賑やかな星14

 避けられなかった。

 避けようがなかった。両腕を落とされた状態で、自分以上の身体能力の持ち主から逃げる事など出来やしない。

 ろくな動きも出来ないまま、継実の頭はネガティブの両手に掴まれた。腕の筋肉と骨を貫く一撃が、肉も骨もろくにない頭蓋を打つ。防ぎきれない衝撃が継実の脳へと伝わる。

 継実は動かない。悲鳴も何も上げやしない。

 そんな継実に向けて、ネガティブは語り掛ける。


【……何故】


 疑問の言葉を。

 理由は簡単だ――――継実の頭に触れたネガティブの手が、頭蓋骨どころか皮膚すら破れなかったのだから。

 継実は瞳をギラギラと輝かせながら、不敵に笑う。あたかも勝利を確信したかのように。


「……ぶっちゃけ賭けだったけどね、でも分が悪い訳じゃなかったよ。いやー、宇宙の摂理とやらは意外と弱点丸出しだなぁ」


【……………】


「あとさー、やっぱアンタ交渉下手過ぎ。ここで黙ったら認めるのと同じだよー。ま、否定したところで現に通じてないから、すぐに嘘だってバレるけど」


 煽るように語れども、ネガティブは口(などないだろうが)を噤んだまま。語るべき言葉が見当たらないのだろう。

 つまり向こうも自覚している事。ならばわざわざ語るまでもない。

 自分達の周りにあるゼロ物質を膜のように展開して壁を作ったなんて、説明する必要はないのだ。


「(まーだこれが何かも分かんないけどね……やっぱり存在そのものの『ルール』が違う。解析は、時間を掛ければ出来そうだけど、すぐには無理か)」


 惑星ネガティブを満たすゼロ物質の性質は未だ不明。そもそもこれを物質と呼んで良いかも分からない。だが、ここまで観察していて二つ分かった事がある。

 一つは、継実が触れると僅かながら身体を消滅させられる事。

 そして二つ目は、だ。何故消えないのかは全く分からないが、結果は継実の能力で観測出来ている。どんな性質を有していようが、これだけは揺るがない。

 つまり、集めて盾にすればネガティブの攻撃を防げるのだ。

 ……筈なのだ。かも知れない。そうだと良いな――――という極めて甘い見通しなのは継実も自覚するところだが。もしかすると集めて固めたところで、ネガティブの腕をすり抜けたり爆発したり、ネガティブの腕が加速したりしたかも知れない。そんなのあり得ない? ルール不明の存在に『あり得ない』を考える事こそが間抜けというもの。

 なんにせよ、継実は賭けに勝った。止めの一撃を生き延びたのである。


「(ま、コイツからしてみれば有利な陣地を作ったつもりだったんだろうけどね)」


 ネガティブが何時からこの宇宙に誕生したかは不明だが、このゼロ物質とは相当長い間触れ合っていた筈だ。つまりネガティブは、ゼロ物質がどんな性質を持っているか熟知している。継実達この宇宙の物質が触れたら消えてしまう事も知っていただろう。

 きっとフィアやミリオンでも、この場所でネガティブと戦う事は出来ない。粒子の観測能力を持たない二人では、この場に仕掛られた『罠』を見抜けず、身体の内側から蝕まれていただろうから。花中でも駄目だ。彼女ならゼロ物質には気付くだろうし、継実よりも詳細かつ素早く解析したと思われる。しかし花中の運動神経はお世辞にも良いものではない。継実がゼロ物質で作り上げた粒子ビームを、ネガティブは最初こそ避けたが、二発目は受け止めているのだ。ネガティブを倒すには、直接ぶん殴る以外に倒す術はない。

 だとすると、この惑星ネガティブ中枢で戦えるのは……


「……ん、んふ、んふくくくく……」


【何故笑う。状況はほぼ改善していない】


 突然笑い出した継実に、ネガティブが問いを投げ掛けてくる。

 実際その通りだ。相変わらず継実はこの場所で呼吸が出来ず、エネルギーは枯渇気味。粒子操作能力を解除すれば瞬く間にゼロ物質により身体は蝕まれ、ゼロ物質で作った粒子ビームを撃ち込んでもネガティブには傷も付かない。相変わらずどうしようもないほど不利だ。

