1-3.天野円香と神庭環季

 少し経って、練習試合が始まった。


 バスケ部の部員達がボールを追って、コート内を縦横無尽に駆け巡る。そんなフロアの様子を、慎と灯は二階に設置されたギャラリーから傍観していた。

 片方のチームには円香がおり、同じチームには環季と、部長の夏実の姿もある。あれが大会のスタメンなのだろう。


『ガンバー!』

『ファイトー!』


 体育館の端からは、試合を行う生徒たちへの声援が響いていた。

 しばらく試合を眺めてから、慎が口を開く。


「バスケにはあんま興味ねーけど、たまにスポーツ観戦するのも楽しいもんだな」

「スポーツ観戦もいいけど、真面目に調査してよね」


 気楽な態度の慎に、灯は呆れたように肩をすくめた。


「大丈夫、気にすんなって。今まさに、調査中だから」


 軽薄そうな声。視線は体育館の一階フロアに落としたままである。

 フロアを見渡す。たったそれだけではあるものの、特殊な能力を有する慎にとっては、脅迫状の犯人を特定する大切な工程だった。


「……つっても見た感じ、天野さんに嫉妬してる人なんかいそうにねーんだよなー」

「じゃあ犯人の動機は、円香ちゃんの推測と違うってこと?」


 円香の推測では、犯人の動機は、試合に出られない生徒による嫉妬だった。


「正直、それ自体がグレーなんだ。他に理由が思いつかないってだけで、天野さんもその説は半信半疑っぽかったからな」

「……まあ、犯人の動機が嫉妬とかじゃないっていうのは、あたしも賛成かな」

「そりゃまたどーして?」

「あたしには慎みたいな能力はないけど、円香ちゃんのことなら少しは知ってるから」


 語る灯の声は、どこか温かみがある。


「円香ちゃん優しいし、それにすっごい努力家なんだよ。朝練は誰よりも早く体育館に来て、放課後もいつも最後まで練習してるんだって。その努力を知ってて円香ちゃんに嫉妬なんてする人、いるはずがないと思う」

「……そんな綺麗な人間ばっかじゃねーよ」

「わかってる。でもあたしはそう信じたいの」

「……まあ、灯らしいと思うけどな」

「褒め言葉として受け取っとくわ。で、怪しい人は今のところゼロ?」

「とりあえず、現状怪しいのは神庭さんくらいかな」

「……え?」


 慎の発した言葉に、灯の反応はやや遅れた。


「それってどういう――」


 しかし灯の疑問は、階下からの歓声に飲み込まれた。

 パスを交わしていた相手チームから、環季がボールを奪ったのだ。

 そして環季は相手選手のマークを振り切り、自陣から相手のゴールポストの下まで独走。そのままレイアップシュートを決めた。

 それだけでは終わらない。ゴール後の相手選手のスローイン。環季はそのボールも奪い、背後から走り寄ってきた夏実へとパス。そして幾度かのパス回しの末、環季のスリーポイントシュートが華麗に決まった。


