1-4.脅迫状の真意

「おつかれー」


 部活後。体育館から去る部員の声に「おつかれさまです」と答え、円香はシュート練習を行っていた。


「まどか、帰らないの?」


 振り向くと、環季がこちらを見つめている。いつの間にか、体育館の中にいるのは円香と環季の二人だけになっていた。


「先生が来るまで、もう少し練習していこうかなって」


 体育館の施錠は、顧問の先生が行う。その先生はいつも、部活後に雑務や帰り支度をしてから施錠しに来るため、自主練をできる時間が少しあるのだ。

 円香は何度かドリブルをして、スリーポイントラインでボールを投げる。成功しても失敗しても、それを繰り返していた。


(今のは少しボールの位置が高かったかな)


 反省とともにシュートしたボールを回収し、ドリブルしながらコートの中央に戻る。そして再びゴールポストに向かってターンを――


「――っ!」


 足を踏み外した。

 床に尻もちをつくと同時に、体に衝撃が走る。


「まどか大丈夫!?」

「だ、大丈夫だよ」


 環季が駆け寄ってくる。呼ばれた円香の方が驚くほど、慌てた声だった。


「そんなに慌てなくても、ちょっと転んだだけだって」

「万全ならそもそも転ばないよ! まどか、練習のしすぎで疲れてるんじゃないの?」

「疲れてなんてないよ。ただの筋肉痛。大丈夫だから」

「でも、少しでも体調悪いなら休んだ方がいいんじゃ――」

「それは駄目」


 環季の言葉を待たずに、円香はきっぱりと言い放った。


「せっかく大会に出られるんだから、練習は休めないよ」

「……そう」


 環季は悲しげな表情を浮かべる。


「でも、自主練もやりすぎは良くないよ。ちゃんと休めるときに休まないと……」

「……そうだね。今日はもう帰るよ」


 結局、心配してくれる環季の好意を無下にできず、円香は片づけを始めた。

 そのときだった。


「しつれーしまーっす」


 やたら軽い声が、体育館に響いた。


「あれ?」


 円香が入口を見ると、見覚えのある二人組。


「夜岬さんに灯ちゃん」

「よーっす」


 慎はパーに開いた手をひらひらと振る。


「練習おつかれ、円香ちゃん」


 灯は明るい口調で丁寧に応じる。


「どうしたの?」

「ああ、ちょいと用があってな」


 一体なんの用ですか? そう問うまでもない。

 脅迫状事件の関連だろう。それに、部活終了の時間になって自分の前に現れたということは、それだけ大事な情報が掴めたのかもしれない……。

 ――しかし脅迫状の案件について話すには、今はタイミングが悪い。


「何? 二人とも、まどかに用があるの?」


 環季がいるからだ。

 円香は、皆に心配をかけまいと、脅迫状の一件を部員に隠していた。環季も例外ではない。

 環季はいつも円香のことを気にかけ、親身になってくれる。それはありがたいが同時に、円香はどこか申し訳なさを感じていた。だからこそ、あまり環季を不安にさせるような真似はしたくない。


「……たまちゃん、ごめんね。灯ちゃんと夜岬さんとの用を済ませて帰るから、先に行ってて――」

「あー、違う違う」


 円香の言葉を遮り、慎はおどけたように首を左右に振る。


「俺が用があるのは、どっちかっていうと神庭さんだ」

「え? わたしに?」

「そうそう」


 急に話を振られて、環季は疑問符を浮かべる。


「まあ、要件の前に、神庭さんにはちゃんと名乗っておいた方がいいな。俺達は『モノクロ探偵部』だ」


 なぜ、今になってそれを環季に明かしたのだろう。

 考える円香の横で、環季が慎に言葉を返す。


「『モノクロ探偵部』って……あの?」


 モノクロ探偵部は、その名だけなら校内で有名な部活だ。正規の部活ではないが、依頼増加のためにチラシを作っているのだから、注目の的になるのも当たり前である。もっとも、あまりの胡散臭さに客足は伸びないため、部員の名前まで知る者はそういない。


