3-2.百味

 「…気でも狂ったのか?」

「酷いでんなぁ、ウチは大真面目、至って正気ですよぅ。」

目の前に瓢箪の大きさでは例え100種あったとしても、100種を入れたら3杯がせいぜい。

そればかりか、1度使ってしまえば各量の分配が乱れてしまい、出すならば均等に100種を<一辺均一>に出さなければ意味がなくなるのだ。

その点に分かっているのかいないのか、女商人の表情は自信満々とばかりに鼻の穴を膨らませ息巻いて見せた。


「…百歩譲ってそいつに100種入るとして、全部入れるにせよ、一部を入れるにせよ、望んだものが適量に入れられなければ意味ないんじゃないか?」

今度女は得意げな笑みをニコニコと浮かべ、またも人差し指を左右に振るう。

「その点はぬかりありませんよって。何故ならこの瓢箪。中に入った名前を言ったものだけが出てくるんですわ。」

男は怪しむような声を上げて、眉間にシワを寄せ瓢箪と女を交互に睨む。

「そうですねぇ、例えばこれ。<生姜>。」

女はそう言って<瓢箪>を掌の上でふるう、中から黄茶色い粉が少量流れ出てくると、そのまま指先で掬い上げて口の中へと運ぶ。

「うん、間違いあらへんな。ささ、旦那も。」

女商人は粉末の乗る掌を差し出し男に催促すると、男は小さくため息を漏らして、同じように粉末を指先に乗せ口の中に放り込む。

独特の刺々しい刺激と苦さが舌の上に広がり、男が顔をしかめ咳を払う。

確かにそれは紛うことなき<生姜>だった。


赤マントの男の反応に満足する女商人は脇の小皿を1枚とり、再び薬味の名を上げて<瓢箪>を振って行く。

<黒胡椒>、<緑唐>、そして粉末にするには些か難しい<ネギ>。

小皿の上へ全てを乗せ終えると、女商人は再び男の方を向き直り小皿を差し出し、男はそれを指に乗せては口へ運ぶ。

「…間違いない。」

確かに、どれもこれも間違いなくその名で呼ばれた薬味。

ネギに関しては少し青臭かったが、それでも紛れもなくその香り、その辛さが伝わってくる。


「どないです?七味ならぬこの<百味>。信じてもらえました?」

「…まあ、な。だが、それで<かけそば>がどう豪勢に…」

「おや、旦那の舌と鼻は既にお気づきでは?」

「…?」

女商人の言葉に赤マントの男はアゴに手を当て、口内で舌を回し考え始める。

「な、何ィィィィッ!?こ、これは…薬味各々の風味が<独立し損なっていない>だとォォォッ!」



思わず席を立ち、叫びをあげそうになる赤マントの男であったが、公共の場である事を思い出してはなんとか堪えた。

しかし、その驚愕は赤い襟巻きで隠れていながらも表情、汗、身振りで如実に表れている。

互いの風味が主張同士で塗り潰し合う事もなく、互いを必要以上に引き立たせる事もない。

