うぐらい、昨今の食事は味気ない。
友人は〈務め〉から戻った時以上に痩せている。明らかに栄養が不足している。彼女は早々に食事を済ませると、後は虚ろな眼差しを窓の外へ向け続ける。乾いた唇が動くことはない。話す気力が湧かないのだろう。
食事を彼女に分けたいところだが、わたしもわたしの分の確保で精一杯だ。わたしは後で食べるふりを装って、パンと小さな茹で玉子をハンカチで包む。部屋で待つ少年の分の食事だ。
わたしは元より小食だから、多少食事が質素になったところで支障はない。だが、少年は違う。彼にとっては、今の食事の量は明らかに足りない。彼は成長の途中なのだ。むしろ、多くの栄養を必要としている段階にある筈だ。
試しに、友人に訊ねてみる。彼女に対して少年の話題を持ち出すことに、もう警戒心はない。口減らしになるということで、捜索は打ち切られたと聞いたからだ。
「庭園での子供たちの食事も減っているの?」
「そうね。状況は大人も子供もみんな同じ。まあ、子供を死なせるわけにはいかないから、非常食を切り崩して食べさせることもあるわね」
「非常食って、万が一の時のために取ってあるものじゃないの?」
「今がその〈万が一の時〉でしょう」
たしかに、とわたしは頷く。そして問う。
「他に、食糧を確保出来る見通しはあるの? その非常食がなくなる前に」
「そんなこと、管理委員会に直接訊いてよ」彼女はうんざりした様子で首を振る。「あたしは毎日のやり繰りで手一杯なんだから」
どこかで、食器とトレイが床に落ちて音を立てる。音のした方を見ると、男性が二人、互いの襟首を掴み合っている。このところ、よく目にするようになった光景だ。原因は大抵、どちらの干し肉が大きいとか、パンを盗まれたといったものだ。
「よくまあ、あんな体力が残ってるわ」振り向くのも億劫なのか、友人は窓の外を見たまま言う。「いっそ霧にでも潜って、缶詰でも探してきてくれないかしら」
潜霧。
その言葉を思い浮かべる度、わたしは頭の奥の方をくすぐられる。
実際に携わったことがあるわけでもないのに。
潜霧が行われなくって久しい。霧が上昇し、シロクシナダが花開くまでに潜ることの出来る階層が、既に最近まで生活を送っていた場所だからだ。わざわざ危険を冒してまで潜っても、新たな発見はあり得ない。
友人が、口元に笑みを浮かべてこちらを向く。
「それとも、あなたが行くってのはどう?」
「わたしが?」発言の意図が読めない。
「シロクシナダが枯れるまで霧に巻かれても生還した強運の持ち主だったら、未踏の階層まで探索して戻って来られるかもしれない」
「あれはただ、偶然が重なっただけ。わたしの力じゃない」
「その偶然が重なる場に居合わせるのが強運なのよ」
「そんなあやふやな確率任せで、命を危険に晒したくない」
わたしが言うと、友人は肩を竦め、再び窓の外を見る。
「でも、そんなあやふやな確率に身を任せなきゃいけないところまで来てるのかもね」彼女は言う。「ただ一つ確実なのは、このままじゃいけないってことだけ」
男性たちの掴み合いはまだ続いている。互いに何かを叫んでいるが、何を言っているのかは聞き取れない。誰も止めようとはしない。わたし以外、彼らの方を見ていない。
少年は、あまり食事を摂らない。勧めるほど量も質も大層なものではないのだが、わたしにはそれが遠慮に見える。
「もっと食べなくちゃ駄目」
そう言っても、彼は二口三口付けただけで読書へ戻っていく。初めは本当に欲していないのかと思ったが、ある時、腹が鳴るのを聞いて本心でないとわかる。
「わたしのことは気にしなくていい。今は自分が成長することを考えなさい」
少年は書物から顔を上げ、わたしを見る。それから書物を閉じ、細やかな食事の載ったトレイを膝に載せる。
彼の成長について考える時、同時にわたしは、友人の言葉も思い出すようになっている。
ただ一つ確実なのは、このままじゃいけないってことだけ。
今までも漠然と、そう思うことはあった。だが、そこには〈いつか〉という存在自体の曖昧な時制が自動的に頭に付いていた。その〈いつか〉が〈そう遠くない将来〉に変わっている。友人の口からあのような言葉が漏れたのは、言語化されたのは、その証左なのだとわたしは思う。終わりは目に見える所にまで近付いている。
考える。
終わりを回避する術を。
少年の将来が、ずっと先まで続いていく道筋を。
わたしの頭では、答えを導き出せないことがわかっていながら。
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