第1部エピローグ
ようこそモノクロ探偵部へ!
月曜日の昼休み。
慎と灯はある生徒に呼び出されて、人気のない校舎裏に来ていた。
「ごめんなさい」
その生徒――先週解決した一連の脅迫事件の犯人である本城観依は頭を下げた。
「今朝、都月さんと話したの」
どうやら、いつも通り朝から図書室にいた本城のもとへ、綾がやって来たらしい。二人はそのまま場所を変えて話をしたそうだ。
『本城さんの話は、全部聞いていました』
慎が本城を糾弾している様子を、綾は208教室の外で聞いていた。だから、本城の動機も、綾は知っていた。
『私は本城さんが思うような強い人間ではありません。誰にも迷惑をかけないように独りでいましたが、本当はただの寂しがりやな弱い人間です』
本城が盲目的に憧れた『都月綾という孤高の存在』。その偶像は綾本人の言葉によって崩落した。
しかし、本城がその事実を受け入れるのは意外にも早かった。慎に糾弾されてから、本城は自分の間違いに気づき始めていたようだ。
『あなたのしたことは、良くないことだと思っています。でも、許すかどうかは被害を受けた方々が決めることです。私自身は何もされていませんから。……だから、みんなに謝ってください』
その後、綾の言葉通りに本城は被害者へ謝罪した。
脅迫状を送られた天野円香は、『実害はなかったし、脚を休めるきっかけになった』といって本城を許した。
対して、脅迫写真を撮られた五十嵐成美は、謝罪する本城に敵意を向けていた。しかし、もとはといえば成美が綾の本を取ったことが発端であり、自分にも非があるため強くは反撃してこなかった。
「それで、私が例の写真を消すことで手打ちになったの」
「もう消したのか?」
「スマホの写真は消した。自宅のパソコンにも保存してあるけど帰ったら消すつもり」
白。嘘はない。この様子なら宣言通り消すことだろう。
灯が受け取っていた写真も成美へ返却済みなので、これで成美と元カレのことが拡散されることはないはずだ。
「……今は自分のやったことを反省してる。あなたたちにも、迷惑をかけてしまった。改めて、ごめんなさい」
「天野さんと五十嵐さんと和解できたなら俺たちは別に大丈夫だ。灯は?」
「うん。反省してるならあたしたちから言うことはないよ」
「だな。じゃあ一件落着ってことで教室戻るか。昼休みは休まねーとな」
その場を去ろうとする慎を本城は「待って」と呼び止める。
「まだなんかあんのか?」
「実はもう一つ、都月さんから言われたことがあって……」
本城は、その内容を慎に伝える。
『一つお願いがあります。みんながあなたを許した後で……できれば今度は私と仲良くしてください。……図書室でよく本を読んでいるあなたのことを気になっていました。もしよければ……友達になってくれませんか』
慎は、予想外の言葉に目を丸くした。
「そっか、都月さんがそんなことを」
それは、綾からすれば相当な勇気を要する言葉だっただろう。
「はい。……正直、あんなことをした私が彼女と友達になるなんて申し訳ないというか……」
「都月さんがそう言ってるならいいんじゃねーの?」
後は二人の問題だ。
◆◇◆◇◆
「あ、やっと戻ってきた」
慎と灯が一年一組の教室に入ると、渓汰が声をかけてきた。
「ん? なんか用か?」
「用ってほどのことじゃないんだけど、二人にお礼を言いたくて」
「渓汰に礼言われるようなことしたっけ」
「おれは何もないけど、成美が世話になったみたいだから」
「あー、そっか」
思い当たるのは、脅迫事件のことだ。
事件の調査中、成美から物証の脅迫写真を受け取ったときに、慎は一つ約束をしていた。
『全部終わったらでもいいから、その写真のことを渓汰にも話してくれ』
成美が元カレに抱きつかれている写真。それを誰にも知られたくないから、成美は一人で抱え込んでいた。
しかし、隠し事があると少なからず態度に影響が出てしまうものだ。そのせいで不和が生じる可能性もある。
だから、写真の件を渓汰に隠し続けるよりは、いっそのこと打ち明けてしまった方が良い。慎はそう考えた。渓汰なら、ちゃんと話せばわかってくれるはずだ。
最初は渓汰に話すことを嫌がっていた成美だったが、慎の説明を聞いて『わかった』と了承した。そこに嘘はなかった。
おそらく本城が謝罪したことで、成美の中で脅迫写真の事件がひと段落ついた。だから、すべてを渓汰に打ち明ける決断をしたのだろう。
「といってもおれ、まだ何があったか知らないんだけど」
「聞いてないん?」
「うん。さっき、職員室から戻ってくるときに成美と会って『話したいことがあるから今日一緒に帰ろう』って誘われたんだ。なんのことかわからないけど、とりあえず探偵部に助けてもらったって言ってた」
成美が約束を果たすのは、これからのようだ。
そこで、灯が口を開く。
「放課後デートか……。憧れるなぁ」
「傍から見たら日野川さんも似たようなものだからね」
「え、慎と二人で部活やってるからってこと? ありえないって」