<個>。

口の中に目は無いが、意識を少し向けるだけでその<個>の味を確かめる事ができながら、他の存在感、圧は残り続ける。

まるで風味の陳列棚。

風味が並ぶほど、棚が大きくなる程、そのプレッシャーは増していくだろう。

そんなものを、もし、仮に100種も入れられれば、その味の暴力を想像するだけでも恐ろしく思えてしまう。


女商人はそんな彼の反応を見て、嬉々として口を開く。

「旦那。想像してしまいましたね。<100種全て>を入れてしまったらどうなってまうか。」

「…くっ!」

図星を突かれたように赤マントの男は歯噛み絞め、椅子を座り直して、女商人は更に言葉を続ける。

「そう、この<瓢箪>の本来の効力は入れた物が<混ぜらない>事にあるんですわ。」

「まさか粉末1粒、1粒に?」

「<瓢箪>には入れる際一辺に<名付ける>られますから。そして、その<混ざらない>効果は出した後もしばらく続くってワケです。」

赤マントの男はまだ半信半疑なのか、女の説明を納得しつつもまだどこか疑っている様子であった。

「どないです赤の旦那。ただの、ただの<かけそば>ですけど。食べたくありませんか?」

だが、迷いは確実に生まれ始める。

女商人の言葉でなく、実体験してしまった事でその先の興味を、<好奇心>を得てしまったからだ。

しかし、食べれば確実にこの女の術中、依頼を耳にせざる得なくなり、確実に巻き込まれる。

赤マントの男はその事実に抗う様に眉が波打つように歪み、女商人は笑みを浮かべる。


「マ、マァ、ハナシヲキクダケダシナァ…」

「もう、どちらにしろそばは注文してしまったさかい。そばはウチのおごりで、旦那はそれを食べて頂ければ十分です。」

女商人はニコニコと赤マントの男が葛藤しつつ、自分の方へ歩み寄ってくる事に内心ほくそ笑む。


「か、か、かけそば、お2つ、お待ちどうさまです。」

その時、タイミングよく店員がテーブルへと駆け寄り、2人の前へかけそばが置かれたおぼんを置くと、そそくさとその場から離れていく。

赤マントの男は置かれたばかりのそのどんぶりを見つめ、湧き上がる<好奇心>と唾をゴクリと飲み込んだ。

女商人はくるりと<瓢箪>を掌で何度と回転させると男に向かって掲げる。

「さぁさ、この手にありますは、古今東西、ありとあらゆる薬味を入れた<瓢箪>!名を<寿限無>!」

高らかに声を上げ、女商人はまるで大舞台の芝居のように大げさに腕を広げ口上を謳いあげる。

「振れば乾坤一擲、味は百鬼夜行に百花繚乱!百川帰海、得てしかし諸行無常のこの香り!とくとご覧あれ!」

赤マントの男の瞳は揺れ動き、目の前に置かれたかけそばへと視線が釘付けとなり、男の期待は最高潮に達しようとしていた。


―――ダンッ!