「すっげー」


 素人の慎でも、なんだかすごいというのは伝わった。


「そりゃそうだよ。環季ちゃん、時期エースって言われてるくらいだもん。少なくとも一年生の中じゃ一番上手いんだって」

「へー。……ってそれ、天野さんよりも上手いってことだよな」

「そうだけど……どうして?」

「いやそれ、天野さんからしたらすげープレッシャーじゃね? さっき天野さんが一番練習してるって言ってたけど、神庭さんの方がバスケ上手いんだろ?」

「それは……うん、そう……だと思う」


 円香と環季の二人を知っているからこそ、灯は否定ができない。


「そもそも天野さんと神庭さんってどういう関係なんだ? 中学同じとか?」

「中学も小学校も別だって。でも小学生のとき、バスケのクラブが一緒だったみたい」

「んじゃ結構付き合い長いんだな」


 なるほどなー、とうなずきながら、慎はコートを駆ける環季に目を向ける。


「で、その環季ちゃんが犯人ってどういうこと?」

「犯人とまでは言ってねーだろ。ただ怪しいってだけだ。嘘をつくような人間は、必ず隠し事をしてるからな」

「……もしかして、何か『見えた』の?」

「ああ。さっきの天野さんと神庭さんの会話には、『嘘』があった」


 ――『嘘』。

 慎の目は、それを見抜くことができる。


「部活の前に天野さんと神庭さんが、『一緒に頑張ろう』ってやりとりしてたの、覚えてるか?」


 言われて灯は思い出す。


『今日の練習試合、一緒に頑張ろうね! たまちゃん!』

『うん』


 円香と環季の間で、そんな言葉が交わされていた。


「あれ、どっちも嘘だった」

「どっちも……って待って円香ちゃんも?」

「そ。天野さんの『一緒に頑張ろう』も、それに対する神庭さんの肯定も、嘘」

「なんで……。円香ちゃんと環季ちゃん、すっごい仲良しなのに」

「俺も詳しいことはわかんねーよ。ただ確かに言えるのは一つ」


 慎は、コートを眺める。

 ボールを持つ環季。パスを待つ円香。


「あの二人、お互い『一緒に頑張ろう』なんて思っちゃいない」


 環季は、円香を一瞥し、別の部員にパスを送った。




>――――――>




『ガンバー!』


 コートの外から、部員の声援が飛んでくる。

 しかし私は、その声援に応えられていない自分に歯噛みする。

 今日の試合、私はまったく活躍できていない。

 数少ないゴールを決めるチャンスを、何度も失敗している。

 対して、たまちゃんの活躍はすごい。今日一番点を取っているのは、たまちゃんだ。


「環季!」


 チームメイトから、たまちゃんにボールが渡る。

 たまちゃんは数歩ドリブルし、相手のマークを前に足を止めた。

 これは、私にとってのチャンスだった。

 今、私をマークする相手はいない。

 ――たまちゃん! パス!

 視線に熱を込める。周囲を見回していたたまちゃんと一瞬、目が合った。

 しかし、たまちゃんは後方を走る夏実先輩にボールを投げた。

 ……まただ。

 たまちゃんはさっきも、私がフリーの状態なのにパスをくれなかった。

 今日だけじゃない。ここ最近ずっとそうだ。

 ――きっと、たまちゃんは私の実力を信頼していない。


「円香!」


 夏実先輩の声で我に返る。

 そして一瞬後に夏実先輩が投げたボールを、私は間一髪でキャッチした。

 私はそのままゴールへ走り、ボールを投げる。

 しかし、リングに阻まれる。

 弾かれたボールを取ってシュートを決めたのは、たまちゃんだった。




 ――たまちゃんと出会ったのは小学校三年生の頃。

 興味があって始めたバスケットボールクラブに、たまちゃんはいた。

 学校は違ったけど同い年で、好きなものが一緒だったから、すぐに意気投合した。

 たまちゃんと話すのも、遊ぶのも、一緒のチームでバスケをするのも楽しかった。

 当時から、バスケはたまちゃんの方が上手で、私はひそかに、たまちゃんを目標にしていた。


 小学校を卒業してクラブをやめると、私たちは離れ離れになった。

 ――いつかまた、同じチームで試合したいね。

 そう言ったのは、私からだったか、たまちゃんからだったか。今となっては思い出せない。

 でも、それがお互いの、確かな想いだった。

 だから、一緒の高校に合格できたことは、すごく嬉しかった。


 ――しかし部活が始まると、私の安堵は焦燥に変わる。

 たまちゃんが上手なのは、わかっていた。中学時代、大会で会うといつも、たまちゃんの活躍に驚かされた。そのたび私は、もっと練習に打ちこんだ。

 けれど、目指していた光は、はるか遠くのものだったと思い知った。

 同じ部活で、間近でたまちゃんを見るからこそ感じられる実力差。普段の練習ですら、たまちゃんに追いつけない。


 私が失敗するシュートを、たまちゃんは軽々成功させる。

 私が点をとる間に、たまちゃんはその倍以上の点をとる。

 極めつけはインターハイ予選。たまちゃんは、入部二か月で試合に出場した。

 補欠で出番は多くないけど、一年生で唯一の大会出場メンバー。たまちゃんは、他の一年生よりも明らかに先を進んでいた。


 いつも前を走っていくたまちゃんが格好良くて、眩しくて……羨ましくて。

 彼女に追いつきたくて、私は必死に努力した。誰よりも練習した。

 それでもまだ、たまちゃんの背中は、遠くにあった。


 ……脅迫状の犯人が自分に嫉妬しているなんて、自意識過剰かもって思ってる。

 部員を疑う自分が嫌になる。

 でも、そんな嫌な考えが浮かんでしまうのは、


 ――私自身が、たまちゃんに嫉妬しているからだ。




「天野、今日調子悪いか?」


 第二クォーター前インターバル。

 顧問の先生の言葉に、私の心臓は跳ねる。


「い、いえ、大丈夫です!」

「いや、いつもより動きが悪い。第二クォーターは少し休め。それに神庭もどうしたんだ」


 今度はたまちゃんが名指しされる。


「調子は……まあ、いつにも増してキレッキレだけど、ちょっと無理してないか? パスの判断もおかしいぞ。天野にパスすればもっと安全に点をとれる場面があっただろ。いくら天野の調子が悪いといえどだ」

