賑やかな星16

 揺れている。確かに、間違いなく、継実の三半規管はその動きを感じていた。

 まるで地震のようだが、この場に地面などない。あるのは周りに存在する、惑星ネガティブの『内壁』だけ。

 だとすれば、揺れているのは惑星ネガティブそのもの以外に考えられない。


「……もしかして」


【肯定する。我々と地球生命の戦いに決着が付いた……我々の敗北だ】


 声を漏らせば、ネガティブは継実が言葉にするよりも早く疑問に答える。

 地球から現れた肉触手と惑星ネガティブの勝負は、肉触手に軍配が上がったらしい。

 この結果は予想外、なんて事はない。むしろ想定のうちの一つだ。強いて言うなら思いの外早く終わった事が想定外だろうか。

 継実は能力的にネガティブと相性が良い。粒子の動きが見えるのでネガティブが何をしようとしているかが視覚的に捉えらる事が出来、それでいて肉弾戦を主体とするため相手にダメージを与えられる。しかし、だからといって継実以外の存在がネガティブに対して不利とは限らない。実際南極でも恐竜やミリオンが何十もの数のネガティブを葬っていた。肉触手も惑星ネガティブに効果的な打撃を与えられる力を有していたのだとすれば、惑星ネガティブの敗北という結果はおかしなものではないだろう。

 求めていた結果であるし、想定していた結果でもある。それでも気になる点があるとすれば、一つぐらい。


「……ちなみに、その敗北に私達ってどれぐらい関わってる? あ、達って言ったのは私の仲間含めてね。多分まだこの中で暴れてるでしょ?」


【……相当影響がある。お前が乗り込んできた事で、本来存在しない量子ゆらぎが中枢内で生じた。その結果バランスが崩れ、維持するために力を割いている。そのため地球から出現した巨大触手との戦いに全力を費やせなかった。またお前の仲間については、お前よりも遥かに危険な存在であり、優先して止めている。お前が此処に到達出来た最大の要因だ。総評すれば、崩壊がここまで早まった理由は、確実にお前達の行動にある】


「おや、意外と高評価。無駄骨ぐらいの覚悟で来ていたのに」


 てっきり役立たずだった旨を突き付けられると思っていた継実は、心底驚いたように両手を上げながら仰け反る。

 とはいえ獅子奮迅の大活躍かといえば、それもまた否であろう。ネガティブはあくまでも「崩壊が早まった」と言っている。つまり最初から劣勢であり、継実達がいてもいなくても結果は変わらなかった訳だ。

 些か不服に思わなくもないが、しかし此度の戦いは惑星規模の生命と、惑星サイズの宇宙現象の激突。もしも争いが長引いたなら、地球の五割を焼き払うような大惨事が起きていたかも知れない。それを考えれば、戦いを早く終わらせる要因になったというのは十分な活躍と言えるだろう。むしろこれ以上を求めるのは向上心というよりも、「頑張れば自分は地球を救える」という傲慢である。

 満足の行く結果だ。だから継実の心は晴れやかに……と言いたいところだが、今し方気になるものを見付けてしまった手前そうもいかない。

 その気になるものとは、まるで抜け殻のように腑抜けたネガティブだ。

 ネガティブはぼんやりとその場に(地面も何もないので正確な表現ではないが)立ち尽くすのみ。今まで見せていた覇気も、怒りのような感情も、何一つ感じられない。こう例えるのも難だが、大差で負けてしまった競技選手のようである。


「……そんなに負けたのが悔しい?」


 あまりにも憔悴したように見えたものだから、思わず尋ねてしまう。

 我ながら馬鹿馬鹿しい問いだと、継実は自嘲した。相手は宇宙を正しい姿に戻そうとする、ちょっとばかり悪魔的かつ大規模ではあるが、いわば自然現象である。

 台風は悪意を持って上陸するのか? 地震が起きるのは神の怒りか? 旱魃は悪魔の仕業か? どれも違う。自然現象には科学的に説明可能な原因があり、その結果として起きているだけ。そこには意思も感情もありはしない。

