賑やかな星10

 幸いにして、継実達が傷口に辿り着くまでの三十分ほどの間、肉触手と惑星ネガティブの膠着状態は崩れずに続いた。

 相手は惑星規模の超巨大存在。向こうからしたらちょっと顔を背けた程度の動きで、数百キロも対象が移動してしまう。継実達の秒速数キロ程度の機動力では、そんな小刻みに動かれては追い付けない。着地寸前に動かれたら、秒速数百キロで動く大地と激突だ。ましてや『身動ぎ』した肉触手やらなんやらと激突したら、恐らく跡形も残らないだろう。

 幸いにしてその最悪は起こらず、継実達は惑星ネガティブの傷口に辿り着く。


「うわ、こりゃ凄い……」


「ええ。ほんと凄い……」


 傷口を見た継実と花中は、同じ感想を口走る。

 惑星ネガティブの口内に出来ていた傷は、長さ五百キロ、幅三十キロほどの大きさを誇っていた。傷口の断面はボロボロのぐちゃぐちゃで、強引に引き裂かれて出来た傷だと分かる。恐らくレーザーのエネルギーが内部で炸裂し、身体が弾けたのだろう。『敵』の事とはいえ、想像するだけで痛々しい被害だ。

 問題は奥行きがどの程度あるのかだが……見たところ数百キロは優にあるか。しかし黒い身体、そして靄のような体質により正確な輪郭は確認出来ない。宇宙空間故の暗さも相まって殆ど先が見えない状態である。

 これでネガティブが普通の生命体なら、例えば弱い光や音を撃ち、反射して戻ってくるまでに掛かった時間を計算して距離を測る事が出来る。しかしネガティブは虚無の力の集合体。量子ゆらぎの力を纏っていない、或いは生半可な出力では、当たった傍から消されてしまう。深さの測定は不可能だろう。

 結局のところ我が身一つで潜り、実際に確かめる以外に詳細を知る術はないのだ。


「……入ろう」


 継実の言葉に花中が頷く。意思を確認し合ったところで、継実と花中、花中に背負われているフィアは傷口から、惑星ネガティブ内部へと侵入した。

 内部に入ると、一層暗くなったように継実は感じた。星の光すら入らなくなった影響だろう。

 通常ならば傍の仲間どころか自分の指すら見えない暗闇だが、継実には粒子操作能力がある。粒子の動きや位置を観測するのはそれこそ得意技。しかも宇宙空間には地球上ほど粒子がないため、粒子の動きを観測すれば花中やフィアの姿がくっきりと見えた。

 花中も同じ方法で継実の存在を把握しているだろう。フィアにはそうした能力がないので、継実と花中の姿は見えない筈なのだが、フィアに不安がってる様子はない。周りが真っ暗で何も見えなくても、大して気にしていないようだ。フィアの正体はフナ。フナは濁った水の中でも暮らしていける生き物であり、元々視力にはあまり頼らない。底知れぬ暗闇もフィアにとっては人間で言えば鼻詰まり程度の、鬱陶しいけど不安になるようなものではない感覚なのかも知れない。

 それに不安というのは、視覚の有無だけで感じるものではない。


「(地球、大丈夫かな……)」


 自分達が進んでいる惑星ネガティブに、大きな動きはない。未だ肉触手との力比べは拮抗しているのだろう。

 だが、それは地球が無事という意味ではない。惑星ネガティブの表面から大量のネガティブが生まれ、地球に向かっているのではないか。いや、そんな地球全体の話を抜きにしても、南極で戦っているモモやミドリは無事なのだろうか。

 悩んだところで答えは出てこない。それでも知らない事があるという認識が、酷く不安を掻き立てる。

 気にしてもしょうがないと、頭では分かっている。モモやフィアのような野生生物達なら「だから気にしない」と合理的に判断出来る事だろう。ミュータントになって七年の継実にもそれは可能で、無意識に身体を制御しているため顔や態度など表に出す事はない。

 だがそれでもミュータントになるまでの十年で培った、人間としての理性が不安を覚える。或いはここ数日の村生活で、野生生活で抑え込んでいた理性が元に戻ろうとしていたのか。

 いずれにせよ、継実の心は少し乱れていた。心の乱れは警戒心の欠如。どれだけ取り繕おうが、その事実は変わらない。


「……来ます」


 故に危機の到来を察知するのが、ぽつりと呟いた花中よりも遅れた。

 もしも一人だったなら、継実は『横』から飛んできた攻撃に反応出来ず直撃を受けただろう。だが花中が危機の到来を知らせてくれたお陰で、動く事が出来た。

 継実と花中は即座に手を突き出し、互いに相手の手を押し出すように力を込める。加えた力によって継実と花中はそれぞれ離れるように飛ぶ。

 その間を、一体のネガティブが通り過ぎる。

 やってきたネガティブはフィアが腕を伸ばし、捕まえ、頭を握り潰す事で消滅させた。ひとまず危機は去ったが、されど安堵は出来ない。この奇襲攻撃の『元』を確認しなければ。

 無意識に継実はそのネガティブが飛んできた方を見る。そこはいわば惑星ネガティブに出来た傷口の断面……継実達から見れば『壁』のように見える部分。虚無の力そのものであるネガティブの姿は粒子操作能力でも観測出来ないが、それを応用して見えない領域という形での可視化は可能だ。

