2-4.故郷の味
赤マントの男の怒声が響くと飛竜の瞳孔が元に戻る。
その身を停止させていたのは僅かな時間だけだった。
「KYSRRRRRRR!!!」
だが、パニックを引き起こしたのか、首頭を振り回し、怒り狂うように高い声で吠え始めたのだ。
そして、その動きに合わせるように、森の木が激しく揺れ始め、まるで地震のように大地を揺らしては、前へ、ナナリナへ踏み出していく。
ズシリ、ズシリとその歩みは強く、そして加速していき、やがてその巨体は迫り来る。
ナナリナは立ち上がろうとするも、その姿勢と枯れ葉の柔らかさで上手く起き上がる事が出来ない。
飛竜は首を捻り、大口を開け、牙を剥き出しにし既に攻撃の射程である事を見せ付けだす。
ナナリナは恐怖で目を瞑りそうになるも必死に耐え、飛竜を見据え、何とか回避のチャンスを見つけ出さんとする。
…
視界の端から何か黒い、赤い影が現れると目の前を遮った。
それが何なのか、理解するよりも早く、弩をかけていたベルトの留め具が弾ける音がし、ナナリナはその身を突き上げられる衝撃を受け、宙へと投げだされる。
一瞬の出来事に頭が追いつかず、理解、ぼやけた視界が定まったときそこに映ったのは両掌を突き出した赤マントの男の姿であった。
次の瞬間、男は飛竜の顎の餌食となり、両脇を腰にかけて喰らいつかれ、飛竜はそのまま男と共に首頭を、何度と振り回す。
ナナリナは地面に叩きつけられるようにして落下し、痛みに顔を歪めるもすぐさま立ち上がると飛竜の方を向く。
「赤マント!?」
赤マントの男は飛竜に振り回され、吐き出されると、近くの木に激突し、そのまま力なく崩れ落ちる。
打ち付けられた木には血の跡が付き、そこから滴り落ちている血液の量を見る限り、かなりの深手を負っているのが見て取れた。
「KrrrrYhhhh!!!!」
飛竜は再び雄叫びを上げると、まだ興奮冷めやらぬ様子で、息荒げながら辺りを威嚇するように見回していた。
ナナリナは飛竜に向けて再度弩を構えようとするが手元にあったのは男の鞘に入ったままの剣が一振り。
意を決し、剣を掴み引き抜こうとする。
その時、<猟笛>の<音>がナナリナの耳に響く。
「ねーちゃん!、赤いの!!」
音に反応して振り返るとそこには、トゥルパが駆け寄ってきていた。
飛竜は音の影響か突如苦しみだし、徐々に後ろへと下がっていくと、ついには倒れ込み、痙攣しだすと静かになった。
「ふぅ、薬が効いてくれたか…助かったぜ。」
ナナリナは飛竜が倒れた事を確認すると、赤マントの男の元へと急ぐ。
近づくにつれ、その出血量の多さが目につく、一目でわかるほど、その傷口は大きく深いものだったからだ。
男の傍まで辿り着くと、意識は無く、仰向けに寝かせ、マントを剥ぎ胸元を覗かせる。
上着は言うまでも無く、その下の小札鎧も飛竜の牙により裂かれ、その下に見えた肌、肉は無残な姿となっていた。
喉元に触れるが脈は無く、呼吸をしている気配も無い。
「ねーちゃん。赤いのは…」
不安そうに見つめ、声をかけてくるトゥルパに、ナナリナは首を振り、「そうか。」と一言だけを返し、飛竜の様子を見に行く。
冒険者の死は珍しい事では無い、特にこの世界では日常茶飯事と言っても良いくらいだ。
死という物はいつだって唐突に訪れるものであり、それは理不尽に人を貶めるがその殆どが自らが招いた結果である。
ハンターも似た様なもので、狩りをし獲物を得るのであれば当然リスクを伴い、ナナリナも幾度か狩りでの仲間の死を目の当たりにはしてきた。
「…悪いがねーちゃん。そいつから<コンパス>、あと冒険者を示す手帳があるはずだ、それを回収してくれないか。」
しかし、それでも慣れる事など出来るはずもない、トゥルパの言葉にナナリナは振り向き、睨みつけるような視線を送る。
その表情を見てトゥルパは何を感じたのか、言葉を続ける。
「そんな目をしないでくれよ。俺のコンパスの<針>はコイツの腹の中だ。赤いののコンパスがなきゃ、俺達が野営地に戻れなくなるかもしれないんだぜ。」
ナナリナはその言葉を噛み締めるようにして考えると、一度目を瞑り、大きく息を吐き出す。
「…ごめんなさい。後で必ず弔うから…」
そして、一言だけ謝罪すると、まずは男のベルトに手を伸ばし、バックルに手をかけたその時。
