2-1.故郷の味
朝もやがかかり、高い木々の中、うっすらと白い霧が立ち込め、ぼんやり青白い陽が射す。
その森の中に包まれながら、焚き火を囲み数十人近くの者達がうなだれている。
彼らは一様に傷つき、疲れきっており、うなされ、中には涙を流す大男さえいた。
彼らは飛竜の1種、<ワイバーン>を<捕獲>しに集った者達だ。
しかも、標的は野生の獰猛なものでなく、<空運ギルド>によって飼い慣らされた<調教済み>の1匹。
それを<捕獲>するために、ここ3日程の間、彼らは夜を徹して山奥まで入り込み、ワイバーンを相手に死闘を繰り広げていたのだ。
だが、結果は<ご覧の有様>である。
あるものはその牙に、あるものは爪に、そして尾撃、更には炎とまではいかないも高熱を帯びた咆哮を受け、次々に倒れ、戦意を失っていった。
<捕獲>というものは<討伐>よりはるかに難しい。
なぜならば、相手を殺すのではなく、無力化し、捕まえなければならないからだ。
標的に対しても怪我を治せる範疇でなくては意味が無い。
討つ結果だけ求められる<討伐>と違い、適度な加減を求められる<捕獲>をするには、その場しのぎで集った冒険者やハンターには荷が重すぎるのだった。
その中で1人、五体満足な男が居た。
屈強な体つき、引き締まった筋肉、ぼんやりとした陽でも照り返す坊主頭に、鋭い目付きをした長身の男。
彼こそがこの即席の捕獲隊のリーダーであり、そして今回の件を指揮する<空運ギルド>に属した者だった。
男は一団の様子を見て深いため息をつくと、彼らを労いつつ、鼓舞し回る。
しかし士気は低いまま、誰一人として顔を上げようとしない。
それもそうだった、彼らの大半にとってみれば、これはただの<小銭稼ぎ>が目的なのだから。
むしろ、こんなことに命をかけるくらいなら、普通の仕事についていた方がよっぽどいいと考えるのも無理は無い。
事実、捕縛の失敗とその返り討ちが続き、彼の直接率いる正規の空運ギルドの部下にもそのような考えを持つものは少なくなかった。
「トゥルパ…ちょっと…」
そんな中、彼の隣に仲間が寄って声をかけてくる。
「どうしたロン。次に追い込めそうな場所にでも算段が付いたか?」
彼は仲間の名を呼ぶと、その方を振り向き、ロンと呼ばれた男は首を横に振って言った。
「違うんだ、そっちはまだ見つからない。」
「じゃあなんだ?もうこれ以上、標的に逃げられるワケにはいかねぇぜ!?」
そう言って男は苛立ちを募らせるように地面を蹴りつける。
「あぁ、これ以上は我々が限界だ。もう物資が足りない。次に飛竜を捕縛できたとしても、その時には全員が下山する為の力が私達には残されていないんだ。」
ロンの言葉を聞き、男、トゥルパの表情はさらに険しくなり、矛先の向かぬ怒りを抑えようと頭部を撫で回しだす。
「くそっ!…上の連中がケチりやがったせいで。」
上役への愚痴をこぼすトゥルパに、サブリーダーであり友人のロンは気遣わしげに声をかける。
「仕方がないさ…。上は今、こうして踏み込んでしまった他領へのおべっかに忙しいんだ。」
「…おべっかだと?」
「言葉通りの意味だよ。飛竜を<停泊地>の外に入れてしまった以上、それなりの礼節を持って接する必要がある。何より時間稼ぎがね。それは我々の人員や物資よりも重要だということさ。」
トゥルパはギリギリと苦虫を噛み潰すような顔をし、納得いかないといった様子で腕を組み、黙考する。
大陸西部の領土協定で民間運送業の<制約>として厳しくされたのが<停泊>であった。
各領土が<停泊地>を決めており、運送業組織は長期にその認可を得て<停泊>しなければならない。
その代わりではあるが、移動し続けている限りは領域の進入と横断は基本黙認されていた。
しかし、事件、事故であろうと<停泊地>外での<停泊>が発覚してしまえば話は別、処罰を受ける事になってしまう。
今回、運送手段に用いた<ワイバーン>を暴走という形で、この<空運ギルド>は犯してしまった。
今頃上役たちは時間稼ぎの序に責任の落とし処を模索し、如何にして下の者達に擦り付け様と画策している最中というわけだ。
「…わかった、潮時だ、退く。」
結局、組織そのものが時間稼ぎを要した中、決着を付けられなかったトゥルパは重い口を開き、こう告げることしかできなかった。
「だが、飛竜をそのまま放置しておくのか?」
「だから次に繋げる算段は整えた。少なくとも私達のクビが飛ばないくらいのをね。そのため、私は動ける者を優先に隊の1/3は引き連れて下山し、救援と再編部隊共に戻ってくる。」
「…どれくらいかかる?」
「明日の明けには。キミはここに残せる人員を選んでおいてくれ、残りを率いて私は早急にここから離れる。道中、飛竜と遭遇してしまっては元も子もないからね。」