「……はい」


 たまちゃんは私に目もくれず、先生の方を向いたまま言った。


「大会前で焦ってるのかもしれないけど、みんな落ち着いて」


 先生は、チームの全員を見渡す。


「手を抜けとは言わない。手は抜くな。ただ、ケガには気をつけろよ。わかったか?」

『はい!』


 チームメイトと一緒に先生の言葉に返事をしながら、私はうつむきがちに、小さく首を縦に振る。

 ……手は抜けない。当たり前だ。

 私には止まっている時間なんてない。


『今日の練習試合、一緒に頑張ろうね! たまちゃん!』


 部活前、たまちゃんにかけた言葉を思い返す。

 ――ごめん。一緒に頑張ろうなんて、ちょっと嘘ついたかも。


 本当は、『一緒に頑張る』じゃ足りないんだ。

 私はもっと、たまちゃん以上に頑張らないと。

 じゃないと、たまちゃんに追いつけない。




>――――――>




 円香がついた、小さな嘘。

 そこに隠れた本心を理解する者は、コート上に誰もいない。

 しかし、体育館のフロアを見下ろしていた癖毛の男は、


「……なるほどね」


 静かに納得した。

 その後、第二クォーターで選手交代した円香は、第三クォーターの途中から再びコートに立つ。しかしやはり調子が悪く、第四クォーターではまた交代した。

 対して環季は、最後までコートで戦い続けた。




   ◆◇◆◇◆




 試合後。

 練習試合に来ていた他校の生徒は帰っていき、色橋高校女子バスケ部に休息の時間が訪れた。

 本日の残りの活動は、練習試合の反省会と、そのおさらいも兼ねて少し練習を行うのみ。ラストスパートを前に、部員たちは体を休める。

 体育館にとどまって喋る者。数人で連れ立って自販機へ飲み物を買いに行く者。皆、和気あいあいと過ごしている。

 そんなコミュニティから外れ、円香は一人、体育館を背にして座り込んでいた。


 山影に沈んだ名残惜しそうな夕日が、空を薄紫に染めている。

 十月半ばの少し冷たい空気が肌を撫で、練習試合で温まった体を冷やしていった。

 体温を奪われるほど、頭は冷静に働く。


「……はぁ……」


 先ほどの練習試合を思い出し、ため息が漏れる。

 肝心な場面でシュートを決められず、環季にフォローしてもらった。

 他にも特に見せ場がないまま、交代になってしまった。

 環季がパスをくれないのは、きっと自分に実力が足りないからだ。

 この調子だと、試合に出してもらえなくなるかも……。


(だめだ、考えるな)


 立ち止まっていると、良くない考えだけが頭を埋め尽くす。

 悩んで何もしない時間が、一番無駄なんだ。

 もっと練習しないと。休憩時間なんてもったいない。


「円香ちゃんお疲れ」


 立ち上がろうとしたそのとき、背後から聞きなじみのある明るい声がした。


「……灯ちゃん。それに、夜岬さん」


 振り向くと、モノクロ探偵部の二人がいた。

 依頼についての話かな。


「何かわかったの?」


 その問いに、慎が答える。


「まあ、ぼちぼちかな。成果はあったけど決定打に欠けるって感じ」

「……そう」


 自分で質問しておいて、円香は気のない返事をする。


「なんか反応薄いな」

「あ、その……ごめん。せっかく調査してくれてるのに……」

「そりゃあ別にいいけどさ……」


 言葉を探しあぐねる慎の代わりに、灯が口を開く。


「円香ちゃん、どうしたの? 心配事があるなら聞かせて」


 灯の笑顔には、人に安心感を与える力がある。

 円香の中から自然に、一人で抱えていた悩みが漏れ出した。


「私……このまま脅迫状の通り、試合に出ない方がいいのかな」


 脅迫状の犯人探しを依頼してる身で、こんな弱気な発言は良くないと思う。

 でもそれは、ずっと払拭できずにいた不安だった。


「実力不足の私より、選手にふさわしい部員はいるの。本当に、私なんかでいいのかなって……」

「円香ちゃんの頑張りが認められて、試合に出られるようになったんだから。もっと自信を持って。今まで本気で頑張ってきたんでしょ」

「もちろん。……でも今日の試合、見てたよね。私、全然活躍できなかった」

「脅迫状の件が解決して、心配がなくなれば試合に集中できるよ。そのために、あたしたちも頑張るから」

「灯ちゃん……ありがとう」


 灯と話して、少し気が楽になった。

 陰鬱な空気を振り払うように、円香は勢いよく立ち上がる。


「それじゃあ私、体育館に戻るね」

「え、もう休憩時間終わりなの?」

「違うよ。けど灯ちゃんの期待に応えられるように、もっと頑張らないと。じゃあ、またね」






 体育館に入っていく円香を見送る灯。

 その横で、慎は嘆息する。


「なによ急にため息なんてついて」

「いや、せっかく励ましてもらったところ悪いんだけどさ……この事件、天野さんにとっちゃ不本意な結果に終わるかもしれねー」

「え、もしかしてあんた、真相わかってるの?」

「まあな」

「円香ちゃんに聞かれたときはわかってないような口ぶりだったじゃん」


 慎は円香に、『成果はあったけど決定打に欠ける』と説明していた。


「嘘じゃねーよ。俺嘘とか嫌いだし。決定打に欠けるのは本当。だからあとは……本人たちに話を聞くのが手っ取り早い」

「本人たちって……」

「ああ」


 慎の視線の先には、環季の姿があった。


「さあ、白黒つけようぜ」

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