4-2.一年五組の小事件

 昼休み。

 慎と灯は今朝相談した通り、円香と綾に話を聞くため一年五組の教室に向かった。


「二人ともいるかなー」


 慎は教室の入り口から中を覗く。少し離れた位置に、目的の人物を見つけた。

 ちょうど、席についている綾に円香が話しかけようとしているところだった。


「綾ちゃん、ご飯食べよ」

「……」


 円香の誘いに、綾は何も言わず弁当袋を手に取り立ちあがる。そのまま早歩きで席を離れる。ちょうど、教室の入り口に立つ慎に向かってくる形になった。


「……!」


 綾が慎の存在に気づいた。


「都月さん、ちょっと聞きたいことが――」

「…………」


 言葉が終わる前に綾は、慎の横を通り過ぎてどこかへ行ってしまった。


(……なんか、部活以外で会うといつもこうだな)


 モノクロ探偵部の活動中は、綾とそれなりに話せるようになったと自負している。しかしそれ以外の時間は、綾に無視されている。

 嫌われている……わけではないのだろう。さすがの慎も、それはわかってきている。自意識過剰かもしれないが。

 それに、綾が無視するのは慎だけではない。円香に対しても同じだ。決して、綾が円香を嫌いというわけではない。それは昨日、円香宛ての脅迫状について綾が言及したことからも察せる。


(意固地になってるようにも見えるんだよなー。……『他人と関わらない』っつーことに)


 慎は、遠ざかる綾を目で追う。その背中は、中学時代の自分と少し重なって見えた。

 ……とりあえず、綾から話を聞くのは難しそうだ。






 灯が「話があるから一緒にご飯食べよ」と円香を誘うと、円香は了承した。

 クラスメイトがいる今日教室では落ち着いて話ができないので、三人はモノクロ探偵部おなじみの208教室へ向かった。

 弁当を机に広げて、さっそく本題に入る。


「五十嵐さん? クラスは同じだけど、話したことはほとんどないよ」

「そっか」


 慎から見て円香の言葉は『白』。嘘はなかった。

 同じクラスでも、話さない人とはとことん話さない。クラスメイトなんてそんなものだ。


(この調子じゃ都月さんも同じかもな)


 そう思いつつも、一応質問する。


「じゃあ、都月さんと五十嵐さんってなんか交友あるか?」

「……綾ちゃんと、五十嵐さん……?」


 困ったように言い淀む円香。意外な反応だった。


「どうした?」

「交友……はないけど、ちょっと……」


 迷っている様子だったが、少しして円香は話し始めた。


「先々週くらいのことなんだけど――」




   ◆◇◆◇◆




 円香は、その出来事を初めから見ていたわけではない。

 気づいたのは、一年五組の教室に聞きなれない声が響いてからだった。


「返してください!」


 声のした方を向くまで円香はそれが綾の声だと気づかなかった。

 寡黙な綾のイメージを覆す、怒りのこもった感情的な声。それは、綾の前に立つ成美に向けられたものだった。

 後から聞いた話だが、きっかけは些細なことだったらしい。

 用事があって職員室へ行った成美は去り際に、先生から「同じクラスの都月綾にプリントを渡して欲しい」と頼まれたようだ。ただ、成美は綾と話したことがない。教室に戻って仕方なく「都月さん」と呼びかけるも、綾は成美の存在に気づいていないのか、本から目を離さなかった。それが成美の神経を逆撫でしたようだ。成美は「無視すんな」という苛立ちの声とともに、強引に綾の本を取り上げた。そして最初の綾の一言に繋がったらしい。


「じ、冗談よ。返せばいいんでしょ」


 予想だにしていなかった綾の剣幕に気圧されたのか、成美が本を差し出す。それを綾が受け取って、場が収まる……はずだった。

 綾はブレザーのポケットから白手袋を取り出し、手につけてから本を受け取った。

 ――それはまるで、『あなたが触れた物に直接触りたくない』とでもいうかのようだった。

 静まろうとしていた火に、再び油が注がれた。


「何!? うちが汚いっていうの!?」

「……そんなことは言ってません」

「じゃあその手袋はなに!?」

「……気にしないでください」


 綾は受け取った本をしまい、席に着いた。

 そのときチャイムが鳴り、ちょうど先生が教室に入ってきた。

 結局、成美と綾のいざこざはその場でうやむやになり、それっきりだ。

 成美は、綾に近づくことなく過ごしている。

 そして綾は、今までと変わらず周りと距離を置いている。




   ◆◇◆◇◆




 円香はわかっていた。なぜ綾が、手袋をして本を受け取ったのか。

 中学のとき、綾から聞いたことがある。綾は新品の本を読むとき、手袋をせず、自分の想いを込めるようにしている。そうして思い出の一冊を作り、あとで自分の能力を使って、読んだときの想いを反芻するのだ。

