紅い喰拓 GRAN YUMMY
嶽蝦夷うなぎ
1-1.河の流れのように
その長い耳を手で塞ぎ、目を背けていた少女が再び視線を戻すと、目の前は赤一面で覆われていた。
少女の前に男が1人、赤くその裾は所々解れたマントに覆われた男は、右腕を<牙羽虫>の喉元へ喰らい付かせ、その強襲を受け凌いでいる。
しかし、虫の羽音は高く激しい音を立たままで、弱まる気配など微塵も無かった。
羽虫のアゴから伸びる牙は男の腕にめり込み、肉に食い込む音も羽音と共になり続けたままでいる。
男の羽織る赤いマントから伸びる腕はその色とたがわぬ血が吹きこぼれ草土を染めていた。
だが、男は己が窮地のその最中、顔色を特に変えずぶつくさと一節の詠唱を口にする。
「…イグニ、クル、ムー、イル、<エクスプロード>!!」
すると牙羽虫の身体は突如として膨らみ、その腹の奥からの内圧で引き裂かれだした。
食い込んだ男の腕から爆炎の魔法が放たれたのだ。
炎、閃光、爆発音が裂けた身体から噴きあふれ、その激しい音を立て、空中に留めていた牙羽虫の肉体は砕け、ボタボタと血溜まりの草土の上へと落ちていく。
そして、その地面に転がる肉片の中には人の腕も転がっていた。
~~~
「ピアちゃん!少し休憩にしよう!」
河川脇に大柄の中年男が腰を手にかけ、身体を伸ばしながら少女に声を掛ける。
少し離れた川の中へ、その腕と足を漬けていた少女は自分の名前を聞き取ると、その長い耳を高くピンと張り、前かがみの腰と川の水に漬かった腕を<収穫物>共に腰を引き上げた。
「おじさん、見て!こんなに大きい河貝!」
「こりゃ最後に大物だ!よーし、今朝はコレくらいでいいだろう、少し休んだら店に戻ろう。」
一見親子の様な2人だが、男に比べ少女は頭から天へ向かってその長い耳が伸び、その細身の四肢は柔らかい毛で覆われている。
<フォウッド>の少女は既に集めた河貝で、溢れた手持ち籠に先ほどの<大物>を乗せると軽く水を切って抱きかかえた。
まだ聖堂の鐘すら鳴らぬ時刻ではあるが、既に陽は地面、草木、そして、河の水面を照らし、その反射で視界は光に溢れている。
中年の男は茣蓙を広げ、簡易コンロを設置し火の晶石を火種にしては湯を沸かしだす。
2人は湯が沸きあがるまでコンロに手を向け、清流で冷えた身体を暖めていく。
「ところでおじさん、コレは何?」
少女が収穫物の河貝の泥を落としていくと、その泥の中からには彼女の掌には少々過ぎたサイズの鉱石が現れた。
その石の色は一見河貝と同じく真っ黒で、光に当てると鈍い虹の色差し掛かるが、それは表面の反射というより内側から流れ込んでくるかの様だった。
「はぁ、なんだろうね。晶石の様で何か違いそうだが…」
中年男は手に取った鉱石を覗き込みながら簡易コンロに取り付けられた赤い火の晶石に目を移し見比べる。
火の精の塊である晶石とは色、輝きも違うものの何処か似通うモノを感じ取ったが、それが何かとは検討を得られなかった。
「ふーむ、案外お宝かも知れないな。町に戻って時間ができたら詳しく調べてみよう。」
「うん、そうする!」
少女は手に戻された石をしばらく覗き前掛けのポケットに仕舞い込んだ。
少女がここを訪れて半年ほど、ここでの日常の生活に染まった彼女も<おたから>という非日常的な刺激に心が躍りだした。
そうこうと作業が続く、少女は河貝の泥をほぼ全て払い落とし中年の男も川魚や野草の分別を終えている。
2人は持参した茶で一息を入れ談笑に花を咲かせていた。
―――
―――GUOE…GUOE…
少女の長い耳が立つ。
聞き慣れてありながら、何か違和感がまとわり着いた音を彼女の耳が拾い上げたのだ。
「どうしたんだい?ピアちゃん。」
「おじさん、何か、聞こえない?なんだか低く唸る音…」
「俺はフォウッドの様な耳は持ち合わせてないからなァ…」
少女の顔には先ほどまでの晴々としたにこやかな表情無くなり、不安気なものがあらわになっていた。
それを見て中年の男は周囲を気に配りだす、種族の機能差もあるが少女の笑顔が消えた事には男も不安を強く感じ得ない。
―――GUOE…GUOE…
「確かに…、何か聞こえるな…」
地面に低く響き渡る謎の音、中年の男が気付いたとき、河原の土には不自然な盛り上がりが2つできあがっていた。
