4-4.観察、そして妄信

 色橋高校入学以来、私は都月さんに試験で勝てていない。

 中学のとき以上に、私は勉強に力を入れている。それでも、都月さんが一位で私が二位という結果は動かない。

 なぜ都月さんの方が勉強できるのか。勝てない理由を知りたくて、私は彼女の観察を始めた。


 ――授業中。私は時折、斜め前の席の彼女へ視線を送る。ノートの取り方は私よりも上手いと思う。板書の内容を整然と書き写しており、字も綺麗だ。授業中に指名されても、顔色一つ変えずに、小さな唇をかすかに動かし正解を告げる。私だって間違えることはないが、凛としたその姿は私には真似できない。

 ――休み時間。私は友人と話をしながら彼女の様子を伺う。彼女の行動は、一人でお昼ご飯を食べているか、本を読んでいるか、勉強をしているか。教室ではそんな姿ばかりだ。教室の喧騒など、どこ吹く風。クラスメイトの天野円香が彼女に話しかけることもあるが、彼女は言葉を返さない。独りでいることにこだわりを持っているようだった。その気持ちを、私は想像できない。

 ――放課後。彼女は、図書室へ向かう。私はもともと毎日のように図書室へ行くので、観察を目的としなくとも自然と彼女と同じ場所で過ごすことになる。彼女が勉強をしていれば私も勝手に対抗心を燃やしてペンを走らせる。お互い本を読んでいるときも、私はたまに横目で彼女を見てしまう。つり目がちの視線を活字に向け没頭する姿は、まるでその空間だけ切り取られたかのように静かで美しい。また、彼女が読んでいる本も気になった。私が読んでいない貸出本を彼女が読んでいたら、彼女の返却後に私も借りて読み始める。彼女の時間を追体験しているような不思議な感覚に、なぜか緊張した。話題の本が発売した時期は、彼女も私も同じ本を持参しておりひそかに親近感を覚えることがあった。


 ……最初は、都月さんに勝てない理由を探すために彼女を観察していたのに、気づけば私は、彼女を見て知ることそれ自体を楽しむようになっていった。

 私は、わからなかった。

 ――私はなぜ、ここまで彼女に惹かれているんだろう。


 彼女は真面目で物静か。勉強ができて読書が好き。

 私と本の趣味も合いそうで、話せば友達になれるかもしれない。

 ――似ているから惹かれている?

 ――私は、都月さんと仲良くなりたいと思っている?

 自分の中から生まれた問いに、私は首を横に振る。

 それは、できないことだ。都月さんは他人と壁を作っているから。

 無為な交流を避け、人を遠ざけ、いつも独りで過ごしている。

 孤独を貫くその姿勢に気高さすら感じた。


 ……そう、似ているなんておこがましい。私は、彼女と真逆だ。


 私は、家族に、友人に……誰かに認められたくて、勉強を頑張った。

 周囲に溶け込めるように、態度を繕って過ごしてきた。

 ――他人と、つながっていたかった。

 だけど、彼女は違う……。


 ……――これだ。


 これが私と彼女の違い。

 私になくて、彼女が持つ強さ。

 そこに、私は惹かれているのだ。


 彼女は自分のやることにまっすぐで、無駄な交友を切り捨てている。

 そこまで徹底しているなら勉強で負けても仕方ないと思った。

 入学式以来私が抱えていた焦りは、諦めに変わり――そして憧れになった。


 私は、他人と関わり認められることでしか自分を満たせない弱い人間。

 彼女は、他人のことなど気に留めず孤独に歩み続け、きっとこれから何か大きいことを成せる、強い人間。

 彼女のこの先の姿を、私は観ていきたい。

 ――私にはない強さを持った彼女の姿を。


 ならば、彼女が独りになれるよう私も手助けをしよう。

 都月綾は、他人と壁を作っている。

 だから私は彼女に関わらない。

 私は、彼女を観察する。

 私はいつも、彼女を見守っているだけだ。

 ――外敵からの干渉を防ぐために。


 ――天野円香は、都月さんにしつこく付きまとっていた。……都月さんは独りで過ごそうとしているのに、余計なことをするな。

 都月さんが無視しても構わずに、天野円香は話しかける。しかし、ある時期から思いつめたような表情になることが多くなり、都月さんに話しかける回数が減った。都月さんとの間に何かがあったというよりは、何か心配の種があり、都月さんに話しかける余裕がないといった感じだった。

 ……チャンスだと思った。天野円香が思いつめている理由がわかれば、今後も都月さんから引き離すことに役立つかもしれない。

 私は天野円香を観察し、調べた。体育の授業でクラスメイトが教室にいなくなったタイミングで天野円香の鞄を漁り、脅迫状を見つけた。

 これだ。背景はわからないが、これが天野円香の様子がおかしいことに関わっているに違いない。

 ――この心配の種がある限り、天野円香は都月さんに話しかける余裕をなくしていくだろう。

 そんな考えが、頭に浮かんだ。

 それから定期的に天野円香の鞄の中を探したが、脅迫状は二通目で止まっていた。差出人が見つかるなどで脅迫状の件が解決したのかと思ったが、天野円香は依然思いつめた様子だ。事件が解決したわけではないのだろう。