 逆に言えば、そうするまで傷口断面の変化に気付けなかったようだが。


「(うわっ……なんて数……!)」


 思わず顔が引き攣る。

 そうなってしまうぐらい、傷口の壁には無数のネガティブがいた。例えるならば木の幹から生えるキノコのように、ネガティブは上半身だけを出し、裂けた頭と腕を振り回している。

 惑星ネガティブからネガティブが生まれるところは見たが、どうやら生えたものが分離する形で増えるらしい。その増え方自体は想定していたパターンの一つであり、さして驚くほどのものではないのだが……流石に、人型の存在が何万と生え、藻掻くように蠢く姿は気持ち悪い。生理的な嫌悪感がぞわぞわと込み上がる。花中も顔を青くしてドン引きしている状態だ。野生生物からしても生理的嫌悪感は抑えられない ― 抑える必要がないだけかも知れないが ― ようで、フィアは極めて露骨に顔を顰めていた。

 とはいえ気持ち悪いだけなら大した問題ではない。問題となるのは、これが数万のネガティブという『群勢』になる恐れがあるという事。

 惑星ネガティブの規模からして、この数万の大群を生み出す事など無意識に出来る所業だろう。巨大肉触手達との力比べにも大きな影響は出まい。しかしそれでも惑星ネガティブに比べればちっぽけな、継実達三人組からすれば絶望すら生温い大群が生まれるのだ。

 そしてわざわざ生み出した存在が、まさか見せ付けるだけの飾りなんて筈もあるまい。


「(……来るつもりか)」


 ずるずると這い出すように、壁から続々とネガティブが生まれ出る。何万もの大群だ。まともにぶつかり合えばまず負けるし、勝てたところで時間が掛かってしまう。惑星ネガティブと肉触手の拮抗が崩れたなら、どちらが勝利者にしろ内部は激しい揺れに見舞われ、中心部に進むどころではない。ましてや勝ったのが惑星ネガティブならば、それはそのまま地球の終わりを意味する。

 肉触手側に勝ってもらうためにも、この拮抗状態のうちに中心部に行って暴れなければならないというのに。どうしたものかと悩む継実だったが、花中は既に決断を下したらしい。無重力下を泳ぐように、一旦離れていた花中が背負うフィアと共にやってきた。次いで花中はちょんちょんと継実の肩を突く。何か話したい事があるのかと思った継実は花中の方を見て、

 フィアが継実の腹を思いっきり殴ってきた!


「ぐぇっ!? フィア、何を……!」


 いきなり殴られて、継実は思わず抗議の声を上げる。勿論ここは宇宙空間。空気どころかまともな原子すら殆どなく、空間を引き裂くぐらいのパワーがなければ叫んだところで相手に届きやしない。しかし継実が黙ったのは、自らの行動の無意味さを察したからではない。

 フィアが継実を殴り飛ばした際に生じた反動、そして花中が自ら生み出している推進力により、二人がネガティブ達が生まれ出ようとしている壁へと向かうところを目にしたからだ。


「(嘘……まさか二人で……!?)」


 言葉を交わさずとも継実は理解する。二人は自ら足止めを買って出たのだ。継実を最深部へと送り届けるために。

 確かにそうでもしなければ、限られた時間と圧倒的戦力差の中、誰か一人でも中心部に到達する事は出来ないだろう。だがそれは自殺行為だ。危険を通り越して無謀としか言えない。

 地球を守るためなら安い犠牲? 合理的に考えればその通りだろう。しかし継実個人の感情としては全く納得出来ない。衝動的に継実は二人を止めようと、届かない手を伸ばそうとする。

 それと同時に目にしたのは、二人の顔。

 花中達は。フィアは遊び道具を見付けたように獰猛で好戦的な笑みを浮かべ、花中は友達と遊ぶように純真で真面目な笑顔を見せる。恐怖悲壮後悔達観迷い……あらゆる負の想いを持たない、底抜けに前向きで力強い笑み。

 二人とも、自分が死ぬとは露ほども思っていない。

 そうだ。二人とも誰かのために死ぬ気なんて、ある筈がない。何故なら自分達はミュータント。どれだけ取り繕おうが、本質的には自分の事しか考えていない存在だ。自分にとって良い未来を手にするために、自分に出来る最善の方法を選択するのみ。


「………………」


 花中がこちらを向いて、何かを語る。離れてしまえば、もう振動による声は届かない。

 だが、人間である継実には心で分かる。

 後は頼みます、だ。


「……任せとけ!」


 継実は大きな声で答えた。

 その声が届くのは、声帯の震えを身体で感じ取れる継実本人だけ。しかし言葉は届かずとも、気持ちは届く。

 花中は親指を立てて応えた。ウインクまでして。

 正直全く似合ってない『返事』だなと継実は思う。伝えようと思えば、きっとこの気持ちも伝えられるだろう。が、それを今伝えるのは面白くない。伝えるなら、全部終わった後が良い。

 継実は二人に背を向けて進み出す。

 激戦の始まりを背中越しに伝わる感覚で把握しながら、振り返る事はせずに――――

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