2人は突如として目の前に現れた土の盛り上がりに驚くも平静を維持し身構える。
―――GUOE…GUOE…
あからさまな違和感、そして感じ取れる不安の元凶を前にし、再びその音を聞き取ったとき、土の盛り上がりは割れ、姿を現したのは2匹の巨大なカエル。
<ヒュージ・トード>だ。
その体長は屈んだ姿で既に大人の胸元から首元程はある巨大ガエルだ。
間の抜けた面相ではあるが、普段武器の携帯と利用に慣れない一般人が相対するには十分危険な生物であった。
「GUOE…GUOE…」
低い唸り声を上げ双方の巨大ガエルは文字通り上下左右に目を泳がせては辺りを伺っている。
気取られて居るかはわからない、だがこの場に居続けるにはいかないと緊張が走り出す。
中年の男は少しでも時間を稼ごうと、手をゆっくり伸ばしては簡易コンロを手で掴み、巨大ガエルに向かって放り投げた。
2匹両方の注意が逸れれば御の字、少女を覆い隠すように中年の男はカエルの反応を見定める。
「GUOE…GUOE…」
ガランと簡易コンロは地面を跳ね、設置されていた晶石もその赤い光を返して飛ぶ。
1匹はコンロの方へ注意が逸れ、その身体も方向を変えられたが、もう1匹は目の動きを一時的に止めるだけに過ぎなかった。
――――ドスン。
カエルがその1歩をこちらに向かって跳ねて進み、その間抜けな顔を近づける。
そして中年の男は意を決した。
地面に敷いた茣蓙をめくりあげカエルに向かって放り投げる。
その判断が早かったのだろう、カエルの瞬時に伸びた舌は茣蓙に張り付き吸い寄せ、同時に視界と武器の一つを封じる事に成功した。
中年の男は1匹のカエルにそのまま飛びかかり茣蓙を剥がれないように押さえつける。
「ピアちゃん!逃げろ!町付近まで行けば巡回兵や冒険者に助けて貰えるかもしれねぇ!!」
「おじさん、でも!!」
「大丈夫だ!こいつらには爪も牙も毒もねぇ!飲み込まれるか押しつぶされなきゃ問題ねぇ!今なら何とか耐えられる!早く!」
少女は彼の判断力に習い、迷わずにうなずくと町へと駆け出していった。
―――
「はぁっはぁっ…!ま、まだ追ってくる…の…!」
少女は川沿いに町へ向かって走る。
幸い逃げる方向に自分の滞在する町があり、このまま進めば町の玄関口付近に逃げ込めるはずだ。
だが、逃げ切る猶予は無いかに思えた。
時折振り返って様子を見たところ、追ってくるカエルは途中からいつの間にか距離はあるものの2匹へと増えていたのだ。
中年の男はどうしたのだろうか、最悪の事態が少女の脳裏に過ぎるものの彼女はただ町に向かって走るしかできない。
だが足には疲労が蓄積され息が途切れる間隔も短くなってきた。
「――あぅッッ!」
そのとき、少女は何かに躓くとその走った勢いに乗って前方へ転げ飛んだ。
何とか平行して登っていた坂から転げ落ちる事は無く、草木のお陰か軽い打撲の痛みだけがその膝と肘にじわじわと伝わってくる。
躓いた足元へ目を運ぶと、赤いボロきれ…、いや、赤いマントに包まれた1人の男が草の上横たわっていた。
「――…なんだ、騒々しいな。」
「ひ、ヒト?」
少女の不意な足蹴をきっかけにか、その周囲の伸びた草の様なハネて茫々とした黒い髪を掻き毟りながら、男はむくりと上半身を起こす。
男は無言で自分の眠りを妨げた存在を目で追うと、睨むわけでもなく、ただ少女に視線を送っていく。
「あ、そ、そのお兄さんも逃げ…」
「…ン?逃げる?」
――――ドスン、ドスン、ドスン。
男は少女の方に顔をむけるがその反対側からすぐさま鈍く地面を叩きつける音が鳴り響いた。
巨大ガエルはすっかり少女との距離を詰め、割り込んできた赤マントの男の前で止まる。
「GOOEEE!GOOEEE!」
赤マントへの威圧なのか、突如現れた邪魔者への対応に思案中なのかカエルはその場で止まって鳴きだした。
男は少女から頭の向きを変え目の前に突如現れた鳴き声の方を見上げると首をやや傾げ軽くため息を吐き出す。
「…イグニ、フル、ハス、イル、<ファイヤーボール>。」
慌てる様も見せずカエルの腹に向かって視線と左腕を伸ばし、男はまるで寝起きの不満をこぼすかの様に魔法の詠唱を行った。
そしてマントの中から伸びたその左腕、鈍い金属色をした厚めの小手に赤く眩く精霊の輪が描かれ、魔法の火炎弾が放たれる。