しかし、赤マントの男の目の前にあるかけそばの碗に入ったのは、薬味ではなく鉄の刃であった。



そばの入った碗が2つに割れると、汁がこぼれ、そばが散らばり、おぼんの上に広がる。

「そうか、てめぇが<じゅげむ>か。待ってたぜェッ!」

「…は?」

赤マントの男は周囲を見回すと、そこにはいつの間にか刀剣を抜き手に持った、店内の客だった男達が取り囲んでいた。

「な、なんですの!アンタ方!ウチらに何の言いがかりです!?」

女商人は慌てふためきながら立ち上がり、周囲の男たちを睨みつける。

「邪魔だ!女はそっちでその<そば>ってヤツを黙ってすすってな。」

剣を突き立てた男がアゴで指示をし、テーブルを取り囲む連中から1人の男が女商人の肩を掴むと席を立たせ、後方へ追いやる。


「へっ、情報通りだ。運が無かったな、にーちゃん。大層な腕前らしいがこんなチンケな店の用心棒なんて受けたせいでよォ。」

「…は?」

赤マントの男は何が起きているのか理解できず、割れた陶器の碗を両手で取って呆然としている。

へらへらと笑う男達は赤マントの男を囲むように近づき始め、赤マントの男の襟首を掴みあげ席から強引に立たせる。

赤マントの男はようやく状況を察したのか、その表情に怒りの色を見せ始めた。

「こっちも仕事だからよォ!その灰色のパスタはベッドの上か棺桶の中ですすってくれや!」

「俺は今、腹が減ってるんじゃいッッ!!」

両手に持ったままの割れた碗を赤マントの男はそのまま振りかぶり、次の瞬間、手から放たれた碗は正面の男2人の顔へと直撃、そのまま砕け散る。

そして、テーブルを蹴り飛ばし追撃を行うと、そのさらに背後にいた男数名と他のテーブルを巻き込んで薙ぎ払いガラガラと音を立て鳴らす。


赤マントの男の襟首を掴んでいた男は不意の勢いに負け手を離し、呆然としたその隙を見て赤マントの男は距離を取り体勢を整える。

すると店の入り口の方からもぞろぞろと武器を抜いた連中が現れ、あっという間に店内を包囲されてしまっていた。


「この…。やっちまえ!野郎ども!」

リーダー格と思われる先の男が声を上げると、一斉に武器を構えた賊達が奇声をあげ、赤マントの男に向かって襲い掛かる。

右からは太刀の斬り一閃、左と後ろからは短剣からの突き一刺。

赤マントの男は咄嵯に体を捻り、回避しようとするが、避けきれず、右腕と脇腹へ刺突を受けてしまう。

賊達は攻撃が当たり赤マントの男から悲痛の声が上がる、と、ニヤリと笑みを浮かべた。


だが、その程度の傷などお構いなしとばかりに、攻撃を受けたはずの赤マントの男は平然とし、それどころか不敵な赤い瞳が爛々と灯る。

攻撃で伸びきった賊達の姿勢へ合わせるかのように右足を大きく上げ勢いよく踏み出すと、そのまま左足を軸にして身体を振り回す。

勢いでバランスを崩した賊達は互いに身体をぶつけ、次々と倒れ込み、薙ぎ払らわれ吹き飛ばされていく。

しかし、店内の賊達はまだ残っており、倒れた仲間を踏みつけながら、今度は四方八方から飛び掛る。


女商人は眼を輝かせ、赤マントの男の戦いぶりに感嘆していた。

「いやぁ、流石、赤の旦那!ウチが見込んだかいがあるってもんです!これはウチも張り切って百味の用意をせなあきませんね!」

そして、しっかりと手に抑えていたそばの入った碗を赤マントの男へ向け、差し出すように掲げ上げると大声をあげては瓢箪の栓を親指で弾き抜く。

「さぁさ、百味<寿限無>!その舌で怪怪奇奇を一望千頃するこの<寿限無>!あ、ご賞味めされェ!」



「ヒャァッ!」

1人賊の振るう古板が、他の賊に両腕を掴まれ、身動きの取れない赤マントの男へと容赦なく振り下ろされた。

乾いた派手な音を立て、男の頭は古板を貫くと、振り下ろした賊と目が合う。


――五劫衣、海砂利、干水鱗、に、生姜、山椒、マスタード…


そして、互いに笑いあうと、赤マントの男は両腕の賊達を支えにし、正面へ飛び蹴りをしかけ賊は吹き飛んだ。

次に赤マントの男は首に掛かる板を振り回し、両腕を掴む賊に一撃を入れ、緩んだところで身を引くと両者の頭部を衝突させた。

だが、その間に別の賊が横から槍の穂先を伸ばし襲ってくる。

が、赤マントの男は左手の金属小手で弾き逸らし、身を逸らしながら右手で首元の板を引き抜くと開いた穴に相手の首を掛けた。

そのまま古板の端を放りなげると、賊は振り回され怯み、すかさず追撃に<フォース>を放って吹き飛ばす。


――水行、雲行、風行、の三松種をのせまして、クチナシ、キャラウェイ、法泉薹…


「くそッ!」

賊のリーダー格は店内の手下が次々に倒される様を見て焦り、店外へと逃げ出し、赤マントの男も追って店を出る。


―――ピィィィッッ!!


