2-2.友達をつくろう

 突然だが、色橋高校の普通教室棟は三階建てで、各階に八つの教室がある。対して、各学年のクラスは六組までだ。

 例えば一階であれば101教室から108教室まであり、その中でクラスの教室として使用されているのは106教室まで。残りの二つは選択授業で使われることはあるものの、空き教室となっている。

 モノクロ探偵部が拠点としている208教室も、そんな空き教室の一つ。普通教室棟二階の一番西側にある教室である。


 また、普通教室棟から中庭を挟んで南側に位置するのが、特別教室棟だ。普通教室棟とは渡り廊下でつながっている。

 特別教室棟の二階の西端には図書室がある。南北両方に窓がある開放的な作りをしており、普通教室棟の208教室とはちょうど対面に位置する。


 つまるところ、208教室の窓から南の方角を眺めれば、図書室の様子がよく見える。

 まさに今、慎たちがやっているように。


「あそこで本を読んでる、黒髪を肩まで伸ばした眼鏡の子。あの子が都月つづきあやちゃん」


 円香が示すのは、図書室のテーブルの端で黙々と読書する女子生徒。遠目なので細かい部分までは見てとれないが、円香の話した特徴と一致する。


「ねえ円香ちゃん。あたし都月さんの名前に聞き覚えがあるんだけど、もしかして入学式のときに新入生代表で挨拶してた?」

「うん。してたよ」

「やっぱり。……あれ、入試で一位の人がやるんだったよね」

「綾ちゃん、すごく勉強できるから」


 二人の会話に、慎はピンと来ない様子。


「なになに挨拶? そんなんあったっけ」

「慎あんた入学式寝てた?」

「さすがに寝てねー……と思うけど……。忘れても仕方ねーだろ半年前のことだし」


 むしろ覚えてる灯の方がすごいと思うが、今そんなことは重要じゃない。


「……それで、天野さん。さっき言ってたのは本当なんだよな」

「うん。綾ちゃんは、夜岬くんみたいな不思議な力を持ってるの」

「俺みたいな……か」


 円香が慎の能力の存在に気づき、そしてその話を疑わなかった理由。それは、円香自身『そういう能力』を持つ都月綾という存在を知っていたからだった。

 前例があるから気づくのも受け入れるのも早かった、ということだ。


「……にしても慎以外に、不思議な能力を持ってる人がいるなんてね」

「俺も驚いた。……ふっふっふ……まさか、この俺の〈単色の裁定者モノクローム・ジャッジ〉に類する能力がこの世に存在していたとは……!」


 二人が綾に興味を持ってくれて良かった、と円香は安心する。

 ……にしても、なんだろうその、『ものくろーむじゃっじ』って。夜岬くん、なんだか不敵な笑み浮かべてるけど大丈夫かな?


「ほーらそうやっていきなり中二病発症しないの。円香ちゃんポカンとしてるじゃない」

「え? あ、いやごめんなさい夜岬くん」

「いいのいいの。慎がイタいだけだから気にしないで」


 笑顔の灯の横で、慎は「なんでこのカッコよさに誰も気づかないんだ……」と肩を落としていた。


「ぶつぶつ言ってないでそろそろ本題に戻るよ」

「……そうだな。それじゃ確認するけど天野さんの今回の依頼は、俺たち――っつーか俺に、『都月綾』さんの友達になってほしいってことでいいんだよな」

「うん」


 円香は肯定して、詳細な説明を始めた。

 円香と綾は中学三年生のとき、同じクラスになった。

 始業式の当日、円香が綾のことを気になって、話しかけたという。

 綾は無口な少女で、最初はそっけない反応ばかりだった。

 しかし、いくらか言葉を交わすうちに綾も言葉を返してくれるようになり、少しずつ仲良くなっていった。

 読書好きの綾と本の話をしたり、円香がバスケ部を引退して高校受験に本腰を入れてからは、よく一緒に勉強もした。


「能力のことも、綾ちゃんが私を信頼していたから話してくれたんだと思ってる。でも、中三の二学期くらいから避けられるようになって……」

「何かあったの?」


 灯が問うと円香は首を横に振る。


「何も心当たりがないの。私も何がなんだかわからなくて……」


 慎の目は、円香の言葉を『白』ととらえている。本当に、思い当たる節はないようだ。


「仲直りしたかったけど、話そうとしても逃げられてちゃって……。それに受験も近づいて、私も余裕がなくなってきたから……そのまま自然と距離をおくようになっちゃったの」


