1-5.【脅迫状】後日譚

 翌朝、始業前。

 朝練のある部活は、今日も練習に励んでいる。

 正規の部活でない『モノクロ探偵部』もまた、なぜか朝から活動中であった。


 とはいえ、こんな時間から依頼人が来るはずもない。それは重々承知だ。

 それでも慎と灯が朝から足しげくこの部室(仮)である208教室へ通ってしまうのは、もはや習性である。


「そういえば――」


 授業の予習をしていた灯が、ふいに口を開く。


「円香ちゃん部活休むって。昨日メッセきた」

「……まあ、そうなるよな」


 スマホのアプリで漫画を読んでいた慎が、つぶやく。


「……天野さん、脚が治ったらまたスタメンに選ばれるといいな」

「円香ちゃんなら大丈夫よ」


 灯は笑顔で言った。


 ――そして、そんなやりとりから数分後。


「……眠ぃ」


 読む漫画もなくなったのか、慎は机に突っ伏していた。

 灯は予習の手を止める。


「暇そうね。あたしみたいに勉強しようって気はないの?」

「やる気ねーときに勉強なんかしても身に着かねーって」

「あんたにやる気があるときなんてあったっけ……」


 呆れたようなため息をついてから、灯は思い出したように告げる。


「……じゃあ、そんな暇な慎に教えてもらいたいことがあるんだけど」

「俺に勉強なんか聞くなって……」

「安心して。天地がひっくり返ってもそれはない。なんか成績下がりそうだし。――じゃなくて、あたしが聞きたいのは昨日の事件のことよ」

「あー、昨日のことか」


 慎は机の上から起こした体をほぐす。


「なんでわかったの?」

「それは、犯人が? 動機が?」

「全部よ。あんた、全然説明してないでしょ。あんたがその能力で何考えて調査してたかなんて、あたしにはわからないんだから。円香ちゃんへの説明だって、結構無理やりだったよ」

「仕方ねーじゃん能力の話なんてできねーんだから。もし言っても、気味悪がられるだけだし。不用意にバラしたくねーの」


 慎の能力。それは、人の嘘がわかる。

 昨日は円香と環季の手前、『人の嘘を見抜くのが超上手い』と曖昧に誤魔化したが、実際はそんな中途半端なものではない。

 ――夜岬慎には本当に、嘘が見えている。


「……んじゃあ、昨日の事件について少し話すか」


 慎は「めんどくせー」とぼやいてから、語り出した。


「まず初めに、犯人は『スタメンになった天野さんに嫉妬をして脅迫状を送った』って線で調査を始めただろ。最初に部活の見学に行ったのは、天野さんに対して嫉妬の念を抱いてる奴を見つけるためだ」

「慎に嘘を見抜く能力があるっていうのはわかってる。けど、試合見てるだけでどうやって嫉妬してる人がわかるの?」

「試合に出てない部員がフロアの端から応援してただろ。『ガンバー!』とか。もし応援対象である選手に嫉妬なんてしてたら、その声援が嘘になるからわかるんだ」

「声援が円香ちゃん以外に向けられてるってことも、あるんじゃないの?」


 仮に円香に嫉妬している部員がいたとして、円香以外へ向けた声援ならば、嘘にはならない。


「確かにな。でもチーム競技で、声援をずーっと一人だけに向け続けるなんてことないだろ。声援ってのはだいたい、チーム全体に向けたもののはずだ」


 うなずく灯を見て、慎は続ける。


「チーム全体を応援する対象には、もちろん天野さんも含まれる。もし天野さんに脅迫状を送るほど嫉妬してる奴がいたとすれば、その声援には少なからず嘘が混ざり――グレーになる」


 ――夜岬慎には、嘘が見えている。

 正確には、人が何かを言うとき、慎にはその人の頭――脳のあたりに『色』が見える。


 真実を話せば『白』。

 嘘をつけば『黒』。

 そして、白と黒の間の『グレー』。


 グレーは、言葉に真実と嘘の両方が混ざっている場合や、当人が発言に自信や確信を持てていない場合。そんな曖昧な状態に対して見える色だ。

 例えるなら慎があげた、チームへの声援。


『ガンバー!』


 その言葉にチーム全体の応援をする意思があるなら白。しかしその全体の中の一人に『頑張ってほしくない』という嘘が混ざれば、白いキャンバスには一滴の黒がにじみ、グレーとなる。


「……だけど、グレーな応援をしてる奴なんて見当たらなかった。それで、犯人が試合に出られない腹いせに『スタメンに選ばれた天野さんに嫉妬してる』って線はひとまず消えたってわけ」

「じゃあなんで環季ちゃんが犯人だってわかったの?」

「昨日も言ったけど、最初はただ怪しいってだけだった」

「嘘をついていたから?」

「そ」


 練習試合前の、円香と環季の会話を思い出す。


『今日の練習試合、一緒に頑張ろうね! たまちゃん!』と、天野円香。

『うん』と、神庭環季。


 この会話はどちらも嘘があると、慎は昨日言っていた。


「あの天野さんの言葉も神庭さんの肯定も、まあ黒とまではいかないけど、結構濃いグレーだった」

「あの二人に限って、『頑張ろう』って言葉が嘘だとは思えない」

「……そう。だから肝になるのは『一緒に』頑張ろうってとこなんだ。ほら、天野さんって真面目な性格だろ。神庭さんと『一緒に』じゃなくて自分はもっと頑張らなきゃとか考えてたんじゃねーかな」