「渓汰ー、その冗談そろそろやめようなー。『ありえない』とか言われてる俺が傷つくから。俺ちょー繊細だから」
その話題のたびフラれたみたいな気持ちになるからやめてほしい。灯のことが好きとかそういうのじゃないけど。
「あ、でも今は二人じゃなくて三人なのかな?」
「なんだ三人って」
「慎、日野川さん、そして都月さんで三人でしょ」
なんで都月さんがモノクロ探偵部に出入りしていたことを知ってるんだ? いや、それよりも……。
「前も気になったんだけど渓汰って都月さん知ってんの?」
「知り合いじゃないよ。話したこともない。けど……」
渓汰は何やら難しい顔をして首を傾げる。
「なんか言いにくいことなら無理には聞かねーよ」
「……いや、やっぱり慎と日野川さんには話しておくよ。都月さんと知り合いみたいだし」
渓汰は小声で話し始めた。
「実は前に、成美と都月さんの間でちょっとしたトラブルがあったんだよ」
「五十嵐さんが都月さんの本取ったって話か?」
「あ、知ってるんだ。……そのとき成美、部活が上手くいってなくて少しイライラしてたんだ。それもあって都月さんに強く当たっちゃったみたい」
脅迫写真の調査のときも、成美は部活で悩んでいたと言っていた。それが綾とのトラブルの一因でもあったようだ。
「成美もそれは反省してるんだけど、まだ都月さんには謝れてないみたい。成美、ちょっとプライド高いから」
それは……なんとなくわかる。
「けっこう先送りにしてるみたいだし、おれからも謝るよう言おうと思ってる。……ちなみに、慎はなんでこのこと知ってるの? 都月さんから聞いた?」
「いや、五組の人から聞いた。本人からはなんも聞いてねー」
「なるほど。……できたらでいいんだけど、都月さんがこの件どう思ってるか、それとなく確認してもらってもいいかな? 温度感を知っておきたいんだけど……」
「そういう器用な立ち回りを俺に求めんな。灯、任せた」
「わかった……って言いたいところだけど、こればっかりは慎の方が適任じゃない?」
「そうなの? 都月さんって慎と仲いい感じ?」
「うん。あたしの入る余地がないくらい」
「変な言い方すんな! ってかすっかり流しそうになったけど、そもそも渓汰なんで俺たちが最近都月さんといたこと知ってんだよ!」
「それは知らないけど、実はさっき職員室で聞いちゃったんだよね。……って、そうだ。その話もしようと思ってたんだ」
渓汰は突然、嬉しそうに手を叩く。
「おめでとう。慎、日野川さん」
「「?」」
慎と灯は仲良く疑問符を浮かべる。
次に渓汰が放った言葉に、二人の驚きの声がこれまた仲良く重なった。
◆◇◆◇◆
放課後。
慎と灯が208教室の扉を開くと、窓際の席に着いて本を読む綾の姿があった。
綾は教室に来た二人に気づき、その顔を不思議そうに見つめる。
「どうしたんですか? 驚いたような顔をして」
「いやそりゃびっくりするって……」
言いながら、慎は教室に入る。灯がそれに続いて扉を閉めた。
二人は綾の近くの席に荷物を置き、椅子に座る。慎は言葉を続けた。
「俺たちなんも聞いてなかったんだけど。まさか――」
慎は、いまだに信じられないその事実を口にした。
「――都月さんが入部するなんて」
昼休みに渓汰から聞いたときは、耳を疑った。
『都月さん、モノクロ探偵部に入部したんでしょ? これで部員三人。晴れて正式な部に昇格じゃん』
聞けば、渓汰は職員室へ行った際に綾を見かけたらしい。綾はちょうど、モノクロ探偵部の入部について鬼瓦と話していたようだ。
綾の入部は初耳だったが、渓汰が嘘をついている様子はない。ダメ押しとばかりに、午後の授業で教室に来た鬼瓦からも入部の件を伝えられた。
これでモノクロ探偵部の部員は三人になり、部としての規定人数を満たす。よって正式な創部の申請が可能になった。
「一度勧めたあたしが言うのもなんだけど、まさか本当に入部してくれるとは思わなかった」
灯も驚いている。そういえば落書きの調査をしていたときに冗談めかして勧誘していた。
「恩返しがしたいんです。……中学時代のことも、今回の事件のことも、私は助けてもらってばかりでした。夜岬さんと日野川さんのおかげで、私はまた、天野さんと話せるようになりました。……もともと、私が勝手に遠ざけていただけでしたけど……」
「そんな恩返しなんて理由だけで入部してくれなくてもいいんだぞ?」
「それだけじゃないんです」
より強い口調で綾が言う。
「私もこの能力を活かして、人助けをしたいんです。……誰かの助けになっているって思えるようになれば、悪いことばかり考えてしまうこんな私の性格も変えられる気がして」
その理由は、慎がモノクロ探偵部を作った理由と似ていた。
人助けを通して自分の能力を好きになりたい慎。
人助けを通して自分の性格を好きになりたい綾。
自分を変えたいと意気込む綾の姿に、慎は過去の自分を思い出した。
「それに……」
そこで、綾は急に口ごもる。まだ何か理由があるのか?