「俺達は今、とある案件について天野さんから依頼を受けている。今日部活を見学しに行ったのも、不審な人物がいないかの確認が目的だった」

「……その案件って?」

「少し前、天野さんの元に奇妙な物が送られてきた。俺達が頼まれたのは、その送り主の特定だ」


 慎は、今度は依頼の内容までも環季に教えた。円香にはその意図がまったくもって理解できなかった。


「さて、前置きはこのくらいにして本題に入ろうか」


 声のトーンを落とし、慎は環季に向き直る。


「単刀直入に告げる」


 その瞳に環季をとらえ、一息つくと、真剣な顔で言い放った。


「犯人は、あんただ。神庭環季」


「――え?」


 一番呆気にとられたのは円香だった。


「夜岬さん、今なんて?」

「だから、神庭さんが犯人。そのままの意味だって」


 慎は一転して、緊張感のない声で答える。そんな慎の様子もあり、円香はその発言に一片の現実感も持てなかった。

 ……たまちゃんが、犯人……?

 ……脅迫状の、送り主……?


「なに? わたしが円香に脅迫状を送った犯人だっていうの?」


 突然の犯人指名に、環季は反撃する。


「そうそう」

「証拠でもあるの?」

「残念ながら、物理的な証拠はなーんにもない」

「じゃあなんで――」

「簡単なことだ」


 慎が、環季の言葉を遮る。


「……ここまで早くボロが出ると笑えてくるわー」


 くくっ、と慎は嫌みたらしく喉を鳴らす。


「どういうこと?」

「本当はもっと揺さぶりを掛けようとしてたんだけどなー」

「だからどういう――」

「いやなんでも何も、あんた今、自白しただろ」

「え?」

「天野さん。あんたもわかってんだろ?」


 慎と環季。二人の視線が円香に集まる。円香の表情は、驚愕の色に染められていた。


「――……たまちゃん……なんで脅迫状のこと知ってるの……?」

「なんでって、それはさっきこの人が――」

「ざーんねん。俺は『脅迫状』なんて言ってねーよ」

「あ……」


 慎は、円香に届いた物について、『奇妙な物』と曖昧にしか話していなかった。環季もそのことにようやく気づいた。


「……私、夜岬さんと灯ちゃんにしか話してないよ? ……なのに、なんで?」

「そ、それは……」


 とうとう環季は言葉に詰まった。


「証拠はこれで十分だろ? もう一度言う。――あんたが犯人だ。神葉環季」


 ――違う、あたしは何もしてない。

 それだけ言ってくれれば、円香は環季を信じるつもりだった。かすかな希望を込めて、円香は環季に、「反論して!」と目で訴えかける。

 しかし、環季は何一つ語らなかった。

 見つめてくる円香から、後ろめたそうに顔を背けた。

 ――それは、証明だった。

 環季が、犯人であることの。


「……たまちゃん……なんで?」

「…………」


 言葉が見つからないのか、環季は固く口を閉ざしている。


「……ねぇ……答えてよ……」

「…………」

「たまちゃん!」


 ――すると、


「まあまあ。落ち着けって、天野さん」


 空気を読まない男が、割って入る。


「……夜岬さん?」

「俺の話はまだ終わってねー。最後まで聞けって」


 緊迫した状況にまったくそぐわないテンションで、慎は話を再開した。


「まず最初に天野さん。俺になんか隠してない?」

「……なんのことですか?」

「いや、『俺に』っていうか『みんなに』かな」

「か、隠し事なんて……」

「あんたの脚のことだよ」

「!」


 心臓を射貫かれたような衝撃が、円香を襲った。


「まー、あれだ。俺って人の嘘を見抜くのが超上手いの。練習試合の休憩時間にさ、顧問の先生が言ってただろ」


 慎は先生の言葉を反復する。


『手を抜けとは言わない。手は抜くな。ただ、ケガには気をつけろよ。わかったか?』


「そのとき、天野さんは先生の顔を見ずに返事してた」


 図星だった。


「相手の顔を見ずに返事をするってのは大体、嘘やら隠し事やら、なんかやましいことがある証拠だ。天野さんに限って『手を抜く』ことはないんだろうから、嘘の返事をするとしたら『ケガには気をつけろ』の部分になる。だから俺は、天野さんがケガしてるんじゃないかと疑った」


 慎の言う通り、そのときの先生の言葉に、円香は目を見て返事ができなかった。

 ケガを隠している後ろめたさが、円香をうつむかせた。


「ケガしてるだろうっていっても、試合じゃ徐々に動きが悪くなってるような悪くなってないような……まあ素人目じゃはっきりしなかった。でもまあ、さっきの転倒を見るに、脚ケガしてるってことで間違いじゃなさそうだな」

