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 赤ん坊は籠の中で寝息を立てている。わたしは彼に毛布をかけ直し、書庫を出る。

 気象観測者の言った通り、赤ん坊はほとんど手が掛からない。昼間、わたしが仕事に出ている時はずっと眠っており、職場へ連れてくることも出来る。夕方に目を覚ましても、決まった時間に食事を与えていれば大声を上げて泣くことはない。友人からは、〈赤ん坊〉というものはもっと泣くものだと聞いていた。この子供は大人しいのか、或いはわたしとは違う、特別な何かを持っているのかもしれない。

 赤ん坊はミルクを好む。最近では、野菜スープも口にするようになっている。気象観測者が持ってきた、野菜を小さく、ほとんど原型を留めぬほど刻んだ乳幼児用のスープだ。

「いつまでもミルクだけ飲んでいるわけにはいきませんから」気象観測者はそう言った。

 毎日接していると見た目には気付きにくいが、赤ん坊は着実に大きくなっている。彼を預かるようになってから、わたしは部屋と職場を徒歩で行き来するようになる。これまでの三倍の時間を掛けて、階段を上がっていくのだ。初めのうちは、赤ん坊の体重もそこまでは気にならなかった。書物を運ぶのとそう大差はなかった。しかし、書物の山に一冊ずつ積まれていくように、彼は徐々に重さを増していった。わたしは階段の途中で何度も休憩をとるようになった。

 赤ん坊の輸送について、気象観測者に相談する。彼は直ちに対応すると約束する。程なくして、わたしの部屋が移動となる。階段の上り下りをしなくて済むよう、図書室と同じ階層に住居が移る。

 わたしは彼に礼を述べる。それから、彼も管理委員会の一員なのかと訊ねる。彼は笑う。

「この塔に住まう人は、全員が管理委員会の一員ですよ」

 言われてみれば、それもそうだ。

 気象観測者の計らいか、単なる偶然なのか、新しい部屋のバルコニーからも光の瞬きが確認できる。見え方は変わらない。明滅のリズムが、また変わっている。

 チカ、チカ。

 チカ。

 チカ、チカ、チカ。

 解読する。

 ソ、チ、ラ、ハ、ド、ウ、カ。

 そちらはどうか――。わたしは口の中で呟く。

 一人で返答を試みる。こちらは――。

 ふと思い立ち、部屋の中を見回す。腰を上げ、洗面所へ行く。壁に金具で固定された四角い鏡がある。横にずらすと、鏡は動いた。わたしは落として割らないよう慎重に鏡を取り外す。

 抱えてみると、鏡は重く、大きい。わたしの顔が映っている。恐らく、わたしの顔だ。

 バルコニーの向こうには夕陽が射している。鏡を持って外に出る。鏡面に光が当たるよう、向きを調整する。鏡が真っ白に発光する角度を確かめ、今度は明滅する光の方へと向き直る。こちらの、鏡の光を雲の向こうに送る。

 チカ、チカ、チカ、チカ。

 チカ、チカ。

 コ、チ、ラ、ハ、ブ、ジ。

 あちらの明滅は変わらない。こちらの文面が届かなかったのか、わたしの動かし方が悪かったのかもしれない。もう一度、同じ文言を送るよう意識しながら鏡を動かす。やはり結果は変わらない。

 やがて日没となる。今度は月明かりで試みようとも思ったが、赤ん坊が目を覚ましたので止めにする。

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