 高校に入学してまた同じクラスになって、円香は改めて都月綾に話しかけようとした。しかしやはり避けられてしまう。

 それに、都月綾が壁を作っているのは円香に対してだけではない。クラスでも誰とも話さず孤立している。


「だけど、似たような能力を持ってる夜岬くんなら、もしかしたら綾ちゃんと仲良くなれるんじゃないかって思ったの」

「それで『友達になってくれ』って俺への依頼に繋がるわけか」

「……うん」


 そこで灯が、慎の肩を叩く。


「良かったじゃん。少なくとも脅迫状の犯人探しよりはやりやすい依頼でしょ」

「楽なもんか。コミュ障の引きこもりなめんな」


 慎はきっぱりと言い放つ。その言葉に円香は疑問を感じた。


「引きこもり?」

「えーっと……まあ本人が自信満々に言ってるなら隠す必要もないか。慎ってね、中学のときちょっと引きこもってた時期があったの。今はもう大丈夫だしむしろ大人しくしてほしいくらいだけど」

「暗く黙るより明るくうるさく。それが信条だ。どや」

「そ、そうなんだ……」


 何があったのかは聞きにくかったので、円香は控えめな返答をする。でも、あっけらかんとしている慎を見ると、本当にもう大丈夫なのだろう。


「とにかく、慎。あんたのミッションは、友達作りね。普段クラスで話してるみたいにすれば問題ないんじゃない?」

「そりゃあ俺も、同じクラスの人たちとは話すけどさ。でもそれって、あくまで相手からのアクションに答える形なわけよ。受け身なわけ。俺が自分から、話を振るなんてろくにないし」


 うだうだと言う慎を、円香が「でも」と遮る。


「夜岬くん、私やたまちゃんには、受け身じゃなくてちゃんと話してたよ」


 思い出すのは、先週の脅迫状事件。慎は積極的に円香から情報を聞き出していたし、環季を犯人と指摘したときも、自分から物怖じせずに話していた。やたら軽々しくはあったが。


「あれは依頼だったからな。依頼の内容に関しての疑問なり、相手の本心を見るための質問なり、そういうのなら話す内容に事欠かねーんだけど……ただ漠然と仲良くなるためにって、そりゃ一体何を話せばいいことやら。雑談ってのが一番苦手なんだよ」

「それなら、相手に疑問を見つければいいよ」


 提案したのは、三人の中で一番コミュ力が高いであろう、灯。


「コミュニケーションに大事なのは、相手に興味を持つこと。例えば都月さんって、本が好きなんでしょ? それならまず簡単な質問で『何読んでるの?』とか聞けばいいの。相手の疑問を見つければ、会話の内容って自然と出てくるものよ」

