2-3.めげずに友達をつくろう

 208教室に戻ったところで、反省会が開かれた。


「勢いに任せて突っ込ませたあたしが悪かった。ごめん」

「いや、さっきのは俺のやらかしだから。確かに無茶ぶりだったけど灯は悪くねーって。……能力のことなんて、警戒心バリバリなのにいきなり聞くんじゃなかった。せめて先に俺の能力の話するべきだったな」


 灯も慎も、自分に落ち度があるから強くは出られない。重い空気の中、謝罪と反省の言葉だけが交わされていた。

 ちなみに、円香は母親の迎えが来たので帰宅した。脚のケガのこともあり、しばらくは母親が円香の送り迎えをすることになったらしい。


「ま、今更後悔しても仕方ねー。とりあえず、わかったことだけまとめるか」

「何かわかったの?」

「わかったってか、引っ掛かることはあった。都月さん、『天野さんは私の友達ではありません』って言ってただろ?」

「うん」

「あれ、若干グレーっぽく見えた」


 友達ではありません。その言葉には白と黒――本心と嘘が混在していた。

 つまり……。


「……少しでも、円香ちゃんを友達だと思ってるってこと?」

「かもな。……つっても、ほぼほぼ白寄りのグレーだ。都月さんの中では天野さんのことを『友達』だと思う心と『友達じゃない』と思う心がせめぎあって、最終的には『友達じゃない』って方が勝ってるみてーな状態」

「でも……円香ちゃんを完全に拒絶しているわけじゃないんでしょ。良かった」

「良かったついでにもう一つ。都月さん、天野さんに『人の秘密を軽々しく話すような人だとは思いませんでした』って言ってたろ。あれは本心。真っ白。天野さんのことをそれだけ信頼してたってことだな」

「……お節介かもしれないけど、あたしたちでなんとかできないかな。二人が仲良くなれるように」

「俺もできればそうしてーけど……今のままじゃ情報不足だな」


 おそらく、綾は円香を嫌っているわけではない。ならばなぜ避けているのか。

 ……いや、円香だけを避けているわけではないのだろう。

 円香の話によると、綾はクラスで孤立していると聞く。実際、さっきの会話だけでも、その片鱗が見てとれた。

 綾は慎の言葉をまともに聞こうとせず、突き放すような態度をとっていた。慎は満足に名乗ることすらできていない。

 突然現れた慎を不審に思ってのことかもしれないが、もしクラスでもあのような態度でいるのならば、孤立するのは当たり前だ。

 しかし、円香によると前は仲が良かったらしいので、最初から他人を遠ざけようとしていたわけでもないのだろう。


 ――綾は、他人と壁を作っている。それはきっと、意図的なことだ。

 その理由はなんなのか。考えるには、慎はまだ、都月綾という人間を知らなすぎる。


「……なんにせよ、もう少し話してみねーとわかんねー。そのためにも、まずはやっぱり……俺が都月さんと仲良くなる必要があるかー……」


 そもそも円香からの依頼は、慎と綾が友達になることだ。

 依頼を達成する意味でも、慎と綾が話をしなければ何も始まらない。


「コミュ障にはつらい……」


 先が思いやられる。慎はため息をついた。




   ◆◇◆◇◆




 仲良くなるための会話は、仲良くなった後の日常会話の何倍も難しい。慎はそう思っている。

 特に嘘が見える慎は、慣れない相手ほど会話に気を張る。


 本心のみを話す人物が相手なら気は楽だ。『白』の言葉をそのまま受け取ればいい。

 だが『黒』の場合は違う。相手がなぜ嘘をついているのか。何を隠しているのか。言葉の裏を気になって仕方がない。

 これが『グレー』ともなると、さらに面倒くさい。会話のどこに嘘が混ざっていたか、一目ではわからないのだから。

 気にするなといわれればそれまでだし、慎も実際、普段の会話では言葉の真偽をなるべく気にせずにいたいと思っている。しかしその場合、歯に食べかすが挟まったような気持ち悪さが残ってしまう。結局、見えている以上、嘘を無視することは難しいのだ。


