賑やかな星15

 猛然と突撃してくるネガティブ。これまでとは桁違いのパワーとスピードを感じさせる動きだ。

 正直に言えば、継実は肝が冷えた。ゼロ物質の手足を作り上げ、ネガティブに有効打を与えられるようになったが……こんなものは付け焼き刃に過ぎない。案外身体が脆弱だという弱点こそ判明したが、それでも力と速さはネガティブの方がずっと上だ。ゼロ物質で作り上げた手足はいまいち動きが良くないので、その差は更に広がっている。体力だってもう残り少ない。

 臆さず攻勢に出られるのは、継実にとって割と最悪の展開である。お前に勝ち目なんてないぞと自信満々に主張すれば、尻尾を巻いて逃げ出すかもと期待していたのだが……逃げないだけなら兎も角、怒りを燃え上がらせてしまうとは。

 ネガティブを交渉下手だと嘲り笑ったが、自分の人の事は言えないな――――等と継実が現実逃避をしたところで、迫るネガティブは消えてくれない。立ち向かわねば、死ぬ。


「っ、ぬぅああっ!」


 ネガティブが肉薄してきたところで、継実はゼロ物質の拳を放つ!

 継実の繰り出した一撃はネガティブの顔面に命中。顔が大きく仰け反り、それでも勢いを殺しきれず砕け散る。中身がないとはいえかなりの大ダメージだろう。

 だがネガティブは止まらない。

 全ての物質を消し去る腕が振るわれ、継実の顔面を狙う! 咄嗟に顔を反らして避けたが、あと一瞬反応が遅れていたなら直撃していたに違いない。

 或いは、攻撃がもう少し『正確』で、こちらの動きに反応して軌道修正を試みてきたなら、だろうか。


「ふんっ!」


 継実がゼロ物質の足で腹を蹴れば、ネガティブは大きく吹き飛ばされた。が、勢いを押し留めるや否や再び突撃を仕掛けてくる。真っ直ぐ、小細工なしに。

 勇猛果敢な攻勢、と呼べば恐ろしいものだが……今のネガティブが繰り出しているものは違う。こんなのはただの猪突猛進に過ぎない。

 だから寸でのところで身を動かせば、ネガティブはあっさり空振りして、継実が足を出せば簡単に蹴躓く。ゼロ物質しかない空間で蹴躓いても『転ぶ』という事はないが、ネガティブはぐるぐると空中で回転。彼方へと吹っ飛んでいく。

 四肢をバタつかせて体勢を直そうとするネガティブだったが、感情的な動きでは勢い付いた身体を立て直すのは困難。

 端的に言って隙だらけだったが、継実はその隙を敢えて見逃す。何時までも立ち直す事が出来なかったら、苛立ち紛れに一発チョップでもお見舞いしてやろうかと考えていたが……流石にそうなる前にネガティブは自らの回転を止めた。

 くるりと振り返ったネガティブは、三度目の突撃をしてこない。

 代わりに一度その身体を縮こまらせた、瞬間、全身からを放ち始めた。

 光といっても目に見えるものではない。宇宙空間よりも暗いネガティブの内側で、モノの形など視認出来る訳がないのだから。継実は能力を用い、周りを漂うゼロ物質の動きからネガティブの『輪郭』を把握している。

 初めて戦ったネガティブが見せたものと同じ現象らしい。あの時は戦闘形態と思っていたが、今の継実には正体が分かる。あれは物質を消滅させる力を昂ぶらせた結果、『身体』の中に収まりきらなかった分が溢れ出しているのだ。黒い光のように見えるのは、溢れた力が周辺を漂う光子を消滅させて暗闇を作り出しているため。光がないこの世界でも、薄く引き伸ばされた力が四方八方に伸びていく様は『黒い光』と呼んで差し支えないだろう。