 ならば、今の状況をできるだけ引き伸ばしたい。――天野円香の心が、都月さんから完全に離れるように。

 私は行動に移した。二通で途絶えていた脅迫状を模して、三通目を作成。それを彼女の鞄の中に入れた。


 ――五十嵐成美は、都月さんの本を奪い、怒らせた。……都月さんは読書に集中しているのに、邪魔をするな。

 五十嵐成美は、中学の頃から知っている。少し気の短い性格の生徒だ。クラスの中でも一番目立つ女子グループの一人で普段はグループの中で仲良く過ごしているが、機嫌が悪いときはグループ外の人に当たりが強くなる。そしてそんなときは、極端に沸点が低い。都月さんとのいざこざも、そんなタイミングの悪い出来事だったのだと思う。

 次に五十嵐成美のスイッチが入ったときに、また都月さんに危害を加える可能性がある。だから私は、新たな問題で都月さんへの関心を消そうと考えた。

 私と五十嵐成美は電車通学で、降りる駅も同じだ。私は普段の道から少し外れて、五十嵐成美の弱みを探ろうと観察しながら帰宅するようにした。そしてある日偶然、五十嵐成美が中学時代の元カレと遭遇する現場を目にした。五十嵐成美に現在交際相手がいることは知っている。だから、この現場を押さえれば、彼女を揺さぶる良い手段となる。

 私は何枚か写真を撮り、一番良い写真を脅迫写真として印刷した。そしてそれを、五十嵐成美が卓球部の朝練の鍵当番になるタイミングで、落書きとともに体育倉庫の壁に貼り付けた。

 写真は、下駄箱や机の中に入れておいても良かったが、控えめなやり方では火に油を注ぐ可能性がある。直情的な彼女ならば、直近でいざこざがあった綾を犯人と思い込んで問い詰めるかもしれない。だから、『こちらはすぐにでも写真を公開するつもりだからおとなしくしていろ』とプレッシャーをかける意味合いで、多少人通りの場所に写真を貼り、落書きで目立たせるという手段をとった。

 予定通り五十嵐さんが写真を見つける様子を、私は図書室から観察していた。もし五十嵐成美以外の誰かが写真を発見してもそれはそれで良かった。浮気ともとれる写真で彼女の立場が悪くなれば、どちらにしろ都月さんに関わる余裕はなくなる。


 ――そして、私が最も危険視したのは、モノクロ探偵部の二人。都月さんは突然、あの二人と過ごすようになった。

 放課後、208教室に居座っているだけの怪しい部活。たまに、生徒会役員で五十嵐成美の彼氏でもある渡瀬渓汰が訪れ、その後モノクロ探偵部の二人が生徒会に交ざって掃除や荷物運びをしている様を見かける。探偵部とは名ばかりの、ていのいい雑用係だ。

 図書室から見ていた私には、その程度の認識だった。……そこに都月さんが交ざりさえしなければ。

 三日前の放課後、都月さんは突然208教室を訪れた。モノクロ探偵部の二人と話している様子で、さらに、私が五十嵐成美の脅迫のために描いた落書きの掃除も三人で行っていた。孤独を好む都月さんがなぜ二人と一緒に行動するのか、理解できなかった。

 ……特に夜岬慎は、図書室で都月さんと親しそうに話していた。内容はちゃんと聞き取れていないが、あんなにたくさん話す都月さんを私は見たことがなかった。

 しかし、単純に都月さんが夜岬慎や日野川灯に心を開いたというわけでもないようだ。都月さんは、放課後以外に二人と会っても、無視して離れていくだけだった。天野円香のときと同じだ。

 ――やはり都月さんは変わらず、独りでいることを望んでいる。彼女がモノクロ探偵部の活動に交ざっているのには、何か事情があるのだ。

 ならば、モノクロ探偵部が活動しなければ、都月さんは再び独りに戻れる。

 モノクロ探偵部が朝も活動していることを知っていた私は、二人が登校するよりも早く208教室へ行き、黒板に『活動をやめろ』と脅迫文を書いた。


 すべては、都月さんを独りにするために、私がとった行動だった。




>――――――>




「……勝手に決めつけてんじゃねぇよ」


 本城の動機を聞き終えた慎は、不快感をあらわにした。

 そこに、いつものような軽薄な姿はない。


「なんだよそれ……ただの独りよがりじゃねぇか。勝手な思い込みで他人に迷惑かけて……それが都月さんのためとか言ってんじゃねぇよ。ただの自己満足だろ」

「でも、現に都月さんは自ら独りになろうとしている。それは否定できないでしょ」

「そんなの……! ……たとえそうだとしても、本心なんて都月さんにしかわからねぇだろ! そんなの、俺たちが勝手に決めることじゃ――」


 そのとき、慎の言葉を遮るように、208教室の扉が開いた。

 教室にいる三人は、一斉にそちらを向く。


 ――廊下に、綾が立っていた。


「都月さん……なんで、ここに……?」


 綾には帰るように伝えた。なのに、どうして。


「……すみません、帰ったふりをして図書室にいました。そしたら本城さんが連れていかれるのを見て……気になって来てしまいました」


 ……考えてみれば当たり前だ。綾はもともと、放課後はいつも図書室で過ごしていた。モノクロ探偵部の活動がなければ帰路に就く前に図書室へ行く可能性はあった。


「……聞いてたのか?」

 