「……友達と、一緒に部活をしたいっていうのは……駄目な理由ですか?」
うつむく綾の顔は、ほんのり赤く見えた。面と向かってそんな純粋純白な言葉を告げられ、慎も照れくさくなる。
むずがゆい空気の中、灯が立ち上がり、満面の笑みで綾に近づくとその手をとった。
「もちろん大歓迎よ! 都月さんがいれば調査の幅が広がるし! あとあたしも友達になりたい!」
「あ、その……はい。よろしくお願いします」
「やった! よろしくね、綾ちゃん!」
「え、名前……」
「あたしのこともぜひ名前で呼んで!」
「き、急に言われても心の準備が……」
綾は灯の押しの強さに困惑している。当たり前だ。慎と綾が遠回りしてやっとたどり着いた『友達』という到達点に、灯はダッシュでやってきたのだから。
「……ひ、日野川さん、そろそろ手を放してほしいです」
「あ、ごめん! 急に手握っちゃって! 嫌だったよね」
言って、灯は手を放した。
「い、嫌ではないです……! ただ、その、想いが強すぎるといいますか……」
想い? 慎は疑問符を浮かべるが、すぐに気づいた。
「都月さん、もしかして手繋いだりしても能力発動する?」
「は、はい。普通は発動しないんですけど、こう、強く握られたりすると読み取れることがあります」
「……ちなみに今手握ってた灯の想いはいかがなもので?」
「……その、嬉しいという感情がこれでもかというくらい伝わってきて……すみません私の身が持たなそうでした……」
同じ部活の仲間ができて、友達ができて、灯はかなりご満悦なようだ。日の光に照らされすぎて月は眩しそうにしている。
……それにしても、最初は痕跡を読み取る能力と聞いていたが結構汎用性高いんだな。前に、本に付いた小さな皺とか指紋からも多少の感情を読み取れるといっていたし、そうなると手を握ると何から感情を読み取ってるんだ? ……手汗とか?
綾の能力について考える中で、「あ、そうだ」と慎は思い出した。
「都月さんの能力名考えたんだよ」
「え?」
灯が半眼で見てくる。おいさっきまでの笑顔はどうした。
「また変な名前考えたの?」
「変とは失礼な半日費やして決めた力作だぞ!」
「時間を費やすほど不安になるのよ」
「いや聞けって! 俺の〈
「じゃあダメじゃん」
慎は灯の言葉に構わず、ポケットからシャーペンとメモ帳を取り出す。
「触れるだけでこの世のあらゆる痕跡を読み解き、先人たちの眠れる記憶を追想して未来へつないでいく! それはまるで、針先で凹凸をなぞって音楽を奏でるレコードのよう!」
言って、意気揚々とメモ帳に書き込んでいった。
「そこで俺が考えた能力名がこれだ!!!」
シャーペンを置いて、慎は今しがた書いた文字を灯と綾に向けて自慢げに掲げた。
「〈
「………………」
たっぷり数秒の間を置いた後、灯がたっぷり大きくため息をつく。
「……想像はしてたけどやっぱりそういう感じなのね……」
「え~? だめか~?」
「さすがにこんな名前、綾ちゃんも嫌でしょ」
「その……メモ帳、触ってもいいですか」
綾は、慎からメモ帳を受け取ると、今しがた慎が書いた文字を指でなぞった。
「……嫌では、ないです」
「ほっら見ろ灯!」
「綾ちゃん、気を遣わなくていいよ。そういうことすると慎すぐに調子のるから」
「気を遣ってるわけではありません。本心です」
「俺のセンスが時代に追いついたぜ! いえ~い!!!」
「慎うるさい。また肩揉んであげようか?」
「あ、はいすみませんおとなしくします。……いや待って肩揉むって本来脅し文句じゃなくない? おっかしーなー」
慎を無視して灯は綾に話しかける。
「それで綾ちゃん、真面目な話だけど、そんな名前勝手につけられて大丈夫?」
「はい。私はこの名前がいいです」
綾は慎のメモ帳を大切そうに触りながら、ほほ笑んだ。
「夜岬さんの想いが詰まったこの名前が、私は好きです」
「……わかった。あたしが口出すことじゃないみたいね」
大切なのは、名前そのものではないのだろう。
「さて、それじゃあ部長。そろそろ部活始める?」
「え、部活っつっても依頼なくね?」
「やることはあるでしょ。創部申請できるようになったんだからその手続きとか」
「あー、そっか。何が必要か渓汰に訊いときゃ良かったな」
「あとは新入部員の綾ちゃんに部活説明」
「今更説明することなくね?」
「それでも形から始めるのが大事なの。何か公的な説明を考えて。きっと創部申請でも活動内容とか書くんだから」
「形から、ねぇ……。じゃあ、まずは今更だけど自己紹介でもしとくか」
慎が立ち上がり、灯はその横に並んだ。
「俺はモノクロ探偵部部長の夜岬慎だ」
「あたしは副部長の日野川灯」
二人は、これから部活の仲間に加わる彼女――都月綾へ笑いかける。
「ようこそ、モノクロ探偵部へ!」
<第1部 完>
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