4-3.脅迫事件の犯人

 私が都月綾に出会ったのは高校の入学式だった。

 私は色橋高校の新入生の一人として、体育館でパイプ椅子に座り校長先生や偉い人の話を聞いていた。

 式が進むと、新入生代表の挨拶が行われた。


『新入生代表、都月綾』


 その名前が呼ばれたとき、前の列に座る女子生徒が立ち上がった。

 最初に抱いた感情は、焦りだった。

 新入生代表の挨拶は、成績優秀者が行うと聞いていた。そこに自分が選ばれなかった事実は、私の心を大きく揺らした。

 中学時代、試験の結果はずっと学年一位だった。そして勉強ができることはある意味、私にとってのアイデンティティで、拠り所だった。

 ――私には、それしかなかったから。


 私の姉は、何でも要領よくこなせて、愛嬌もある人気者。私とは正反対の人だ。

 学校、塾、習い事。あらゆるコミュニティで周りから好かれ、気づけば中心にいる。家には姉の友達がよく遊びに来ていた。

 体育祭や部活で賞をもらうことも多く、家には姉の足跡の数々が飾られている。それは私の惨めさを象徴するようだった。

 両親も姉に構ってばっかりで、私のことはたいして見てくれなかった。


 だから、せめて勉強だけは努力した。

 要領のいい姉は、成績も悪くない。だけど、勉強に限っては私の方が上だったと自信を持って言える。

 幸い、私にとって『知ること』は苦ではない。学ぶことに苦手意識はないし、本を読むことも好きだ。

 そして何よりテストで良い点を取れば両親は私を褒めてくれる。

 私の取り柄と呼べるものは、勉強だけだった。


 学校の中でも、同じだった。

 子どもの世界では、勉強が苦手でも、運動ができて話が面白ければヒーローだ。

 そうはいっても、運動も会話も苦手な私には、やっぱり勉強しかないと思っていた。

 でも、勉強ばかりのお堅いイメージを持たれ敬遠されるのは嫌だった。私は姉を真似るように、自分にできる精いっぱいの愛想でクラスメイトと接した。

 勉強ができても、それを鼻にかけるような態度は絶対に取らない。最低限、人当たりを良くすれば日常会話に交ざれるし、宿題を教えてとクラスメイトが声をかけてくれる。

 私は、そうやって自分の立ち位置を確立していった。


 だから、高校で学年一位の座が奪われたとき、自分の居場所が失われそうな焦燥感に駆られた。


 ――都月綾。どうして、彼女に勝てないのか。

 私は知りたくて、都月さんの観察を始めた。

 そして、彼女を知っていくにつれ、私が抱える感情は、徐々に形を変えていった。






 ――これは観察するまでもなくわかることだが、

 都月さんは、他人と壁を作っている。

 だから、私は都月さんに近づかない。

 私は、都月さんを見ているだけ。

 それで良かったのに――。


 ……一昨日の話だ。再び、私の心を揺さぶる出来事が起きた。

 彼女は突然、ある部活の二人組と一緒に行動をとるようになった。

 その部活の存在自体は、私も知っていた。校内にチラシが貼られているし、それに、私がいるこの場所からは、彼らがいる208教室がよく見える。

 彼ら――今、私のもとへ近づいてくる、モノクロ探偵部の二人組。


「本城さん」


 癖毛の男子生徒が私の名前を呼ぶ。

 