「…まだ…死んでねーってのよ。」
声の方を向くと黒髪の奥には赤い瞳が覗いており、掠れた声で呟いた。
その言葉にナナリナとトゥルパが驚き、顔を見合わせる。
「本当に生きてる!?でも、さっきまで…」
男は上半身を起こすと、ナナリナの手を取り、ベルトから離させると、自らの胸に拳を何度か叩きつけてみせる。
「…だから、他人よりは頑丈だって言っただろ…。イデデデッ…」
男は自身の誇張の痛みに顔を歪めながら、ナナリナに支えられ何とか立ち上がり、腰に下げたポーチの中からコンパスを取り出すと、トゥルパに投げ渡す。
「ほ、本当に大丈夫なのか…?」
「見世物小屋なら金取れるぜ?驚くなら、驚いた分だけ成功報酬の上乗せをしてくれよ…」
男の軽口に二人は苦笑いを浮かべるが、確かにその体は血だらけで表情は苦悶に満ちており、とても無事とは言い難かった。
―――
トゥルパは受け取った<コンパス>を手に取り帰路を確認していきながら、手振りを後方に送り、その方角を示していく。
ナナリナはそれを見るたび、肩にかけた赤マントの男を背負い直し、ゆっくりと歩き出した。
「ねぇ、大丈夫なの?」
「……何度目だ、その質問…」
男はナナリナの心配を余所に、ため息交じりに答え、痛みを堪えながら歩みを進める。
ナナリナは頬を膨らませて見せるが、その実内心では安堵していた。
先程まで死んでいた男がこうして歩いている、まるで奇跡、だからこそ、改めて思う。
あの時、本来ならば死んでいるはずの傷を負いながらも尚、こうして生きている事が不思議でしょうがなかった。
「…なら、質問を変えるわ。」
ナナリナは少し間を置いてそう言うと、背負っている男の方に振り向き問いかける。
その表情は真剣そのもので、今までの常に冗談めいた彼女の表情ではなかった。
「…彼方、<何者>なの?」
「…アンタが<見た通り>で、<他人よりは頑丈>なだけだよ。」
赤マントの男は一瞬の間を置き、ナナリナの目を見ながら答えるが、その目は遠くを見て居るようであり、何処か投げやりに見えた。
それが気に入らなかったのか、ナナリナは腰を振って自身の尾を男に叩き着けると、不満そうに鼻を鳴らす。
「…アンタだって、自身の事を全て口で説明できるわけじゃないだろ?」
小突かれる男は反論し、そう言われてしまえば何も言えず、口を尖らせてしまう。
「まぁ、それは、そうだけど…」
納得した様子の無いナナリナに赤マントの男は鼻で一息苦笑した。
「…俺自身これが答えられる限界って事さね。悪いがあのツルテンには気取らせないでくれよ…あのテのヤツはなんでも騒ぎにして誇張したがるからな…」
「フフ、そうかもね。」
男の頼みに彼女は小さく笑うと、再び前を向いて歩くと、身体が、肩に掛かる重さが増す。
横を向くと赤マントの男は目を閉じ、寝息の様な静かな呼吸で眠っている様だったが、足を踏み出すとそれに追従するよう男の足も動きだした。
それを見てナナリナは安堵と器用な真似に微笑むと、そのまま、無言のままにトゥルパの後を追って行く。
―――
立ち上る火の熱、その穏やかな灯りを肌で感じ、焼ける薪の匂いが鼻に貫けてくる。
視界に広がる空には雲一つ無い夜空が広がり、星々とエーテルのオーロラがその輝きを強調していた。
焚き火を囲む冒険者やハンター達はここを立つ前とは打って変わって、賑やかに食事や歌をあげて楽しんでいる。
「あ、目が覚めた♥」
ナナリナが彼の顔を覗き込み、嬉しそうな笑顔を見せる。
その表情は今にも飛びかかって来そうな雰囲気さえあったが、寸前で顔を静止させた。
後頭部の感触、髪に触れられている手から、自分が彼女に膝枕されている事に気が付くものの、男は激痛が走る体では身じろぎすらできない。
その様子を察して、ナナリナは男の頭を優しく撫でる。
「よう、美女を独占して膝枕させてるとはいいご身分じゃないか。」
「…ふざけろ。」
声を掛けて来た人物に視線を向ける。
そこには、トゥルパが頭頂部を焚き火の灯りで神々しく輝かせながら、こちらを見下ろしていた。
赤マントの男は痛みを堪えながら、何とか言葉を返す。
「はは、悪い悪い。冗談だ。具合は?必要な薬はあるか?」
「<自前>でどうにか。明日には動ける。」
