3-4.貼り紙の正体

 五十嵐成美は、部活のことで悩んでいた。


 中学時代は卓球部内でも上手な方で、大会の結果も悪くなかった。

 しかし高校に入ってからは伸び悩み、周囲と差を感じるようになっていた。

 同級生との対戦でも、他校との練習試合でも勝率が悪い。

 なかなか上達しない。勝てない。日々の部活で蓄積したストレスが、さらに成美のパフォーマンスを落としていく。

 誰にも相談できず、成美は一人で抱え込んでいた。身近な部員に話すにはプライドが邪魔をする。運動部ではない彼氏の渓汰にも話しにくい。

 

 そんなとき、部活後の帰り道でのことだった。

 電車通学の成美は自宅の最寄り駅で偶然、中学時代の元カレと会った。

 元カレは、成美と同じ卓球部。中学時代は部活がきっかけで仲良くなり、付き合い始めた。別れた理由も受験期になんとなく疎遠になり、志望校が違ったこともあって友人に戻っただけで、今も関係は悪くない。

 成美からすると、部活の悩みを気軽に相談できる数少ない相手だった。

 最初は道端で話していたが、しばらくして元カレの発案で近場のコーヒーチェーン店に向かった。

 話が進むと成美は次第に悩みを打ち明けていった。元カレもそれに共感し、お互いの話をしていくうちに気が楽になった。

 一時間ほど話してから店を出て、お互いの帰路の分かれ道まで来たときだった。

 元カレは成美に抱きついて、寄りを戻さないかと告げてきた。

 成美は今は元カレに特別な感情はないし、渓汰という彼氏もいる。

 それを伝えると元カレはあっさり身を引いた。

 以来、連絡も特になく、この件は成美にとっては終わった話だった。


 そして今週月曜日の朝。

 部活の鍵当番で朝早く学校に来た成美は、体育倉庫の壁に描かれた星マークの落書きと、そこに貼られた写真を見つけた。

 成美と元カレが一緒にいる写真。しかも、成美が元カレに抱きつかれている場面がピンポイントで写っていた。

 成美は急いで写真を剥がした。

 ――こんなもの、誰かに見つかったらまずい。

 成美と渓汰が付き合っていることは、友人の間では周知の事実。写真を誰かに見られれば、その情報が渓汰の耳に届くのも時間の問題だ。そうでなくとも、成美は浮気女として白い目で見られかねない。

 夜、帰宅した成美は急いで自分の部屋へ行き、机の鍵付き引き出しの奥に写真をしまった。




>――――――>




「……それで、これがその写真ってわけか」


 落書き事件の被害者が成美だと判明した翌朝。慎は、成美から受け取った写真を眺めていた。

 昨日は件の写真が成美の家にあったので、翌朝に写真を持ってきてもらうことにして解散となった。

 そして今、慎、灯、そして写真を持参した成美が、208教室に集まっている。


「たしかに、こりゃ見られたらまずそうだな」


 写真には、成美が語った通りの光景が写っていた。

 街灯の光の下、学生服の男子が同じく学生服の女子に抱きついている写真。離れた位置から撮られたようで、被写体の全身が写真の中に納まっている。

 男子は背を向けているため顔がわからないが、女子の顔は知り合いならば成美と判別できる。

 また、男子の髪型や制服が色橋高校のものではないことから、これが成美と彼氏の渓汰との写真ではないことは明らかだった。


「しかも裏面にはご丁寧にメッセージまで書いてあると……」


 写真を裏返す。そこには黒いマジックペンで次のように書かれていた。


『おとなしくしていろ』


「……っていわれてもなー。五十嵐さん、この言葉の意味になんか心当たりある?」

「わからない。これだけじゃなんのことか……」

「だよなー」


 正直、これだけでは曖昧過ぎる。言葉の意味は一旦置いておこう。


「一応の確認なんだけどこの写真、他の誰にも見せてないんだよな」

「うん。写真、回収してからは誰にも見せてないし……回収前も大丈夫のはず。あの日の朝練、卓球部はうちが一番早かったし、近くの部活もうちより早く来てる人はいなかった」


 その言葉は白。少なくとも成美の認識では真実のようだ。

 実際、それは慎も昨日の聞き込みで確認したことだ。

 第二体育館付近で活動する卓球部、バレー部、剣道部、柔道部には、写真について知る者はいなかった。

 そこで、成美が「あ、でも……」と付け足す。


「写真は見せてないけど、元カレには電話で訊いてみた。でもそんな写真心当たりないって」

「……それが嘘ってことは?」

「……ないと思う。嘘とかついてそうな雰囲気じゃなかった」


 その言葉も白。成美はかなり自信があるようだ。「雰囲気」と曖昧な理由だが、元カレ相手だからこそわかる感覚的な何かがあるのかもしれない。女の勘というやつか?