 成美に本を取られたとき、綾は明らかに不機嫌だった。その状態のまま素手で本を受け取ってしまうと、本に余分な感情が込められてしまうと考えたのだろう。


「――でもそんなこと、他のクラスメイトにはわからない。みんな、綾ちゃんを誤解したままだと思う」

「傍から見たら印象最悪だもんな……」


 綾が本を読むときのこだわりは、慎も前に図書室で聞いている。その前提があるからこそ、理解できる話だ。


「ところで、なんで五十嵐さんのことを聞いてきたの?」

「あー、それはなー……」


 成美が被害を受けた脅迫写真事件について言いふらすわけにもいかない。上手い言い訳はないものか……。


「成美ちゃん、もうちょっとで誕生日だから。それでプレゼント何がいいかなーって思って、仲いい人に話聞いてるの」


 すごい出まかせだな。そう思って慎は、灯を見る。

 灯の頭に浮かぶ色は。グレー……ってこれ半分は嘘じゃねーぞ!

 円香の質問への回答としては嘘。だがおそらく、誕生日の件と、もしかするとプレゼントの件も本当なのだろう。だから白黒半々だ。

 他人の誕生日なんて気にしたことがない慎は、これがコミュ力の一端かと感心した。


「そうなんだ。灯ちゃん、五十嵐さんと仲いいんだ」

「うん。それに慎だって、成美ちゃんとは話すことあるよ。慎、成美ちゃんの彼氏と友達だし」

「へー、五十嵐さんって彼氏いるんだ」

「円香ちゃんも、好きな人とかいないの?」

「私はそういうのないよ」

「ほんとにー?」


 うわ、なんか女子の恋バナ始まった。

 灯としては五十嵐さんの話題を切り替えたかったのかもしれないが、慎としては話に入りにくくてたまらない。わいわい騒ぐ二人を横目に、慎はノーコメントで箸を進める。


「――そんなこと言ったら、灯ちゃんだって!」


 しばらく灯に問われるがままだった円香が、攻勢に出た。


「あたし?」

「前から気になってたけど、灯ちゃんと夜岬さんってどういう関係なの?」


 思わぬ飛び火に、慎は箸を止めた。


「え、円香ちゃんもしかして、あたしと慎が付き合ってるとか思ってる?」

「だって二人だけで毎日部活やってるんだよね。疑うなっていう方が難しいよ」

「ないないだって慎だよ」

「まって俺ってどういう存在なの? 自分で自分がわからないよ? …………まあでも、灯の言う通りただの友達だよ」

「そうそう、慎と付き合うなんてありえないって」

「……」


 さすがにそこまで言われるとちょっと傷ついたので、慎は不貞腐れる。


「……そうだよなーありえないよなー。たしかに俺、会ってすぐ灯にフラれてるからなー」

「なにそれ気になる!」


 円香が再び食いついた。


「あれは……! その、手違いというかなんというか……っていうか慎、今その話出す!?」

「たまには仕返しだー」


 灯が、隣に座る慎の肩を掴んで揺する。慎の頭がガクガクしている。

 なぜフラれたはずの慎ではなくフった灯が慌てるのか、円香は疑問だった。


「前に何かあったの?」

「なんっにもない! よね! 慎!」

「あ~、なんにもなかったからそろそろ揺らすのやめて~。脳がシェイクされるうぅうぅう~」


 ただの強要であった。灯が慎の肩から手を放したあとも、慎はしばらく揺れていた。


「ともかく、あたしと慎は付き合ってないから!」

「そ、そうなんだー……」


 とても深掘りできる空気ではないので、円香は詮索をやめた。


「すごく仲いいからてっきり、一年くらいは付き合ってるのかと思っちゃった」

「一年って……そもそもあたしと慎、中学違うよ」

「そうなの?」

「うん。あたしは金倉中で慎は桂木中だから」

「そうなんだー…………――え?」


 円香の笑みが固まった。そして徐々に真剣な表情になり、その視線を慎に移した。


「どうした?」


 慎の問いかけに、円香は静かに口を開いた。


「夜岬さん、桂木中なの?」

「なんだ? 知り合いでもいんの……ってそうか神庭さんも桂木中だもんな。俺も最近知ったけど――」

「そうじゃなくて――……確かにたまちゃんも桂木中だけど……けどそうじゃなくって……」

「?」

「……えーと……夜岬さん、綾ちゃんとはこの前が初対面だったんだよね?」

「そうだな」


 円香の依頼がなかったら、今後も話すことはなかっただろう。

 質問の意図が読めず首をかしげる慎に、円香は告げる。




「綾ちゃんも桂木中だったんだけど……夜岬さん、会ったことなかったの?」




 円香が話したその内容を、慎が理解するまで少し時間がかかった。


