5-5.月は夜とともに

 慎は、自室でスマホをいじっていた。

 アプリで漫画を読んでいるが、中身は正直あまり入ってこない。

 窓の外の景色は着実に夜へと向かっており、山の輪郭だけがぼんやりと明るい。いつもなら、まだ学校にいる時間だ。


 今日は、放課後のモノクロ探偵部の活動は休みとなった。慎と灯が学校にいても、できることがないからだ。

 昼に綾宛ての手紙を書いて、それを放課後に円香へ託した。手紙は鞄と靴と一緒に、円香が帰宅途中に届けているはずだ。円香自身の荷物も合わせれば大荷物ではあるが、今は脚のケガを心配した母親が車で迎えに来ているようなのでちょうど良かった。

 あとは、綾のだけ。


「…………」


 綾のことが気がかりだ。もう手紙を読んだ頃だろうか。――そして、手紙に仕込んだ一手は功を奏するだろうか。

 何かして落ち着こうと、すでに読んだ漫画を意味もなく読み直す。それも虚無感が出てきて、柄にもなく机に向かって小テストの予習をする。それも内容が頭に入らず、ベッドに横たわる。しばらくしてスマホをいじり自然と漫画アプリを開く。ループしている。


 そのとき、スマホの着信音がループを遮った。


(来た……!)


 表示された電話番号の頭の数字は、携帯電話からの着信を示している。

 慎は画面の通話ボダンを押し、スマホを耳にあてる。


「……もしもし」


 声を出すが、通話相手の返答がない。

 こちらの声が聞こえているのか不安になってもう一度呼びかけようとしたところで、言葉が返ってきた。


『……夜岬さん……ですか?』


 その細い声と、間の多い喋り方が、想像した通話相手と一致する。慎は思わず笑みがこぼれた。


「ああ、あってるよ。都月さん」


 慎に電話をかけてきたのは、綾だった。

 これが、手紙に仕込んだ一手。提案したのは灯だった。


『電話番号書いておくといいんじゃない?』

『電話番号?』

『うん、一応ね。次に都月さんと会えるのって早くても週明けになっちゃうでしょ。だから早めに話せる手段を作っておいた方が思うの。都月さんから電話が来るかはわからないけどね』

『確かに、手紙だけだと俺が伝えるだけの一方通行になっちまうもんな……。わかった』


 ということで手紙の下に電話番号を書いておいた結果、灯の目論見通り綾から電話がかかってきたという状況だ。さすが灯である。

 今日モノクロ探偵部を休みにしたのも、もし電話が来たときに慎一人で落ち着いて話せるようにするためだった。


『……まずは、ありがとうございました』


 電話口から、綾の声が聞こえてくる。


「手紙のことか? 別にたいしたことじゃ」

『違います。……確かに、手紙もですけど……それよりも…………』


 言葉の端から伝わってくる緊張の中、慎は静かに次の言葉を待った。


『……中学のとき……助けてくださって、ありがとうございました』

「あー。そのことか」

『ずっと、お礼を言いたかったんです……! ……あのとき、夜岬さんが助けてくれなければ……私の冤罪は晴れないままでした』

「……礼を言いてーのはこっちの方だ。手紙にも書いたとおり、あの一件があったから今の俺があるんだ」

『そんなの偶然です。私は何もしてませんし』

「そうだとしても、あの事件がなければ俺はきっと腐ったままだった。たとえ偶然でも、知らないところで誰かにいい影響を与えることだってあるんだよ。……だから、あんま迷惑とか考えんな」

『……』

「つーか、そんなの都月さんじゃなくて俺らが決めることなんだよ。まず関わってみて、迷惑に思われてから距離を置くのでも遅くねーし。都月さんの能力ならそういう選別もできんじゃね?」

『…………もしかして今、結構ひどいこと言いませんでしたか?』

「……うん、今のはちょっと最低かもな、俺」


 要は都合のいい人とだけ関わって、合わなそうな相手は切り捨てろというようなものだ。

 相変わらず思ったまま口に出てしまう。


「いやでも待って、都月さんも似たようなこと言ってたじゃん。ほら俺の能力の話で。距離を置いた方がいい人見極められるみたいなこと言ってたじゃん」

『それは…………その、すみません』

「まあ謝るほどのことじゃないけど」

『……いえ、謝るほどのことです。……夜岬さんが能力のこと好きじゃないって聞いたばかりだったのに』

「……」

『それに昨日も、うらやましいなんて言ってしまって』

「……そんなこと――」


 ……気にしてないと慎が言っても、綾は気に病むのだろう。

 綾は真面目だ。そして、自分への優先順位が低い。きっと彼女なりに、不器用ながらも他人のことを考えている。会話が苦手でも、心の内には想いが溢れているのかもしれない。

 ……綾だけではない。誰だって、気になってしまうものだ。――誰かに言ったことを。誰かに言われたことを。

 慎だってそうだ。嘘が見えても、相手の真意が完全にわかるわけではない。むしろ中途半端に見えてしまうからこそ、気になる。だから嘘をつく相手との会話は疲れる。……だから、そんなネガティブな感情を隠すように、表面上だけでも軽々しく振舞うようになった。