そして、赤マントの男が入り口を潜り抜けた瞬間、指笛の音が鳴り響いた。

店の外の物陰からは弓を構えた賊達が姿を現すと、一斉に赤マントの男へ向けて矢を放つ。


――すかさず、ネギ、に、白羽皮、ソレス、と、アルジー、フルッフ、リリメント…


男はその赤いマントをひるがえし、矢を1度、2度と払い退けながら尚も進むが、賊達は次々矢を放ち続ける。

次第に数に押され、肩に、足に、腕にとかすったものも含め数本の矢傷を受けてしまう。

それでも赤マントの男は刺さった矢を抜きながら、歩みを止めず、賊達の方へと、にじり、にじりと寄って来る。


――喰処膏、寝処根、住処草、おまけに、スカブス、オニオン、カルダモン…


「う、うろたえるな!…どうなっていやがる、矢を受けても怯まないだなんて…。だが、所詮は1人だ!押し通せ!」

賊のリーダー格の男が声を上げ、賊達が弓を手放すと、武器を構えて突撃しようとした時、男の赤いマントが大きくなびく。

右の腰に帯剣、そこから赤い一閃が煌くと、正面から攻め入った賊の武器が弾き飛ばされる。

赤マントの男は剣を右手に持ち替えては踏み込み、そのまま薙ぎ払う様、剣を振ると、再び刃は赤い一閃を描き、賊2人が斬り倒された。

それは、男のなびくマントと襟巻き、爛々と灯る瞳と同じ赤色の石晶剣。

その切先を向けられ後手に回りだした賊達はたじろぎ、思わず後ずさってしまう。


――爛芹、クース、ローズマリー、阿備乃、イチイノ、香仙泌、と…


「く、くそぉ…、せ、センセイ!センセーイッッ!出番です!お願いしますッッ!」

情けない賊のリーダー格の声に反応し、近くの脇路地の中から大きな影がゆっくりと現れ、赤マントの男の前に立ち塞がった。

他の賊達は現れた巨大な人影を見て息を飲み込む。


――赤唐、緑唐、青娑、に合わせ、タラゴン、アジョワン、パプニシ…


赤マントの男よりも二回りは大きい、体格に優れる平均的な<ドラグネス>や<サテュロス>の男を超す体躯、そして全身を覆う黒い体毛、両手に握るのは巨大な大刀。

「Bumomomo…」

その巨体は一歩ずつ踏み出し、地を揺らす程の重い足音を響かせ、理性があるのか無いのか、頭巾越しに鳴く鼻息混じりの声を唸らせ、大男は大刀を構える。


――藪柑、太光、酒袷、ガーリック…


更に、その後ろから小柄な男がひょっこりと顔を出し、赤マントの男の方を向いて笑う。

「…オホホホ。」

「せ、センセイ!よろしく頼ンます!」

「オーケィ、オーケィ。アテクシとボーヤにお任せなさい。」

小柄な男はそう言うと、その手に持った打鞭を振り大男の腿を叩きつけだす。


――杏仁、タリム、に、山石、紅沙、ハイシラ、スカメ…


バシンッという激しい音と共に、大男の身体は前のめりになり、赤マントの男へと迫らんとする。

「Chack、Chacck、Chacckyyyyyy…」

「そうよー、そうよー、チャッキーよォ~。お仕事を済ませたらボーヤの大好きなチャッキーをあげるわよォ~。」

大男の叩いた部分をなでながら、小男はなだめるように笑みを浮かべて大男に囁く。


――ほほいと、混牟、肢麦、ビルジリ、黄葉、ネク、クロハイパ…


「だから、がんばりなさいな、ボーヤ!その赤い男を殺すのよッ!」

再び小男は大男の腿を叩きつけ、激しい音を2度鳴らすや、それに呼応するように大男は雄叫びを上げる。

「BMOOOMOOOO!HoShii!HoShii!Chackyyyyyy!」

「に、逃げろ!巻き込まれ…」


――ハイプ・パイポ、と、シュリガーン…


大男から威圧を感じ、賊の1人が悲痛な声をあげようとしたその時、大男は大刀で薙ぎ払うと路地沿いの古屋の壁を切り裂き、更にその風圧で賊達を吹き飛ばした。

赤マントの男は剣を片手、正眼に構え、大男の剣戟を僅かな移動で避けると、目の前の大男と向かい合う。

そして、互いの視線が交差すると、両者同時に動き出した。


――シデルシ、セロリ、タイム、と、パセリ、欠豆、サバリ種…



「ホヒョ!?」


――クミン、八角、オレガノ、加えて、トァイト、竜舌、ホルカイニ…

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