「そもそもあの日会ったのだって偶然だし、元カレは関係ないと思う」

「……それもそうか。元カレさんが犯人だとしたら、誰か協力者いねーとできねーもんな、これ」


 この写真を撮るには、それなりの準備か、協力者が必要だ。

 少なくとも、被写体でもある成美の元カレには、写真を撮ることはできない。できるとしたらタイマー設定したカメラやスマホの設置が必要だが、そんな様子があれば成美が気づくはず。

 となると協力者は必須だが、再会が偶然だとするとあまり現実的ではない。

 それについては灯が代弁した。


「唯一考えられるとしたら、元カレさんは成美ちゃんとお茶してる間に協力者に連絡して、写真を撮るよう指示したってことになるね。でもちょっと無理があるかな」

「うん。それもないはず。席を立ったりスマホをいじったりしないで、うちの話聞いてくれてたから」


 成美の口ぶりからもわかるが、元カレは悪い奴ではないのだろう。別れた後も友人として関係は悪くないらしいし、尚更、元カレは今回の件と関係なさそうだ。


「んじゃあ本格的に、ゼロから犯人捜しってことになるな」

「それを頑張るのがあたしたちの仕事でしょ。成美ちゃん、あとはあたしたちに任せて」


 笑いかけてくる灯に、こわばっていた成美の表情も少し柔らかくなる。


「……写真は回収できたけど、犯人がデータを持ってるだろうし、まだ何かしてくるかもしれない。お願い、灯ちゃん、夜岬君。……犯人をみつけて」


 いくらか緊張が解けたとはいえ、その表情と声には拭いきれない不安の影があった。


 ――脅迫写真事件。

 こうして、モノクロ探偵部は新たな依頼を受け動き出した。




   ◆◇◆◇◆




 ――今朝、成美が208教室から去った後のことだった。

 慎と犯人捜しの方針を相談する中で、写真を眺めていた灯が言った。


『ここって……』

『ん、どうした? 知ってる場所か?』

『知らない場所だけど……』


 灯はしばらく黙ってから、また口を開いた。


『……ちょっと気になることがあるからあたしの方で調査進めてみる。もしかしたら犯人絞れるかも』


 ということで、調査は灯の預かりとなり、慎には特にやることがなくなった。

 やることがないので普段通り、後ろの席の渓汰と過ごす昼休みだ。


「慎、昼飯食べよー」

「あ、俺今日持ってきてないわ。購買行かねーと」

「じゃあおれも行くよ。自販機で飲み物買いたい」

「おー」


 慎と渓汰は101教室を出る。

 話しながら廊下を歩いていると、


「あれ日野川さんじゃない?」

「お、ほんとだ」


 渓汰の言葉通り、廊下の先、105教室の前に灯の姿があった。

 そういえば、さっき教室を出るときに、灯の姿はなかった気がする。

 灯は、手に弁当の袋を持っている。105教室……五組の誰かと昼食をとるのか?

 灯は人気者だ。普段は自分のクラスで友人と昼食をとっているが、たまに別のクラスに行くこともある。


「そういえば慎、日野川さんとは昼飯食べないよね」

「昼飯食うのなんて男子どうし女子どうしでいいだろ。そもそも教室で俺と灯が一緒に昼飯食ってたらいい注目の的じゃねーか。……ってか、それを言うなら渓汰の方こそ五十嵐さんと昼飯食わねーの?」

「成美はクラスの友達と食べたいみたいだから」


 話しながら眺めていると、105教室から出てきた女生徒が灯に声をかけた。

 ――成美だった。

 今まさに話題に出てきた五十嵐成美が、別クラスの灯と一緒に弁当を持ってどこかへ歩いて行った。


「……五十嵐さん、灯に取られてるけど?」

「日野川さんには勝てなかったみたいだね」


 ……とまあ茶化してみたものの、灯と成美が一緒に昼食をとる理由は、おそらく脅迫写真事件の関係だろう。宣言通り、灯は調査を進めているようだ。


「……まあ、誰と昼飯食べようと成美の自由だけどね。おれも、昼は慎と一緒がいいし」

「お、うれしいこと言ってくれんじゃ~ん」

「席近いし楽だし」

「理由雑すぎねー?」


 そうツッコむも、『昼は慎と一緒がいい』という言葉に嘘はなかったため、悪い気はしない慎だった。

 そのとき、今度は別の女生徒が105教室から出てきて、慎たちの方に歩いてきた。


「おっ」


 声をかけようとしたのは、それが慎の数少ない、別クラスの知り合いだからだった。


「都月さーん」


 こちらに近づく綾の姿。慎は手を振って呼びかけた。


「……」


 綾も気づいたようで、慎の方を向く。

 しかし、軽く頭を下げると、無言でそそくさと去っていった。


(……そうだよな。話し始めて一日二日の相手に急に馴れ馴れしくされても困るよな。うんうん、わかるぞその気持ち……)


 納得しながらも、ちょっぴり寂しさを覚えた。

 そんな慎の横で、渓汰が綾の後ろ姿を目で追っている。


「慎って、都月さんと知り合いなの?」

「そこまで知り合い……ってほどでもねーよ」


 昨日話すようになったばかりだし。というか……。


「むしろ渓汰こそ、都月さん知ってんの?」

「おれも特に知り合いじゃないけど……ちょっとね。まあ気にしないで」


 含んだ言い方でごまかされた。話す気がないなら、あまり掘り下げることもないだろう。

 二人はそのまま、話しながら購買の方へ向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る