「今、ちょっと時間いいか?」


 私は、彼と話したことはない。しかし、要件は薄々わかっていた。

 ……少し、動きすぎたかもしれない。

 そんな反省をしたところで、意味はない。今この状況になった以上、私は彼の誘いに乗るしかないのだ。

 ――この後起きることが私にとって都合の悪いこととわかっていても。


「大丈夫だけど、場所を変えてもいい?」


 私は諦めて、受付の席から立ち上がった。


「図書室では、私語厳禁だから」




>――――――>




 一つ結びの三つ編みをおさげにした女子生徒が、物腰柔らかそうな笑みを浮かべて慎についてくる。

 ――本城ほんじょう観依みより

 それが、一連の脅迫事件の犯人と思われる、彼女の名前。慎も灯も、彼女と話すのは初めてだ。

 ……いや、正確には、慎は一度だけ話したことがある。

 一昨日、落書き調査の後に図書室で綾と話していたとき。


『もうすぐ閉めますよ』


 そう言って慎と綾に退室を促した、図書委員の生徒。それが本城だった。


 慎の後を追い、本城はおとなしく208教室に踏み込む。さらに灯が続いて扉を閉める。この場にいるのはこの三人だけだ。

 綾も円香もここにはいない。二人がいない方が都合がいいと判断し、今日は帰らせた。本城が二人とどんな関わりがあるかわからないし、それに成美宛ての脅迫写真の件は慎と灯だけの秘密だ。二人がいると話せない。


「さて、呼ばれた理由はわかってるか?」


 慎の言葉に、本城は笑みを浮かべたまま、わざとらしく首を傾げる。


「わからない。用事は何?」


 そう言った本城の言葉は黒。しっかりと心当たりはあるようだ。この時点で慎は、本城が犯人であることを確信した。

 彼女の容疑は三つある。

 一、天野円香宛ての三通目の脅迫状。

 二、五十嵐成美を狙った落書きと脅迫写真。

 三、モノクロ探偵部への脅迫文。

 この中で最初に言及するべきは二だ。全校生徒の噂になった落書きの件は、『事件』としてこの中で一番わかりやすい。


「……三日前に、体育倉庫の壁に落書きがあったのは知ってるな?」

「知ってるけど」

「簡潔に言うと、俺たちはあんたが犯人だと疑ってる」

「言いがかりはやめてほしいな」


 口では否定しているが、黒。口角を上げたままのその表情に動揺はない。


「本気で否定してるような態度には見えねーな」

「これでも内心とても驚いてるのよ。……それで、私が犯人だっていう証拠はあるの?」

「ああ、証拠な。お望み通り聞かせてやるよ。まず、落書きの真ん中には、何か貼り紙が貼られていたようなテープ跡があった。聞き込みを行った結果、それはある人物へ宛てられた脅迫写真の跡だってことがわかった」

「それで?」


 問い返す本城に、慎は推理の続きを語り始める。


「俺たちは、写真の場所をもとに犯人を絞り込んだ」


 もっとも、ここからは昼休みに灯から聞いた話の受け売りだが。




>――――――>




 昼休みに遡る。

 脅迫写真から容疑者を絞り込んだ理由について、灯は慎に説明していた。


「あたしが調べたのは、写真の場所がどこかっていうことだったの。あの日成美ちゃんと元カレさんが会ったのは偶然だった。そんな場面に偶然立ち会えるのは、その場所をよく通る人の可能性が高いでしょ。だから成美ちゃんに写真の場所を確認したの。そしたら家の近くだって言ってた」

「五十嵐さんの家ってどの辺?」

「ここからは結構西の方。色橋高校の生徒だったら、家がそっちの方じゃないと通らないような場所よ。だから、成美ちゃんと同じ中学校、もしくはその辺りを通過して色橋高校に通うような位置関係にある中学校出身の生徒を調べたの。その結果、当てはまりそうな生徒が一年生の中に十五人いた」


 さらっと言っているが、その調査のためには同級生の出身中学をある程度把握している必要があるし、確認のやり取りをした相手も少なくないはず。人脈のない自分には難しい調査だなと慎は思った。




>――――――>




 成美の個人名は伏せながら慎が説明すると、本城は「なるほどね」とうなずいた。


「その人の出身中学から推測したのはわかった。でもそれだけでは私が犯人ってことにはならないよね」

「それだけじゃねーよ。もう一つ、今朝208教室の黒板に俺たち宛ての脅迫文があった。それも同一犯と考えて、犯人を絞り込んだんだ」


 慎は、続きの推理を披露した。




>――――――>




 再び昼休みに遡る。

 灯の調査で容疑者が絞られたことを受け、慎は自身の考えた犯人像を口にした。


「……灯、今言ってた容疑者の中に、こういう奴っているか? 例えば、放課後や……朝の始業前から図書室に行ってるような生徒」


 その問いの時点では結果はわからなかったが、最終的に該当者として浮上したのが本城だった。


「なんで図書室なの?」

「理由……っつーか、気づいたのは、今朝ここのカーテンが閉まってたからだ」


 慎は今いる208教室のカーテンを指差す。


「普段、ここってカーテン開けっ放しになってるだろ。でも、今朝脅迫文が書かれてたときは閉まってた。単純に考えれば、犯人が閉めたってことだ。脅迫文が外から見えねーように。……犯人は、この208教室が特別教室棟側からよく見えるってことをわかってたんだと思う」