トゥルパはほくそ笑み、シチューとスプーンが入ったカップを2つ渡してくる。
「そら、約束の<成功報酬>と、借りてた<コンパス>だ。今日はありがとうよ。本当に助かったぜ。」
起きられない男の代わりに、ナナリナが受け取り、トゥルパは2人の隣に腰をかける。
「…あれから、飛竜はどうするんだ?」
「あぁ、お前は<聞こえてなかった>のか。彼女が撃ち込んだ弾にな、眠り薬と俺のコンパスの<針>を練り込ませたんだ。だから、飛竜がここら一帯から離れない限り、正確に追う事ができる。もしかしたら薬の効きが良すぎて、寝起きを拝めるかもしれねぇな。」
そう、トゥルパの機嫌はとても良さそうに饒舌となる。
「しかし、あんなに手早く決着が付けられるなら、残った芋を全部ここまで持って帰れなかったのは残念だった。」
「別に、芋貰ってもしかないだろ。」
「なんだ知らんのか、あの芋は干しておけば生薬として結構な値で買ってくれるんだぜ?」
男は横向きになり、「ふーん。」と興味なさげに聞き流し、軽く寝返りを打ち、呆れたナナリナは男の頭を向いた自身に埋めつけ話を進める。
「でもなんで、あの芋だったの?」
男の頭を抱き寄せながら尋ねるナナリナの言葉に、男は見えないながらも感じ取れる表情は、どこか不愉快そうに見える。
トゥルパはその表情を見て、少し怪し気に笑いながら答える。
「ヤーム芋はな、卵から孵した飛竜の場合、幼体の時に良く食わせるんだ。滋養強壮とあと魔力を取り込み易くする為にな。」
「…竜に…魔力?」
ナナリナの肉圧から、なんとか顔を半分弱、外に覗かせる男の疑問にトゥルパは得意げに鼻を鳴らした。
「竜って生物は<成体化>するには魔力を身体に蓄えていかないとダメなんだと。詳しい事はわからんが、食いかけの芋をみて、磨り潰した芋と晶石屑を餌であげていたのを思い出したんだよ。」
赤マントの男は竜人のドラグネスであるナナリナに視線を向ける。
意味を察するも彼女に心当たりは無く、肩をすくませ回答した。
「…<アレ>はアンタが育てた飛竜なのか?」
「…いーや、あの飛竜は別の所から引き取ったヤツだよ。俺がハナタレ時に世話した飛竜達は、戦争の兵器としてとっくの昔に全員死んじまった。」
トゥルパは明るく振舞うも、悲しげに呟いた言葉には深い後悔が含まれていた。
「……悪い。」
「わははは、お前が気を遣うなんてな。明日に雨なんて降らせないでくれよ。俺の任務は終わってないんだからよ。」
そう、トゥルパは笑うと赤マントの男の髪をくしゃくしゃと撫で回す。
男は不満気に眉間にしわを更に寄せながらも、自身のそれまでの態度に間違いはないので、されるがままになっていた。
「まぁ、だからか、さしずめアイツにとってもこの芋は<故郷の味>ってところだったんだろう。時間が経っても身体で覚えている、力の根源ってヤツよ。」
「力の根源ねェ…」
トゥルパの手が止まり、視線を遠くに向けその先を見送るトゥルパの瞳には涙が浮かんで見えた。
「いやぁ、我ながら美味い!さて、長々とお邪魔しちゃ2人に悪いな。」
トゥルパの顔つきは元のそれに戻ると、大きく息を吸い込み、高らかに叫ぶとカップのシチューを一気に飲み干して、立ち上がった。
「…行くの?」
「あぁ、ロンが戻ってきたら忙しくなるからな。俺は休んでいられるのも今の内だ。明日は顔合わせるのが難しいが、2人とも下山後には是非尋ねてくれ。今度こそちゃんとした礼をさせて貰わないとな。」
そう言ってナナリナに手を差し出すトゥルパは、とても満ち足りたような笑顔を浮かべる。
差し出された手を握り返し、ナナリナも微笑み返す。
赤マントの男とは視線だけを交わし、トゥルパは自身の天幕へと去っていった。
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摩り下ろしたヤーム芋入りのシチュー
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ナナリナは、カップのシチューを男がスプーンで掬いながら食べやすいように、口元へ運び。
赤マントの男はナナリナの行動に対して特に反応を示すことなく、黙々とそれを喉の奥へと進める。
