3-1.百味

 小船と桟橋を繋ぐ渡し板をギシギシと鳴らし、客が渡し船を下りてゆく。

その中に、真っ赤なマントに身を包み、顔も赤い襟巻きで覆われ、そこから覗かせる瞳もまた赤。

髪だけは黒々として、まるでここ一体に広がる白い雲と青い海のパノラマとは対照的なコントラストを描いたような出立ちの男が1人。

後頭部の黒髪をくしゃくしゃと掻きながら、赤マントの男は大きな欠伸をし、まだ人が賑わいを見せない埠頭を練り歩きだす。


「さて、腹が減ったな…」

窮屈な船旅から開放され、潮風にマントと襟巻きをなびかせ、海鳥の泣き声とともに腹の虫を鳴らすと。

水平線に向かって全身を伸ばし、首、肩を回しながら男は小さな港の周囲を見渡してみる。


漁師達が明け方の漁から戻ってきているのか、魚を開いて日干しにしだし、網を直していたり、何人かの女達が帰ってきた漁師達の朝食の炊き出しの準備をしている実に日常的な光景が目に入り込む。

しばらくすれば活気のある市場が開かれ、そこかしこで露店や屋台が立ち並ぶだろうが、まだその時間には早いらしく、人の姿は疎らだ。

仕方なし、と、男は港から階段を登り市街地の通りに入り店を探す事にした。


「やぁ、これは奇遇でありますね。赤の旦那。」

通りを巡っていると、そこに聞き覚えのある不意の挨拶が投げ掛けられる。

赤マントの男が振り向くと、視線の先には満面の笑みでこちらを見上げてくる女商人が1人。

ぶかぶかなキャスケット帽を被りながらも頭からは巻いた角、それ以上にボリュームある髪が帽子からはみ出て、まるで仮面のような丸渕眼鏡をかけた<サテュロス>の女。


「げッ…」

赤マントの男は女商人を記憶と合致させるや、露骨に嫌悪する声をあげた。

この女がこちらに声をかける理由は1つ、男自身に興味があるわけでなく、男の持つ背後へのコネ作りの為だと理解しているからだ。

女は商会の連盟に属さない、いわゆる個人商だが、どうも独自の情報網を持って居る様で、この赤マントの男の雇い主を嗅ぎ付けており、この男を仲介役に仕立て上げて、あわよくば自分の商売にも取り込もうという魂胆らしい。

