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 気球というものについて、わたしなりに調べてみる。しかし、図書室のありとあらゆる書物を開いても、気象観測者が言っていた以上の内容は見当たらない。

 何冊も調べるうちに、ある可能性が過ぎる。

 気球に関する情報が、意図的に取り除かれている可能性だ。

 その証拠というには確信が足りない気もするが、百科事典の〈気球〉が載っていると思しき巻が欠けている。他にもいくつか抜けている巻が存在するが、一度可能性を疑ってしまうと偶然のようには思えなくなる。

 禁書、という言葉が浮かぶ。管理委員会により図書室への収蔵が許可されなかった書物のことだ。今、この図書室に並ぶ書物は皆、禁書を除いた〈許可済みのもの〉なのだ。

 禁書を読む手立てはない。それらの書物は既に焼かれてしまっている。だが、閉架書庫の奥に眠る未分類の、これから禁書になる可能性のある書物ならば、読むことは可能だ。

 わたしは書庫へ入る。

 書架の間を通り、未分類の書物が一時的に収納された棚に辿り着く。ランプの灯を翳し、背表紙の題字を確認する。煤けて読みづらいものは指で汚れを落とす。そもそも判読できないものは、抜き出して表紙を確かめる。そうして、めぼしい情報が得られそうな書物を選別していく。選び取った書物を抱え、机に戻る。

 書物は五冊ある。そのうちの四冊は見当違いの、当たり障りのない内容のものだ。

 だが、残りの一冊は違う。まず間違いなく禁書として処分されることになるであろう内容だ。わたしはそれを読み耽る。意識が、紙に書かれた文章に搦め取られるように。

 その書物からは次のような情報が読み取れる。

 かつて、地上に暮らした人々は空を飛ぶ手段をいくつも持っていた。気球のみならず、翼を広げた鳥のような格好をしたものや、頭上で羽根を回転させ浮き上がる機械もあった。むしろそれらの方が主流だったようだ。

 しかし、それらを動かすには燃料が必要となる。〈石油〉という、聞いたことのないものだ。この塔には存在しない。塔に現存する資材で作成が可能なのは、やはり気球である。

 気球は、どこまでも上昇が可能だ。大昔には空の向こうまで昇ったものもあるという。

 詳細な構造も記されている。気象観測者が描いた図に似ているが、もっと細かく、かつ綿密に、線や文字が書き込まれている。

 わたしは書物の内容を紙に書き写す。構造図は精確に模写する。

 長い時間、作業に没頭していたように思う。机から顔を上げたのは、終業のサイレンが鳴ったからだ。わたしは紙を纏め、机の一番上、鍵付きの抽斗にしまう。鍵を掛ける。それから眠っている赤ん坊を抱き、消灯して図書室を後にする。


 大きくなるにつれ、赤ん坊とわたしの違いが明確になってくる。性別、という点は抜きにしても、彼は根本的にこの塔に暮らす人々とは異なる。

 まず目に付くのが肌の色だ。わたしたちは白い。だがそれは、赤ん坊の肌を見たからこそ思うことだ。彼は、褐色とはいわないまでも、いくらか黄みがかっている。髪を初めとした体毛は黒く、瞳もまた真っ黒だ。

 霧の中で見つかった遺体もまた、わたしたちとは肌の色が違ったという。常識的に考えれば、赤ん坊は遺体の人物に連れられてきたことになるのだろう。

 外の世界で生まれた子供。この子が何かを覚えているとは思えないが、わたしの知らない空気を吸っていたのは明らかだ。そこで見たもの、感じたことを、いつか言語化してほしいと思う。知っている限りのことで良いから、教えてほしいと思う。

 だが、そのためにはまず、彼に言葉を教えなければならない。それはわたしの役目だ。この塔の〈普通の子供〉のように、彼を屋上庭園で育てるわけにはいかない。

 子供は、いつから言葉を話し出すのだろうか。わたしは知らない。赤ん坊というものに対する知識がまるでない。この子が他の赤ん坊と比べて大きいのか、それとも小さい方なのかも判断がつかない。

 人を育てるには、わたしはあまりに無知だ。

 だから、意識的に学ぶ必要がある。

 幸い、昼食を共にする友人が屋上庭園で子供の教育に携わっている。わたしは彼女から、子供の成長について学ぶ。無論、自分の部屋にいる赤ん坊のことは伏せた形で。

 書庫へ戻り、聞き知った情報を基準として赤ん坊が成長過程のどこに位置するのか検証する。

 彼は徐々にだが、目を覚ましている時間が増えつつある。天井をじっと見つめ、わたしが覗き込めばこちらを見る。何かを求めるように手を伸ばし、ぱくぱくと口を動かす。時折、何かを喘ぐ。言語の原型であるそれが出るのが、産まれてから大体二百五十日前後だという。

 同じ頃から、一人歩きも始まると友人は言った。書庫の赤ん坊は眠っている時間が長い。だが、全く動いていないというわけではない。寝返りを打ったのか、寝床の中で位置が移動していることが度々あった。友人の話では、寝返りは歩行に向けた身体の訓練なのだそうだ。やがて手足で床を這うようになり、そこから更に二本の足で立ち上がるようになる。

 これらはあくまで、この塔で産まれた子供の成長過程だ。一見すると人に見える書庫の赤ん坊が、全くこの通りに育つとは限らない。しかし、敢えて彼にこの塔の基準を当てはめるなら、生後三百日といったところだろうか。

 この先、日が巡り、彼が立ち上がり、発話するようになった姿を想像してみる。

 彼は最初に何と言うのだろうか。その時に発せられるのは、わたしにもわかる、わたしたちの言葉なのだろうか。

 書架の間を駆け回ったりするのだろうか。書物にぶつからないよう、注意を払う必要があるのだろうか。或いは、もっと落ち着いていて、書物に興味を抱くのだろうか。読み書きぐらいなら、わたしにも教えられるだろうか。

 我に返る。睡眠から覚めたような感覚がある。

 わたしは、知らず知らずのうちに赤ん坊の寝顔に手を添えている。

 たった今まで自分が何を考えていたのか思い返してみる。わたしの脳裏に映っていた子供の成長した姿は現実のものではない。わたしの想像したものに過ぎない。それは全く以て意味を成さない。

 現実に存在しないものについて考えるのは無駄だ。目の前に広がる現在。これだけが唯一存在するものとして価値を持っている。

 果たして、本当にそうだろうか?

 過ぎ去ってしまった時間には、何の価値もないのだろうか?

 そして、これから来るかもしれない時間がどんなものになるかを想像するのは、無意味なことなのだろうか?

 わたしには、何らかの意味があるように思えてならない。

 赤ん坊の成長した姿を思い描くと、胸の内側が温かくなる気がする。これが錯覚だとは、どうしても考えられない。

 たしかにわたしは、こうした気持ちを言語化する術を持っていない。

 だからといって、この気持ちが存在しないと断言できる自信もない。

 わたしの中には、いつか来るかもしれない先の時間を待ち望む気持ちが、たしかに存在する。

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