「…別にもう、食べさせて貰うのに膝枕してくれなくてもいいんだが。」
無言のまま行われる行為に居心地の悪さを感じ始め、赤マントの男は起き上がる事を提案をするが、ナナリナはその要求に対し、ニコニコと首を横に振る。
「あら、これは私からの成功報酬。そして、私へ<彼方の秘密の口止め料>として甘んじて受けなさいな。」
「…」
男は観念したかのように、大人しく口を開け、次々と運ばれてくるシチューを飲み込んでいき、男の様子を満足げに見つめつつ、ナナリナは徐々に自分の分を食べ始める。
シチューに混ぜられた柔らかくねばっこい摩り下ろしの芋が胃袋に流れ込み胃袋に広がっていくと疲れた身体によく染みこんでいく。
カップの中身を完食してしまったナナリナは全身をホカホカとさせ、トゥルパの述べた言葉を実感していた。
「力の根源…か、私も大分食べてない故郷の味、思い出しちゃうなー…」
「…故郷ねェ…」
ナナリナは聞いてもいない故郷の料理の数々を楽しげに語りだす。
しかし、赤マントの<故郷の味>というのは思い浮かばず、彼女の語るそれらを聞き流しながら、口元へ運ばれるシチューを口の中に入れ続けていた。
―――Kyurrhhhh…
だが、摩り下ろされた芋が腹の中で広がっていくと、遠くで飛竜がこの故郷の味に鳴いている感じがしなくもない気がしてきた。
-TIPS-
○ヤーム芋
寄生型の植物であり、地中に潜む茎が他の植物の養分を吸い上げ蓄えていき、地下深くへと成長を続ける芋。
その養分を僅か数本のみ地上に伸ばしている茎へ送り、いずれ実を成して次代へと繋げてゆく。
茎の葉が枯れ、実が落ちる頃に地下の芋が食べ頃となる。
調理法は刺身や摩り身、独特の粘り気をもち、この食感を味わうのが主流らしい。
○フォース
手から衝撃を放つ四門魔法にすら属しておらず原典の<秘術>ですらない下位域魔法。
威力は基本的に<一般人が力を込めて殴った>程度。
詠唱を要せず、意識の集中のみで行使可能な為、魔を放つ才能がある者は大体自然と扱える。
ただ、威力や派手さが無く、ただ殴るだけなら意識の集中が邪魔な為にあまり利用されない。
魔法使用に関して厳しくない集落等で、自然体得した子供達が木の棒を振り回す感覚で扱うのを見かけたり見かけなかったり。
――コツは腕を伸ばして叩くイメージを持ち続ける事さ。
○飛竜・翼腕竜 ラムフォム・ネグル
前足に翼を持つ俗に言う飛竜、<ワイバーン>種の一種で成体の体長は約4m。
曲線のフォルムに艶やかな青灰色の鱗、黒い翼、晩年になると鱗の隙間からみせる赤色の地肌が特徴。
大陸北西部の渓谷地に生息し、雑食で主に魚や木の実、地中の根、芋、虫などが主食。
余り巣から離れず普段はおとなしい気性だが、刺激に対して敏感で直ぐにパニックや攻撃的になり高熱の咆哮を噴く為中々危険。
空運ギルドが少数は畜産しているものの運用の数には足りない為、大半が野性のものを調教し手懐けている。
運搬の積載量は大体300kg程。
○空運ギルド
飛行による物流運搬を行う、険しい陸路の先にある集落や拠点に利用される運送業務専門のギルド。
主な輸送手段としてワイバーン種やグリフォン種等、手懐けた飛行生物や魔法の道具を用いた単独の運搬員がある。
大陸内部では小さな領土がひしめき合っている為、領空よりも<何処から発ち何処で降りるか>を厳格に定めてられている。
コレにより領空域に侵入しても攻撃される心配は無いが、一度でも違反した場合、所属領土より厳しい罰則を受ける事になる。
――運送グリフォンは子供達に人気があり、着陸時に子供達が群がってくる光景が目に付く。
○ドラグネス Ⅰ
竜と人が交じり合い、<神の兵>として産み出されたと言われる<ヒト>種族。
男性は人型を模した両生類、爬虫類の様な姿でありバリエーションは豊富。
女性はほぼ<人間>ではあるが肌に鱗の痕跡、頭部には角とエラ状の耳、尻尾が生えている。
基本的に男女ともが長身、細身であろうと筋肉質である事が多く、名のあるドラグネスの多くは戦士として活躍する。
種族単位での特定のコミューンは形成しない為、人里に入れば人口比率からすると目に付く種族である。
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