「円香ちゃんなら考えちゃうかも……」

「対して神庭さんは、脅迫状の動機の通りだ」

「ケガのことを知ってたから円香ちゃんに頑張ってほしくなかったってわけね」

「その通り」


 自分はもっと頑張りたい円香。

 円香には頑張ってほしくない環季。

 お互いが各々の理由で、『一緒に』頑張ることを拒んだ。


「まあ俺もそこに気づけたのは、天野さんのケガがわかってからだけどな」

「ケガがわかったのは、円香ちゃんが嘘ついてたから?」

「そうそう。『ケガには気をつけろ』って言葉に天野さんは嘘の返事をしてた。あとは神庭さんは天野さんに一切パスしないし、その辺からも察したって感じかな。証拠なんてなかったけど。いやー、どうにかなってよかったわー」

「……え、なに? 実はほとんど行き当たりばったりだったの? 円香ちゃんと環季ちゃんに話し始めた段階じゃまだ確証なかったの?」

「仕方ねーだろ。天野さんのケガを悪化させないためには、悠長に証拠集めとか確認とかしてる場合じゃなかったんだから」

「そりゃそうだけど……あんたコミュ障のくせに無鉄砲なんだから……」

「ひでー言いようだな。――ともあれ、以上がバスケ部脅迫状事件の顛末さ」


 ひとしきり話し終えて、慎は伸びをした。


「しっかし疲れたなー、久々の依頼」

「でも、こうしてあんたの能力で一つの事件が解決したんだから、良かったじゃん。部を作った甲斐があったでしょ」

「そうだな。……もともと、能力を役立てたくて始めた部活だしな。……――この、〈単色の裁定者モノクローム・ジャッジ〉の能力をな……!」


 突然、右手を顔に当て、不敵な笑みを浮かべる慎。


「うん、急に中二病発症するのはやめよっか。ついていけないから」

「……相方が冷たい」


 がくん、と慎は机に突っ伏す。

 そんな慎を横目に、灯は考える。

 能力を人のために役立てたい。そんなことを考えていながら、その実、態度はいつも軽々しい。到底、殊勝な心掛けを持っているようには見えない。


「まったく、真面目なんだかふざけてるんだか」

「俺はいつだって真面目だよ~」


 机に頬をつけたまま、軽い調子で慎が答える。

 ヘラヘラ。そんな文字が慎の周囲を舞っているように見えた。


「……真面目っていうならせめて勉強くらいちゃんとしてもらわないと。また昨日みたいな騒ぎになるよ」

「昨日? なんのことだ?」

「…………」

「ちょっとなんだその『正気かよお前』って目は」

「……すごい嫌な予感してきたんだけど……」

「どした?」

「……あんた、追試は?」


 ――なんのことやら。慎は小首を傾げて瞬きを繰り返し……。


「やっべー!」


 愕然とした。

 昨日、円香が来る前までやっていた、落ちると補習になる追試の勉強。

 慎は、すっかり忘れていた。


「なんでもっと早く言わねーんだよ!」

「いや、慎があまりにのんびりしてるから、てっきり準備終わってるものかと……」

「うん、確かに終わりそう! いろいろ終わりそう!」


 慎は大急ぎで、鞄から教科書と筆記用具を取り出す。


「まずい! ここまで『絶体絶命』って言葉がしっくりなシチュエーション、滅多にねーぞ!」

「まあ落ちても死にはしないし、大丈夫でしょ」

「いや、死ぬわ! 言ってなかったか!? 担当、あの鬼瓦だぞ!? 補習にでもなった日にゃプレッシャーに殺されるわ!」


 騒ぎながらもペンを取り、慎は問題に頭を働かせる。

 ちなみに鬼瓦とは、生徒指導の鬼教師、河原木昇吾のことだ。

 鬼の河原木で通称『鬼瓦』である。

 追試に落ちれば、そんな鬼瓦の鬼のような補習が待っている。


「あーくそっ! 頼む灯! ジュース奢るから助けてくれ!」

「まったく、しょうがないなあ。……慎、追試っていつ?」

「今日の昼休み」

「……ま、要点絞って勉強すれば間に合うでしょ。ほら、前回の小テスト見せて。まずは間違ったところ確認したいから」

「灯パイセンあざーっす!」

「……やっぱやめようかな。うるさいから」

「ごめん! 冗談! ありがとうございますお願いします!」


 朝練のない生徒も通学し始め、ざわざわと賑わう色橋高校。

 その一角の空き教室では、ペンを走らせる音が絶え間なく響いていた。






 ――そして、そんな週末の追試騒動と、天候に恵まれない土日が過ぎた、月曜日。


「もしかして夜岬くんって、不思議な力を持ってたりするのかな?」


 モノクロ探偵部を再度訪れた天野円香の言葉に、慎は冷や汗をかくこととなる。

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