「それはちょっと理由として弱くない? 黒板に脅迫文書いてるんだから、誰にも見られないようにカーテンくらい閉めるでしょ」

「まあ、確かにカーテン閉めただけじゃ理由にならねーけど……でも、そう考えるといろいろしっくりくるんだ」


 カーテンのことよりも、どちらかと言えばこれから話す内容の方が根拠として強い。


「例えば今朝の脅迫文、今んとこ俺たちの推理では、犯人の動機に都月さんが関係しているって話になってるだろ。だとすると、犯人は俺たちと都月さんが一緒にいるところを見てるってことになるんだ。でも都月さん、放課後以外は俺たちに会ってもスルーだろ。都月さんが俺たちと話すのはモノクロ探偵部の活動中くらいだ。だから犯人は放課後、208教室を見てた可能性が高い」


 そもそも黒板の脅迫文が始業前に書かれていた時点で、犯人は、モノクロ探偵部が朝から活動しているのを知っている人物ということになる。

 208教室は空き教室とはいえ日中に授業で使われることもあり、慎と灯が朝来なければ、誰が第一発見者になるかわからない。しかし、脅迫文は明らかにモノクロ探偵部に向けられたものだった。

 ならば、犯人は208教室をどこから観察していたか。


「それで真っ先に思い浮かぶのが、この208教室から中庭挟んで反対にある図書室ってわけだ。ここの図書室、結構朝早くから開いてるし。……たぶん、前に俺たちが図書室にいる都月さんを見てたように、図書室にいる誰かさんもまた、俺たちを見ていたんだ。深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているってやつだな」

「理由については納得したわ。深淵どうこうはわからないけど」


 もちろん、特別教室棟の廊下や、図書室の上にある美術室など、他にも208教室の様子を観察できる場所はある。ただ、一番見やすいのが図書室であり、本好きで図書室によく行っている綾に関係する人物となると、図書室に出入りしている可能性が高いと考えた。




>――――――>




「――だから、脅迫写真を撮影できる可能性がある十五人のうち、図書室に頻繁に出入りする生徒。特に、始業前から図書室に通っているような該当者がいないか調べた。……図書室からは、体育倉庫も観察できるからな」


 それは先ほど、本城に声をかけるため図書室へ行った際に確認した。図書室の南側の窓からは第二体育館の体育倉庫や、卓球場の出入り口の様子も確認できる。


「あんたは知ってたんだ。あの日五十嵐さんが鍵当番で朝イチに体育倉庫の前と通ることを」


 成美が最初に脅迫写真を発見できたのは、偶然ではない。脅迫の文言が書かれていたことからも、犯人が狙って成美に見つけさせたと考えられる。そんなこと、成美の行動を把握していなければ不可能だ。

 おそらく犯人は、卓球部の様子を観察していたのだ。――そして、知っていた。朝練の鍵当番のサイクルを。鍵当番のとき、成美は誰よりも早く学校に来ることを。

 だから犯人は、成美が鍵当番の日、先に学校へ来て落書きと脅迫写真をセッティングした。


「だから、あんたが犯人なんだ、本城さん。朝から図書室に通っている生徒なんて、そうそういねーしな」

「わかった、もういいわ」


 本城の静止の声に、慎は口を止める。


「そこまで言われたら誤魔化すのも難しそうね」

「……認めるってことでいいんだな」

「そうね。もっとも、あなたたちに呼ばれた時点で諦めてたから」


 本城はあっさりと自白した。悪びれる様子もなく、薄ら笑っている。


「……他に、天野さん宛ての、三通目の脅迫状もあんたの仕業だな」

「その通りよ」

「なんでこんな事したんだ」

「都月さんのためよ」


 本城は答えた。やはり、犯人の動機には綾が関わっているようだ。


「――都月さんを独りにするため」


 本城は、自らの動機を語り始めた。

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