1-2.河の流れのように
羽音が空を切る。
目の前を高速で飛び交う存在が間近で横切ったか、バチンッと赤いマントの男の顔面に風の鞭がはたきつけられた。
音、痛み、風、各々の方向の流れを読み取り、赤いマントの男は先を予測し視線を送る。
<とっかかり>は徐々に正体を突き詰めていき、音は影となり影は形を成し、それは男の知る存在と判明された。
「…<牙羽虫>!!」
風になびく長旗の様な胴体、鋭く巨大な左右のアゴ。
牙羽虫、<フライ・ジョー>とも呼ばれる魔物だ。
姿を捉えた赤いマントの男はすぐさまに掌を牙羽虫に向ける。
「…」
だが、男は詠唱を始めない、いや、始められなかった。
魔物と称されるだけはある体格でありながら、羽虫のその特性は失われておらず、牙羽虫を視界に収め続けられないのだ。
右へと追えば上に、上を狙えば下に感知し向ける頃には不規則にその位置を変えている。
捕らえてから詠唱を始めては既に遅い。
ならば、強襲を受ける際の反撃、男は剣を眼前に、両手で構えては迎え撃つ。
だが、その判断も<既に>遅かった。
羽音は再び風の鞭を鳴らし、男が剣を構え握り直す最中に撃ち当てた。
「しまっ…!」
構えの隙、手と剣の柄に残る先のぬめりがその脆弱性をあらわにし、赤マントの男の持つ剣は牙羽虫の速度に当て弾かれた。
赤い剣は男の手を飛び離れ、弧を描きながら川沿いの地面に突き刺さりその刀身を陽の照り返しで赤く輝く。
牙羽虫は勢いに乗ったのか、旋回の動きを小さく、そして早くしていき、赤マントの男へ何度も攻撃を仕掛けだす。
剣から発する赤い輝き、その光が身を屈めた少女の目に入り込んだ。
せめて何かしなければ。
少女は頭上の牙羽虫が赤マントの男に何度とぶつかり合う音に対し無力でいる自分に耐えられなかった。
そして剣から放たれる輝きに使命とも思える様な気持ちの昂ぶりに押され、赤い剣の元へ向かって走り出す。
「あ、おい!!」
そのとき、牙羽虫の行動が、旋回が大きくなり、身体を一度伸ばしきる様な飛び方へと変化した。
狙いを変えた。
赤いマントの男は狙いが元から少女だったと察し、咄嗟に少女へと目を向ける。
迷う暇などない事は既に証明されたのだ、ならばと男は策など弄せず少女と牙羽虫の斜線に割り込み迎え撃つ。
牙羽虫はそのアゴを大きく開き少女へと襲い掛かる。
そして赤マントの男は牙羽虫の口に向かってただ真っ直ぐと右腕の拳を突き出した。
男の腕は牙羽虫の口内に見事に突き刺さったのだ。
だが、それは刹那の間に過ぎず、牙羽虫は大きく開いたアゴの中の<異物>を砕く為に勢いよく閉じる。
そのアゴは男の右腕に締め付け、惨たらしい音を立てては牙が食い込んでいく。
男の腕からは食い込む牙と羽虫のあがきによって掻き毟られ、血が噴出しボタボタと流れていった。
―――<確信>、怒りも、焦りもない、男にはとって狙い通りとなった。
痛みを堪え両足に、そして口内の右腕の拳を握り締め、力を込める。
「…イグニ、クル、ムー、イル、<エクスプロード>!!」
すると牙羽虫の身体は突如として膨らみ、その腹の奥からの内圧で引き裂かれだした。
食い込んだ男の腕から爆炎の魔法が放たれたのだ。
炎、閃光、爆発音が裂けた身体から噴きあふれ、その激しい音を立て、空中に留めていた牙羽虫の肉体は砕け、ボタボタと血溜まりの草土の上へと落ちていく。
そして、その地面に転がる肉片の中には男の腕も転がっていた。
少女は気を失った。
彼女が受け止められる情報量、感情の振り分け、そして肉体の一時にかかる心身の疲労が限界を超えた。
―――
再び少女がその目蓋を開くと、青空と流れる白い雲が広がっている。
後頭部にごわごわ、ごつごつとした男の荷物だろうか、が枕の代わりに置かれていた。
「大丈夫か?」
「あの、私は…」
「心配しなさんな。ほんの一時気を失っていただけよ。」
少女は安堵を漏らす。
その顔を見てか、男の赤い襟巻きの下の表情がどこか和らいだ様に感じた。
男は水筒を差し出し彼女はそれを口にする。
「…腕は、右腕は大丈夫なんですか?」
「右腕?あぁ…大丈夫、大丈夫、ほれ、この通り。」
男はマントを水筒を手渡したその右腕でめくり上げ、肩までを晒すとぐるぐると回す。
少女の見間違えだろうか、右腕は男のその身に繋がり機能していた。
「まぁ、衣服と装備は焦げちまったがね…」