 溢れ出した力は非常に薄いものだが、恐らく普通の物質文明ならこの状態のネガティブには近付く事すら叶わなくなるだろう。ミュータントならば光そのものは恐れるに足りないが、その身体に滾らせた力……ミュータントに匹敵する身体能力の『輪郭』にすら収まりきらない力は危険だ。


【イィイイイギィイイロオオオオオオ!】


 荒ぶった雄叫びと共に、ネガティブが再度突撃してくる! その速さは間違いなく、今までよりも更に数段上。継実の反応速度でも認識するのが精いっぱいのスピードだ。


「ちっ!」


 継実は即座に後退。ネガティブの方がスピードが上なので逃げ切れないが、しかし下がればその分相対速度を落とせる。これで少しでも攻撃が見えれば――――そう思ったのも束の間、ネガティブが片手を前に突き出してきた。

 そしてネガティブは、今の継実だからこそ辛うじて認識出来るほど薄く、虚無に還す力を手から放つ。

 どれほど薄いかといえば、恐らくこれならただの人間が直撃を受けてもなんのダメージも受けないほど。勿論ミュータントにも傷なんて付けられない弱さだ。代わりに随分と広がり方が速いが、しかしこれで何が出来るというのか……

 見えたからこその疑問で継実は一瞬身体を強張らせる。

 その一瞬のうちに、継実の身体がネガティブの方に引き寄せられた!

 何が起きたのか? 困惑するも、この現象もまた初めてネガティブと戦った時に経験したものである事を継実は思い出す。お陰で何が起きたのか、即座に推論を立てる事が出来た。

 恐らくネガティブが放った弱い力は、重力……正確にはその伝達を担うヒッグス粒子だろうか……を打ち消したのだ。重力は自然界に存在する四つの相互作用の一つであり、尚且つ『最弱』の力。その代わり有効射程が無限大という性質を持つ。

 虚無に還す力は、恐らく惑星ネガティブさえも突き抜け、継実の背後にある広大な宇宙空間の重力を消し去った事だろう。対してネガティブの背後に広がる重力は消えていない。惑星ネガティブ内部では消えているだろうが、その外側、遥か宇宙の彼方で生まれた重力は今も無事だ。そして重力の作用は、という形で現れる。

 重力の射程は無限大だ。つまり何も感じないようで、物体は宇宙全ての重力を受けている。何も感じないのは、文字通り全方位から重力を受ける事で『中和』された結果に過ぎない。

 もしも片側の重力だけを消せば、もう片側に存在する……が対象に襲い掛かる訳だ。これがネガティブが使う『引き寄せ』攻撃のロジック。

 逃げるどころか引き寄せられて、継実の身体は反射的に強張る。それはほんの一瞬の出来事であり、七年前の人間達では認識すら出来ないだろうが――――ネガティブにとっては十分な隙である。


【ィギロアッ!】


 ネガティブは振り上げた腕を継実目掛けて放つ! 回避も防御も間に合わない。隙を突かれた継実の本能はそれを即座に理解する。


「っだァッ!」


 故に継実は、自分も攻撃に転じた!

 ネガティブの拳が継実の顔面を叩く。ゼロ物質の膜を展開していたが、それでも伝わる余波が継実の脳を激しく揺さぶった。

 しかし継実が繰り出した拳もネガティブの顔面を打つ!

 後から繰り出した上に動きの鈍さも相まって、先に顔面を打たれた継実の身体は後方に下がった。その分繰り出した鉄拳は減速し、いくらか威力も減衰している。しかしネガティブに対して効果抜群のゼロ物質パンチだ。ネガティブの顔面は大きく歪み、四肢と尻尾を広げた無様な姿勢で吹っ飛んでいく。

 追撃のチャンス、と言いたいが継実の方もダメージは小さくない。ネガティブと同じ格好で継実も吹っ飛ばされ、両者の距離は一時的にだが大きく離された。


【イギィイイイイロオオオオオオオオオッ!】


 が、その距離感が一瞬でも我慢出来ないとばかりに、ネガティブは雄叫びを上げて再度突っ込んでくる!