「GOUGEEE!?」
火炎弾はすぐさま巨大ガエルのその腹を殴り焼くと、カエルはその炸裂する音と共に腹から炎に包まれ吹き飛ばされた。
男は一息吐くと腰をあげ、衣服の土誇りを一通り払うと撃退したカエルの方など見向きもせず少女に近寄る。
今度は先ほど見せた左腕ではなく、簡易な革の手甲のみを着けた右腕を出して「ン…」と一言だけ発し少女に差し伸ばす。
「あ、あのまだ…」
だが、少女はその手を男に伸ばしかけるが手を引いた。
「どうした、腰でも抜かしたのか?」
「ち、違うんです、あ、あのまだ、まだカエルが!」
一時の安堵感で忘れてしまったがまだ危険が去りきっていない事を少女は思い出す。
男は首をかしげ疑問を浮かべる中、少女の警告は間に合わず、赤マントの男の背後から巨大ガエルの舌が纏わり付いた。
「…もう一匹居るんです!」
「居たのかよ。」
次の瞬間に男はもう1匹の巨大ガエルの伸びた舌に巻き取られ、カエルの口元へと吸い寄せられる。
「あ、赤マントさん!」
少女の慌しい様子とは違い、男はまるで冷め切った状態で抗う様子も無くその身を状況に任せたままであった。
そしてカエルが再び口を開き、男はそのまま飲み込まれるかに見えたが…。
「…赤マントて。」
次にその赤いマントがめくれあがり、中から姿を現したのは先の右腕と一振りの剣。
刀身はマントと同じで赤く、金属の鋭い光沢ではなく宝石とはいかないまでも、それは磨かれた石、晶石の様な照り返していた。
「恨みは無いが食われる義理も無いもんで。」
その<赤い石晶剣>は男と巨大ガエルの舌の隙間に刺し込まれ、舌を断ち切り自身の身体をその拘束から開放する。
「GUOOGUEEEE!!」
切断された舌の痛みにか巨大ガエルは悶え出し体勢を崩す。
地に足を着けた男はくるりとその場でカエルの方に向き直し、躊躇無くその抜いた剣を振るう。
気迫も殺意も無いその一閃、下から上への逆袈裟切り、巨大ガエルは腹を裂かれると、青い血潮を噴上げそのまま仰向けに倒れ絶命した。
「はぁっはぁっ、す、すみません!」
「…まだ居るとか無いよな。」
戦闘が終わり、駆け寄ってくる少女を横目に男は周囲の警戒を解くと、ため息を吐き、剣を払い拭うとマントの奥へと仕舞い込んだ。
「うへぇっ…」
そして男は自身に目を配り、纏わり着いたカエルの唾液に苦悶の表情を表す。
「あ、あの私の手拭か何かで…」
「あー、構わんよ。ま、こういうのは旅の日常茶飯事ってヤツさ。」
少女の配慮を断り、慣れた手付きで手拭いを腰周りから取り出すと、何やら同時に取り出した粉をふりかけ男はマントに絡みついた唾液を拭いだす。
「赤マントさんは…冒険者さん?」
「その聞き方に、その身形、キミは旅の者や同業者ではないな。この近くに集落が?」
「は、はいこの近くに滞在している宿場町があって…」
「フム。宿場町か…冒険者ギルドくらいあるといいんだが…」
男はそう粗雑な受け答えを済ますと川向こうを見続け、ただマントを拭う手だけ動かし黙り込む。
結果的に少女を助けた男だが関心はない様子で、少女はこの突如として現れた恩人に何か礼をすべきかどうなのかとどぎまぎする。
と、突如と身体を拭っていた男の手が止まり、顔の表情に何処か緊張がはしりだしていた。
「…あの?」
「しッ。」
男は少女の言葉を遮り、その時少女の長い耳が再びピンと立つ。
さも平和的な川のせせらぎに混じる違和感、耳で捉えるとそれだけで背筋に緊張が走り頭を固い糸と縛られるかのような感覚。
それは羽音だ。
何処からか、その羽音は少女と男の周囲を飛び回り近づいて来ているのがわかる。
「しゃがんでるんだ。」
男は少女の頭に掌を乗せ押し込み少女の姿勢を埋まらせ、少女もそのかかる力に素直に従う。
周囲は先に見渡した通り、静かに流れる川、それに反射する朝日の照り返し、絵に描いたかの様な郊外の朝の光景のまま。
「まだ居たのか、いや、<現れた>のか?」
男は納めて間もない剣を再び引き抜き、音の位置を探ろうと警戒を強める。
そして羽音は徐々に、鈍くもつんざく音を高くあげ、2人に近づいていく。
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