「……見てたんですね。転んだところ」


 そう、円香の脚は、筋肉痛などではない。


 大会の選手に抜擢されるため、二学期になってから円香は、今までにも増して練習に励んでいた。

 朝練は毎日体育館に一番乗り。放課後も早めに来て、点呼前の少量の時間をも自主練に費やしていた。


 ――もちろん、努力はそれ相応の作用をもたらした。

 事実、時を重ねる毎に円香の動きには磨きがかかった。練習試合でも見せ場が増え、大会のスタメンにもなれた。


 ――ただ、努力は作用とともに副作用をも迎えた。

 最初はただの違和感だった。だから円香は、気にも留めていなかった。

 後に、違和感は少量の痛みを伴った。

 これではいつか、練習に支障をきたすかもしれない。

 そう思って訪れた診療所で、その結果を耳にした。


『レントゲンで調べてみたところ、脚――正確には頸骨の一部に、小さなひびが見えた。おそらく疲労骨折だね』


 ――疲労骨折――……骨折……。

 円香は大会を待たずに、試合終了のブザーを聞く錯覚をした。

 天野円香の失敗は、頑張りすぎたことだったのだ。


『今のところあまり問題はないね。この段階なら、派手な動きをしなければ自然治癒するはずだよ。……君、確か色橋高校のバスケットボール部だったね? ――二、三週間は運動は控えた方がいいよ』


 そのとき、大会は既に二週間後だった。骨の治癒を待っていたら、大会を棄権することになってしまう。


 ――運動を控える? そんなわけにはいかない。

 ――やっと、たまちゃんと一緒のチームで試合ができるのに。

 決意して円香は、誰にも脚のことを話さず、平然と部活に取り組むのだった。


「神庭さんの動機はたぶん、無理して練習する天野さんを止めることだ」

「え?」


 疲労骨折とはいえ、ひびを広げていけばいつかは、自然治癒で治まらない骨折に発展する。

 脅迫状を送りつけてまで、円香を試合に出すまいとした犯人の目的は、決して嫉妬でも悪意でもない。

 円香の身を、案じてのことだった。


「――ちょっと待って! なんでたまちゃんが知ってるの!? 私のケガのこと!」

「さあ。その辺は本人から聞いてくれ」


 慎は投げやりな態度で、環季に視線を送った。


「……まどかを診た医者が、わたしの親戚なの。……診察に来たまどかがわたしと同じ高校で、同じ部活だって気づいて……それで、様子を見てて欲しいって連絡くれたんだ……」


 環季は観念して、重い口から言葉を吐き出した。


「……でもまどかはケガなんて嘘のように、熱心に練習してたから――当たり前だよね。念願叶って大会に出られるんだもん。……だからわたしの方からは話を切り出せなくて……。それに、わたしがどう言ったところでまどかが引き下がってくれるとは思わなくて……それでもまどかにケガを悪化させて欲しくなくて……だから――」


 脅迫状を送り、大会の出場を辞めさせ、そして練習を止めさせようとした――。

 最後の方は涙声になっていた。


「……たまちゃん……」


 円香はすっかり落ち着きを取り戻していた。

 大会に出場したいという一心で、ケガを隠してまで練習を続けていた。それによってケガが悪化したのはいうまでもない。

 ――しかし、傷ついていたのは自分だけではなかったのだ。


「私にパスを回さなかったのも……無理をさせないためだったんだね……」


 何も気づかずに、ただただ環季の心に負担を掛けていた。その事実は、円香の心に深く突き刺さった。

 円香は、泣きじゃくる環季の肩を抱いた。


「……ありがとう。私のことを大事に想っていてくれたんだね……。……それなのに……心配かけちゃって、ごめんね……」

「……ううん、謝るのはわたしの方だよ。脅迫状を送りつけて……まどかを困らせちゃって……どうかしてた。……正直に、ちゃんと言えばよかったんだ……」

「……たまちゃん……」


 円香の頬にも、涙が伝った。


「本当に……ごめんね」


 抱きしめる腕により力を込めて、二度目となる謝罪の言葉を環季に捧げる。

 食い違っていた二人の想いが、体温に溶けて伝わっていった。

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