 これには継実も流石に驚く。物理攻撃に大して強くない筈のネガティブが、継実よりも早く体勢を立て直してきたのだから。

 いや、立て直したというのは不正確な例えか。こちらに突撃するネガティブの体勢は滅茶苦茶だ。腕や脚が妙な方角を向いていて、明らかにファイティングポーズを取っていない。身体から溢れている力で無理やり前進しているだけ。

 こちらが万全の体勢であれば、迎撃は難しくない。しかし同じく体勢を崩している今の継実には、純粋に先手を取られている状況だ。このままでは不味い。


「ぐ……ぬぅおおおおおおおおお!」


 継実は自身に掛かる慣性を力で強引に押し込んで、前傾姿勢へと戻す! 内臓や脳細胞が潰れるほどの重圧が掛かるが、死ぬより早く細胞を分裂させれば機能的な問題はない。

 自傷しつつも体勢を戻した継実は、迫るネガティブの顔面に拳を叩き込む! 無茶な体勢で飛んできたネガティブにこの攻撃は躱せず、直撃を受ける。ネガティブの突撃速度も合わさり、継実の拳はネガティブの顔面をぶち抜いた――――


「(ッ! 違う! 躱された!)」


 と思ったのも束の間、継実は攻撃が失敗したと悟る。

 ネガティブは頭に『穴』を開け、そこに継実の拳を通したのだ。貫通したように見えただけで、実際にはちょっと掠めただけ。

 すぐに拳を引っ込めようとするが、それより速くネガティブは頭の穴を閉じる。突っ込んでいた腕はネガティブの頭に捕まる形となった。

 腕はゼロ物質で作ったため、ネガティブに包まれても消滅しない。しかし今はそれが問題だ。消滅しないからこそ、一度取り込まれた腕はガッチリと固定され、動かせない。

 腕を押さえ付けられると、それだけで人間は存外動きの幅が大きく減ってしまう。ネガティブも継実の腕を捕まえる限り頭が固定されている状態だが、コイツの身体は不定形(というより形そのものが本来存在しない)だ。他の身体の部位は自由に変形し、頭が胴体にも足にもなれる。

 今回頭だった場所は変形の過程で胴体へと変わった。継実の腕は残り一本に対し、ネガティブの腕は二本……いや、脇から更に二本生えてきたので四本だ。文字通り手数は四倍。


「(流石にこれは、ヤバい!)」


 まともに殴り合っては勝ち目などない。そう判断した時には、もうネガティブは動き出していた。


【イギギギギロロロロロオオオオオオオオオオオオオオッ!】


 猛烈な咆哮。それ以上に激しい拳が、継実に襲い掛かる!

 顔面、胸部、腕。継実は身体のあちこちを秒間数百発のスピードで殴られる。ゼロ物質 の膜、ゼロ物質で作り上げた身体でどうにか耐えているが、伝わってくる衝撃は着実に継実の本体にダメージを蓄積させていく。

 ネガティブは拳に手応えを感じている筈だが、攻撃が弱まる素振りはない。むしろその身に滾らせる感情は昂るばかり。

 きっとネガティブは、継実の身体が潰れた肉塊になっても殴り続ける。あくまでも勘に過ぎないが、継実はそう予感した。

 どうにかしてこの攻撃から抜けなければならない。だが、どうする? 反撃をしても手数で負けているのだから押し負ける。腕を切り離しても、ネガティブは構わず前進して打撃を繰り出してくるだろう。状況をリセットするには、大きな『衝撃』が必要だ。


「ん、のおおオオオオッ!」


 そこで継実が行ったのは、取り込まれた腕を作るゼロ物質に運動方向を操作する事。

 ゼロ物質に運動エネルギーを加えても、虚無に還す力により消されてしまう。しかし運動のベクトルは存在しているため、これを操って動かす事が可能だ。ただ、運動エネルギーを使って雑に動かすのと比べて、物凄く計算量が多いだけで。ゼロ物質で作った腕の動きがぎこちないのも、この性質の所為である。

 ゼロ物質の運動ベクトルを操作し、今まで腕の形を作るため内側に向いていた力の方向を外側へと変える。ゼロ物質はその通りに動き出し、故に継実の腕も。それも一斉かつ猛烈な速さで。

 その光景を端的に言えば、破裂だ。

 威力は大したものじゃない。しかしゼロ物質で出来たそれは、ネガティブにとって消せない攻撃。内側から炸裂させれば、強烈な一撃と化す!