「……ちょっとまて。都月さんも桂木中……? 都月さんって天野さんと同じ中学だったんじゃ――」

「綾ちゃんは三年のとき水瀬中に転校してきたの。それまでは桂木中だったの」

「……いやでもたぶん、話したことはねーよ。中学時代ぼっちだったし俺」


 中学時代、事務的な内容以外で話したことのある生徒はいない。そういう自負が、慎にはあった。他人と関わることを避けていたから。

 否定する慎を、灯が半眼で見ていた。


「それでも中学一緒だったなら顔くらい見たことあるものなんじゃないの? それか名前とか」

「いや覚える気がなきゃ全然記憶に残らねーってほんと。勉強と同じ」

「……あんたの成績見てると確かに納得だわ」

「だろ?」

「一応言っておくけどまったく誇らしいことじゃないからね」


 慎と灯の気の抜けた応酬で、出身中学の話はしめくくられた。






 その後、円香は自分の教室に戻り、慎と灯は208教室に残って情報を整理していた。


「犯人の動機には、都月さんが関係しているって考えて良さそうだな」


 これまでの三つの脅迫事件に共通するのは、都月綾と何かしら関係がある者が被害を受けていること。


 天野円香宛ての脅迫状。円香は綾と中学では友達で、高校に入ってからも円香は一方的に綾に声をかけていた。

 五十嵐成美を狙った落書きと脅迫写真。成美は以前、クラスで綾の本を取ったことでもめていた。

 モノクロ探偵部への脅迫文。ここ数日、綾はモノクロ探偵部の活動に協力していた。


 三つの事件が同一犯とするならば、綾の存在が何かしら関わっていると考えるのが自然だ。

 ……三つの事件を同一犯とするならば、だが。


「少なくとも天野さんと五十嵐さんの事件は同一犯とわかってる。都月さんのおかげでな」


 綾が能力で確認した事実に嘘がないことは、慎の能力で確認した。


「だけど、俺ら宛ての脅迫文は、同一犯って確証ねーんだよな。……もし都月さんに確認してもらえばわかったのかもしれねーけど、まあ今さらか」

「そもそも脅迫文は、都月さんに知らせない方がいいってことになったからね」


 綾に近い人物が犯人とかもしれない。そんな推論を綾自身に伝えれば余計な心配をかけてしまうし、綾の態度の変化が犯人を刺激してしまう可能性も考えられた。

 だからモノクロ探偵部宛ての脅迫文の件は、綾に伝えていない。


「そうそう。この件知ってるのは俺と灯だけだしな。今となっては落書きも消したし、他の誰にも見られてねーから。あのとき扉も閉めたしカーテンも閉まって……」


 ……ん?

 慎は、自分の言葉に違和感を覚える。


「どうしたの?」

「……あー、いや、なんでもない。……とにかく、モノクロ探偵部宛ての脅迫文も同一犯だと仮定すると、犯人は都月さんに近い人物って可能性が高くなる。あとは、灯の調査が終わればある程度容疑者絞り込めるんじゃねーか?」


 昨日、成美に送られた脅迫写真を見た灯は、少し気になることがあると言って独自で調査をしていた。今朝の時点ではまだ調査中だったはずだ。


「それなんだけど、私の方での調査終わったよ」

「マジで? なに、犯人わかった?」

「わかってはいないけど、候補は十五人まで絞り込めたよ。さすがに同級生しか調べられてないけどね」


 それは問題ないだろう。事件が綾の周りで起こっており、被害者も全員、色橋高校の一年生。犯人も同級生という前提で考えるのは妥当だ。


「十五人って、ひと学年二四〇人と考えたら結構減ったな」

「うん。それで、さっきの円香ちゃんの話も踏まえたらもう少し絞れるかも」


 副部長はかなり有能だった。


「正直そこまで来たら、手っ取り早く一人ずつ話聞きに行けば俺の能力で犯人わかりそうだけど……」


 慎は考える。さっきの自分の言葉の違和感の正体を。

 今朝のモノクロ探偵部への脅迫文。あのとき、なんで――……。


「……灯、今言ってた容疑者の中に、こういう奴っているか? 例えば――」


 慎がそれを伝えると、灯はポケットから取り出したメモ帳を見る。そこに調査した内容を書いているのだろう。


「うーん……ちょっと確認してみる。またあとで教えるね」


 灯の言葉でその場は解散となった。

 その後クラスに戻り、昼休みの終わり間際になって灯は慎に結果を伝えた。


「一人いたよ。慎の言ってた条件に当てはまる生徒」

「そっか。じゃあほぼ確定だな。今日の放課後にでも会いに行くか」


 慎はニヤリと口元を吊り上げる。


「さあ、白黒つけようぜ」


 事件解決は、目前だった。

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