赤マントの男は始めは交渉上の付き合いだけだったが、その魂胆に煙たがり始めると、最近はこうして顔を合わす度に何かしら誘いの<釣り糸>をたらしに来るのであった。


赤マントの男はそれを察すると、これからどうやってコイツから逃げるべきかという問題が浮かび上がらせていた。

男の脳裏には、過去、この女商人に絡まれ、碌な目にあってない事がフラッシュバックする。

例えば、荷車の護衛だけのはずが、盗賊団の壊滅までを1人でやるハメになったり。

更には依頼の兼同行者に、凶剣と呼ばれる狂人に眼をつけられ道中死闘を繰り返す事になったり。

更に更には、ただの骨董品を買い付けるだけのはずが大都に出向き、伏魔殿の陰謀に巻き込まれたり。

挙げ句に今の時代にもなって尚、<神>等に狂信する一団に狙われ続けた事もある…。


一連の騒動を思い返し、身震いと共に結論が出ると、男の行動は早く、くるりと身を返して足早に歩を進める。

しかし、そんな行動は予想済みか、女商人が慌てて彼の前に立ち塞がるように回り込んでいくる。

「あー!待ってくださいな~!ウチを無視せんといてください~。」

「うるさい。俺は忙しいの。腹減ってるの。邪魔しないの。」

そう言って追いすがってくる彼女の頭部を推し返し、振り払うが、彼女は寧ろこちらの腕を掴むと一切怯まず足並みを揃え、笑顔のまま話しかけてくる。

「時間はとらせまへんて~。ちょっとだけ、ちょっとだけで、えぇですから。」


媚びた仕草に、露骨な<オーク訛り>を真似た彼女の言葉遣いが、逆にそれが赤マントの男を苛立たせる。

だが、ここで怒りに任せて怒鳴ったりするのは悪手中の悪手であり、それを理解していた男は深呼吸をして心を落ち着かせ女商人に問う。

「…何だよ?」

「実は、ちょいと困っとることがありましてな。もし良かったらお助け願えんでしょうかね?もちろん報酬の方はご用意させていただきますさかい。」

「断る。今、路銀は間に合ってるし、お前からの得体の知れない依頼なんて二度と受けるか。」

赤マントの男はきっぱりと断りを入れるが、それでもめげる様子のない女商人は食い下がってきた。

しつこい女だと舌打ちしながら、あしらうように手を振っていく。だが女商人はその程度で諦めたりしない性格であったようだ。


「そうは言わずに。」と、懐から取り出した1枚の羊皮紙を広げ、それを強引に目の前へ差し出してくる。

そこには何かの図面かが描かれており、男は首を傾げ、しばらく差し出された図を覗き込んでいるとその内容に察しが付きはじめた。

だが、手に取り詳細を目にしようとした途端、女商人は図面を取り上げて、くるくると丸め込んでは後ろに隠してしまう。

思わず顔を上げて彼女を睨みつけるが、女商人は全く気にせず、いつも通りの笑みを浮かべている。

「赤の旦那は興味無いかもしれまへんけど。旦那の<ボス>はコイツに興味があるんとちゃいますか?」

「お前…何を嗅ぎ付けた。」

その態度がまた男の怒りを煽るが、これに乗るのも愚策である事も男は承知、無言、睨みを利かせたまま、女商人の次の言葉を待っていた。


「おぉ、そないな怖い顔、せんといてくださいよ。<ギブ・アンド・テイク>。何事も助け合いでっしゃろ?」

何を洒落てか、<古アールヴ語>のことわざを引用すると、女商人は赤マントの男の腰を丸めた図面で軽く突いてくる。

それに男は小さく溜息を漏らしながら姿勢を戻すと、女商人の顔を見下ろし、圧を掛けながら問う。

「……わかった。話を聞いてやる。ただし、何所かで飯を食って、それを食いきる間までだ。かつ、その後で判断させて貰う。」

女商人は男の威圧など全く意に介さず、返答に満足したのか、「おおきにぃ~~!」と両手を頬の横に添えて、大袈裟なポーズを取りながら礼を言った。


「フン、それじゃあ、何を食わせて貰いますかね…」

「あぁ、ならウチがいい店にご案内します。」

赤マントの男は、そのぶれない態度にやれやれと肩を落としつつ、彼女の先導の元に大通りを歩き始めた。

町の裏通り、曲がり角の突き当たりが目に入ると、そこには一風変わった、ここ大陸西部の沿岸には見ない門構えの店があった。

赤マントの男はその門構えの雰囲気に見覚えがある。

「…<ヒノモト>の店が?」

「おや、流石、赤の旦那。<ヒノモト>の国に足を運んでましたか。」

「まぁ、ちょっと用事があってな。」

概観の基本は他の家々と同じ漆喰に塗り固められた実に港町らしいものなのだが、正面には漆黒の瓦屋根が設けられ、入り口と窓枠は異国風の木枠で作られているため、この辺りでは珍しい外観をしている。

湯気が立つ窓からは独特の匂いが漏れており、中からは人の気配が感じられ、入り口横に掲げられたどうにも読めない看板は間違いなくあの国のものだった。


女商人は既に解放されている入り口に足を踏み入れると、中にいた店員らしき人物に声をかけ、席へと案内されて座るや早速注文を出した。

店内の様子は至って普通の食事処と言った雰囲気であり、早い時間だというに席はほぼ埋まっていた。

しかし、客層はやはりというか、港町らしいというべきか、地元の人間より他の国から来たよそ者、なかなかに<あらくれた>連中ばかりが目立つ。

客は入ってきた2人をチラリと見ると、すぐさま酒を飲む事へ戻り、そのテーブルには陶器の酒瓶ばかりが並べられている。

女商人は既に解放されている入り口に足を踏み入れると、即座に中の、おろおろと右に左に酒を運ぶ店員らしき人物に声をかけた。


「あ、店員はん、<かけそば>2つお願いしまっせー。」

「え、あ、は、はい、かしこまりました。か、<かけそば>2丁~。」

声をかけられた若い給仕の女性は慌てながら、返事をすると何所かへ伝票を走り書きし、厨房へ伝えにくと奥では店主らしき大柄の<ゴブリン>の男がぶっきらぼうに復唱する。

その間に女商人は空いてる席へと座り、赤マントの男も向かいの席へ腰をかけた。

「しまった。もっと値の張るヤツを頼めばよかった。」

テーブル脇に置かれている品書きへ視線を落とすと、自身が注文しそびれた事に気が付き、悔しそうに舌打ちをする。

「まぁまぁ、そう言わんといて下さいな。ウチがこれから<かけそば>を豪勢にしてあげますさかい。」

女商人は相変わらず笑みを絶やさずにそういうと、懐から小さな乾燥させた植物のボトル、<瓢箪>というヤツを取り出してテーブルに置く。


「なんだそりゃ。」

見慣れぬそれに男は首を傾げ、その様子に女商人はふふんと何やら自慢げな顔を示す。

だが、男は特に興味を示さず、箸立てから割り箸を取ると、慣れた手つきでパキンっと音を立てて割る。

「おや、赤の旦那は箸が<使えました>か。」

「…たまーに驚かれるんだが…そんなに不思議な事か…?」

「そうですねェ。大陸西部の方々は大抵フォークかスプーンを使いますんで。もともと習慣ある、土地生まれの証みたいなもんですよ。」

「自覚はないな…」

男は手に取った箸を眺めながら、ぼやくように呟くと、湯飲みへ持ち替えすすり上げる。

女商人もそれを見て手元にある陶器の湯飲みを手に取り、底に手を添えると口元へ運び、ずずっと音を鳴らして茶をすすり上げた。


「んで、<それ>がお前の<頼み>になるのか?」

中の茶をすすりながら、男はアゴで<瓢箪>を指して改めて目の前の女に問いただす。

女は目を細めて笑みを浮かべて見せると、人差し指を左右に振った。

「…旦那は<薬味>をご存知でっしゃろか?」

「料理に使うスパイスやハーブ以外に意味は無いと思うが。」

「左様です。この<瓢箪>には様々なそのスパイスやハーブ。つまり<薬味>の粉末が入ってるんですわ。」

「ふーん、5種類とか?」

「いえいえ、もっとです。」

「10種類…?」

「いえいえ、いえいえ、もっとです。」

男の疑問に対して女は両手を顔の前で振りながら否定する。


「ははは、まさか100とか言わないだろうな。」

「おや、ご名答。流石、赤の旦那。」

驚く素振りをわざわざ見せ付けながら女商人は答える。

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