【ギギロロオオオオオオオッ!?】


 内側からの攻撃にネガティブは悲鳴染みた叫びを上げた。痛みで苦しむように四肢と尻尾をバタつかせ、崩れた体勢で彼方へと飛んでいく。


「うぐあっ!?」


 腕を炸裂させた継実も同じく、いや、それ以上の勢いで吹っ飛ばされた。しかし距離を取りたかった継実としてはこれで良い。

 此度開いた距離はかなり遠い。相手の事が小さな点にしか見えないほどだ。如何に激情を噴き出しているネガティブでも、この距離を強引に詰めるのは時間が掛かり過ぎて危険だと思ったのだろう。一瞬突撃の姿勢を見せたものの結局動きは止まり、体勢の立て直しを優先する。

 未だネガティブの纏う激情は衰えないが、がむしゃらさは消えていた。こちらが露骨な隙を見せなければ襲い掛かってはこないと、継実は判断する。


「ねぇ。ちょっと訊きたいんだけど、なんでそんなに怒ってる訳?」


 故に継実は一旦戦いの手を止め、少しずつ距離を詰めながら大きな声で問い掛ける。

 その一言でネガティブの身体が、微かに揺らいだのは目の錯覚だろうか。

 錯覚ではない、と継実は思う。痛いところを突かれたネガティブが激昂してまた突撃してくる……という可能性も考えたが、そうした事態は起こらず。

 ネガティブは静かに、否定の言葉を紡ぐ。


【……話す事はない】


「アンタになくても私にはあるの。知りたいだけなんだからさ」


【何故知りたがる。我々は敵同士だ】


「アンタ自然現象の癖して随分と感情的な立ち位置に拘るね。なんで敵の事を知っちゃ駄目なのさ。良いでしょ、別に。たかが殺し合ったぐらいでさー」


 自然界で、敵に憎しみを向けるものなどいない。

 敵は攻撃してくる存在だから嫌いではある。だから反撃は行うし、敵を殺す事に躊躇いはない。けれどもそれで終いだ。興味の有無は兎も角として、で相手の事を知ろうともしなくなるなんて非合理的な思考である。合理的なミュータントはそんなくだらない意地など張らない。

 ましてや敵の方から、我々は敵同士だから知る必要はないなんて言ってきたのだ。

 ――――誰が嫌いな奴のお願いを聞いてやるものか。


「何か言いたい事があるならさ、言ってみなよ。話せば分かるなんてこれっぽっちも思っちゃいないけど、話さなきゃなんも分かんないよ」


 継実の『お説教』を、果たしてネガティブはどう受け取ったのか。激昂したり嘲笑ったりする事はなく、ただ静かに継実を見ているだけ。

 継実も目を逸らさない。しばし継実とネガティブは見つめ合う。目どころか顔もないような相手の感情を推し量るのは難しいが……相変わらずネガティブは怒りの感情を向けてきているが、どうにも敵意は小さくなっているようだと継実は感じた。

 そして、燃え上がらせている怒りも、一瞬で消えてしまう。


【終わりだ】


 ぽつりと一言、ネガティブは独りごちる。

 今まで通りの無機質な言葉。処刑宣告とも受け取れる単語だが、しかし言い方にそこまでの殺意は感じられない。むしろ込められているのは諦めのようだと継実は感じた。

 一体どうして?

 疑問を抱く継実であるが、それを問い質す時間はなさそうである。

 突如として、この『場』が震動を始めたのだから――――

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