「…雇いの冒険者やハンター達は?」
ロンは少し考える素振りを見せ、そして答えた。
「彼らも負傷者が多い、キミに任せるよ、所属が曖昧な彼らの分断は得策じゃない。すまないが、もうしばらく面倒診てやってくれ。」
冒険者やハンターは所詮は一時雇われただけのいわば傭兵だ、双方に安全と義務の責任などは元々無い。
それに、この場に居る者のほとんどが、既に戦意を失いつつあり、指揮下に置くには邪魔でしかなかった。
トゥルパは静かにうなずいて承諾する。
―――
「それでは出立するが。辛抱していてくれよ。」
「あぁ、お前が帰ってこなかったら俺達は魔物の餌か、森林キノコの苗木だ。頼んだぜ。」
日が昇り切る前に、空運ギルドの面々を引き連れ、ロンは下山の準備を整え終えていた。
「……トゥルパ。まさかとは思うが、独断で飛竜を。せめて手負いしようとか考えるなよ?」
「ハ!なんだ!伊達に付き合いが長くねぇな。わかってるじゃねぇか。」
トゥルパは薄笑いを浮かべて言う。
やれやれ、とロンは肩をすくめながらため息をつくと、懐を漁り出す。
「まったく、しょうがない。」
そして、小袋に入った緑色の丸薬取り出し、ロンはそれをトゥルパに手渡す。
「これは?」
「眠り薬だ。ただ飲み込ませる必要があるが。」
「おい、こんなのあるなら初めから…」
「馬鹿を言うな。これは少人数、かつ対象が疲弊している前提で使える代物だ。」
ロンは長い髪をかき上げるようにしながら、呆れた表情をして見せる。
「それに、キミが無茶をしだすのは百も承知だからね。この様な事態を想定して作戦前に予め用意しておいたんだ。」
「お前は俺のオフクロか。」
「キミとの長い付き合いで子育ては心構えができてそうだね。」
「だが、今こそ使えるチャンスという事か。ぬかりねぇな。」
そう言って2人はお互いの顔を見合わせ、同時に吹き出した。
その後、ロンは改めて全員に向き直り、「くれぐれも、焦るなよ。」と別れに釘を刺した挨拶をして下山していく。
トゥルパはその様子を遠巻きに見つめ、森の影と霧に姿が消えるロンを見届けると、焚き火の方へ目を向けた。
冒険者やハンター達姿は先刻と何一つ変わっていない。
大半が傷を負いながらも疲れ果て、生気が抜け落ちたような顔で座り込んでいる。
「さて、まずは何と言っても飯炊きか。」
―――
殆どの者が手負いとなると、リーダーとはいえ自身が動かねば。
トゥルパは現状を真摯に受け止め、状況の確認も兼ね、食料の詰まった麻袋や木箱を開けては中身を物色。
「大分やられちまったな…」
初手で偶発的に起きた遭遇、もはや奇襲とも呼べる飛竜との襲撃から混乱と逃走劇。
それらの消耗で物資の大半が駄目になったのも仕方のない事だった。
これまでに消費した物資の量を考えれば、手持ちだけでは明日の明けには<かろうじて>といったところだろう。
やはり、ある程度の猶予をみておきたい。
トゥルパは現地で収集した食材を優先的に吟味し、使えそうなものを取り分け、調理を始めようとした。
「お、この芋は。」
トゥルパは1つの長い芋を手に取って、しげしげと見つめる。
それは<ヤーム芋>と呼ばれる芋で、トゥルパの故郷に自生していた物の近種であった。
泥の付いた皮を向き、刺身や摩り下ろして料理にかけたり、混ぜるのが一般的な食べ方である。
トゥルパは久しぶりの故郷の味を思い出しながら、手に持った芋をじっと見つめ気付く。
「へへっ、旦那、あっしが道中集めたもんで何かお役に立ちますかい?」
いつの間にいたのか、後ろ隣にはハンターらしき男が1人。
「お前がこの芋を?よく<掘り当て>られたな。」
「<掘り当て>た?へへっ、そう、言われると、そうなんですかね?」
トゥルパは少し引っかかる言い方をする男に疑問を抱き、芋を掘り当てた際の詳細を聞く。
男の話によると、道がらの窪みに足を取られて滑らせ、その不自然な窪みを覗くと木の根と共にこの芋を見つけたらしい。
ただ、先客が居た様で木の根は噛み砕かれ、芋も殆どが食い荒らされていたが、周囲には幾つか同じ窪みがあり、残ったものを引き抜いて来たとハンターの男は言う。
「ありがとうよ。もっと芋が見つかれば、今夜は豪勢に俺の故郷の料理を振舞ってやれそうだぜ。」
「そいつぁ、楽しみにしておきますぜ。何せ皆へとへとですんでね。うまい飯にでもありつければ元気になれまさぁ。」
トゥルパはハンターの男に礼を言い別れると、芋を眺めて一つの考えが浮かばせていた。
―――
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