 嘘がわかるだけで情報量は増え、処理に疲れる。これが、慎が会話を苦手とする理由の一つである。

 とはいえ、慎は幼い頃からずっとこの能力と向き合ってきた。他人と自然な会話をすること自体は、多少慣れている。


 ただ今回の問題は、そもそもどうやって綾を対話の場に持ち込むか。おそらく、綾から見た慎の第一印象は最悪だ。


(まずは謝らなきゃだな。それから……)


 教室の自席で、慎は脳内シミュレーションをしている。

 朝のホームルームと一時間目の間の、空き時間のことだった。


「どうした慎」


 背後からの声に振り向く。人の良さそうな顔の男子生徒が後ろの席に座っていた。

 慎の友人の渡瀬渓汰わたせけいただ。


「いやー、俺も渓汰みたいなコミュ力欲しいなーって」


 慎の意味不明な回答に、渓汰は「なんだそれ」と返す。


「おれ、コミュ力なんて全然ないよ」

「彼女持ちのリア充がよく言うよ」


 渓汰は高校一年生の七月から、同じ色橋高校の生徒と付き合っており、もう三カ月になる。しかも渓汰とその彼女の五十嵐いがらし成美なるみは、出身中学も高校のクラスも部活も違う。単純に考えて、接点などないはずなのになぜ付き合うことになったのか。こんなの、コミュ力なくして成しえない。


「本当にコミュ力なんてないって。その彼女とも、最近コミュうまくいってないんだから」

「なんかあったのか?」

「わからないけど最近、成美の元気がなくて。おれが何かしたのかもって考えてはいるんだけど……」


 渓汰の頭に浮かぶ色は『白』。本気で悩んでいるようだ。


「正直、渓汰が五十嵐さんの気に障ることをするとは思えねーんだけど……。なんか、他の悩みじゃねーの? ほら部活とか」

「もしおれのせいじゃないとしてもさ、やっぱ力になりたいじゃん。だから昨日もメッセで悩みとかないか聞いてみたんだよ。そしたら返ってきたの『大丈夫』のスタンプひとつだけ」

「それってなんかおかしいのか?」

「成美って意外とまめでさ、基本は挨拶程度にしかスタンプ使わなくて、いつもそれなりの文字数で返信してくるんだよ」

「あー、なるほど……。確かに不自然かもだけど、つっつきすぎも良くないんじゃね? 誰しも人に言えない悩みや隠しごとだってあるだろうし……」


 つい昨日、他人の隠しごとをつっついて失敗した経験を思い出し、慎は改めて反省する。


「……それに頼りたくなったら、そのとき相談しに来るだろ」

「そうだな……。今は様子見るか。……ところで、慎の方こそどうなんだよ」

「俺? なにが?」

「日野川さんとはどうなんだってことだよ」

「いや、なんもねーよ。ただの友達で部活仲間だっていつも言ってんだろ」

「日野川さんなんて人気者捕まえて放課後二人きりで部活してるんだから、慎もほぼリア充みたいなものでしょ。しかもボランティア部でしょ? なにその大学のリア充の巣窟みたいな部は」


 渓汰の言葉はほぼ白寄りの『グレー』。こういう場合の嘘は、会話の流れで出てくるただの冗談だ。渓汰自身、慎の部活が「ボランティア部」でもリア充サークルでもないと知っている。