 慎の問いに、綾は静かに、機械的に、口を動かす。


「……本城さんの言う通りです」


 いつにも増して無表情。まるで、感情を無理やり押し殺しているようだった。


「私は、独りになりたいんです。……放っておいてください」


 それだけ言い残して、綾は去っていった。


「――くそっ!」


 頭よりも先に、体が動いた。

 慎は教室から駆け出す。廊下に出たところで視界の端に綾の姿をとらえ、後を追う。

 ――このまま、逃がしてはいけない。


「まてっ――!」


 出だしは遅れたものの、足の速さでは慎の方が上。距離は少しずつ縮まり、生徒玄関まで来たところで射程距離に入った。二人とも外履きに履き替えないまま校舎を出たところで、慎は前を行く綾の腕を掴んだ。


「離してください!」


 綾の声は、先ほどとは打って変わって感情的だった。

 綾は慎の手を振りほどこうとするが、さすがに男である慎の方が優勢だ。


(ここからどうする……!?)


 綾を捕まえたはいいが、慎はかける言葉に迷っていた。

 しかし考えている間にも綾の抵抗が強くなる。逃げられるのも時間の問題かもしれない。慎は意を決して、衝動のまま言い放つ。


「嘘言ってんじゃねぇ!」


 ……矛盾している、と慎は思った。

 さっき、本城に言ったばかりだ。

 勝手に決めつけるな、と。

 本心なんて本人にしかわからない、と。

 その舌の根の乾かぬうちに、慎もまた、綾に向かって決めつけるような発言をしている。

 自分の行動は、ただのお節介なのかもしれない。

 ……でも、この目で見えてしまった真実を、放っておくことができなかった。


「嘘じゃありません!」

「嘘つくな! 独りになりたいなんて! 放っておいてくださいなんて! そんな嘘、俺にバレるってわかってんだろ!」

「嘘じゃないんです! 嘘じゃないから……嘘じゃないことをちゃんと夜岬さんに見てもらいたくて――」

「だからそれが嘘だったって言ってんだよ! ほとんど真っ黒なんだよ! さっきから!」

「違います! 本心です! ……私は……独りで、いいんです……。……独りじゃないと、だめなんです」


 そのとき、黒に近かった綾の言葉が、どんどん薄くなっていった。


「誰とも関わらない方がいいんです」

「――!」


 その言葉は、紛れもなく『白』だった。

 ……今、わかった。綾がどうしたいかという感情の問題ではない。

 ――綾は、自分に孤独を課すことが、正しいことだと思っている。


「そうじゃないと……私がいると……また、夜岬さんに迷惑をかけてしまいます」

「……『また』ってなんだよ。俺が迷惑かけられたことなんて――」


 綾の言葉は嘘ではない。綾は、なんのことを言っている?


「やっぱり……覚えてないんですね。……中学のときのこと」


 悲痛な表情と、頬から滴り落ちる無垢な涙。慎は既視感を覚えた。

 それは、前にも一度、見たことのある光景だった。

 中学二年の二月、あの盗難事件のときに……。

 ……彼女の顔なんて覚えていない。

 しかし、綾の表情が、あのときの面影と重なった。


「都月さん……もしかして、あのときの……――」


 驚愕に染まる慎の表情に、綾はほほ笑む。


「やっと……思い出して、くれましたか」

「……ああ、でも迷惑なんて――」

「あのあと、夜岬さんは学校に来なくなりました! 私のせいで!」

「違う! 都月さんのせいじゃ――」

「あのとき私を助けなければ、夜岬さんが不登校になることもなかったんです! 私のせいなんです!」

「だから違うって――」

「何が違うんですか!?」

「それは……!」


 言い返せなかった。

 その盗難事件がきっかけで慎が学校を休んだことは事実。否定できない。

 でも、それは決して綾が悪いわけではない。綾は被害者だったのだから。

 

 そのことを伝えたかったが、言葉が、瞬時に思い浮かばなかった。


 慎の力が抜けた。綾はその隙を逃さずに、自分を掴んでいた慎の手を振りほどく。

 綾はそのまま駆け足で慎と距離を置き、最後に振り返って言った。


「私にも嘘が見えたら、夜岬さんのことをもっと素直に信じられたのかもしれません」


 言葉に詰まる慎を見つめながら、綾は悲しく笑った。


「うらやましいです。……夜岬さんの能力が」


 慎は、走り去る綾の姿を見ていることしかできなかった。


 翌日、綾は学校に来なかった。

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