衣服の袖、革の小手は先の爆炎でか焦げ綻びているのに対し、あの爆発の直撃を受けながら見える素肌には傷という傷らしきものが見当たらなかった。
男はそのまま右腕を少女に向け、少女は男の再び差し出す右腕に甘え、立ち上がる為にそれを握る。
確かに腕は存在し、体重をかけると男の身体に少女の軽い体重が釣り掛かる。
少女は男の腕で立ち上がりその赤いマントの男に顔を目にやると、男の表情が豹変していた。
ボサボサの髪はまるで針葉樹のように逆立ち、瞳孔は開き一点を見つめている様で何処も見ていない。
少女の手から男の右手はするりと抜けると、右腕を抑え苦悶を喉で鳴らしながら、まるで尾雨乞いをするかのような踊りを始める。
「だ、大丈夫ですか!?」
「ひゃ、ひゃい、ひゃいじょうふ。き、きにしなしゃんな。」
声を掛けられ男は踊りを止めたが何かに堪える様に全身が僅かに震えていた。
―――
「フム、<瘴気石>か…、何かに反応して内包していた<瘴気>が漏れ出したのか?」
「ショーキセキ…?」
「<瘴気>、言葉通りだよ。瘴気の塊。」
ここまでの経緯と事情を少女から聞いた男は、魔物が寄って集る因子が少女にあるのではと、少女の持ち出してきた物、道中拾った物はないかと検閲をしだす。
そして彼女は河貝の収穫の際見つけた不可思議な晶石を取り出して男に手渡していた。
「言ってしまえば魔物寄せの<におい>を放つ石って所だな。今が明け方でよかったぜ。」
陽に<瘴気石>をかざし品定めを男は続ける。
夜間の魔物といえば悪霊、魑魅魍魎であり規格外生物とは違い、こちらは玄人すら専門的な退治方法や策が必要になる。
夜間じゃ石を見つける事も無かっただろうが、夜間に瘴気が滲み出されなかったのが幸運だったと男は言う。
「さて、このまま放置や所有するワケにはいかんよな…、悪いがコイツは俺が頂いて処分しても?」
「あ、は、はい差し上げます。」
「じゃあ、カエルと羽虫退治の手間賃って事で。」
男は石を地面に放るとそのまま剣の鞘尻で押さえ力を込め体重を掛ける。
パキリと石は音を立てひびが入り、石は剣からかかる更なる圧力によりそのまま数等分に砕けた。
「あ…」
少女の耳が垂れ下がる。
曰く付きの代物とはいえ一度手にした<おたから>を目の前で壊されるのに少女は落胆を隠せなかった。
「悪いね。この場で処分はしないと行けないものだからな。」
男は砕いた石の欠片を男は川に向かって距離と位置を分け次々と放り投げていった。
トプンとトプンと音を立て石は川の中へ沈んでいく。
「でも、砕いて大丈夫なんですか?」
「このテのはもんはね、大きいサイズにしておくのが危ないのさ。砕いてしまえば瘴気だなんだと溜め込んで置ける。小さければ量より吐き出す量のが大きくなって実質無害化するんだよ。」
男は手をパンパンと軽快な音を立てて払うと、気分を仕切り直す。
「さて、一件落着、か。お嬢ちゃん、キミの宿場町に案内してはくれないか。」
「それは構いませんが…、あ、おじさん!その前におじさんの無事を確かめないと。」
少女も気持ちが日常に戻り中年の男が身を挺して自身を逃がしてくれた事を思い出した。
そんなとき、少女の名前を呼ぶ声が川下の方から木霊する。
「ピアちゃーーんっ!!」
「おじさん!?おじさーん!こっちー!」
「おや、安否確認の手間が省けたか。」
騒がしい声の主の姿は叫び声の大きさと共に明確になってゆき、少女と共に居た中年の男が少女を認識するや目掛けて駆け寄ってきた。
ただその両手には人の半身はある程の流木だろうかが掲げられ、表情も怒りと興奮での昂ぶりが見受けられる。
「おぉぉぉ!この野郎ぉぉぉっ!今度は赤い<ゴースト>か!?<グール>かぁっ!?」
「は?」
「うおおおおおっ!ピアちゃんから離れやがれェェェッーーーー!!」
「おじさん!ちがっ…」
中年の男は流木を荒ぶる感情のままに放り投げた。
少女は反射的に赤マントの男から離れ、結果的に赤マントの男のみに流木が飛んでゆく。
「ひゃぁっ!」
「へ?」
「赤マントさん!!」
「よっしゃー!ストライーーーック!」
そして放たれた流木は赤マントの顔面に見事打ち付けられ男はそのまま打ち倒された。
「だから、おじさん!この人は!!」
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