 笑えるような状況は、何一つ見られない。しかしそれでも継実は笑う。


「そりゃ笑うでしょ……世界を救うスーパーヒーローに一度はなってみたいのは、男の子だけじゃないんだよ!」


 自らの気持ちを吐き出すのと同時に、継実はネガティブに

 ネガティブに顔はない。だが驚いた事は雰囲気から察せられた。理由は、切断した筈の継実の腕がすっかり元通りになっているからだろう。体力を激しく消耗した継実に、身体の欠損を治す余裕などないと思っていたに違いない。

 とはいえ驚きは一瞬だけ。継実の頭を掴んでいた手を即座に引っ込めるや、継実の拳を受けるように上腕を構えた。ネガティブの顔面目掛け真っ直ぐ、小細工なしに放っていた継実の拳はそのままネガティブの腕を打つ。

 防がれた打撃。ましてや身体能力で継実よりも勝るネガティブにとってそれは、大した一撃ではない

 筈だった。


【ギ、ロ……!?】


 だが、ネガティブは呻く。

 ネガティブの腕に触れた継実の拳は、消えていない。骨どころか表面の皮さえも。

 消える事のない拳に纏う、量子ゆらぎの力がネガティブの腕の奥深くまで突き刺さる! これまで攻撃を受けても呻き一つ上げなかったネガティブが、これまでにないほど大きなダメージに動揺していた。


【な、にが……】


「ぬぅううううっ!」


 その動揺の隙を突いて、継実はネガティブに『両手』で掴み掛かる!

 ネガティブは我に返ったような仕草を見せつつ、継実の腕に即座に反応。こちらもと言わんばかりに手を伸ばし、継実の手を掴んだ。

 そのまましばしの取っ組み合い。

 パワーではやはりネガティブが上。しかも継実はエネルギー不足で疲労困憊の身であり、戦闘モードも使っていない。条件は明らかにネガティブの方が有利だ。実際取っ組み合いでは継実の方が押され、どんどん後退していく。

 だが、動揺を見せたのはネガティブの方だった。


【イ、ギ……!?】


「ぬぐぐ……やっぱパワーじゃ敵わんか……な、らァ!」


 狼狽えるネガティブを余所に、継実は楽しげに笑いながら回し蹴りを放つ! 反応が遅れたネガティブは、頭部にその一撃を受ける。

 するとどうした事か、ネガティブの頭は容易く砕けたではないか。大事なものは詰まっていないが、以前は取り込む形で受け止めていた場所があっさりと砕けた事実に、まるで驚くかの如くネガティブは後退り。

 そうして開いた距離を、継実は駆けるように飛んで詰める。ネガティブは迫り来る継実に拳で応戦するも、継実の掌はこれをどうにかキャッチ。力強く握り締めて逃さない。

 そしてネガティブに更なる動揺を与えた。無論パワーの強さによってではない。

 直接触れ合っているにも拘らず、継実の掌が消えていかない事によってだ。


【まさか、これは――――】


「おっ。そろそろ気付いた?」


 ぽつりと零すネガティブの言葉に、継実は不敵な笑みを返す。答えだと言わんばかりに、拳を受け止めた方の手を一際強く握り……そのままネガティブの手を潰した。

 ぐしゃぐしゃに潰れた手。ゆらゆらと揺らめきながら回復するその手を、ネガティブは目のない顔でじっと見つめている。やがて信じられないと言わんばかりに、身体をぶるりと

 今まで全くダメージなど入らなかったネガティブの身体に、少しずつだが傷が蓄積していく。逆に継実の身体は今まで触れるだけで酷い怪我を負っていたのに、今ではほぼ無傷だ。

 無論、これは小手先の作戦や死物狂いの気合いでどうにかなるものではない。確かな理屈がなければ変わらない現実。継実はその現実を作り上げた。


「アンタの予想通りだよ。私の両手両足は、この場に満ちてる物質で再構築している」


 或いは、置き換えたと言うべきか。

 今の継実の手足を作るものはゼロ物質。触れると身体が消えてしまうので結合は出来ないが、しかし粒子操作能力で操る事は可能だ。効きが悪いので素早く自由に、という訳にはいかないが……ネガティブに触れて消えないというのは、欠点を補って余りあるメリットだ。万一破壊されたところで周りはいくらでもゼロ物質に満ちている。戦うのに支障はない。