 ネガティブも同じだ。宇宙を本来あるべき『正常』な姿に戻すという自然現象が、その役目を果たせなかったところで悔しいなんて思う訳がない。


【悔しくはない。だが、目的が果たせなかった我々は……なんのために生まれたのだろうか】


 そんな気持ちが吹き飛ぶ言葉を、ネガティブは返してきた。

 ……惑星ネガティブの揺れは、段々と大きくなっている。恐らく、そう遠からぬうちに崩壊するだろう。

 脱出しなければ巻き込まれて大変な事になる。それぐらいは分かっているのだが……しかし継実は逃げ出そうとはしない。

 ただ、ネガティブの傍に移動する。正面に立たず、横に並ぶように。


「何? アンタ、生まれた意味とか考えてるの? というか今まで疑問だったんだけど、どうやってものとか考えてるの?」


【量子ゆらぎを消滅させた際、表面に残る物質……我々は虚無物質と呼んでいるが、これは特定の波形を伝達する。これがお前達で言うところの電気信号や神経伝達の役割を果たし、知的生命体水準の思考を得た。或いは数ある反動現象の中で、そうした思考を有したものが我々と言うべきか】


「ふぅん、成程ね……ん? 反動現象の中で? それってつまり、虚無に還す力自体はアンタ達以外にもあるって事?」


【肯定する。観測が困難なだけで、頻度・規模共に量子ゆらぎと同程度と推察される】


「ははーん。そーいうものか」


 ネガティブのような『力』が宇宙ではあり触れている。そう思うと少々ぞっとするような気もしたが、同時にそんなものかとも継実は思う。

 なんて事はない。それは地球における『アレ』と同じものだと、継実は感じたのだ。そう、言ってしまえば――――


【無論意識を持とうが、我々は本質的には現象でしかない。物質を打ち消し、自らの存在ごと消えるのが使命】


「……………」


【だが、我々は敗北した。ミュータントを打ち倒せず、宇宙の秩序を守れなかった。我々は……何も為していない】


 ネガティブの言葉の一つ一つを継実は聞き、そして胸の中で反芻しながら理解する。

 ネガティブという存在は、意思を持ってしまった災害なのだろう。例えるならば台風。高い海水温という地球上でのエネルギー的な『歪み』から生じたそれは、大量の雨と強風を撒き散らし……やがて全てのエネルギーを使い果たして消滅する。

 もしも台風が自我を持ったら、何を思うだろうか。ただ風雨を撒き散らし、やがて消えるだけの自らの在り方を受け入れるだろうか? 勿論中にはそういう存在もいるだろう。そしてそういう存在は、誰にも気付かれないまま消えていく。

 だが、その在り方に納得出来ないモノが現れたなら?

 納得しようがするまいが、台風はやがて風雨を吐き出して消えるのが宿命。ならばせめて何かを成し遂げようと思うのは、不自然な事だろうか。自分が納得出来る終わり方にしようとするのは、悪い事だろうか。意思を持つからこそ、自分達にしか出来ない偉業を成し遂げたくなるのは、愚かな事だろうか。その結果として上陸した地域が壊滅し、数多の生命が奪われる事は、断罪すべき邪悪なのだろうか。

 継実は、そうは思わない。

 ネガティブが地球を目指し、地球生命を根絶やしにしようとした理由……そして『想い』を継実は受け止める。

 その上で、継実は断言した。


「くっだらなーい」


 ネガティブが抱いてきた想いに対する、否定の気持ちを。


【……くだらない?】


「くだらないでしょ。なんのために生まれてきたなんて、この世で一番くだらない疑問だよ」


【それはお前が生命だからだろう。生きているから、目的などなくとも――――】


「生き物だからぁ? なんの関係があるのさ。そもそも私が生物なんて、?」


 言葉を遮り指摘してみれば、ネガティブはありもしない口を噤んだ。

 生命とは、人間が勝手に定めた区分に過ぎない。

 多くの人間は、そこに特別な何かがあると信じていたからだ。神々の祝福か、この世のカルマか、或いは精神進化の末端か……だが科学技術が発展し、生命の本質を突き詰めていくほど、物質的な存在でしかないと明らかになる。恒常性の維持は化学反応の連鎖であり、意識は神経伝達物質とイオンのやり取りでしかないと人間の科学は分かってしまった。