「探偵部な。俺も好きでボランティアばっかしてるわけじゃねーよ」

「おかげでこっちは助かってる。ありがとな」

「どーいたしましてだよ、まったく……」


 渓汰は色橋高校の生徒会役員を務めている。そして慎たちモノクロ探偵部は、生徒会からの依頼で仕事もとい雑用を引き受けることが多い。

 渓汰はモノクロ探偵部という得体の知れない部の実情知る数少ない人物なのだ。


「ってか、生徒会の仕事あんだけ手伝ってるんだから、そろそろ部に昇格させてくれても良くねーか?」

「同感だけど、やっぱり規定人数に満たないと無理じゃないかな」

「やっぱ三人いないとだめかー」

「おれが名前だけでも貸そうか? 生徒会の方があるからあんま顔出せないけど」

「いや、それはいいや。実質二人みたいなもんなのに三人で申告するのって、嘘ついてるみたいで気にくわねーし。気長に入部希望者を待つわ」

「ほんと、軽そうに見えて意外と真面目だよな、慎って」

「やった褒められたぜ」


 そこで、慎は後ろから頭を叩かれ「いてっ」と声をあげる。


「まったく、すぐ調子に乗るんだから」


 振り向くと、灯が呆れ顔で立っていた。


「いいだろ。人の好意は素直に受け取って調子に乗っとくもんだぜ」

「調子に乗るのが余計なの。それに『意外と真面目』って言われてるわよ。半分くらい褒められてないわよ」

「いーや、そういう魅せ方ってやつだぜ。普段はテキトーだけど根は真面目。そういうギャップを売りにしてんだ俺は」

「捨て猫拾う不良か」

「いわば見た目は子ども、頭脳は大人的な。あ、探偵っぽい」

「大人な頭脳なら追試にならないと思うけど」

「そりゃー、ほら、適材適所ってやつ」


 そんなやり取りを見て、渓汰は楽しそうに笑っている。


「いいよ。そのまま続けて。夫婦漫才」

「「夫婦じゃねー(ない)!」」


 息ぴったりの返しに、渓汰の笑いはまた大きくなった。

 そこで、教室の扉が開く。


「ほら、騒いでないで席に着け」


 体育教師が如くがっしりとしたガタイの強面数学教師、鬼瓦の愛称で親しまれる河原木昇吾が教室に入ってきた。タイミングよくチャイムも鳴る。

 生徒が自席に戻り始め、喋り声も次第に小さくなる。渓汰も、笑顔はそのままだが声を止めた。


「あ、おい夜岬」


 教壇に立った鬼瓦に名指しされる。嫌な予感しかしない。


「なんすか?」

「壁」

「?」


 一つ目の単語で、疑問符を浮かべる慎。


「掃除」

「……あ」


 二つ目の単語になって、ようやく意図をくめた。


「忘れんなよ。んじゃ授業始めるか。日直、号令」

「起立、礼」


 指示されるままに立ち、お辞儀をするかたわら、慎は昨日の鬼瓦との会話を思い出して苦い顔をした。




   ◆◇◆◇◆




 昨日鬼瓦から追試を返却され、惜しくも不合格だった慎は、補習を免れる代わりにひと仕事頼まれていた。


 ――いわく、体育倉庫の壁が落書きされたらしい。


 それを掃除して綺麗にするのが慎の仕事だ。

 ……綾の一件があり、すっかり忘れていた。


「朝のやり取りはそういうことね」


 放課後、いつもの208教室。

 灯が「納得した」と、首を縦に振る。


「これでまた放課後になって忘れてたら面白かったけど」

「はっはっは! その点ぬかりはない! 手にしっかり書いたからな」


 ほら、と慎は自分の左手の甲を灯に見せる。

 そこには『鬼 掃除』と書いてあった。


「なに? 鬼退治にでも行くの? あんた桃太郎か何か?」

「今時ならせめて鬼〇隊とでも言ってくれ」

「きさ――……なにそれ?」

「…………ともかくこれは、鬼瓦から掃除の依頼という意味だ」

「まあ、自分に伝わるならいいけど」


 それにしても、と灯は話を戻す。


「体育倉庫の壁……確かに落書きされたって噂になってたわね……。ま、掃除頑張ってね」

「何言ってるの? これ今日の部活動だよ?」

「いやあんたこそ何言ってんの。完全に自業自得なあんたのペナルティでしょ」

「部長の俺の問題は、ひいては部全体の問題だ! 一緒に頼むぜ副部長!」


 慎はぐっ、と親指を上に立て、きらっ、と白い歯を見せる。その対面で灯がいらっ、と表情を曇らせた。


「勢いでごまかそうとしても無駄だからね。あんた、人にものを頼む態度って知ってる?」