 そしてこの反物質の手足はもう一つ、実際に使ってみて分かった利点があった。


「コイツで殴ってみて分かったんだけどさ……アンタら、実は結構でしょ?」


【……………】


「ここでの沈黙は肯定と受け取るけど、どうなの? 弁明はある?」


 改めて尋ねてみても、ネガティブは何も答えない。しかし微かに震える身体が全てを物語る。

 そう、冷静に考えればおかしいのだ。ネガティブが、物理攻撃で怯むというのは。

 何故ならネガティブに触れた瞬間、物質とエネルギーが消えるならば、運動エネルギーは殆ど相手に伝わらない筈だからである。運動エネルギーは質量×速度の二乗で算出される。質量が即座に消え去れば、運動エネルギーも計算上はゼロだ。ミュータントには量子ゆらぎの力があるため、通常の物質よりはネガティブに通じるとしても……それでもやはり質量が消えている以上、計算上はゼロになっている。だからどんなに強烈な物理的な衝撃をぶち当てたところで、ネガティブの身体には殆ど届いていない筈なのだ。

 ところがネガティブは継実達ミュータントの物理攻撃に、仰け反るわ叩き潰されるわ踏み潰されるわ、あまりにも呆気なくダメージを受けている。ゲーム的に例えるなら、九十九パーセントのダメージをカットしておきながら、数値上普通の敵と同じぐらいのダメージを受けているようなもの。

 この事実が示すものはただ一つ。ネガティブ自身の身体は、大して頑丈ではないという事だ。


「まぁ、考えてみりゃ当たり前だよね。アンタ達の正体が世界を虚無に還す力だとして、その力が『硬い』とか『破壊力』を生むとかはない。硬さってのは物質に対して使う言葉だし、物理的な衝撃を生むには速さと質量が必要。ただの現象に過ぎないアンタに、怪力とか防御力は生まれない。今まで力だと思っていたものも、単に虚無に還す力と、私らの量子ゆらぎが生み出したエネルギーの鍔迫り合いだった訳だ」


【……………】


「アンタの力がどんなとんでもないものでも、それが宇宙の摂理だとしても、種が分かればこんなもん。相手を解析し、対応出来れば勝てない相手じゃない」


 継実の言葉をネガティブは淡々と聞くだけ。攻撃もしてないのに段々とその身体の震えが大きくなってきているのは、身体の回復が上手く出来ていないのかも知れない。

 形勢は逆転した。宇宙の災厄は、今や対策可能な災害に過ぎない。

 勝利を確信した継実は大きく胸を張り、ゼロ物質で出来た腕を組みながら、体内に溜まった老廃物と不純物を鼻息として力強く吐き出す。


「たかが自然現象風情が、私ら生き物に勝てると思うなよ」


 そして勝ち誇るように煽り台詞をぶつけてやった

 刹那、背筋が凍るほどの悪寒が、継実の正面からぶつけられた。


「……ん……………んー?」


 一瞬何が起きたのか分からず、継実は呆けてしまった。時間が経つほど、状況は理解出来たが……同時に困惑も大きくなっていき、身体が硬直してしまう。

 継実の正面に立つのは、ネガティブが一体のみ。ネガティブに大きな動きはないのだが、ひしひしと伝わってくる『想い』はある。いや、そんな感覚的なものを頼りにせずとも、話している間ダメージも受けていないのにどんどん大きくなる身体の震えを見れば明らかというものだ。

 明らかに、ネガティブは

 ネガティブは虚無に還す力の集合体。如何に感情的な振る舞いをしようとも、どれだけ知的に会話しようとも、そこには何も存在しないのだ。何もない、全てが消えたという現象に過ぎない。

 その現象が、怒りを向けてくる。

 何が起きているのか分からない。何があったのかも分からないし、どんな理屈があるのかも分からない。

 ただ継実は本能的に、自分のやってしまった事を察し――――ぽつりと呟く。


「……もしかして私、コイツの逆鱗に触れちゃった感じ?」


 その呟きが正解だと言わんばかりに、ネガティブは雄叫びを上げる。空間がひずんでいると感じるほどの、おどろおどろしい咆哮。

 その叫びと共に、黒い自然現象は『激情』を迸らせながら突撃してくるのだった。

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