「……会話って疲れるし……正直怖いよ。自分は今変なことを言ってないか。自分の言葉が相手を傷つけていないか。相手はなんでそんなことを言ったのか。自分はどう思われてるか。……気になって仕方ない」


 でも。


「だからこそ、俺たちはまた話すんじゃねーかな。わかり合うために」

『……』

「『うらやましい』とか言われたの、俺は気にしてねーよ。……でも、もし都月さんが悪いと思ってるなら、これからはそういうこと言わないように直せばいい。そうやって少しずつ会話の練習していけばいいんじゃね? ここにいい実験台がいるから」

『実験台、ですか?』

「そ、実験台。都月さんと話したいと思ってる、都月さんと仲良くしたいと思ってる、こんなに心開いてる人間、会話の練習にでも使わなきゃ損だぜ。……つーか俺も別に話すの得意じゃねーし、むしろこちらこそお願いしますって感じ」

『……卑怯です。……あの手紙を読ませた後にそんなこと言うなんて』

「卑怯で結構」

『……夜岬さんは卑怯ですよ。私の能力知ってるのにあんな手紙書いて』

「いやそれは灯の発案なんだけど。俺悪くねーよ」

『結構ノリノリで書いてたじゃないですか。手紙に触れたからわかりますよ』

「うっわそーいうこと言う!? それこそ卑怯だろ! ってか今思えば感情まるごと都月さんにさらけ出したことになるのか! 結構恥ずかしいことしたな俺!」

『そうですよ。……あんなに恥ずかしくて……真っ直ぐな手紙書かれたら…………』


 言葉尻が消えていく。ためらうような間の後に、小さな声で言葉が紡がれる。


『……信じるしかないじゃないですか』


 震える声には、喜びの色があった。


『夜岬さん、聞いてほしいことがあります。私は……』




>――――――>




「私は……」


 中学二年生のとき、夜岬さんを不登校に追い込んだことを後悔していた。

 もう他人に迷惑をかけたくない。だから独りでいたい。

 そう思っていたのに……私の行動は矛盾だらけだった。

 ――中学三年生のとき、転校先で出会った天野さんと親しくなった。

 ――三日前、天野さんから夜岬さんのことを聞いて、モノクロ探偵部を訪れ、さらには活動を手伝うことにした。

 私がとっていた行動は、孤独とは真逆だった。

 迷惑をかけたくないなら、最初から関わらなければ良かった。

 それなのにみんなと関わろうとしていたのは――。


「――私は、寂しかったんだと思います」


 電話の向こうで、夜岬さんが『うん』とうなずく気配があった。

 寂しいなんて、自分の中にそんな感情があるとは思わなかった。

 だけど、気づいてみれば、受け入れるのは簡単だった。

 今思えば、能力を使っていろんな想いに触れていたのは、誰かの感情で自分の孤独を埋めたかったのかもしれない。


「私は、自分のせいで誰かに迷惑をかけたくない。でも、本当は寂しくて、友達が欲しい。……どっちも叶えるなんて都合のいいこと、私にはできません。そんなに器用じゃないんです」


 そんな不器用な私は、片方だけしか選べない。

 今までは寂しいという気持ちを閉じ込め、誰にも迷惑をかけないように過ごしてきた。

 だけど、これから選ぶのは――優先するのは、自分の気持ち。


「だから、その……迷惑、かけてもいいですか?」


 こんなのは、エゴだ。迷惑をかけてでも、私は彼と仲良くなりたいと望んでしまった。


「夜岬さんが、私のことを迷惑に思っていないということはわかりました。でも、これからのことはわかりません。もしかしたら、迷惑をかけてしまうようなことがあるかもしれません。それでも――」


 声が止まる。

 次の言葉は決まっている。電話を始めた時点で言おうとしていたことだ。なのに、最後の一言が出てこない。

 緊張で口が動かない。でも、心臓の鼓動が、私を責め立てるように鳴っている。

 そしてやがて、言葉が押し出される。




「それでも……友達になってくれますか?」




 私の顔は、きっとかつてないほど赤くなっている。

 電話で良かった。こんなことを直接、それも本心がばれてしまう夜岬さんに言うのは、私の身が持たなかった。


『……いろいろ書いたり言ったりしたけどさ』


 しばらくして、電話口から声が返ってきた。


『結局のところ、迷惑とか関係ねーんだよ。友達になりたい。それだけでいいんじゃねーかな。……もっと素直になりゃ良かったんだ』


 答えは、とても単純だった。


『俺の方こそ、都月さんと友達になりたい』


 耳元で聞こえたその言葉には、一切の迷いがなかった。


『だから、これからもよろしくな。都月さん』


 優しい声音。

 私にはそこから感情を読み取るような能力はないけど――。

 ――その言葉に嘘はないと、素直に信じられた。


 山の輪郭が夜に混ざる中、月が輝き始めていた。

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