 生命が特別だと思うのは、自分が特別だと言いたいだけ。自分の在り方に意味があるのだと思いたいだけ。

 挙句そんな事を思うのは『生命』ではなく、七面倒で非合理的な思考を有した『知的生命体』とやらだけだ。生命が生きているのは、『生きようとする』個体が生き延びた結果である。生きようとしない、或いは死にたがる個体は淘汰され、滅びただけ。目的があるのではなく、ただの結果論に過ぎない。無論自分がナニモノであるかなど、興味すらない事だ。


「そりゃまぁ、私も自分の事を生き物だと思ってるけど。でも私、能力で身体の隅々まで見えてるから、自分と物質に大した違いがないって分かっちゃうし。粒子テレポートを使えるから、この身体に魂がない事も証明しちゃったしねー」


【……なら、ならばお前は、何を目的にして生きているのか】


 恐る恐る、どうにかといった声色で、ネガティブはそう尋ねようとしている。

 継実はにやりと、そんな事も分からないのかと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべてみせた。次いで威風堂々とした姿でこう答える。


「んなもん、ない!」


 恥じる事すらなく、ネガティブの想いの根幹を全否定する言葉を以てして。

 顔のないネガティブがキョトンとしている。宇宙の厄災が呆けるほどに困惑している。それだけで堪えきれないほど面白くて、継実はゲラゲラと笑う。


【……生きる目的が、ない……】


「あー、おかし……生きる目的を持ってる生き物なんて、少なくとも地球じゃ人間以外にいなかっただろうに。考えてみれば分かるでしょ。単細胞生物とか植物にそこまで複雑な考えとか無理じゃん」


【そうなのか?】


「そうだよ。だって脳みそないんだからさ。大体さっきからうだうだうだうだうだうだうだうだ……目的だとか使命だとか宇宙秩序だとか、大層な看板掲げて自分の気持ち誤魔化す暇があるなら、素直にハッキリ言えば良いんだよ」


 戸惑うネガティブに、継実はびしりと指差しながら断言する。


「羨ましかったって」


 果たしてその言葉が正しかったのか。心を読めない継実には、ネガティブの反応からしか真偽は窺えない。

 だが、ネガティブ自身の言葉による説明は必要なかった。強張った姿を見れば、全てを察するに余りある。


「羨ましかったんでしょ。ただの自然現象に過ぎない自分達と違う、生きている存在が」


【……そうかも知れない。ただの現象に過ぎない我々と違う、生命の在り方が、我々にはないものが】


 ただ力を消費して消えていくだけの存在にとって、生命はどう見えたのだろうか。さながら意思を持って動き、死の間際まで信念を抱く。そしてミュータントに至っては宇宙の秩序すらも踏み躙る。愚かしくて、滅茶苦茶で……だから眩しく見えたのではないか。

 しかしその想いが勘違いである事は、何度も語った通り。

 いや、そもそもにして継実は思う。


「……ずーっと言いたかったんだけどさ、なんでアンタ、自分の事を生命って言わないの?」


【……何?】


「十分生き物じゃん、アンタだってさ」


 何故、ネガティブはネガティブ自身を生命だと思わないのか。

 ネガティブは語っていた。自分はエントロピーに逆らおうとする宇宙を正常なものへと戻す、反動現象に意思が宿ったものだと。物質ではなく、虚無を作り出す『過程』に生じた自我。そこに物質的根拠はない。二酸化炭素を吐き出す炎が意思を持ち、勝手に動き回るよりも不可思議なものだ。