「あ、はい、知ってます。……すいません、ほんとお願いします灯さん。一人で掃除とかいう悪目立ち心が辛いし早く終わらせるためにもお願いします。なんでもしますから」


 友人女子に土下座で頼み込む男子の図だった。相変わらずの力関係である。


「まったく、仕方ないなあ。……それより都月さんのことはどうするの?」

「そっちもぬかりはない!」

「その無駄に高いテンションまだ続くんだ……」


 呆れた灯が、「で、どうするの」ともう一度訊く。


「全力で謝って、事情を説明する!」

「……具体的には?」

「図書室に都月さんが来たら話しかけに行く! で、謝って事情を説明する!」

「図書室で話す内容じゃないでしょ。他の人いるし私語厳禁だろうし」

「じゃあどっか他の場所に移動して、で謝って以下略!」

「内容は?」

「昨日はすみませんでした! 能力のこと聞いちゃったのは謝ります! でも天野さんは何も悪くないんです! 天野さんが俺に能力のことを教えてくれたのは、俺も都月さんみたいな能力を持ってるからで、それで都月さんのこと相談しにきて……あ、違った。そこ言っちゃなんかこじれそうだな。……――と、とにかく天野さんに悪気はなくて……だからこう、えっと……俺のことは嫌いになっても天野さんのことは嫌いにならないでくださぁい!」

「わかった。つまりいつもの行き当たりばったりね」

「……まあそうともいうな」


 テンションだけで突貫していた慎だったが、さすがに自らの醜態を顧み意気消沈。干からびたように机に突っ伏す姿は、もはやおなじみの光景である。


「……それにしても、都月さん遅いね」


 灯はふと、窓の向こうの図書室を眺めながら呟いた。

 円香の話では、綾は放課後、図書室に行ってから帰宅する。実際に昨日は図書室にいた。

 しかし今日は、終業後二〇分近く経っても図書室に現れない。


「まさか、今日はもう帰っちゃったのかな」

「え、じゃあ全力謝り作戦、企画倒れじゃん。俺がさっき醜態さらした意味よ」

「円香ちゃんも、今日は来ないのかな……」

「あ、もう無視っすか。悲しい」


 そのとき、狙いすましたかのように、こんこんこん、と扉がノックされた。


「どうぞー」


 たぶん天野さんだろう。慎はそう予想し、入室を促した。

 だから、開いた扉の外にいた人物を見て、目を疑った。


「……失礼します」


 危うく聞き逃してしまいそうなほど、小さく、そして澄んだ声だった。

 フレームの細い、飾り気のない眼鏡。肩まで伸びた艶やかな黒髪。着崩すことないきっちりとした制服姿。そんな大人しい出で立ちの小柄な女子生徒が、立っていた。

 昨日の今日で忘れるはずもない。記憶に新しい彼女の名は――。


「……都月さん?」


 灯は目を丸くしている。

 当たり前だ。

 都月綾とは昨日の放課後以降、コンタクトをとっていない。慎の印象もきっと最悪なままだ。慎が綾に弁解することはあれど、綾からモノクロ探偵部を訪れる理由などないはず。


「どうした?」


 緊張が隠せていない上ずったような声で、慎が問う。それに対し、綾は静かに口を開いた。


「……今朝、天野さんから聞きました。その……夜岬さん……が、私と似た不思議な力を持っていること」


 あーそれでか、と慎は納得した。慎が綾に謝ろうとしていた内容を、円香がうまくフォローしてくれたらしい。


(でも、天野さんに説明されたからって素直にここまで来るか? 天野さん、やっぱり避けられてはいるけど信頼はされてるのか?)


 引っ掛かりはあったが、慎は深く考えなかった。


「少し、夜岬さんとお話ししたいのですが……」


 不安そうに、緊張で揺れる瞳。そこに、昨日のような敵意はない。

 最悪な印象をどう挽回しようか悩んでいたが、その点はもう大丈夫なようだ。


「ああ、全然オッケー。俺も都月さんと話したかったし。んじゃまあ、そうだな……改めて自己紹介でもしとくか」


 ともあれ、友達にはまだ遠いかもしれないが、少しは仲良くなれそうな気がしてきた。


「モノクロ探偵部部長の夜岬慎だ。よろしく」

「……都月綾です」

「あたしはモノクロ探偵部副部長の日野川灯。まあ立ち話もなんだし、入って入って」

「はい……」


 灯に言われるがまま、綾はモノクロ探偵部に足を踏み入れた。

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