「疑問ねぇ……」


 と、そこで、


「あ」


 円香が脈絡なく声をあげる。慎と灯は会話をやめて円香の方へ向き直った。


「都月さん、帰るみたい」


 その言葉を聞き、次に慎と灯は図書室へ視線を移す。

 確かに、件の都月綾が鞄を手に取って図書室の出口に向かっていた。


「よし。行くよ、慎」

「え、マジで? 話すことなんも考えてないよ俺」

「そんなこと言ってたら、あんたいつまで経っても話しに行かないでしょ。こういうのは勢いも大事なの」

「……あーもうわかったよ当たって砕けりゃいいんだな!」

「おっけーその意気よ。円香ちゃんは待ってて」

「ううん、私も行くよ」


 脅迫状の一件でもそうだったが、探偵部を自称するこの二人のやりとりは、一見ただのコンビ漫才のようだ。

 でも、依頼には真摯に応えてくれることを、今の円香は知っている。

 ――夜岬慎なら、きっと大丈夫。

 そんな根拠のない信頼が、心の内から湧いていた。

 ……ただ、できれば当たっても、砕けないでほしいな。






 夕暮れの中、運動部の掛け声と吹奏楽部の演奏がかすかに響く。

 部活のある生徒は学校に残り、そうでない生徒はほとんど下校している。そんな中途半端な時間だからか、生徒玄関にいるのは彼女だけだった。

 彼女――都月綾は、靴を履き替え、静かに帰路につこうとしていた。


「綾ちゃん!」


 自分を呼び止める声にぴくり、と肩を揺らして綾は振り返った。


「……天野さん」


 眼鏡越しの、黒曜石のような瞳が驚きに揺れる。

 しかしそれは一瞬の出来事。綾は見開いた目をすぐさま細めると、正面に向き直り早足で歩き始める。

 露骨に、円香を避けていた。


「待って!」


 二度も声を掛けられては無視できなかったのか、綾は再び足を止めた。

 そして円香に冷たい声で問う。


「……何か用ですか?」

「その……たいした用じゃないんだけど、紹介したい人がいるの」

「……それは、後ろの方々ですか?」

「……うん」


 そして円香は、後ろの方々――慎と灯に視線を向ける。

 身構える慎の背中を灯がトン、と叩く。慎が見ると、灯が静かにうなずいた。「行け」と言いたいようだ。

 ――ったくしょーがねーな。

 もうなんでもいいから話すしかない。慎は腹をくくって円香の前に出た。


「突然ごめんな。俺はモノクロ探偵部の部長をやってる一年一組の――」

「モノクロ探偵部……」

「あ、モノクロ探偵部ってのは――」

「知ってます。掲示で見ました」

「そっすか……」

「それで、なんの用ですか」


 わー灯の作ったポスター、ちゃんと効果あるんだなー。

 そんなどうでもいいことを考えるくらい、慎の頭は現実逃避したがっていた。

 すでに、言葉のキャッチボールになっていない気がする。これただのドッジボールだろ。

 綾の瞳には警戒心が宿っている。突き放すような態度とそっけない口調は、相手を寄せつけようとしない。

 しかも、相対する慎は、会話のネタさえ未装填。あとコミュ障。――やっぱ無理ゲーじゃね?


「用がないなら帰りますよ?」


 ――どうしよう。マジでなに聞こう。

 冷や汗をかきながら、灯と話した内容を思い出す。


『まず簡単な質問で『何読んでるの?』とか聞けばいいんだよ』


 ――いやいや、都月さん今は何も読んでないし。帰る途中だし。じゃあ『さっきまで何読んでたの?』って聞くか? いやおかしいって。それじゃあ都月さんが図書室で本読んでたのを、俺が今まで見てたってことになるじゃん。気味わりぃ。『どんな本が好き?』なんて聞いても同じだわ。なんで俺、都月さんが本好きって知ってんの。んじゃあどうすりゃいい。疑問? 何かあるか? 俺が都月さんに抱く疑問。疑問――。


「――都月さんって、不思議な能力を持ってるんだって?」


 空気が死んだ。

 そしてこれが悪手だったと、慎は一瞬で悟った。

 不審者を前にしたかのような綾の目が見開かれ、そして次第に敵を睨む目へ変わった。


「なんで……知ってるんですか?」


 綾は射殺さんばかりの鋭い視線を慎に向け、そして次に、慎の後ろに立つ円香をとらえた。


「……まさか天野さん……話したんですか?」

「ご、ごめん! でも理由があって……」

「どんな理由でも――!」


 綾は声を荒立て、円香の言葉を遮る。


「――天野さんが、人の秘密を軽々しく話すような人だとは思いませんでした」


 円香は返す言葉が見つからない。言い訳したところで、円香が都月綾の能力について話した事実は変わらないのだ。

 代わりに、慎が口をはさむ。


「おい、『軽々しく』なんてのは決めつけだろ。少しくらい話を聞いてくれてもいいんじゃねーか? 友達なんだろ?」

「……違います」


 綾は、なお冷たく言い放つ。


「天野さんは、私の友達ではありません」


 その一言を最後に、綾は駆け足で去っていく。


「綾ちゃん……」


 呆然と立ち尽くす円香。慎と灯も、これ以上追っても意味はないと、あきらめることにした。

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