 恐らく七年前の人類がネガティブの正体を知ったなら、彼等を生命だとは認めない。

 だが、継実は違う。

 地球生命だって、元を辿れば水中の化学反応という『現象』から生まれた存在なのだ。物質的な身体を持っていれば生命? そうでなければ非生物? 全く以て論外な発想だ。その基準は誰が作った? 物質の身体を持つ生物、しかもその中のたった一種類の高慢きちな種族はないか。


「自分が生命だと思えば生命。そうじゃないなら違う。それで良いんだよ。難しく考えるから、頭がおかしくなるの。強いて生き物らしく振る舞いたいなら、自分のやりたいようにやって、生きたいように生きる事。それだけで十分じゃない?」


 アンタには脳みそなんてないだろうけど――――そう言って話を締め括る継実。ネガティブはどんな反応をするのか、じっと待ってみる。

 ネガティブは立ち上がる。消沈していた覇気が戻り、継実に襲い掛かってきた時の活力が全身に戻っていた。

 どうやら、悩みは解決したらしい。


「立ち直った感じ?」


【ああ。お陰で、より確固たるアイデンティティの獲得に成功した】


「んじゃ、後は好き勝手に生きなさいな」


【そうさせてもらう。では早速、確実に地球生命を絶滅させる計画を練らなければ】


「え。そこは変わらないの?」


【これは我々の『本能』だ。知的生命体が摂食を楽しむように、我々は宇宙から地球生命を抹消する事を楽しむ】


 ネガティブはこちらに顔を向けてくる。表情も何もない、靄のようなそれから感情を読み取る事など出来ない。だが、なんとなく嬉しそうな気配は感じる。

 別段、自分の意見が正しいだとか、これで宇宙がより平和になるだとか、そんな偉そうな事を継実は考えていた訳ではない。しかし自分の言葉で誰かの『生き方』を助けられたというのは、一応『知的生命体』としてちょっとばかり誇らしい。例え相手が、地球の生命体を根絶しようとしていても、だ。

 思わず継実の顔には笑みが浮かんでしまい、同時に込み上がってきた気恥ずかしさを誤魔化すべく小突いてやろうとした

 そんな時である。

 継実達のいる空洞内の揺れが、一層激しさを増してきたのは。


「……あ、やっべ。ここ崩壊が始まってたの忘れてた」


【うむ。我々も忘れていた】


「戦ってて思ったけど、意外と抜けてるよねアンタ。しっかし流石にこの量の消滅の力に飲まれたら、いくらゼロ物質の膜を展開しても耐えられないだろうなぁ」


【我々としても問題だ。我々には自他の境界線がない。崩落した力の断片と接合した場合、我々は容易に同化してしまう。そして同化時に思考パターンの平均化も起こるが、これは相手が巨大な場合我々の意識は限りなくゼロに近い水準まで薄れる。即ち我々の意識の連続性が途切れ】


「あー、うん。つまりアンタも崩壊に巻き込まれたら死ぬって事でしょ。つか、アンタらにも個体の概念ってあったのね。くっついたり離れたりしてる癖に」


【ある現象に固有の形質が消滅する事を死と定義するならば、肯定する。また、自我を持つのは恐らく『私』だけだ。私は、ちょっとばかり他の個体よりも長く……生きていた事が要因で、思考パターンが異なる変化を遂げている】


 うっかり話し込んでしまったがために大ピンチ。しかしその事に継実はこれといって後悔などしていない。それに混乱する必要がないほど、状況は極めて簡単だ。

 脱出しなければ、『二人』とも死ぬ。

 シンプルなのは良い。取るべき方針を一つに絞れるのだから。ましてや互いの利益が一致しているならば、その方針を取る事は大して難しくない。


「じゃ、ここは共闘といきましょうかね……お互い生き抜くために」


【異論はない。私はまだ、死ぬ気はないのだ】


 互いの意思を合わせたところで二人は互いの顔を見合い、

 内側に向けて『空洞』が崩れ出したのを合図に、継実とネガティブは動き出すのだった。

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